←火口の園Ⅰ→
空気に神秘的な箔がなくなってきていた。夜風はたけなわを過ぎ、あっさりとしたテイストに変わる。月の光はやや傾き、町の電飾がポツポツと路地を照らし出す頃合いだ。人々が夢から覚めるのは近い。
あれから、形式的なやり取りを交わした後、私たちは煤と灰で黒く美しく(とても美しく)改築されたビルを飛び出し、そのまま目的地へひた走った。
いつも私の行き過ぎたリフォーム力が周囲を黒く染め上げてしまうので、凱旋行進は慣れ巧みなものだった。高層ビルの下に集まりかけている人ごみをサッと縫い、裏通りを歩く。
淵術師が作り出すのは炎だけではない。火の探求が趣味であるのは確かだが、その過程でさまざまな魔術を発見してきた。例えばその一つが人除けの術。まるで水に落とした油のように避けることをあらるゆ生物が強いられる。(人除けというよりは生物除けだ)
実は世に名高い錬金術も、元は私たちの淵術がその大元だという話を聞いている。いわば「術」のオーナーなのである。
そうした様々な魔術を組み合わせ使い、障害をかわし、つつがなく目的地へとたどり着いたのは、まだ月が天に残っている状態。私たちはやってきたのだ。運よく、ここからそう遠くない場所にあったせいで、余計な時間をかけず到着することができた。
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淵術師たちは黙してその「前」に立つ。三人の背中が対象のあまりの雄大さ、神聖さに取り込まれて、生き物の概念がちっぽけに思われる。
ここの雰囲気はさながら亜空間。亜人間、亜天空、亜大地、亜景色、亜空気、亜現実。いやしかし、ここは間違いなく現実だ。時として巨大な何かというのは、人間の認識を乱して、脳内の正常を逆転させる。
振り返れば、先ほどまでいた町をかすかに見下ろすことができ、気を抜くとその小さな街明かりに吸い込まれてしまいそうだ。雲が空を走り、道のりの遠さを知らせてくれる。
遠望をやめて、視点を戻す。この辺りには肌を痛める灼けた匂いが充満し、濃淡すさまじい灰色の噴煙が空に舞い上がる。大地は赤茶け、灰色でごつごつしている。舌が苦い。
ここは何だ。
・・・・活火山。
人の意識から遠く。
日常より離れ。
火を扱う力が無ければ決して触れえぬ、灼熱のマグマが支配する死の領域。
この世に生まれて、普通に生き、普通に死を手にする生命が、一度として訪れることのない、火炎で守られた地球の謎。
世界の闇を往く淵術師本部は、そこに、在る。
「-----我、ここに名を冠するもの。黒炎」
「-----いざ異界より誓約に従い、隠された真の道を示せ」
呪文言葉が煮えたぎる火口に、チョコレートのように溶けて消える。堂々とたたずむ山は、どのような文句にもはっきりとした返事をするだろう。時にこだまになって、時に夢になって。それが大自然の素晴らしいところだ。
・・・・・・・・・・・・・・
「・・・・・・・・あれ?」
「ふむ。声が小さかったんじゃないかな?」
「そうね。もう一度やってみるわ」
「-----いざ異界より誓約に従い、隠された真の道を示せ!」
呪文言葉が今にも噴火しそうな火口に、チーズのように溶けて消える。無頼で威風堂々たる山は、どのような文句にもはっきりとした返事をするだろう。時にこだまになって、時に夢になって。それが自然の素晴らしいところだ。
「・・・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・」
ガクリと崩れ堕ちそうになり、持っていたホウキで何とか体を支える。カルロスが不安定な足場を案じてか、私の背後に回って山頂から滑り落ちるのを阻止する。
「ホントど~なってんのよ今日は・・・・・・・」
地下何千メートルから掘り出したような、深い深いため息をついた。
「そうだねぇ。今日君は黒い炎を出したし・・・変な空間にも往ったし・・・、調子が悪いのは多分僕も同じさ」
「そうかしらねぇ・・・・もう・・・」
後ろにいるハット帽に助けを求めるような、問いただすかのような、しかし情けのない返事をブーブーこぼす。
とある活火山の中に沈むようにして存在する淵術師・統括本部は、常人では決して入ることのできないマグマの熱で固く守られている。万が一、火に炙られるのが趣味の変人や、淵術師の正体に敵意を持つ者がその高温を突破しても問題ない。本部は火口から真っ直ぐ深く潜ったところにあるが、その場合は本部を球体状に囲う淵術結界が発動し、外れて暑苦しい世界マントル一周ツアーが始まってしまうのだ。
淵術師の古い歴史の中で、その二重防壁は破られたことがない。歴史はいかに強固な鍵がかかっているか証明してきた。
正当に中に入るためには、本部に認証されており、そのうえ淵術師としての証を呪文にて示すことでしか通ることができないようになっている。
だが、もしも、この二つの条件を満たしたものが入れない時は、どうすればいいのだろうか?どうしようもないのか?だが心配はいらない。解決方法は、ここにいる淵術師が知っていることだろう。
「どうしたらいいのよぉーーー!!」
・・・残念ながら、もうどうしようもないのかもしれない・・・・
「ま、まぁ落ち着いて黒」
カルロスが彼女の傷ついた精神を気遣って、やんわりとなぐさめる。
「僕はヘトヘトで呪文を使う炎を練れないけど・・・・、世界に本部は一つだけだから、しばらく待っていたら関係者の誰かが来てくれるよ。とりあえず、ホラ、僕が持ってきている嗜好品のガムだけど・・これを食べて」
灰色のラウンジスーツの裏ポケットに手を突っ込み、縦長のガムを取り出す。私は、それを鬱々とした気持ちで受け取り、しばらく見つめた後、包装紙を破って口に放り込んだ。
「辛・・・・」
「そうかい?」
「ううん、ありがとう」
モグモグと口をうごかしているうちに、少し落ち着いてきた。そうだ、とりあえず冷静に原因を調べるんだ。
クールが売りの私だったのに、今日は完璧にリズムを崩している。いつもの調子をとりもどせ。
息を吸って、息を吐く。息を吸って息を吐く。
よし。
・・・・まずは今日起こったことに惑わされず、なぜ今本部に行けないかに焦点を移せ。私の炎、カルの炎、ホウキは損傷していないし、私は呪文を正確に唱えたはずだ。他に何かの要因があるというのか?
そういえば、と気づいた私はクルリと斜め後ろを振り返って、そこで木のように突っ立ている男に目を向けた。
その男は何とも言えないような表情を浮かべて、観察するようにまじまじ私たちを見ていた。
「さっきから何をしているんだ君たちは・・・・・・」
これまた呆れたような、目の前の光景が信じられぬような目をマグマの明かりにさらしている。
「んん?・・・・・何見てんのよ・・・・」
モグモグモグモグ
しゃがんでみこんでいる私は必然的に、下から視線を送る不良の体勢。
「くっ・・・なんて品がないんだ・・・・」
その様子を見た男はうっと首を後ろに引いて目を細める。
「ッ!?どういう意味!?どうしてあなたにそんなこと言われないといけないわけ!?というか呪文が効かないのはあなたのせいじゃないの!?妨害してるんでしょ!絶対そうだわ!」
モグモグモグモグモグッ!!!!
「おーい、黒~・・・」
カルロスが湯船から零れ落ちる水を、抑えたくても抑えられないなぁ、そんな声の出し方をする。
「というかあなたも淵術師なんでしょ!?あなたがかわりにあけなさいよ!それとも何?伝説の淵術師さんは扉を開けるやり方が分からないというの!?」
モグリモグリモグルリッ!!!
ごく。
あ。
「・・・・・。」
気のせいだろうか。私の怒りを浴びてうつむいた顔は怒りに満ちるどころか、逆に悲しそうな表情を浮かべて、視線を地面におとした。
「・・・・・ごめん。言い過ぎました」
・・・・・・・。
二人のギクシャクする様子を見た洒落男が、安心と信頼の調停へと乗り出す。
「まぁまぁ二人とも。待っていれば必ず開くものだし、そう急ぎの結論を出すことでもないさ。黒も落ち着いてくれ」
私はゆっくりとうなずく。
「コウコ・ホエン君も、よく分かっていないのは双方同じだ。すまないが、ここはひとまず待機しておきたい。いいかな?」
「ああ、分かった。待とう」
コウコ・ホエンはあまり気にしていなかった感じで、うむ、と頭を縦に振った。この男の名を知っているのは、流石に呼称ぐらいは知っておいた方がいいと判断したためだった。
少しだけひなびた場を持たせようとして、カルロスは無難な話を選んで持ちかける。
「ああ、それにしても、淵術師といえど随分暑いねここは。コウコ・ホエン君は大丈夫かい?」
「もちろんだ。炎を制する技術はかなり自信がある。その気になればあらゆる熱を完全に遮断できるし、雪を降らせることも可能だ」
へー。
「・・・雪だって?」
私たちは電撃を受けたかのように、視線を男に移した。
「雪って、あの白い、冬になると空から勝手に落ちてくるやつよね?」
「ああ、そうだ。適当な雨雲を見つけて、その全体から熱を奪い続けると水滴が結晶化し、密度が増して雪が降る。山火事も鎮火できるだろう」
なんでもないようにぼそりと話す。その深い赤を宿した目は、どこを見るともなく空中に視線を投げかけているが、嘘を言っていない真実味があった。
「信じられない・・・」
私は眉をひそめた。雪を降らせる?温度を氷点下まで下げるほどの熱吸収制御をすることができ、なおかつそれを空高い雲から、しかも広範囲にわたって?そんなことができるのか?・・・絶対できない。少なくとも淵術師が氷をつくるなど聞いたこともない・・・・デタラメだ。出来れば間違いなく淵術界最高峰の一角として有名になっている。これほどの術師がいることを知らないとはおかしなことだ。
そうでしょう?カルロス?
カルロスは固まって微動だにしない。やはりあなたもおかしいと思っているのね。その沈黙は間違ってないわ・・・。思うままに言ってやりなさい。
「な・・・・・・なんてロマンツィック!!!!ぬぁんだ!!!!!」
でっしょうねぇ~。うふふふふ。
あなたはいつもそう。炎という世界の真実を暴く真剣な場に、毎度毎度どうでもいい軽口を持ち込んで。
私がどれほど本気でいるか知らないの。
「ぜひ、そのやり方を教えてくれないか!?僕に雪を降らせる妙技を!!!」
がっと肩をつかんでゆさゆさと揺らす。コウコ・ホエンは驚きのあまりヨロヨロと、川底で生息している藻のように揺れた。
「分かったよ。分かったからその手を放してくれ・・・・わわっ!!」
トン。
こうなることを見越していた私は二人の裏に回り込んで背中を支える。急な勾配だ。一度滑り落ちればふもとまで突き抜けて、そのままスキージャンプよろしく天空に羽ばたいていきかねない。
「ありがとう」
「礼なんかいいわよ。当たり前のことをしただけ。でも・・・さっきのこと、チャラにしてくれたら嬉しいな」
「ハハ。それはこちらの台詞だよ。黒炎、君は、、優しいんだね」
カルロスをひっぺがしつつ、そう静かに答えた。
「アッハッハッハ!どうしてそうなるのよ」
私はまるで意味が分からないという風に両手をヒラヒラさせた。しかし彼はとても真面目な面持ちだったので、少しドキリとしてしまった。火口から吹き上がる灰色の煙が赤い火の粉をパチパチさせる。
どうも、彼の行動が読めない。上等な黒い服装が妙に、火山の雰囲気にあっている。絵画を見ている感覚だ、これは。
「あれ?」
というか、教えてもいないのに、私の名前を何故知っているのだろうか?
その遅すぎた疑問は、地鳴りにかきけされた。
〷〷〷〷 〷〷
ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ・・・・・!!!!
〷〷〷 〷
「おっと。二人とも、少し下がって」
平静をとりもどしたカルロスがパチリと指を鳴らして、私たちの間に割って入る。今いる場所は紛れもない火の床。
活火山である。常時噴火の危険がある。炎を制する能力があっても、勢いよく飛びだす溶岩の重さは防ぐことが難しい。じりじりと慎重に後退し、一度山を降りることを考える。
「む?君たち、これはなんなんだ?」
撤退の流れを美しく無視し、いつの間にか火口に落ち込みそうな程身を乗り出していたコウコ・ホエンは普通に問いかけてきた。
私は3歩先まで下りていたカルロスと目を合わせ、好奇心に引っ張られるようにして彼の隣に立つ。
なんと。煮えたぎるマグマの中央部分が不自然に持ち上がっているではないか。蛇が鎌首をもたげたように、スルスルとそれは上昇する。と思えば急に力を失ったように落下して、その重量が赤光放つマグマの中央に窪みをつくる。
〷
〷
ドバァッ!!!!!〷
〷 〷
〷 〷
「!」
その局所が爆発を起こした。散弾銃の弾を思わせる槍状のマグマが四方八方へ押しかける。
私はすぐにホウキに炎を集めて防ごうとしたが、
! ! ! ! ! !
ダン≫ダダン≫ダン≫ダダン≫ダン≫ダン≫ダ≫ダン≫
! ! ! ! ! !
「?」
私たちのいる場所のずっと前でそれら一つ一つが思わぬ小爆発を起こして、
失速し、溶岩がこちらへ届くことはなかった。
爆風が起き、三人は衣服をバタバタとはためかせつつ、顔の前に手をやって垣間見る。
熱風が止んでからおずおず構えた手を下ろして、様子のおかしい火口に意識を戻す。
赤い海が洞穴のように開き、今にも悪魔が誕生してしまいそうな底なしの光景が広がっている・・・・
険しい顔をしたコウコ・ホエンが二人の前に立ち、その危険を睨みつけた。
だが、心配はいらなかった。
「・・・・・・あん?何してんだお前ら?」
闇深き窪みの中から、デパートの階段でも上るような軽やかさで人の女性が歩いてきた。
金髪が爆風の余韻で舞っている。黒、黄色、赤のタンクトップを何枚か重ねて着て、特徴のない黒のレギンスを穿いている。私は目に飛び込んだそれらの特徴からすぐにだれか分かったので、火口のふちを乗り越えて進み出た。
近づくにつれてその外見がよりあらわになる。きめの細かい白肌に、線の細い貌。穏やかなブラウンカラーの瞳。全体的に刃の様な尖った印象を覚えるが、相反して雰囲気からはとにかくやる気のなさがにじみ出ている。例えるなら、ボタンの付いていない高級なTVのリモコン。またはタイヤのない高級車。断言していい、彼女なら地球が滅亡する前日に、読み切れていなかった漫画をじっくり閲覧し号泣する程度のことならやってのけるだろう。
片手から、纏えば足先まで伸びようかという黒い外套を肩にひっさげて、堂々とこちらに向かってくる。
「こんばんは、師匠。おでかけでしょうか?」
普段ならば片膝をつくところだが、立っている場所が場所なので、頭を下げるだけに留める。
「お?・・・おー、お前か。ハッハ、なーんとま、つまらないところであったな」
その女性は自嘲的な返事とは反対に、口角を上げ、裏表のなく豪快に笑った。
しかしすぐにやめて、面白いものを見つけたように目を細くして、じっと私を見つめる。
「んんー?お前。何かかわったか?」
「そうですか?」
「・・・成程な」
わけありげに片眉を上げて、犬歯を見せニヤリとする。師匠はかなり察しが良い。僅かな気の乱れを今日の異変につなげたのかもしれない。
それから後ろにいる二人に目を向ける。
「そこにいるのはカルロスか」
急に男らしい、ずっしりとした口調と音調。
「はい。名前を覚えてくださるとは、光栄の至りであります」
急に声を掛けられ、固く整った文章で彼は答える。
「まあな。お前らの集団は、中々良い。淵術師にしては古きを新しきのため使い分ける、人間らしい顕微がある。はげめよ」
「はい」
師匠はハハッと笑い、拳を作ってコツコツと自分の頭を叩いてから、
「それにしても我が弟子のコンビくらいかったるいものはないだろう。迷惑をかけていないか心配だな?」
なんてひょうひょうと酷い台詞を言うのだ。
「いいえ。貴女のお弟子は淵術師としてとても優秀です。私は高度なその振る舞いについていくため全身全霊をかけている次第であります」