呪いのわら人形
世紀末のある時代、爆発的に売れている人形があった。
すべてに絶望したという老婦人がわらを編んで作ったらしい、と噂される人形なのだが、それを使って呪いをかけると、とてもよく効くのだ。
方法は単純明快。憎む相手を思い、わら人形を痛めつけるだけである。
そうすれば標的の相手もわら人形と同じように怪我をしたり、病気を患ったりするのだそうだ。怪我や病気の程度は相手への憎しみの強さに影響されるといい、同じように痛めつけたとしても、怪我で済む場合もあれば死に至る場合もある。
以前、浮気癖の治らない亭主に怒り狂い、わら人形をバラバラにした女がいたそうだが、その亭主は列車事故に巻き込まれ、五体が飛散したという。
まさに人心を惑わす代物なのだが、誰も老婦人を魔女だの悪魔だのと言って罵ったり、捕まえようとしたりはしない。
人間、よほどの聖人でもなければ憎たらしい相手というのはいる。その憎しみを解消する手段として人形を買って痛めつける。法的にはなんの問題もないのだから、万人に受け入れられていた。
だが、この現状を苦々しく思っている人間が、ごくわずかながらも存在した。
世界を理論や数字で解き明かそうとする、科学者である。
「なんと非論理的な。絶対に胡散臭い。私が化けの皮をはがしてやる」
そんな科学者である祐世は製作者である老婦人に会いに行こうと決意した。
出鱈目である証拠をつかみ、世間に暴露することで人々の目を覚まそう、と考えたのだ。
世界は科学によってのみ統治されるべきだ、と祐世は考えていた。
老婦人の居場所は巧妙に隠され、わら人形がどこからどうやって街まで運ばれているかもわからない。祐世は老婦人に熱烈な憧憬を抱いているふりをして、根気良く調べ歩いた。そして決意をしてから数年後、ついに祐世は一人の男に行き着いた。
「あんたか、いろいろかぎまわってる学者先生ってのは」
その男は人形を仕入れるのを仕事にしていた。つまり人形の製作者の居場所を知る人物だ。
「ああ、頼む。製作者に会わせてくれないか」
「……いいだろう。だが、条件がある。場所に着くまでは目隠しと耳栓をしてもらおう」
祐世は真実知りたさに、出された条件を受け入れることにした。かくして祐世は男のトラックに乗せられ、長時間揺られることとなった。
「着いたぜ、先生」
トラックが止まり、目隠しが外される。祐世はドアを開け、転がるように外へと出た。そして見た―― 粗末で小さなプレハブ小屋を。
「こ、ここに件の老婦人が住んでいるのか?」
「まあ入りなよ」
男はプレハブ小屋の引き戸の鍵を開け、中へと入っていく。その後に続いて入った祐世が見た物は、室内に積まれたダンボールと、大きなテーブルに向かってわらの人形を編む、複数の老女の姿だった。出来上がったわら人形は袋詰めされ、ダンボールに入れられる。呪いをかけているような様子は見られない。誰もが淡々と仕事をしているだけだ。
「こ、これは……」
「こんな物は、ただのわらの人形だ」
男は祐世に丸椅子を勧め、自分も手近な所にあった椅子を引き寄せて座った。
「この辺りには昔からろくな仕事が無くてな。大きな工場やら何やらを一生懸命誘致してたんだが、どこも良い返事をくれない。それで苦肉の策で、自分達で会社を立ち上げようってことになったんだ」
めぼしい特産品があるわけでもない小さな集落では、そこで昔から作っていた伝統工芸品を作って売るぐらいしか思いつかなかった。集落の家々で金を出し合い、プレハブ小屋を建てて会社設立と相成った。しかし、この集落に伝わる伝統工芸は、何の変哲もない単なるわら人形作りのみ。当然売れるはずもなく、在庫が増える一方だった。
やはり無理だったのだ、と嘆く意見が出始め、会社をたたもうという話も出た。
「そんな時だったな。うちのわら人形を使って呪うと、抜群の効果があるって噂が出始めたのは」
最初は若者が遊び半分に使っていた。だが、確実に呪いの効果があると知れると、呪いというものに懐疑的だった大人達までもがこっそり手に入れて使い始めるようになった。
男はそれを知ると、わら人形に関する情報をわざと出し惜しみした。話に尾ひれがついて、より価値が出ると考えたからだ。伝統工芸品を呪いのアイテムとして使われるのは癪だったが、背に腹は変えられない。
「ふむ、わら人形の製作者の謎は解けた。だが、どうして呪いに抜群の効果があるのか。何か特別なことでもしているのか?」
「何もしちゃいないよ」
男は吐き捨てる。
「けどよ、人間、一日中絶好調ってわけにはいかないだろ。小さな失敗や怪我をすることもある。人を呪うほど憎んでる奴は、相手のことをやたらと気にしているはずだからな。相手が失敗したり痛い目にあったりするのを、目撃しやすくなるんじゃないのか。それで、ああ、呪いの効果があったと思い込むんだろ」
「なるほど…… もし効果がなかったとしても、憎しみの程度のせいだと思えばいいわけか」
言い換えれば『偶然』とか『気のせい』で片付けられるような怪我や不幸を、呪いに関連付けていたというわけだ。先に上げた浮気性の亭主に関しては、少々事が大きいようだが。
「しかし、どうして教えてくれる気になったんだ? 私がここで見たことを世間に暴露するかもしれないだろう」
「そのことだけどな、今日でここを閉めるんだ。人が年寄りばっかりなもんで、集落を解散することになってな。もうわら人形は作らないんだ」
最期の生産分のわら人形と共に、男がトラックに乗り込む。祐世は再び目隠しと耳栓をしようとすると、男は「もう良い、必要ない」と言った。
「ところで、あなたは今後どうするんだ。わら人形の仕入れ作業がなくなったら、新しい仕事を探さなきゃいけないんじゃないか」
帰り道、祐世はわら人形をいじくりながら尋ねた。男から土産替わりにと貰った、商品にならない出来損ないとやらの人形である。
「次の仕事はもう決まっているよ。街にいる妹から店を手伝って欲しいって言われているんでな」
「そうか、それは良かった」
「妹はこの間まで亭主の浮気に泣かされていたんだが、そいつが事故でバラバラになってくたばったんでね。解放されて、せいせいしてるよ」
わら人形をいじる手が止まる。浮気性の亭主。事故でバラバラ。どこかで聞いた覚えのある話だと、祐世は片方の眉を上げた。
「もしかして勘付かれるかと思ってヒヤヒヤしてたんだが、どうやら心配いらなかったようだな」
男の声が、低くなる。わら人形をいじくっていた祐世は、指先にちくりとした痛みを感じた。見ると、指先から赤い血がにじんでいる。同時に襲ってくる猛烈な眠気……
「あいつは俺の可愛い大事な妹を泣かしたクソ野郎だ。言っても言っても聞きやしねえ。せめて別れてくれりゃいいものを、妹のことだって好きだなんてぬかしてやがる。最低な、いけ好かない野郎だった」
男はトラックを止め、ハンドルに突っ伏すような姿勢で不気味な笑い声を響かせた。
祐世は眠気と戦いながら、懸命に事態を理解しようと努めた。
――この男、例の浮気性の亭主の妻の兄だった、のか……
「だからわら人形に毒針を仕込んで、眠らせて、線路に置き去りにしてやったのさ。あとは列車が始末してくれたよ。誰もが呪いのせいだって思ってくれて、ラッキーだった」
よく見れば、わら人形の体の中に小さな銀色の針が入っている。先ほどちくりとしたのは、これのせいらしい。祐世は泥のようになっていく意識を捕まえようと、必死にあがいた。自分を待ち受けている恐ろしい事態から、逃げ出さなければならないのだ。だが体が動かない。頭では逃げろと命令しているのだが、指先一つ動かせないのだ。
「呪いの正体を知られるのは、俺は別にかまわないんだが、そうなると妹の事件の方も世間に疑われちまうんでな。厄介なんで死んでもらうよ、先生」
笑いをふくんだ男の声を最期に、祐世の意識は途切れた。
本当はホラーにしたかったんですけど、ミステリーもどきにしかなりませんでした(泣
推理ジャンルにしたのは、なんとなくです(笑