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この歳になって源平合戦とか勘弁して欲しい  作者: 秋月羽音
十九 『凶:失う事もあります。そこから何を学びますか』
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十九 『凶:失う事もあります。そこから何を学びますか』

十九 『凶:失う事もあります。そこから何を学びますか』


「常春さんは、どうしてこうなったか、ちゃんと分かってますよね」

志乃はとても晴れやかな笑顔を見せた。

「まあ、はい」

常春があいまいな笑みを浮かべる。

「では、暫くの間、そこで反省していてくださいね」

「常春さん、ごめんなさい」

志乃の隣で、浪戸はとても申し訳ないと言う顔をして立っていた。

「義経様がいなくなっちゃうのが、いけないんですよ」

顔を赤らめた志乃は、指でぐりぐりと浪戸の腕を押す。それだけ見ているととても微笑ましい光景と言えた。二人の手首を赤い縄がつないでいなければ。

「ああ、これですか。赤い縄で繋がれた二人は、必ず結ばれるんですよ」

「いやもう結ばれてるじゃん」

義経様だけの赤い絆、うふふと志乃は笑う。常春の突っ込みは不発に終わった。

「でもね、志乃は本妻ですから、義経様はちゃんとお土産を買ってきてくれたんです」

志乃は髪留めを触る。ああ、俺が買った髪留めかと常春は気づいた。義経である以上、女物の髪留めは使わない。勿論常春も使わない。志乃に渡って機嫌を直して貰えるのならそれで構わないのだけれど、常春としては少し残念だった。浪戸に髪留めを使って貰って、スマートフォンで写真を撮っておけばよかったと思う。

「よかったね」

常春はぎこちなく答えた。

「だから志乃は、何の心配もないんですよ」

行きましょう義経様、志乃は浪戸の腕を取り廊下を遠ざかる。

「あ、いや」

浪戸は何か言い淀みながら、連れて行かれた。急に静かになる。

「さて、どうしたものかなあ」

常春はごろんと壁にもたれた。六畳ほどの部屋。畳が敷き詰められていて、明かりもある。部屋の隅には帯に通したままの草薙剣を、乱暴に放り出していた。他の私物も身の回りにある。窓が無く陽が射さない事を除けば、特に不自由は無かった。部屋の鍵が、外側についている事を除けば。

 もたれたまま、上半分に格子の入った扉を見遣る。向こう側には、志乃に実家から付き添って来た武士が番兵を務めていた。当然ながら、常春は好かれていない。目も合わさなかった。

「刑務所にも散歩の時間があると聞いたけどな」

返事が無かったので、独り言になる。六条堀川館の奥深くに用意されていた座敷牢が、常春の部屋になった。安全と言えば安全だと思い返す。

「やっほー、兄ちゃん、元気ぃ」

シヅカが賑やかにやって来た。面会は禁じられていないらしい。

「元気じゃないなあ」

何やってくれるんだかと常春は文句を言う。

「でもでも、オンゾーシがどうしても兄ちゃんに逢いたいから協力してくれって」

番兵が咳払いした。

「まあ済んだ事は仕方が無いや。それより、ちょっと頼まれて欲しいんだけど」

土佐坊昌俊とさのぼうしょうしゅんという僧兵崩れが鎌倉から京都に来たら、俺と海尊に教えてくれないか、と常春。

「分かった。シュンシュン友達か何かなの」

「昌俊だってば」

常春が笑う。シュンシュン言うヤカンに友達はいないなと続けた。

「何しに来るの」

常春は声を潜めた。

「恐らく、義経を暗殺しに来る」


 義経と志乃は一日に一度、常春の顔を見にやって来た。

「ずっといっしょにいるんだ」

常春が尋ねると、

「厠の前まで一緒だ」

浪戸は憔悴しきって答える。

「お手洗いも一緒でいいのに。義経様の恥ずかしがり屋さん」

志乃が浪戸の腕を掴みながら言った。

「し、志乃の、す、するところを見たかったら、恥ずかしいけど見てもいいですよ」

「出来るかっ」

珍しく浪戸がうろたえる。

「せめて縄を解いてやったらどう。仕事にも差し支えるだろ」

常春はうんざりしながら言った。

「だってこれを解いたら、きっと義経様は、何処か志乃の知らないところへ行ってしまう」

きっと常春さんのところに行ってしまうのですねと、志乃は赤い縄を手にしながら、とても悲しそうな眼をする。

「いや俺ならここから何処へも行けないし」

「本当は、常春さんを鎌倉殿に渡してしまえば」

「志乃」

浪戸が鋭く制した。いいえ、お話しておかなくてはと志乃が反対する。

「先程、梶原景季かじわらかげすえ様が来られて」

「あ、後でな」

浪戸は志乃を引きづって扉を離れた。いいえ、今お話をと言いかける志乃を、浪戸は遂にお姫様抱っこをして連れて行く。それはそれで、志乃は幸せなようだった。暴れもせず、首に手を回す。

「いや、余計気になるじゃないか」

常春は不満を漏らした。

「んふー、聞きたい、聞きたい?」

シヅカが入れ替わりに入ってくる。

「聞きたいね」

ちょっち困った事になった感じなんだよねー、とシヅカ。片岡常春に謀反の恐れあり、引き渡し頂きたい、だって。

「景季が。景時じゃなくて」

「梶原(子)のほうだよん」

平家物語によると、・以前義仲に味方した源行家みなもとゆきいえが鎌倉に謀反を起こそうとしているらしい。・行家を討てと義経に命令したが、叔父なので仮病で断った。・行家と義経が組んで反乱を起こそうとしている。両方とも処断してやると頼朝がブチ切れ。という展開だったが、ここでは行家の役が常春に押し付けられたらしい。

「オンゾーシは、兄ちゃんが行方不明って事で、追い返したんだけど」

鎌倉で目立ったのは失敗だったかと常春は反省した。草薙剣を見て自制するより、積極策に出たらしい。

「俺、本当に行方不明になろうか」

と常春。奥州藤原氏に匿って貰う事は可能だと思う。

「変わんないと思うよー」

シヅカは冷静だった。

「シュンシュン来たもん」

何時と尋ねると、一昨日の夜に来たと言う。偽名を使っていたが、鎌倉から来た羽振りのいい二人連れの僧兵崩れがいると宿の下男からシヅカに情報が入る。元赤禿を放って情報収集すると、同時期に目つきの悪い旅行客が増えており、僧兵崩れの元に頻繁に出入りしている事が判明している。

「確認出来ただけで五十人はいるよ」

「俺は動けないから、海尊にそれを伝えて。海尊から義経に迎撃準備を」

それがねー、シヅカが困った顔をする。

「このシュンシュン来たって伝えたら、行方不明になっちゃって」

単身乗り込んだのか、何やってんだ。常春は歯噛みした。俺がこんなところで油を売っていなければ、海尊と行動出来たのに。

「昌俊の動きを見張って。でもシヅカは出るなよ、危ないから」

それから義経にも伝えてと常春が言うと、んー、この間ので、志乃ちんの中で、しずぽん信用度はがた落ちだからなーと複雑な顔をした。

「よし、もっと信用がた落ちな俺から伝える。二人を呼んでくれ」

自分から伝えようと、常春は決心した。


「大切な話がある。聞いてくれ」

常春は格子越しに、浪戸よりも志乃に話しかける。

「鎌倉から義経に刺客が放たれた。既に京都にいる」

志乃が小刻みに震えた。

「な、あ、それは、謀反の噂を」

俺のせいで構わないから聞いてくれと常春が言うと、いや、そうでは無いでしょうと浪戸が口を挟んだ。

「誰を引き渡しても、最後は謀反を疑われるに違いありません」

浪戸は静かに言う。

「し、志乃が政子様にお願いすれば」

「それでも駄目ですよ。義経は鎌倉の邪魔になってしまったのです」

「そんな」

「後の事はまた別に考えよう」

それより今日明日にでも刺客が来ると常春は話を切った。

「五十人以上はいるみたいだ。既に海尊が接触して、行方不明になっている」

俺の落ち度だと常春は肩を落とす。

「刺客が差し向けられたのを知っていて、調べていてくれたんですね」

気づけなかった私の責任ですと浪戸がうなだれた。そんな、そんなと志乃が呟く。

「死体は見つかってないから、どうなったかはまだ分からない。向こうも気づかれたと思っているはずだ。そうすると襲撃は近い」

鍵を外してと浪戸が言った。でもでも、志乃が首を振る。

「いいんだ。俺はここで構わない。義経は迎撃準備を」

「そんな訳には行きません。情報も必要だし、何かあった時にここでは」

「情報ならシヅカに尋ねてくれ。俺はこのままで。その代り」

その縄を解いてくれ、いや、解いてくださいと、常春は志乃に頼んだ。俺がここにいれば安心出来るだろう。義経は馬に乗らなきゃならないし、弓を引かなきゃいけない。頼む。

「どうして」

志乃は目に涙を溜めた。

「どうしてそんな事が、そんな事が言えるんですかっ」

そんなに義経様の事が好きなんですか、どうして俺はいいなんて言えるんですか、と志乃が叫ぶ。

「志乃は義経様を独り占めしたいんです。志乃が莫迦みたいじゃないですか。志乃が悪者みたいじゃないですか。どうして」

志乃は守り刀を抜くと鞘を捨てた。番兵が止めようと動くが間に合わない。

 ダン小刀は扉に突き刺さり、二人をつないでいた縄を千切る。

「縄が切れても、志乃と義経様は一緒ですよ」

勿論だと浪戸は小刀を引き抜き、鞘に戻した。そのまま抱きかかえる。

「せめてほどかないで」

志乃が呆然と呟いた。

「常春さん、ごめんなさい。後で必ず」

浪戸が志乃を運びながら振り返って言う。

「気にするな。ここの方が安全だ」

常春は手を振って浪戸を行かせた。

「あー、何だか修羅場だな」

番兵が初めて話しかける。

「誰にも言わないでね」

常春は扉を貫通した跡を指でなぞりながら返事をした。硬い木材なんだけどなと、女性の渾身の力に身震いする。

「言うもんかね」

と番兵が答えた。それにしてもお嬢様があんなに激しいとはなと、毒気に当てられたように言う。

「ああそれと」

常春はもうひとつお願いをした。

「刺客が来たら、よろしく頼むよ」


 その夜に、六条堀川館は強襲を受けた。シヅカの事前報告では五十騎程度と見積もっていたが、最終的には百騎程度の軍勢になっている。三郎とその手下は理由を告げないまま留守。与一と忠信、重房のそれぞれの部隊をかき集め、弁慶と浪戸でほぼ同数の防御部隊を構成する。志乃は重房とシヅカに付き添われて、奥の部屋で使用人と共に潜んでいた。浪戸の傍にいたいと最後まで主張したが、キス一回で折れる。

 浪戸は六十騎程を攻撃部隊とし、残りは館の防御部隊に温存した。倍近い攻撃側を、最終的には全滅させ、昌俊の弟も討ち取っている。昌俊自体は鞍馬まで逃げたところを忠信に捉えられ、縛り上げられて庭に放置されていた。

 常春は、座敷牢の中で一夜を過ごしている。朝になってから、それら戦況をシヅカから又聞きした。

「海尊は」

シヅカは黙って首を振る。そうかと常春は沈んだ顔をした。

 座敷牢から解放されて、庭に出る。後ろ手に縛り上げられて、土の上に正座させられた昌俊を、浪戸たちが取り囲んでいた。

 浪戸は、何時もの朱塗の鎧を身に着け、左腕に赤い縄をリボンにして巻いている。真面目に志乃に義理立てしているらしい。その浪戸の隣には志乃が立っていた。右手首に赤い縄を、御揃いのリボンにしている。ああ、これは重い女だなと常春は思った。

 他の武士たちが居並ぶ中、浪戸が一歩前に進み出た。

「誰の命令ですか」

「鎌倉殿の命令だ」

胸を張って答える昌俊に、一同がざわつく。

「何を命令された」

「源義経殿。あなたを討てと」

「どうして」

浪戸が思わず呟いた。

「さて、義経殿に分からんのであれば、昌俊如きに分かるはずもない」

昌俊はにやりと笑った。

「義経殿が謀反を起こした。軍隊を派遣すれば内戦になるだろうから、誰か夜討ちせよとの鎌倉殿の命令だった」

誰もやりたがらなかったから手を挙げたまでと昌俊は続ける。

「謀反など起こしていない」

「鎌倉殿がそう決められた事」

浪戸は考えに沈む。

「海尊はどうした」

常春が尋ねる。海尊、ああ、あの僧兵崩れか思い出した、昌俊は少し考えていたが、目をぱっと開いた。自由なら手を打ったろう。

「恐ろしい奴だった。鎌倉殿がどう言ったかも、昌俊が何を褒美に貰ったかも知っておった」

「だから殺したのか」

いや殺してはおらぬと昌俊。

「話してもらちが明かないと見るや帰って行った。こちらの手の者を追わせたが、返り討ちにあった」

「今更嘘を言っても通りませんよ」

「どうせ死ぬ身。嘘を言ってもつまらん」

ああ、もうひとつ教えてやろうと昌俊は自分から言い出した。

「伊勢三郎は裏切ったぞ」

再び動揺が走る。

「これ以上義経にはついていけないと、梶原景季に話しておったそうだ」

義経は実は奥州で死んでいるとか、実は女だとか、気の狂った事を誰彼ともなく話しているらしいな。あんなおかしな奴は裏切った方がよかったのではないかと笑う。浪戸は白い顔をして聞いていたが、溜息を吐いた。

「私が女だと思うか」

言われてみればきれいな顔をしているな、昌俊はまじまじと浪戸を見て答える。

「だが妄言だ」

そうか、と浪戸は続けた。

「命が惜しいのなら、助けて鎌倉へ帰しますがどうですか」

「今更鎌倉へおめおめ帰るなど。早く斬れ」

昌俊は姿勢を正す。

「忠信が斬りましょう」

忠信が昌俊を引っ立てた。散会になる。

「三郎が裏切った」

浪戸が呟いた。

「シヅカ、どういう事か調べてくれ」

「分かったよ、兄ちゃん」

シヅカが駆けだす。

「次に会う時は、敵味方と言う事ですね。それは楽しみだ」

与一が凄味のある笑みを浮かべた。壊れて行く、常春の背に震えが走った。


 翌月。文治元年十一月二日。

 九州へ向かうと浪戸は宣言した。去る者は追わず、とも公表する。

「頼朝と戦うのか」

挨拶に訪れた御所で、浪戸は、御簾の向こうから後白河法皇から尋ねられた。

「話し合いたいのですが。京都で戦うつもりはありません」

法皇は目に見えて安堵する。

「法皇の御下文おんくだしぶみを賜って、九州へ落ち延びようと思います」

「御下文とな」

法皇は苦い顔をした。しばし待てと奥に入る。浪戸は一時間ほど待たされた。義経を追い出せば、京都が戦場になる事もないだろう、とか話をしているのだろうなと、浪戸は想像しておかしくなる。平家を討て、義仲を討て、義経に味方せよ、よくまあ節操も無く。自分を守る武力が無いとはこういう事か。浪戸は、侮蔑とも哀れとも思える感情を抱いた。

「用意したぞ」

法皇は、義経に協力せよと記した手紙と共に戻る。鼓判官、平知康たいらともやすが受け取り、浪戸に手渡した。知康の目に涙がにじむ。

「京都は、公家も市井の者も、義経殿を好いておる。これは嘘偽りの無い言葉」

法皇は御簾を手で押し上げると、浪戸の前に出る。

「正直を言うと、義経殿を頼朝殿とで綱引きを行って貰おうと思っとたが、本物の戦になるのは望まん」

京都を守らねばならん。勿論自分自身もと、あけすけに法皇は話した。

「既に天秤は頼朝に傾いとったという事かの」

残酷に告げる。宇治川からまだ二年と経っておらんのに、何という世の移ろいかと、知康は嘆息した。

「悔しいものよ」

「ご厚意、痛み入ります」

浪戸はそう告げると、二人に頭を下げ、御下文を手に御所を辞した。感傷に浸っている間は無い。


「これだけか」

翌三日。朱塗に鎧を身に着けた浪戸は、六条堀川館の庭に集まった顔ぶれを見渡した。半袖半スボンの弁慶はいるが海尊は行方不明のまま。動きやすい軽装の着物に胴丸鎧だけをつけた志乃は死んでもついていくと言い張り、重房たち郎党が付き従う。重藤弓を手にした与一は何時もと変わらず涼しい顔をしていたが、配下の数は相当に減っていた。軽装の鎧姿の常春、シヅカがその脇に立つ。

 三郎と手下は頼朝側に投降した。領地と褒美を与えられたと聞く。忠信一派はこの場にはいない。これ以上付き従わせると秀衡に迷惑がかかるだろうと、一ヶ月前には浪戸が暇をやって奥州に帰らせていた。

「志乃、重頼しげより殿に迷惑が」

「志乃は武士の娘で、武士の妻です」

浪戸が、志乃の父の名を出して再考を促したが、義経の本妻は断固としてはねつけた。

「重房殿」

「すべて承知の上。ご命令を」

若い重房は、顔を上気させて答える。

「百騎程度ですけど、一騎当千ですよぉ」

弁慶はそう微笑んだ。

「足手まといは残す事にしたんだ。強いよ」

与一が胸を張る。

「では、行きましょう」

浪戸が号令を掛ける。騎乗、与一と重房が命令した。馬に跨る。志乃も何の迷いも無く馬に跨った。

「多分兄ちゃんが足手まといだね」

シヅカが笑いながら常春に手を差し伸べる。常春は諦めて後ろに跨った。昼過ぎ、浪戸の最後の郎党約百騎が、京都の街を出る。誰もが息を潜め、雨戸を堅く閉ざしていた。見送りは、無い。


 浪戸一行は、尼崎の大物浦だいもつうらへと向かう。湛増たんぞう率いる熊野水軍が、一行を九州に送り届けるために待機していた。そのコース上に、梶原景季かじわらかげすえの部隊約二百騎が陣取っている。やがて神崎川を挟んで、両軍は対峙した。

「義経殿と戦う事になるとは」

景季はあぶみの上に立ち上がると、溜息を吐く。

「橋を落としていないな」

浪戸は馬を寄せて弁慶に囁いた。景季軍が先に到着して待ち構えていたが、川に架かる大橋は落としていない。

「橋に殺到するところを狙うつもりかしらぁ」

景季軍から工兵が出て橋に近づく。強弓でロングレンジされる事を嫌った作戦に思えた。

「与一」

浪戸が呼ぶ。扇の的で有名な与一だよ。誰か相手になるかい。与一は強弓精兵を十人ばかり選ぶと前進し、いきなり工兵を全員射殺する。

「突破せよ」

声を掛けるや否や、浪戸が馬を走らせる。走らせつつ矢を放った。盾を持った弁慶とシヅカが脇を囲み、相手の矢を防ぐ。与一たちが援護射撃を行う間に、志乃と若干の警護を残した重房隊のほぼ全数が、一気に橋を駆け抜ける。

「撃て」

景季が太刀を振り指示を与えるが、与一たちの弾幕は、景季軍を倍ほど凌駕した。残弾を気にしない速射で射すくめる。一気に渡河を完了され、狭い橋に殺到するところを順次撃破する景季のもくろみは早くも崩れた。

「薙ぎ払え」

浪戸が声を張り上げる。矢を鎧兜で受けながら橋を渡りきった重房隊が反転、後方から景季軍に襲い掛かかった。景季軍の望んだはずの接近戦になるが、容赦なく降る矢の雨と猛然とした突進に挟まれて身動きが出来ない。

「囲め」

徒歩を蹴散らしつつ、十騎程度で四、五騎を囲む。浪戸は集団戦闘を命じていた。一騎討ちはさせない。どうせ個人で名を挙げても渡す褒賞も無い。そうであれば少しでも長く生き残り、義経に仕えよと命じている。個人技に自信のある騎兵であっても、連携プレーには長けていない。数の優位を生かせないままに、小集団毎に取り囲まれ、四方から攻撃されれば勝ち目は無かった。

「引け」

景季は無理をせず、撤退を命じる。浪戸も深追いを命じない。すぐに両軍の距離は離れる。

「父も出る。鎌倉殿自ら出陣するとも聞く。たった百騎ではそのうち磨り潰されるぞ」

景季は振り返って呼びかけた。

「ご心配ありがとうございます」

浪戸も鐙の上に立って答える。

「半分の敵と戦って引いたとあれば、名前に傷がつかないか心配です」

「流石は義経殿、景季にはどうする事も出来なんだというだけの話」

景季は浪戸の皮肉ににやりと笑うと、兜を脱いだ。

「妙な話だが、御武運を」

浪戸は答礼すると、既に集結した部下に向き合った。軽傷者多数なれど、戦死者無しの報告を受ける。

「志乃は無事か」

「はい、義経様」

初めての戦闘に蒼い顔をしながら、馬上の志乃は気丈に返事をした。

「それでこそ義経の妻」

「はい」

浪戸は一同を見渡す。重房は顔を紅潮させ、与一は涼しい顔で、弁慶とシヅカは笑顔、常春はぐったりした顔で浪戸を見返した。

「門出よし」

全員で鎌倉に届けとばかり鬨の声を上げる。士気は高まっていた。


 大物浦から船団が九州に向かう。俄かに天気が悪くなり、西風に船団は散り散りになって、大阪湾の広い範囲に漂着した。がこれはフェイク。浪戸たちは、大物主神社と近くの長屋に分散して身を潜めていた。全員無事。

「義経は怨霊すら出し抜くのか」

湛増は嘆息した。平家の怨霊のために海が荒れたと人々は噂したが、浪戸はその海難も回避している。浪戸は御下文を貰って九州に落ち延びると見せかけて、紀伊半島を回り込み熊野経由で、海路奥州に逃げ込むプランを立案していた。弁慶は湛増と連絡を取って船を呼び、空舟のまま九州に送り出している。

「やっぱり嵐になったか」

長屋の中で、常春は平家物語の通りだなと驚いた。浪戸は湛増と打ち合わせに行って留守。常春の隣には弁慶が座っていた。一緒に行けばいいと常春は思うのだが、親子ではあるが、親子故に顔を合わせ辛いと弁慶は断っている。

 時代の流れは必然が多いと常春は考える。例えば平家が天下を取ったから、恨みに思う勢力が源氏に集まるし、義経が勝ちすぎたから頼朝が排除する。AだからB。Bが起きるのはAから予想出来る。

 しかし自然現象は違う。地震も嵐もきっかけがあるだろうけれど、この日に必ず起きるとは断言出来ない。それとも、常春には分からないだけで、地球が生まれて以来の積み重ねによって、何度繰り返しても必ずこの日この時間に地震や嵐が起きるものだろうか。そう考えれば自然現象も必然ではあるが、人間には予測出来ない。

「勘がいい」

浪戸としては策を練っただけで嵐は偶然なのだろうけれど、結果として命拾いをしている。

「やっぱり、ですかぁ」

弁慶が尋ねた。常春さんは、これから起こる事も知っているんですねぇと確認する。

「俺が知ってるのは、九州に向かった義経が嵐に流されて吉野に潜伏、日本海側を陸路で平泉に落ち延びる話だ」

「それは表向きの話ですよねぇ」

浪戸のフェイクプランその二だった。

「我らが義経は、歴史に残らなかった道筋を辿る」

「平家の怨霊だけじゃなくて、歴史も騙しちゃうんですねぇ。凄いわぁ」

「結局平泉に逃れるから、大筋では変わらないんだけどな」

大筋で変わらないのならと常春は暗い思いに捕らわれる。誰にも話していないし、平家物語にはここから先は書かれていないのだけれど、義経は平泉で死ぬ事になる。実は蝦夷地へ逃げたとか、大陸に渡ってジンギスカンになったと言う説も聞いた事はある。それは常識的じゃないと常春は思った。頼朝を放置しておいてよいとも思えない。

 大きなミッションが二つも残ってるのか常春はうっかり溜息を吐いた。

「常春さんは、初めて逢った時、義経と弁慶は千年先でも名前が残っているって、言いましたよねぇ」

弁慶が尋ねる。

「義経は分かるんですけど、どうして弁慶は名前が残るんですかぁ」

歌があるんだよと常春。

「京の五条の橋の上 大のおとこの弁慶は 長い薙刀ふりあげてって」

それ以来弁慶は傍に控えて、とても忠義に義経を守り続ける。だから有名なんだと常春は歌ってみせた。おとこじゃないんですけどぉと弁慶が抗議するが、そういう歌なんだから仕方が無い。

「弁慶は、忠義に守り続けるんですねぇ」

出世のための方便でもあった訳だけど、こうなってしまって、実際のところはどうなんだと常春は斬り込んだ。

「本当はここらで義経を見限った方が、弁慶のためになるんじゃないか」

「そう、かも」

弁慶は眉をひそめた。

「でも、何だか放っておけないんですよぉ。いろいろ無理してここまでやって来て」

ようやくこれから、いろんな事から自由になれるんじゃないかと思ったんですけどぉ、こんな事になってぇと弁慶は独り言のように言う。

「常春さん。いっそ義経を連れて、どこか遠くへ逃げちゃったらどうですかぁ」

駆け落ちって言うんですかねぇと言い出した。

「俺はそれでも構わないけど、義経が断るだろう」

まあ、弁慶は大げさに驚く。

「殿方が強引な方が、上手く行くんですよぉ」

「どっちも殿方だろ」

もし誰かに聞かれては困ると、常春は突っ込みを入れた。それもそうですねえ、うふふと弁慶が呑気に笑う。

「その方がいいのかも知れませんよぉ」

「記録には残っていないけど。まだやらなけりゃならない事もあるみたいでね」

奥州に逃れてからどうするか、常春は平家物語の助けなしに、作戦を考える事にした。


 湛増は、散らばった船を集め修理を済ませる。シヅカの残した京都の情報網から、北条政子の父、時政ときまさが頼朝の代官として京都に到着した事を知ると、ここでする事もなくなったと湛増は水軍を率いて熊野に引き返した。

「六万、連れて来たって」

時政は軍事力を背景に、後白河法皇に圧力を掛ける。義経追討令を出させた。加えて義経を捕えるために、全国に追捕使ついぶしという役人を鎌倉から派遣する事を許可させる。

「鎌倉幕府の体制が整ったな」

常春は唸った。後にこの職が、朝廷では無く鎌倉の命令で地方を支配する守護、地頭になる。浪戸が陸路を進もうと海路を選ぼうと、大筋で歴史は再現する。

「まあ、海路を選んでくれたおかげで楽が出来る」

船は順調に熊野に向かっていた。補給をして、太平洋沿いに東北へ移動する。これでは安宅の関を突破する必要も無く、勧進帳も無い。石川県に行けば関所跡があると聞いた事があるが、あれは後の世の創作なのだろう。常春は船底で寝転がりながら、浪戸の作戦と熊野水軍に感謝した。

「常春クン」

与一が爽やかに登場する。

「何を考えていたんだい」

ゆっくり話が出来るのも久しぶりだなと常春が応じた。お互い忙しかったからねと与一が答える。一時は三百人を超える勢力を持ち、訓練と実戦に忙しかった。今は五十人もいない。

「これぐらいの方が、命令が届きやすい」

部下が多くても少なくても、与一は平然としていた。

「しかしこれでは、鎌倉殿と戦うのは難しいよ」

「奥州十七万では」

常春が尋ねた。

「張り子の虎、だね」

奥州十七万。これを動かせば頼朝に勝てる可能性はあると常春は考えた。しかし長く実戦経験の無い奥州軍と転戦を続けた源氏軍では、実力に差がある。それを与一は、張り子の虎と評した。そもそも源氏を滅ぼしてしまってよいものか、そこまで歴史を変えて構わないものかも悩ましい。

「これからどうしたものかな」

常春が天井を仰いだ。

「明確な目的が必要だね」

与一が答える。

「目的ね」

浪戸も目的があれば強い。平家を倒す、奥州に脱出する、目的があればその度に浪戸は能力を発揮した。

「自分も他人も犠牲に出来る目的がね」

そう言えば与一には、まだ頼朝鬼の話をしていなかったと常春は思いつく。ここで話しておこうと、夢の事、草薙剣の事、実際に姿を見た頼朝の事を、掻い摘んで話した。草薙剣を見せると、これが神器のと拝む。普段無造作に帯に下げている常春は、申し訳なく思った。

「難しいね」

聞いて与一は困った顔をする。

「頼朝を討つのが、か」

そうじゃないんだと与一。

「確かに鬼であるなら倒す必要があるとも思う。でも、何のため、が足りないんだ」

鬼であろうとなかろうと頼朝を討つだけの理由が欲しい。

「日本のためでは、駄目かな」

「義経の原動力は、平家に父親を殺された恨みだよね。それは浪戸に継承されただけじゃなくて、源氏の武士一人一人の情熱にもなった」

呪いとも言えるねと与一は続ける。

「鬼は恐ろしいし怪しいけれど、まだ何もしていない。気持ちが高ぶらないんだ」

海尊とは違って冷静に論じた。

「それは俺も、そうなんだよな」

日本史の観点からは、頼朝鬼はイレギュラーな存在で何とかする必要があるとは思うけれど、切迫感は無い。

「何かきっかけが必要だろう」

おもしろい話を聞かせて貰ったよ、ありがとうと与一は頷いた。

「いや、結論の出ない話で申し訳ない」

常春が謝る。すぐに結論が出る話ばかりじゃないよと、与一は爽やかに笑った。


 熊野で船を乗り換える。場所を取るので、馬も弩も全て下ろした。湛増に与える。

「他に与えるものがありません」

申し訳なさそうに項垂れながら、浪戸が詫びた。湛増は何もいらないと笑って手を振る。瀬戸内はこれからも熊野水軍の庭となる。得られる利益は大きい。それよりも道中ご無事でと、湛増は頭を下げた。弁慶とは目を合わせただけで言葉は交わさない。

「何かあるだろ」

常春が弁慶を小突いたが、弁慶は下を向いて黙ってしまった。海尊がいれば、この親子をもう少し解きほぐしてくれるのかも知れないなと常春は残念に思う。

 月丸という名前の、古い大型船が一隻用意された。海は荒れる事も無く、船は順調に進み、半月ほどで仙台沖に到着する。開けた港を避けて、離れた海岸に上陸した。

国府津こうづだって」

港の偵察から戻ったシヅカが、名前を聞いてきた。国府津というのは、朝廷が整備させた港という意味だと与一が説明する。後の塩釜港なのだが、常春には分からない。

「馬はねー、あんまり無かったよ」

それでも二十頭ばかりかき集める。産地の奥州が近いせいか、金の価値が低迷していた。軍資金を使い果たす。秀衡への土産と思って持ち込んだ京都の反物も、物資と交換した。

「こんなものしか残せない」

義経一行を運んでくれたという感謝状を、浪戸は船頭に渡す。熊野別当の命令だから問題ないと船頭は陽気に答えた。ここで熊野水軍とは別れる事になる。

 二十頭の馬は、与一の部隊が騎乗した。先行しての偵察や警備を行う。常春は当然の事、浪戸も歩いた。浪戸が歩くのなら志乃も歩くと頑固に言い張る。八十キロ程度の行程を、十二月も近い寒空の中、一同は黙々と歩いた。

「前も秋でしたねぇ」

常春は、隣を歩く弁慶に話しかけられた。紅葉した落ち葉を敷き詰めた、滑りやすい山道。トレッキングシューズでもないのに、どうしてみんな、志乃までがさっさと歩けるのだろうと常春は感心する。

「あの時は馬だったな」

「常春さん、何時も落ちそうでしたねぇ」

おかしそうに笑う。

「仕方ないだろ、慣れてないんだから」

大体弁慶の馬は扱いが雑なんだよと常春が言い返した。

「兄ちゃんが駄目駄目なんじゃないの」

シヅカが口を挟む。

「少しは乗れるようになっただろ」

常春が抗議していると、前から斥候の騎兵が戻ってくる。

「騎兵がいます」

浪戸は進軍を停止した。二騎一組で巡回をしているという続報が入る。与一は徒歩の偵察も派遣した。情報が集まる。

「簡易の関所がありますね」

十キロ先に関所があり、百人ばかり詰めていると、与一が取りまとめた。

「早速、追捕使か」

素早いなと常春が声を上げた。まだ関西をうろうろしていると思わせるためのフェイクは見破られたのかと落胆する。

「それが、見知った顔がいるという事で」

三郎がいると与一が言った。三郎なら、浪戸が平泉に戻ると予想する事も可能だろうと、常春は納得する。

「迂回路はありませんか」

「山の中を突っ切ればあるいはね。でも案内も無しに、難しいと思うよ」

鵯越を知っている三郎だ。あちらこちらに見張りはいるだろうね、と与一は答えた。三郎は平泉を背に、扇形に広く騎兵を放っている。迂回は難しそうだった。

「戦わないと、いけないのですか」

浪戸が逡巡する。追いかけている振りをしているだけなのかも、使者を送ってみればと志乃が言ったが、重房が首を振った。

「忠誠を誓うところを見せなければならないか。手柄をあげて、いいところを見せようと思っているのか。どちらにしても、三郎は本気でしょう」

元は盗賊、と与一が言い捨てる。

「シヅカ、兄ちゃんのそばにいるよ」

元盗賊のシヅカが、常春の袖を掴むと小声で言った。信じてるよと頭を撫でてやる。与一がバツの悪い顔をした。

「倒して馬を奪いましょう」

重房が言う。

「義経は体調がすぐれないみたいだから、与一がやるよ」

与一が宣言すると、弁慶、重房と作戦を立てる。浪戸も同意した。顔色が悪い。志乃、シヅカと一緒に後方に下がる事にする。弩を持たない常春も、盾を持って留守番になった。この顔ぶれでは、最も戦力外。

 与一は時間合わせのために常春のスマートフォンを借りると、五人張の弓胎弓ひごゆみを扱う選抜メンバーを引き連れて、山道を脇へと逸れる。弁慶は常春から腕時計を借りると、重房たちと与一の残りの武士を連れて、慎重に馬を進めた。常春たちも後ろに続く。

 夕方。日が落ちかかる。東北の秋は日が短い。臨時の検問所では、かがり火を灯した。検問所の手前二百メートルばかりの道には一騎が陣取っている。離れた篝火かがりびに気を取られた時。

 どさっ静かに近づいた弁慶に、薙刀で突かれて声も上げずに落馬した。おや、と気が付いた検問所の番兵が、次々と射抜かれて倒れる。迂回した与一の狙撃部隊が、離れたところから正確に、容赦なくかつての同僚を倒し続けた。

「突撃」

重房が突撃。馬を先頭に並べ、後ろを徒歩が追う。

「敵襲」

検問所に待機していた騎兵が駆けだす。突進してくる重房隊に気を取られていた騎兵は、与一たちの的になった。

「やっぱりこっちやな、義経」

増援呼べやと三郎が叫ぶ。法螺貝が吹かれた。集合のサイン。

「その前に決着をつけるよ」

与一は弓を引きながら立ち上がって走った。味方も矢を射ながら追随する。撃ちながら前進した。至近距離での強弓は、盾を割り兜を貫通する。防御出来ない威力に、防衛側は浮足立つ。

「与一か」

三郎が馬に飛び乗り太刀を構えた。近すぎて弓を構えられない。三郎の一太刀目を、与一は弓で受けた。折れる。

「久し振り」

与一は折れた弓を鞭のように振るった。馬の尻を打つ。棹立ちになった馬から三郎は飛び降りた。

「何を貰ったのかな」

与一は弓を捨てて太刀を抜く。

「命や。浪戸は逆賊。ついて行ける訳ないやろ」

「所詮盗賊。忠義も無し」

二人は太刀をぶつけ合った。夕闇に火花が散る。力では三郎が上回っているが、スピードは与一の方が上だった。与一は振り下ろされる刃を左右に躱しながら、三郎を追い詰める。

「はっ」

与一の一太刀が、合わせた三郎の太刀をへし折った。

「宇治川と同じだね」

狼狽する三郎に刃先を突き立てようとした時。

 ばしん後ろから石をぶつけられ、与一はつんのめった。振り返りながら背負った矢を抜いて投げつける。相手の喉を貫通した。

「死なんかい」

三郎が喚く。与一の左脇に短刀が突き立った。

「本当に卑怯だね」

与一は太刀を右腕だけでフルスイングした。三郎の首が落ちる。

「与一の命に、その価値はあるのかな」

立っていられなくなって、膝をつく。

「与一っ」

常春が駆け寄った。混戦の中、危ないとは思っていても、飛び出さずにはいられない。飛び交う矢を盾で受け、与一を守る。

「与一は三郎と刺し違えたんじゃないよ」

口から血を吐く。

「鎌倉殿に討たれたんだ。分かるね」

大丈夫、大丈夫だからと常春が支えた。

「大丈夫な訳が無いじゃないか、武士なら」

武士ならと何か言いかけて、与一はそのまま絶命する。

「常春さん、下がって」

「兄ちゃん、駄目だよ」

突進してきた弁慶とシヅカが薙刀で常春の援護をした。首を取らせまいと、常春は与一の遺体を引きずって後退する。その場で力尽きそうになるが、弁慶やシヅカまで巻き込む事は出来無い。なんとか後方に下がった。

「よ、いち」

浪戸が口を押える。

「さっきまで、話」

浪戸は目を見開いたまま涙を流した。止まらない。戦いが続く中、浪戸の回りだけ音が無くなった。誰も何も言わない。

「せい、だ」

浪戸は絞り出すように言った。

「もう、嫌。誰もいなくならないで」

志乃が浪戸を抱きしめる。それを浪戸は突き飛ばした。そのまま太刀を抜き、走る。あっけにとられた全員を残して、浪戸は戦場に斬り込んだ。

「義経殿っ」

気が付いた重房が駆け寄る。自分の身を顧みず、浪戸は次々相手を斬り倒した。

「義経殿は総大将、勝手に死なれては困ります」

代わりに矢を鎧に受けながら、重房が叫んだ。

「黙れ」

浪戸はそう叫ぶと敵陣に飛び込む。太刀が折れると相手の太刀を奪って戦った。強い。誰も相手にならない。一人で十人以上斬った。肩で息をする。

「義経の首をあげろ」

「増援が来る前に逃げないと」

敵味方の声が交差した。

「増援だ」

誰かが叫んだ。いや違う、敵だっ。あれを見ろ。混乱の中、殆ど陽が落ちて闇に溶け込みながら、検問所の反対側に青い旗が揺れた。

「我が姫君は無事か」

呼ばわる声が響く。

「忠信か」

常春が応じた。

「佐藤忠信、見参」

忠信を先頭に約五十騎が、三郎軍の後背を突いた。新手の敵に浮足立つ。

「一人も逃すな。皆殺しにしろ」

奥州藤原氏を示す宝相華唐草文様を青く染め抜いた旗竿を背負い、忠信は太刀を振り下ろしながら非情な命令を出した。続く武士が着実に実行する。三郎を失った手下たちは、それぞれ追い詰められ、とどめを刺されて果てた。

「我が姫君、いや、義経殿がここにおられる事が、鎌倉に伝わるといけませんからね」

浪戸を確保しながら忠信は満足そうな笑みをこぼした。

「追っ手がいる事には気付いていたんだけど、遅くなってしまった」

「いや、助かったよ」

常春と言葉を交わす。

「ところでこれはどういう」

忠信が首を傾げた。常春の腕の中では、半ば気を失った浪戸が身じろぎもしない。

「与一が討たれた」

与一殿がと忠信が絶句する。常春の目に涙が溢れた。ようやく泣いても構わない状態になったのだと思う。

「俺は勝手だな」

常春は鼻を詰まらせながら言った。平家を滅亡させておいて。源氏もたくさんの戦死者を出しておいて。

「人が死ぬのは、慣れっこになってたと思ったんだけどな」

与一の死は悲しいと思う。

「勝手なのは、私です」

浪戸が口だけ動かして、答えた。


二十 インターバル 海尊


 「シュンシュン来たよ」

勢いよくシヅカが部屋に駆け込んで来る。

「こら、部屋に入る時は一声掛けなさいって、何時も言ってるでしょ」

「ごめんごめーん」

ちっとも反省してないんだからと海尊は腕を組んだ。何時もシヅカのペースに乗せられてしまう。

「で、何が来たって」

「シュンシュンだよ、シュンシュン」

海尊が首を傾げた。そんなヤカンみたいな知り合いいないわよ。

「トサノボーだよ」

それって、土佐坊昌俊でしょっと突っ込みを入れた。宿泊先を尋ねると、そう遠くない寺に、二人で泊まっていると言う。

「二人?」

「兄弟らしいよ」

一味は大勢いるが、目立たないように分宿しているようだとシヅカが付け加えた。

「二、三人なら大丈夫でしょ」

ちょっと出掛けて来るわと海尊は帯に打刀を挟んだ。薙刀を持って行くと悪目立ちする。

「気をつけてね」

「ありがと」

海尊はひらひらと手を振りながら、夕方の京都に出掛けた。

 夕闇の中、目的の寺の前に海尊が立つ。古い友達が来てるんだけどと門番に嘘をつくと、すぐに扉が開いた。僧兵崩れでそれらしい着物だと、寺社の扉は簡単に開く。

「土佐坊ってアンタかしら」

大柄の目つきの悪い相手に尋ねると、怪訝な顔で如何にも拙者が昌俊だと名乗る。

「今日は暇でしょ。つきあいなさいよ」

「いや所用が」

「襲撃の準備が忙しいから、かしらねっ」

にやりと笑うと、なんのことか分かりませんなと海尊に従って中庭に出る。

「きれいな月ね、もうすぐ満月」

他には誰もいない。殆ど陽も落ちて、月が昇っていた。海尊は空を見上げる。

「月か」

常春にはじめて会った時も満月が近かった。酔った勢いで絡んでしまったが、水面に浮かぶ月を射るとか、なかなか風流じゃないのと思い出す。後で座敷牢を覗いてやろうと思い立った。

「よい月ですな」

海尊が物思いに耽ってしまったので所在なげに立っていた昌俊だったが、話を進めようと遅れて同意する。

「そうね、騙し討ちをするには、明るい方が便利でしょうね」

昌俊が顔をしかめる。

「鎌倉殿は、お母さんと赤ちゃんのために、何を約束してくれたの」

海尊が反論しようとする昌俊の口に、人差し指を押しつけた。

下野国しもつけのくにの中泉庄を貰ったって本当なのかな」

「話が見えないが、何処かでお会いしましたかな」

昌俊は迷惑そうに答える。

「直接は会って無いけど」

アンタの事は知ってるわよと、海尊は悪戯っぽく笑った。興福寺の出身で、実平さねひらの所にいたのよね。今は頼朝に仕えている。と続ける。

「大軍を送れば、宇治川、瀬田川の橋を送れば落として京都が戦場になるから、熊野詣での途中とか何とか言って騙し討ちしろ、頼朝にそう言われて来たのよね」

知らんと昌俊はぞんざいに返事をする。

「あなたに義経は倒せないわ。だって、倒せない事になっているもの」

だから海尊ちゃんも、ここでアンタを襲ったりしない。海尊は笑う。

「では何をしに来た」

苛立たしげに昌俊が尋ねた。

「顔を見に来ただけよ。じゃあね」

海尊は言いたい事だけを言うと、せいぜい頑張ってねと、昌俊に背を向けた。


 海尊はわざと遠回りをして、人気のない通りを歩く。

「三人か。そろそろ出てきても構わないわよっ」

暗い服を着た影が二人、海尊の後ろに迫る。

「はっ」

何も問わずに一人を斬った。何時抜いたか分からない素早さで、海尊の手には打刀が握られている。

「この」

もう一人が動いた。刀を打ち合う。二回打ち合って、次の一振りで、もう一人も倒れた。昌俊を斬るつもりはない。襲撃は歴史再現上必要だった。ただ、敵の数は減らしておきたかったから挑発する。

「もう一人いるわね」

天狗の面を被った相手が、暗闇から浮かび上がる。

「アンタ」

天狗は武器を持っていなかった。金の刺繍の入った、神主のような狩衣に烏帽子。面が似合わない。

「楽しんで貰えたでしょうか」

面の向こうからくぐもった声をだす。

「常春の言ってた」

「遣いのものです」

天狗は優雅に一礼する。

「あ、アンタが」

どれだけ苦労したと思ってんのよ、海尊が絶叫した。

「弁慶と違って海尊は、平家物語本編には登場しません」

ちょっとアンタ聞いてるのっ、海尊が怒るが、天狗は気にもかけずに話し続けた。

「しかし義経記には登場します。そして残夢。こちらも、まるで本物の義経を見てきたかのように話す僧として、歴史に記録されるのです」

「何が言いたいの」

つまり、と天狗は一呼吸置く。

「そろそろ、元いたところにお返ししようかと」

「アンタ、ふざけた事言ってるんじゃないわよっ」

突然放り出して、散々苦労させて、殺したり殺されそうになったりしながら一年以上経って。それで

「突然そんな事を言われて、ハイそうですかなんて言える訳無いわよっ」

海尊は怒りをぶつけた。困りましたと天狗が言う。そろそろ帰っていただかないと、これまでいろいろ経験していただいたのに、このまま無駄に死んでしまう危険があります。

「何がしたいのよ」

海尊は打刀を突きつけた。

「只の遣い、番人でして」

天狗は鋭い切っ先にも平気で答える。

「ああ、その刃はそれらしくちゃんと経年劣化処理をさせていただきます」

そう言うと同時に、刃に錆が浮いた。広がり脆くなる。

「なっ、これ」

「では行きましょうか」

待ちなさいよ、海尊は叫んだ。

「せめてみんなに挨拶を」

さようなら、天狗は手を打った。海尊の姿が瞬時にかき消える。

「後は、常春さんですね」

はあ面倒だ、天狗は足を進めた。暗闇の中に消えていく。

 後には死体が二つだけ残された。


二一 『無:オミクジは終わりです。自分を信じて未来を切り開いてください』


 浪戸に与えられた、平泉の北にある衣川館ころもがわのたちの一室。

 常春がスマートフォンの電源を入れ、習慣になったオミクジアプリを起動すると、何時ものキャラクターは登場せずに、そんなメッセージだけが表示された。

「まあいいか」

ネタ切れなんだろうと思う。ネタよりバッテリー切れの方が問題だった。太陽電池パネル付きの充電器も寿命が来たらしく、スマートフォンの充電も充分ではない。スマートフォン自体のバッテリーも、二年も使えば相当にへたっていた。尤もこの世界に来て二年も経てば、スマートフォンも時計とライト以外には、余り活躍の場が無い。

「腕時計は大丈夫」

太陽電池パネル付きの腕時計は、正確に時を刻んでいた。こちらのバッテリーがどのくらい持つのかは知らないが、数年という事は無いだろうと思う。

「兄ちゃん。もう起きたの」

隣に寝ていたシヅカが目を覚ます。布団にくるまった。常春が作らせた綿入りの布団が、平泉では通常装備になっている。相変わらず寝間着の習慣がないので、布団のお蔭でシヅカの裸を見ないで済むのは、ありがたいような残念なような複雑な心境だった。

「シヅカも起きるか」

「寒いよお」

布団がもぞもぞと動いた。畳の上で服をかけるだけで、東北の厳しい冬をよく乗り越えて来たなあと、地元民の強さに感心する。

「じゃあもう暫く寝ているといい」

常春は起きて着物を来た。腕時計をはめ、弾帯のようなウエストポーチを締める。平泉に戻って、馬の皮でベルトを作って貰った。その幅広のベルトに草薙剣の鞘を通す。短い脇差も腰に佩いた。

「うう。シヅカも起きるよ」

裸のままシヅカは身体を起こす。出逢った時は十三歳と言っていたが、二年経つから十五歳になっていた。胸も成長良く膨らみ、常春は目のやり場に困る。

「なになに、兄ちゃん、胸、触りたいの」

「早く服を着ろ」

言い残して常春は廊下に出た。旧暦二月。とても寒かったが、日差しは暖かだった。外の方が過ごしやすいと思う。

 廊下を歩いて、手水ちょうず鉢のある中庭にでる。建物の陰にある鉢は、薄い氷が張っていた。割る。氷水に震えながら顔を洗うと、口をすすいだ。目が覚める。軽く身体を動かしてほぐしている内に、シヅカもやってきて同じ事をする。

「義経のところに行ってくるよ」

「いってらー」

常春は奥の部屋に移動する。

 建物の奥に、浪戸と志乃が住む部屋がある。愛の巣、と臆面も無く志乃は公言していた。

「入っていいかい」

「どうぞ」

志乃が返事をして、常春が扉を開ける。志乃は布団を来て臥せっていた。志乃がかいがいしく世話をする。

「様子はどうだい」

「力が、出なくて」

浪戸は弱々しい笑みを浮かべた。平泉に運び込まれて以来、ずっと体調を壊している。戦闘ストレスと言うのだろうか。心のバランスを崩したのだろうと常春は思った。

「美味いものを食べて少し太れば、元気になるよ」

「食事がのどを通らないんですよ」

志乃が眉をひそめて代わりに答えた。やっと独り占め出来ると志乃は張り切っている。身体を拭いたり、食事を食べさせたり、志乃は浪戸に密着して世話をしていた。浪戸が女性である事はいくらなんでも気づいているだろうに、何も言わない。何時かの赤い縄を右手首に巻いたまま、義経様は最愛の人ですよとだけ微笑む志乃を見ていると、常春は少々怖くも感じた。

「今日は何かありましたっけ」

志乃が人差し指を口に立てながら尋ねた。

泰衡やすひらに呼び出されててさ。話の内容は戻ったら伝えるよ」

浪戸を匿ってくれた秀衡は病没していた。藤原四代目の泰衡が今の当主になる。秀衡程には胆が据わっていなかった。

「常春さんごめんなさい」

本当なら私のする仕事と浪戸が謝る。いや、こんな交渉事が出来るなんてすげえよと常春は笑った。

「それに大将が交渉の場に出たら、必殺兵器、持ち帰って検討します、が使えないだろ」

浪戸はもう一度ごめんなさいと呟いた。いやだから楽しんでるってと応じて、常春は部屋を出る。

 更に建物の裏手に回ると持仏堂があった。四畳半程度の小さな堂。義経最期の場所のはずだと常春は武者震いをする。

「そうはさせない」

平家物語では鎌倉に捕えられたシヅカも、現実にはここにいる。一緒に自害するはずの娘は、当たり前だが志乃にはいない。

 既に歴史は変わっている。俺が変えてやると、常春は持仏堂の更に向こうに目を向けた。二階建ての高さほどの木馬。七メートルの高さから首が見下ろす。胴体には鉄のカプセルが格納され、数名が潜むことが出来る。短い脚は空洞で今は土を詰めていた。病床の秀衡に、無理を言って建造して貰った、対頼朝の切り札になるはずだった。

「後は浪戸さえ元気になってくれれば」


「困るんだよ常春君」

泰衡が眉間にしわを寄せて言う。髪は白い。年齢以上に老けて見えた。

「昨日もまた鎌倉から来たんだよ。義経を匿っているだろうとね」

常春は平伏する。

「どうすりゃいいんだよ私は。父の遺言もあるし、浪戸も赤の他人ではないし」

根は悪人ではないから、板挟みになって泰衡は不満を言うしかない。

「いっそ、義経など最初からいません、あれは浪戸です。片岡常春も差し出しますと言って見ようかしらん」

どう言おうと鎌倉が納得する訳がない事を分かったうえで、泰衡はうわ言のように言い続ける事しか出来ない。

「常春君、ほら、何かいい考えはないのかね」

「奥州十七万って言うだろ。鎌倉も簡単には攻めて来れないと思うよ」

そうだといいのだけどねえ、泰衡の声は震えていた。後白河法皇は既に二回も、義経追討の宣旨を出している。法皇も節操がないと言えばそうなのだが、宣旨があるから義経を匿えば朝敵になる。そして軍事力を背景にした鎌倉からの脅迫。これは近いうちに衣川の戦いがあるかも知れないなと常春は思った。秀衡に頼んでおいた最後の仕掛けの準備が、そろそろ必要かと常春は考える。前回訪問時、最後に常春が製造を頼んだもの。

「馬の糞を集めて、藁を敷いて、小便を掛けてくれ。臭いがしたら申し訳ないんだけど」

「何が出来るのかな」

「まだ言えない。けど、上手く行けば戦に役に立つんだ」

秀衡はその会話を覚えていて、いぶかしがりながらも原料を作業を続けてくれた。そうやって出来た硝酸カリウムと木炭、硫黄で、常春は黒色火薬を調合する。比率までは覚えていないからそれ程の破壊力は期待出来ないけれども、この時代、日本に無かった火薬が手に入る。腰ほどの高さの樽が八個用意出来た。少人数で大軍と戦う事が出来る。他の使い方もある。

「聞いているのかね常春君」

常春の意識が何処かに行っているのに気付いた泰衡が、更に声を張り上げた。

「勿論だって」

「いっそ蝦夷でも大陸にでも渡ってくれてもいいのだけれど。父の遺言がねえ」

秀衡は義経を主君にするよう言い残している。浪戸も辞退したのでそうはなっていないが、無下には出来ないと泰衡は身をよじった。父の遺言がと三度繰り返す。

「義経とも相談して、何か方法はないか考えるから」

常春はそう言うと、やっと解放されて衣川館に逃げ帰った。


 それから数日経つ。朝から雪が続いて、夕方にようやく降り止んだ。忠信、重房はそれぞれの部下を率いて雪下ろしや雪掻きをする。怪我をしそうだという理由で、常春は免除されていた。心苦しくも浪戸の部屋で双六をする。

「え、もうあがっちゃうの」

「常春さん、本当に下手」

ふふ、と浪戸が笑った。ゲームをしている時の浪戸には生気がある。どんな事であっても、戦ってこそ義経だなと常春は痛々しく思った。元気になるのは好ましいが、競っている時しか本調子が出ないというのはどうかと思う。

「義経様、そろそろ」

志乃が声を掛けた。常春に、そろそろ帰れとの合図でもある。

「え、もう少し、駄目ですか」

「お身体に障りますよ」

志乃が優しく笑う。歳も変わらないのに、母親みたいな笑みだった。

「それじゃあもう少しだけ。お茶を入れましょうね」

志乃が囲炉裏で湯を沸かす。日宋貿易をしている藤原氏は、高価ではあるがお茶を輸入している。お茶があると聞いた時、ありがたい。水じゃないと常春は小躍りして喜んだ。志乃は、お茶を点てるのは私の仕事と、おいしく入れる事に腐心している。

「温まるよ、嬉しいなあ」

「常春さんにではありませんよ。義経様に、です」

志乃は心底不思議そうに首を傾げて言った。

「そんな意地悪を言わないで、常春さんにも出してください」

「義経様がそうおっしゃるなら」

浪戸のとりなしで、常春もご相伴にあずかる事が出来た。

「静かですね」

お茶を飲みながら浪戸が言う。つららが溶けて、水滴が石に跳ねる音が聞こえるぐらい、静かだった。

「こんな日がずっと続くと嬉しいです」

志乃が答える。常春もそうなだと答えようとすると、シヅカが騒がしく廊下を走った。

「兄ちゃん何処、大変だよ」

ここだよ、と扉を開けて手招きする。

「あうぅ、静かですねって話をしていたのに」

志乃が恨み言を言った。ん、シヅカだよ、とシヅカが噛み合わない。

「それで、どう大変なんだい」

常春が促した。

「そう、大変なんだよ。さっき本館の飯炊きで聞いたんだけど」

シヅカが息せき切って話した。明日の朝、払暁と同時に攻撃すると、泰衡が決めたと言う。

「ご飯を用意する量を増やせって言われたから、どうしてって尋ねたら、誰にも言うなよって武士の人に教えて貰ったんだって」

奥州に来てもシヅカの情報収集能力は健在だった。誰とでも仲良くなり、噂話を収集する。

「来たか」

常春が呟く。浪戸の表情が変わった。志乃が泣きそうな顔を見せる。

「そんな」

「軍議を。忠信、重房を呼んでください」

浪戸が義経の顔になった。常春は二人を呼びに外に出る。


 今夜、闇にまぎれて逃げる事も考えられた。何処へ逃げるか。そもそも可能か。

「囲まれてるよ」

様子を見て来たシヅカが報告する。遠巻きに偵察部隊が展開していた。逃げても追われる。

「先制攻撃を」

重房が言う。しかし泰衡を討ったとして、代わりに奥州を支配するか。秀衡爺さんの遺言はあるけど、こんな形でみんなついて来るかなと忠信。鎌倉とは戦いたくない反戦派もいる。平泉を内乱に巻き込むような事はしたくないと浪戸が却下した。

「せめて、姉を逃がしては頂けないか」

重い沈黙の中、重房が再度発言した。

「何を言いますか」

志乃が叱る。

「そうですね」

浪戸が頷いた。

「私は武士の妻。何処までも義経様とご一緒します」

これ以上人が死ぬのを見たくないと浪戸は首を振る。

「志乃とシヅカは投降してください。鎌倉も女の首は取らないでしょう」

浪戸は言い切った。そのために北条政子と面識を用意しておいたのだからと常春も思う。

「シヅカは志乃さんを守るんだよ」

「兄ちゃん」

「重房は二人を護衛するため、投降してください。いや、処刑されるかも知れませんから逃げた方が」

浪戸は難しい顔をして言う。何処に逃げるのですかと真面目な顔をして重房は答えた。鬼神になったとしても、何処までもお二人をお守りしますと続ける。

「この忠信の首と引き換えに、部下も投降させよう。元々奥州の兵だ」

忠信も答えた。

「首と引き換えなんて、そんな事は言わないでください」

浪戸が弱々しく首を振る。

「待ってください。どうして私の言う事を聞いてくれないんですか」

志乃が叫んだ。

「義経様は死ぬつもりでしょう。駄目です駄目です。それなら私も一緒です」

許してくれないんなら、たった今舌を噛んで死にはふ。志乃は舌を出して宣言する。

「待ってくれ志乃」

浪戸が慌てて止めた。

「ひっひょひひんへふへはんん」

痛っ、舌を噛んだ志乃は悲鳴を上げる。

「わがままを言って義経様を困らせてはいけません」

重房が諌める。いや嬉しいんですよと浪戸が優しい目をした。

「志乃。今日は朝まで話をしましょう。それから決めましょうね。まだ時間はありますから」

涙目で志乃が頷いた。

「それじゃあ明日のために、ちょっと手伝ってくれ。それが終わったら、最後のメシでもゆっくり食べようぜ」

仕込が必要だと、常春は忠信と重房に声を掛ける。

「弁慶もシヅカも、身の回りを片付けてね。二人とも死なせないから」

そ、そうですねぇ、弁慶も席を立った。

「兄ちゃん」

「後でな、準備が出来たら食事をしよう」

う、うん。シヅカもしょんぼりと頷く。


 しみじみとした夕食になった。浪戸と志乃は部屋から出てこない。常春は食事を運ばせた。シヅカは常春の腕にしがみ付いたまま離れない。

「食べなきゃ」

「食べたくないよ」

気まずい沈黙。

「常春殿」

忠信が声を掛けて沈黙を破った。浪戸をずっと支えてくれてありがとう。これからも頼むと小声で言う。

「俺、ちゃんとやれたかどうか、分かんないな」

常春は頭を振った。

「肝心の義経殿がおられない。代わりに常春殿、一言」

重房が声を張り上げた。アルコールが入っている。

「俺で構わないのか」

「最年長者ですから」

そんな事になっていたかと、常春は苦笑いをした。

「ここまで義経について来てくれてありがとう。全体に忘れない」

これからいろんな事があると思う。悪いけど助けてあげられないんだけど。主君と仲間と心をひとつにして、ともかく生き延びて欲しいんだと、常春はみんなの顔を見渡しながら言う。

「生きていれば何か出来る。死んでしまったら、肝心な時に死ぬ事も出来ないからなっ」

何だろね、この挨拶と、常春は苦笑した。

「ああ思い出した。それと、あの木馬には、近づかない事。以上」

それって人生訓かなにかかしらぁと弁慶が首を傾げる。内緒だよと常春は笑った。


 水杯を空けて食事を終える。常春はシヅカを腕にしがみ付かせたまま、部屋に戻った。忠信と弁慶が連れ添って庭に出るのが目に入る。あれ、何時の間にそんな関係になったのと思いながら、好ましく感じた。二人とも、殺し合い以外の楽しい事があっても罰は当たらない。

「少し酔ったな」

黙ったままのシヅカを連れて部屋に入る。アルコールが少し入ったせいか、寒いはずなのに暑い。

「明日の寝坊は命がけだな」

スマートフォンの電源を入れて、アラームをセットする。

「兄ちゃん」

「何だい、シヅカ」

「兄ちゃん。残るんでしょ」

まあなと常春。

「役たたーずだよ兄ちゃん。しずぽんの方が強いよ」

「失礼だな。頭を使った戦い方だってあるんだよ」

シヅカはううんと首を振る。

「兄ちゃん、死ぬ気だよね」

常春は首を傾げた。

「生きていれば何か出来る。死んでしまったら、肝心な時に死ぬ事も出来ないって。そんな事言いながら、兄ちゃん死ぬ気だよね」

「死なないよ」

「嫌だよ。離れたくないよ」

死なないから、と常春はシヅカの頭をぽんぽんと撫でた。

「志乃ちんばっかりずるい。シヅカだって」

身体をよじって常春から離れたシヅカは、するりと着物を落とした。全裸になる。障子を越えて入る月明かりが、シヅカの柔らかい曲線を静かに照らした。硬く膨らんだ胸。申し訳程度の柔らかな下半身の毛。常春はシヅカを抱きたくなる。酔っているせいだと自制する。

「何処へも行かないでよ」

や、脱がなくてもと言った常春の唇を、シヅカは黙って奪う。

「せめて朝まで。兄ちゃんの跡をシヅカに残して」

シヅカは引きちぎるように常春の着物を脱がせた。

「シヅカ、あのね」

「兄ちゃんちょっと黙って」

二人は布団の上に倒れ込む。肌と唇を強く重ね合わせた。


 衣川館は小高い丘の上にある。建物の正面には、下へと続く階段がなだらかな坂になる。翌朝、朱塗の鎧兜に身を固めた浪戸を中心に、一同は階段の上に並んだ。左右に松明を灯す。常春はちらっと志乃を見た。目が真っ赤だったが、もう泣いていない。赤い縄を結んだ右腕に浪戸愛用の笛を握りしめ、正面を睨みつけている。

 階段の下と途中には、昨日の内に、左右に樽を置いている。降り口側には薄く土を積んであった。階段の下にやって来た泰衡の軍勢には、それが何か分からない。

「義経。鎌倉から最後通告があったんだ。何時までも匿うなら逆賊になる。兵を送るとゆうて来た」

泰衡の声が震えていた。

「お願いがあります。女子供に罪はありません。許して頂けないでしょうか」

浪戸が落ち着いて話す。

「殺生は少ない方がいいに決まっている」

「志乃、シヅカ」

今までありがとう。浪戸が二人を抱きしめた。シヅカは常春とも抱き合うと、振り返りながら二人並んで階段を下りる。

「志乃を国元に返すために、護衛をつけたい」

常春が言い、重房が部下五十人余りを率いて、階段を下りる。太刀は鞘に納め、弓は持たず、抜刀した泰衡の兵が囲む中に向かう。

「まわれ、右」

重房が大声で号令を掛けた。一斉に向きを変える。泰衡が腰を抜かしそうになる。

「義経殿、御武運を」

全員で唱和すると、一礼した。

「つ、連れて行け」

泰衡の兵に囲まれて、志乃とシヅカは、重房たちと一緒に運び出される。

「忠信の首と引き換えに、こいつらを許して貰えないか」

泰衡は喜んで、忠信の部下を受け入れた。義経は戦上手。しかも連れて来たのは精鋭部隊。数が減るなら大歓迎だった。

 丘の上には、浪戸、常春、弁慶、忠信だけになる。

「浪の戸。先に行け」

忠信は初めてその名前で呼んだ。

「兄さん」

「後で必ず行く」

必ずですよと、浪戸は衣川館に入る。

「二人とも、無理せずに」

常春が声を掛けた。

「常春殿。申し訳ないけど」

「私たち、一緒には行けないわぁ」

忠信と弁慶が答える。

「誰かの首が必要でしょう」

「だれの首も取れなかったとすれば、泰衡の立場も無いからな」

おいおい、何を言ってるんだと常春。

「あなたは行ってちょうだい」

「我が姫君が待ってる」

弁慶が真顔になった。

「生きていれば何か出来る。死んでしまったら、肝心な時に死ぬ事も出来ない。そう言ったわよねぇ。弁慶にとっては、今が肝心な時」

何をごちゃごちゃと話している、さては義経を逃がすつもりだなと泰衡は叫んだ。

「こちらへ来れるかな」

忠信が鏑矢を抜くと松明で炙り、一番下の樽を射抜く。

 ばあん大きな音と共に、樽が爆発した。近くにいた武士が吹き飛ばされて倒れる。泰衡は今度こそ腰を抜かして動けない。

「さあて、何人連れて行けるかなぁ」

忠信は次の鏑矢を炙った。気の利いた攻め手の中に、樽を射抜く者がいる。火矢でもなければ土で覆っている事もあって、何も起きない。

「離れろ、連れて行け」

泰衡は腰を抜かしたまま引き摺られて後退した。あらあらぁ、これでは時間が稼げ過ぎますねぇと弁慶が笑う。

「ちょうどいい。二人とも来てくれ。必要なんだ」

後の事は勝手にやってくれればいいと忠信は陽気に笑った。全員居なくなったら怪しいでしょうと弁慶。

「義経一の子分、弁慶を討つのは誰かしらぁ」

大声で叫んでから薙刀を常春に渡す。私は行かないけどぉ、代わりにこれをお願いねぇとウインクした。

「どうしても残るのか」

常春は唇を噛んだ。

「浪の戸を、独りにしないでくれ」

忠信は二つ目の樽を起爆する。

「お願いねぇ」

弁慶は弓を構えた。

「上手くやったつもりだったのに」

俺の考えが甘いのか、俺が弱いからか、常春は目に涙を浮かべる。

「浪戸っ」

建物を走り抜けて、持仏堂に飛び込む。

「二人は」

鎧兜を脱いで小袖姿の浪戸が尋ねる。

「二人は来ない。俺たちは行かなきゃならない」

「どうして」

「二人は二人の責任を果たすんだ。だから俺たちも」

ぱあんと浪戸は常春の頬を叩いた。叩いてから、はっとした顔になる。

「納得いきません」

「しなくていいんだ」

次の爆発音が聞こえた。常春は浪戸を引きずるように、持仏堂の裏手に回る。鬨の声が上がった。泰衡軍の突入が始まる。扉を叩き壊す音。建具を打倒す音。くすぶっていた衣川館が、やがて火に包まれた。短い間だったけれど、静かで平和な日々が燃えてしまう。

 さあ来いよ常春は隠れて待った。もう一息で、アリバイが成立する。

 バタン持仏堂の扉が乱暴に開かれる。

「よく来たな」

常春の声が狭い堂に響く。堂の中には陽が差さない。薄暗い中、二つの人影と樽が見えた。一人は樽に腰を掛け、一人は樽の後ろに立っている。先鋒が突入を躊躇した。

「これで終わりにしましょう」

浪戸の凛とした声が放たれる。シュン、と何かが焦げる音がする。

「逃げろ」

突入部隊が算を乱して持仏堂から離れる。大爆音。狭い部屋の中で爆発した火薬は、建物の屋根を吹き飛ばした。何もかもが粉々になる。

「ああ」

安全だと確認出来るまで待っていた泰衡が恐る恐る堂の残骸に近づいた。転がっていた義経の兜を拾う。金の鍬形が半分千切れていた。

「死んだか。厄介者め」

泰衡は震える声で呟いた。


 常春と浪戸は、持仏堂に突入された時点で隠れ場所を放棄している。浪戸の鎧兜を身に着けた人形と、常春のスマートフォンを持った人形を身代わりにして、二人は木馬の胎内、金属製のカプセルの中に逃げ込んでいた。二人のほかにこの構造を知っているのは限られた鍛冶と、鬼籍に入った秀衡、弁慶と忠信だけだった。

 う、う浪戸が口を押えて泣く。四、五人は収納出来る室内に、今は二人しかいない。無駄に広く感じられた。常春の計画では弁慶と忠信も収容するつもりが。

「失敗した」

常春は唇を噛む。弁慶の薙刀を預かったが、自分は戦力になり得ない。生き残るなら弁慶だったろうと悔やむ。とは言え、何もしない訳じゃない。そんな事は許されない。

「しが、した」

浪戸がうめき声をあげる。カプセルは防音と断熱効果を考えて、綿でくるんでいる。しかし完全ではない。見つかる訳には行かなかった。

「我慢しろ。見つかったら、みんなの覚悟が無駄になる」

常春は浪戸を抱きしめた。残酷だけど、責任感に訴えるしかない。

「かって、る」

腕の中で浪戸が小刻みに震えた。唇を噛みきる。血が流れた。目に涙を溜めた浪戸が常春を見上げる。たすけてと唇が動いた。細い肩が折れそうだった。

「浪戸」

常春は、落ち着かせるようにゆっくりとキスをする。血の味がした。

「んん」

唇を塞がれて浪戸は呻く。常春を押しのけようとして、すぐに抵抗するのをやめた。体中から力が抜ける。

「こんな方法しか知らないんだ」

「莫迦」

ごめんと常春は謝った。


 深夜二時。常春は腕時計で時間を確認すると、静かに木馬を抜け出した。誰もいない。木馬も手つかずのまま見張られてもいない。好都合にも雪が降っていた。常春は木馬からスキーを出すと、浪戸を背負って現場を離れる。スキーの跡は、雪が隠してくれることを期待する。

「こ、怖いっ」

浪戸が何回か小声で悲鳴を上げた。森の中を、人を背負ってスキーを滑る経験は無い。しかもちゃんとしたスキー板でも無かった。間に合わせのスキーで、ストックの代わりに弁慶の薙刀を使う。刃こぼれとかするんだろうなと申し訳なく思いながら、常春は滑った。

「大丈夫」

何の根拠も無く常春は答えた。幸い基本は下り坂なので、距離を稼げる。浪戸のナビで方向を決めながら、充分離れたところで常春は停止した。スキーを脱いで山道を歩くと、小さな無人の炭焼き小屋の前に出る。事前に見つけておいた集積所だった。

「火をつけよう」

用意しておいた薪を積んで火をつける。二人は雪と汗に濡れた着物を脱ぎ棄てる、乾いた布で身体を拭く。すぐに冷えてくる。全裸のまま、互いの背中を布でこすって水分を拭き取った。醴酒を勢いよく口にして、むせる。一息ついた。その場に座り込む。

「あ」

急に裸に気づいて、浪戸が着物で前を隠した。ああ、と常春も腰に布を掛ける。落ち着くと、今朝の事が思い出された。

「兄さん、弁慶」

浪戸の口から名前が漏れた。

「これも私のせいなんですか」

常春は黙って浪戸の隣に座ると、肩を抱いた。

「誰のせいでもない。みんな自分の意志で行動している」

俺の考えが甘かった。悔しいけどさと付け加える。

 呪いに似てるなすべき事をなすべき時にすると言う。そう言って倒れる仲間の間を、ボールは次々と手渡される。最後は浪戸に。タッチダウンしろと。そこからは逃げられない、呪い。

「駄目、耐えなきゃ」

全部やり遂げるまで、浪戸が涙目になりながら呟く。

「常春さん」

浪戸が決然と言った。

「セックス、してください」

身体を覆っていた着物を投げ捨てる。え、と常春が間の抜けた声を出した。

「未来ではそう言うってこの前。あってますよね、セックス」

全部忘れさせて、浪戸は目を閉じる。常春は改めて浪戸を見た。何時も締め付けていたからか、シヅカよりも薄く小振りな胸。細い腰。普段鎧を支えているのが奇跡のような細い脚。白い肌が、焚火に照らされて赤く火照る。

「えっと」

常春は急に酔いのまわりを感じる。こんな時にこんな事をしていいのかと自制する。

「早く」

浪戸は怒ったように目を開いた。常春の首に手を回すと、そのまま後ろに倒れ込む。


「浪戸は、悪い女です」

やがて浪戸は小さく呟いた。

「与一も兄も。弁慶まで見殺しにしておいて。こんな事をしている」

幸せになってはいけないのです。ムシロの上で、常春の腕の中に抱かれながら、そう続けた。

「幸せかい」

常春は尋ねる。浪戸ははっとして顔を伏せた。莫迦、と小声の返事が返る。

「みんな、浪戸が幸せになればいいと思ってたよ」

常春が優しく髪を触る。肌に触れる、小さくても女性を主張する、柔らかい胸の感触が心地いい。

「悪いのは俺の方だろうな」

昨日はシヅカ、今日は浪戸。節操が無いと弁慶に叱られそうだ。

「常春さんは、悪くありません」

浪戸は抗議した。

「私を幸せにしてくれますから」

常春は堪らなく愛おしく感じる。

「それじゃあ、俺も幸せにしてくれ」

常春は浪戸の顎を引き上げると、唇を奪った。


「やれやれ、どうしたもんかねえ」

野太い声に目を覚ますと、白髪の男が常春を見下ろしていた。冬の最中なのに上半身は裸。二メートルを超える、体中筋肉の大男。

教経のりつね

浪戸は素早く掴んだ着物で前を押さえながら、片手で太刀を掴む。

「ほんとーに女なのかよ」

いやあ、俺の趣味じゃないから安心しなよと教経は離れながら言った。

「失礼ですね」

浪戸が気分を害する。

「いいから二人とも服を着な」

別に胸が無いとか子供みたいだとか言った訳じゃないのにと教経は笑った。浪戸の機嫌が悪くなる。

「それで、幽霊が何の用ですか。呪いに、笑いに」

俺ぁ別に幽霊じゃねーぞ、と、着替えの終わった二人に教経が向き合う。

「あの海で死んだつもりだったんだが、気が付いたら海岸にいてさ」

安徳天皇も生きてるぜと付け加える。

「坊やを阿波国の山奥までお連れしたら、今度はその坊やの命令で京都の様子を見て来いってさ。そしたら知らない間に義経が謀反人になってるわ、こんな寒いところまで逃げて来てるわで」

あんなところで死んじゃあいねーだろう、どーなってるのと思って、あたりをうろうろしてたら、こんな場面に出くわしたっー訳よと面白そうに話す。

「どうしたいのですか」

「今更仇討ちでも無し、そっちももう死んじまった身だろ」

そっちこそどうするんだいと、肩をコキコキと鳴らしながら教経が尋ねた。

「俺たちは、まだする事が残ってるんだ」

常春は、頼朝鬼について簡単に話をする。

「なんだ、そんな面白い事がまだ残ってるんだ」

教経は楽しそうに俺も連れて行けと笑った。

「なあに、いちゃついてる時は席を外すぐらいの気配りは出来るんだぜぇ」

「つまらない事は言わなくてもいいです」

浪戸がつんとして怒る。

「ああ、アンタ、こういうのが好みなんだ。俺とは被んねえな」

手は出さねえから安心しろ。教経は、ぱあんと常春の背中を叩いた。

二二 衣川


 漆塗りの小さな箱に詰められて、義経の首が鎌倉に届いた。梶原景時かじわらかげとき土肥実平さねひらが検分する。

「義経であるような、ないような」

景時は奥歯にものの挟まったような言い方をした。眼帯の実平は、違うような気がすると首を振る。似て異なるそれは、浪戸の兄、忠信の首だった。泰衡やすひらは爆散した義経の代わりに、兄の首を義経として差し出している。鎌倉を納得させる証拠が必要だろうと、身代わりを用意したのだった。

「伊勢三郎の一党が生きておればな」

平泉の手前で全滅した義経の元郎党を、実平は思い出す。別に惜しくも無いと景時は吐き捨てた。

景季かげすえを呼びましょう。さもなくば、佐々木高綱を」

「もうよい」

白の鎧に身を固め、特徴的な二本の角を兜に立てた頼朝が、かすれた声で制した。義経は死んだ、それでよいと言う。

「それより何か遺品はないか」

義経の鍬形の折れた兜、ばらばらになった鎧が並べられた。千切れたスマートフォンも並ぶ。

「これは確かに常春殿の印籠」

実平が断言した。

「他には」

苛立たしげに頼朝が尋ねる。

「後は弁慶の首が」

後世の伝説の通り立往生した弁慶の遺体もあると、おそるおそる景時が伝えた。そんなものはいらん、剣は無かったか。両刃の剣はと頼朝がわめく。

「探させましょう」

剣幕に縮こまりながら、景時が答えた。

「後、義経殿は、木馬を残しております」

木馬とな、頼朝は興味を持った。二階建ての家ぐらいの大きな木馬だという事で、神事に使うとか。冷や汗をかきながら景時が答える。

「神事、神事とな。平泉にはそんな習慣があるのか」

「それは何とも」

見に行こう。頼朝は立ち上がった。景時は仰天する。一の谷、壇ノ浦の主要な戦に出向かなかった頼朝が、木馬を見に奥州まで向かうと言う。

「待たせてはかわいそうだ。すぐにでも向かおう。泰衡やすひらには手紙を出せ」

頼朝はにやりと笑った。

「義経は二度ならず三度死ぬというのか」

実平の耳に、頼朝の呟きが届いた。戦上手の義経は生きているという事か、実平はひやりとした。


 奥州平泉。衣川館ころもがわのたちの跡。焼けた館は既に整地解体され、雪で濡れた土の上に畳が敷かれる。

「よくお越しくださいました」

着物姿の泰衡は、哀れなほどへりくだって頼朝を迎えた。頼朝は何時もの白い鎧兜。随行員の景時、実平共に完全装備。会場まで同行した高綱、景季ら警護の武士三十人も、このまま合戦が出来る装備で威圧した。唯一着物姿は北条政子。渋る頼朝を無視して、私も行きますからねと宣言してついて来た。頼朝も、流刑時代の後ろ盾の北条家には頭が上がらないのだろうと部下に噂される。

「ところで範頼のりより殿は」

泰衡は義経の兄の姿を探した。

「斬った」

しわがれた声で、事も無げに頼朝が言う。

「義経と手を携えて謀反を起こそうとしたので、斬った」

義経はそんな気配は見せていなかったと泰衡は恐れる。頼朝は見境なしに、斬る。

「さようでございましたか、これは失礼を」

泰衡は頭を下げるしか出来ない。

「シヅカ御前がおると聞いたが」

景時が話しかけた。

「はい、戦の前に投降しまして」

「舞を所望する」

「は、はあ、しかしここは義経殿の無くなられた場所でございまして」

景時は太刀の柄に手を掛けた。ああ、ああ。まずは呼んできましょうと泰衡はシヅカを呼び出しに行く。

 嫌がるシヅカが連れて来られた。普段着の着物のまま、腕に常春の地味なネクタイを結んでいる。そのネクタイを押さえて、シヅカは中央に引きずり出された。右手首に赤い縄を巻いた志乃が続く。

「義経の女は、正室でも下賤の踊りが出来るのか」

景時が囃した。志乃が冷たい目で景時を見る。志乃だけでなく、政子も同じ視線を景時に送った。父上、と景季は景時を脇に退かせる。

「義経様の笛を」

志乃は、浪戸が使っていた笛を口に当てると、静かに演奏を始めた。浪戸が義経を弔って吹いていたレクイエム。

「あの人は、私を優しく抱いてくれました。人を殺したその腕で」

シヅカが笛に合わせて歌い、踊る。

「あの人は、何時も苦しんでいました。呪われた運命を」

場が静まり返る。

「私は今、とても苦しんでいます。あの人の死んだ場所で」

声を張り上げた。

「私は今、とても苦しんでいます。無実の罪で殺された、あの人を思って」

シヅカは頼朝の正面で、目を見据えてそう歌う。畳んだ扇で頼朝の眉間、ツノを目掛けて差し出した。短剣を突き立てるように。

「不愉快な」

シヅカを睨みつけながら、頼朝が低い声を上げる。

「まだ伊豆にいた時の事を覚えているかしら」

隣にいた政子が、落ち着いた声で頼朝に話しかけた。

「私は暴風雨の中、あなたに会いに行きました。石橋山の戦いであなたが行方不明になった時は、もう死のうかと思いましたよ」

あの時の私と今のシヅカは同じでしょ、畳みかけるように政子は言う。

「今、彼女が義経殿を想わなければ貞女とは言えないですよ。当然の事です」

大体、と政子は声を振り上げた。

「こんなところで歌わせる方がおかしいんですっ」

隅で景時が身をすくめた。

「伊豆、遠い昔の事だ」

頼朝は目を泳がせて呟く。

「頼朝様」

「何でもない」

頼朝は前に向き直る。立ち上がった。

「お前たちは離れたところで見ているがよい」

志乃とシヅカに言う。

「火を放て」

頼朝は抜いた太刀で木馬を指しながら、鋭く命じた。

 はっ武士がすぐに松明を用意し、木馬の足に火を移す。

「えー、なにを、なさるのでしょう」

泰衡は意味が分からない。

「義経は生きている。蒸し焼きにするとしよう」

トロイの木馬など通用するとでも思ったか。頼朝が言い放った。

「兄ちゃん言ってた。木馬には近づくなって」

シヅカが志乃の手を引いて、木の陰に隠れる。

「何」

実平はその言葉に反応して伏せる。

 ばん火の回った木馬の右前脚がはぜる。警護の武士の大半が吹き飛ばされた。火薬だけの力では無い。つけられていたパチンコ玉サイズの鉄球が、散弾になって人を襲う。

 ばばん続けて左前脚もはぜた。頼朝は政子に覆い被さる。そのまま転がった。木馬は両方の前脚を折り、前屈みになる。首が爆発して、更に被害を拡大した。胴体が割れる。

「頼朝、覚悟」

中から動きやすい、兜は被らず、簡易な胴丸鎧をつけた浪戸が姿をあらわした。名刀薄緑を手に木馬から飛び降りる。上半身裸の教経のりつねも、古備前友成の抜身の太刀を片手に、巨体に似合わず軽々と飛び降りた。常春は飛び降りた後、前に前転する。

「兄ちゃん」

シヅカが叫んだ。

「兄ちゃん、兄ちゃん」

志乃さんを守れ、弁慶の形見、岩融いわとおしを投げる。シヅカはひょいと飛んで、空中で掴んだ。

「ああ、義経様」

志乃は呆然と立ち尽くす。

「危ないからね」

シヅカは志乃を後ろに庇うと、薙刀を構えた。しかし頼朝の警護にとって、志乃もシヅカもどうでもよい。

「鎌倉殿」

生き残った武士は頼朝に駆け寄る。

「きゃあ」

政子は悲鳴を上げて気を失った。頼朝は顔のほぼ半分を失い、それでもまだ立ち上がる。穴だらけの兜をゆっくり掴むと、そのまま引きちぎった。ツノが露わになる。

「どういう事だ」

伏せて難を逃れた実平が目を疑った。鎌倉殿にツノが生えているだと。

「流石は鎌倉殿」

景時が歓声をあげた。その景時に、頼朝はよろよろと近づく。

「おのれ化け物」

立ちふさがった景季は、片手で払いのけられた。駆け寄った教経が他の武士たちを無視して頼朝に斬りかかる。

「死ね」

頼朝は右腕で太刀を防いだ。骨まで食い込んで抜けない。その右腕を振り払って、教経は投げ飛ばされた。右腕がへし折れる。それでも頼朝は止まらない。左手で景時の胸倉を掴む。

「な、何を」

「不老不死を、欲しいと言ったな」

喉にも穴が空いている。はっきりしない言葉でそう言うと、足りない顔で確かににやりと笑った。

「くれてやろう」

胸倉を掴んだまま、景時の目を見つめる。

「あ、あ」

何かが頼朝から景時に流れた。光のような、気のような何か。電気に打たれたように景時の身体は硬直する。続けて頼朝の身体が崩れ落ちた。角が抜ける。

「うおお」

景時が吠えた。兜を投げ捨てる。額を割って、二本の短い角が生える。

「この身体の方が動きやすいぞ」

景時は確かめるように指を動かした。次の瞬間、右手に太刀、左手に打ち刀を抜く。

「皆殺しだ」

景時は敵味方関わりなく、斬った。斬りかかった高綱が、胴を二つに割られる。刃が曲がった太刀を捨て、景時は相手の手から太刀を奪い取った。

「協力しろ、アレは人じゃねえ」

教経は立ち上がって叫ぶと、呆然としている景季から太刀を奪って斬りかかる。両手で握って振り下ろした太刀を、景時は左手の刀で弾いた。

「はっ」

実平が後ろから太刀を振るう。景時は右手の太刀をそのまま後ろに回して止めた。回転して実平の胴を払う。後ろに飛んで避ける。教経と実平が離れたタイミングで、矢が射掛けられた。頭に刺さっても景時の動きは変わらない。身体に刺さった血をまき散らしながら矢を引き抜くと、射手に投げ返した。兜を貫通する。

「父を」

背を向け守ろうと立った景季を、景時は後ろから袈裟がけに斬り殺した。

「化け物だ」

「ひるむな、手足を切り落とせ」

浪戸が叫ぶと名刀薄緑を手に斬りかかる。

 カン太刀が打ち合った。浪戸は後ろに倒れる。景時の太刀が折れる。

「死ね」

景時の左手の刀が振り下ろされた。浪戸は身をよじって避ける。

「くたばれ」

常春が草薙剣を手に、全身でぶつかった。景時は微動だにしない。鎧にはじかれて、剣が転がる。

「草薙」

景時の視線が外れる。実平が蹴り飛ばした。態勢を崩す。その隙に浪戸は逃げ延びた。が、景時は草薙剣を拾い上げる。

「これで」

「これで終わりだ」

教経が後ろから太刀を横に薙ぐ。

 ガン鎧ごと胴を四分の一まで斬り、太刀が折れた。

「がああ」

人間では無い。そのまま振り返って教経の両肩を掴む。

「離しやがれ」

捕まったの両肩の骨がめきめきと音を立てた。そのまま持ち上げる。目を見つめる。

「やめろ、何しやがる」

「離せ」

浪戸が薄緑を縦に一閃、景時の両腕を切り落とす。どさり。両腕を肩につけたまま、教経は地面に落ちた。荒い息。動かない。

「草薙剣を」

常春が叫び、実平が組みつこうとする。両腕の無い景時は、実平の首に噛みつき振り回した。常春が低い姿勢で腰にタックルする。実平と一緒に弾き飛ばされる。

「うっ」

景時は仰向けに倒れている常春の胸を踏みつけた。肺から空気が抜ける。動けない。

「どけ」

常春は両手で足首を掴んだ。持ち上げる事も、捻る事すら出来ない強い力。

「離せ」

景時が目を見つめる。常春は反射的に目を閉じた。熱い。身体の中に何かが入ってくる。皮膚から染み込む。

「やめろ」

体中が、痛い。痛い。イタイ。

「俺の身体に入るなっ」

常春が絶叫する。圧力が失せた。目を開く。胸に乗った足に力が無い。

「ナン、ダト」

血に濡れた刃先が景時の鎧を貫通していた。太刀を突き立てたまま、どう、と後ろに倒れる。

「マダダ」

浪戸は冷静に景時の帯から草薙剣を引き抜いた。

「さようなら」

顔に突き立てる。絶叫。


 短いツノが二つ。落ちた。


「義経様」

「兄ちゃん兄ちゃん兄ちゃん」

浪戸と常春は、それぞれ志乃とシヅカに飛びつかれて、仲良く並んで倒れた。ああ、大型犬にでもじゃれつかれている感じだな。現実感無く常春は思う。

「生きてる」

「生き残ってしまいました」

浪戸は志乃の頭を撫でながら答えた。血だらけ、傷だらけだけど、生きている。

「ここが鬼が島なら、金銀財宝はどこにあんだよ」

見下ろしながら教経が言った。

「生きている事が宝だな」

実平は首を押さえながら、泰衡の死体を見降ろして答える。ショットガンに切り裂かれた死体は、身体にまとわりついた布でしか判別出来ない状態になっていた。違いねえ、と教経が応じる。

「生き残ったのは俺たちと、北条政子、か」

「北条を支えてやってくれ」

常春はシヅカをしがみつかせたまま立ち上がって、実平に言う。

「言われなくとも、そうするつもりだ」

義経殿はどうすると尋ねた。志乃に抱きつかれたままの浪戸は、考えていなかったので口ごもる。

「もう歴史に現れる事は無いよ」

代わりに常春が答えた。そう願いたいと実平が返す。

「じゃあここでさようならって訳だ。二度と逢う事もねえ」

それとも、どっちが強いか試してみるかと教経は凄味のある笑みを浮かべた。これ以上面倒を起こさないでくれと実平が苦笑いをする。

「それでなくとも、これをどう収拾するのか頭が痛い」

「そんじゃあ、俺ぁ行くわ。義経、常春。元気でな」

教経も、と常春が短く返した。何とあれは教経なのかと、実平が仰天する。

「私は義経ではない誰かです」

ですが、お元気でと浪戸が微笑んだ。


 関東総鎮守、箱根権現。

「確かに、お預かりいたします」

箱根神社を管理する権現別当は剣を恭しく捧げ持った。

「よろしくお願いします」

常春が頭を下げる。草薙剣。今更御所へ持って行く訳には行かないけれど、然るべきところに納めよう。常春は、始まりの場所、箱根神社にやって来ていた。

「こちらも、確かにお預かりいたします」

浪戸の薄緑も奉納する。別当はこちらの方を、より恭しく受け取った。表に出す事の出来ない草薙剣より、観光の目玉になる義経の薄緑の方が大切なんだろうと常春は思った。

「ところで」

別当は太刀を置くと、常春に向き直る。

「お戻りには、なりませんか」

「なっ」

別当の顔は、天狗の面で隠されていた。浪戸が緊張する。

「この程は本当にお疲れ様でした」

少々乱れはありますが、鬼も退治され、歴史は守られますと、天狗は同じ口調で続けた。

「本当にありがとうございました」

深々と頭を下げる。

「俺を呼んだのは」

「私ではございませんよ。そんな力はありません。只の遣い走りに過ぎません」

常春は溜息を吐く。浪戸は常春の腕を掴んだ。

「嫌だと言ったら」

困りますねえ、天狗は心底困った声をあげる。

「残夢さんには無理やり帰って頂いたのですけれど」

浪戸が息を呑んだ。

「正直、常春さんは、好きにして貰って構わないのです」

「俺の記録は残らない、大したことはしていないって事なんだな」

常春は苦笑する。後世に残るような大事業を行う方は、ほんの一握りの方だけですからねと天狗は含み笑いをした。

「今帰らないと、もう帰れませんよ」

「常春さん」

いいのですかと、浪戸は常春を見上げた。

「浪戸はどうして欲しい」

常春が浪戸の視線を捉えて尋ねる。

「い、意地悪です」

浪戸は視線を逸らした。

「そういう事だから、俺は帰らない」

常春が朗らかに宣言する。ほう、と天狗は息を吐いた。

「それでは、その腕時計も預けていただけますか。この時代では困りものですから」

常春は顔をしかめると、腕時計を外す。

「代わりにこれを差し上げましょう」

天狗は小さな絵馬を差し出した。日本の神社仏閣すべてに通用する宿泊券だと言う。

「これがあれば、何時でも何処ででも泊まるところ、食べるところには困りませんよ」

ゴールドカードって事か、ありがたく頂いておくよと常春は受け取った。

「それではもう逢う事も無いでしょう。お元気で」

天狗は本殿の奥へと足を進める。振り返りもしない。

「もう行けって事か」

常春は苦笑すると、浪戸を見た。

「ごめんなさい。今ならまだ」

慌てる浪戸の唇を、常春は自分の唇でそっと塞ぐ。

「俺が決めた。何処へも、行かない」

浪戸は黙ったまま、常春の腕を強く掴んだ。

「兄ちゃんまだー」

外で待たせていたシヅカが、退屈して探しに来る。

「シヅカさん。御用事の邪魔をしてはって、はうっ、義経様、何をしているのですか」

追いかけてきた志乃が、声を裏返す。

「志乃さんて、知ってるんだよな」

常春は小声で浪戸に尋ねた。

「知ってますとも」

耳聡い志乃が口を尖らせる。

「男でも女でも、義経様は義経様なんです」

うふふ、どうします、常春さんと、浪戸が耳元で笑った。

「よし、逃げよう」

常春はそう言うと、浪戸の手を掴んだ。

「何処へ」

「蝦夷でも大陸でも」

浪戸が幸せそうな笑顔で頷く。それがいいと常春は思った。たくさんの人が死んで、その責任もあるのだろうけれど、志乃もさんざん苦しんだ。これからはもっと自由に生きて、笑顔を見せて欲しい。

「俺がそばにいる」

常春は浪戸の手を、もう一度強く握りしめた。


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