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毎週水曜日のムシカ

OctaGo

作者: ぐりゅー

 もうすぐ終わりを迎える世界の一角、沈み込む街の片隅、僕の静かな家はそこにある。 

 そして彼女はいつも、水曜日の夜になるとやってくる。月をバックに、我が家の屋上に置いてある椅子に腰掛けて、僕を待っている。

 白くくすみのないワイシャツと、夜闇に紛れる黒いズボン。紺のネクタイを締めて、微笑む彼女の名前は、ムシカ・デュエットと言うらしい。白銀の長髪があまりにも目を引く。

 さて、今日は水曜日だった。当然の如く、ムシカは屋上にいた。いつものように身のない微笑みを僕に向けて、「やあ、こんばんは」と軽々白々に言った。

 僕はそれには返答せず、木製のテーブルを隔てて、ムシカの向かいに置かれた椅子に座る。持ってきていた2つのグラスを置く。両方の中にはアイスカフェオレが入っていた。彼女は僕が置くや否や礼も言わずに一方を取り、入れておいたストローを二度、カラカラと回した。氷がひしめき合う音が、実に冷涼に感じられた。

 季節で言えば、夏の終わり。月で言えば8月。まだまだ暑い日が続くが、幸運なことに、本日はかなり過ごしやすい気候だった。風が適度に吹き、僕らの髪を弄ぶ。気温も低い。

 僕もストローを回してカラカラと氷を苛めていると、ムシカは話し始めた。

「今週も、僕はまた世界を救ってしまったよ」

 荒唐無稽な与太話。当然、僕も初めはそう感じたのだが、当の本人は真面目らしい。ムシカは話をはじめるときに必ずこの言葉から切り出すのだ。とても楽しそうに、とても虚しそうにそう語り出す。僕はだから、諸手を上げて信じることは出来ないものの、疑うことはやめたのだった。

 ちなみに彼女は自分のことを僕と呼ぶ。ムシカは続ける。

「今回の僕の敵はある男の子だった」

 続けるムシカ。

「その男の子は、世界が大嫌いだったらしくてね。自分で理想の世界を作り出そうとしたのさ。一介の高校生が、ただ一人でこの世界そのものを相手にとって革命を起こそうとしたんだ。さすがの僕もありえないと思ったね。不可能だと思った。でもそれは勘違いも甚だしかった」

 一口、カフェオレをすするムシカ。

「うん、美味しい。さて、僕や神様の思惑は外れた。その子は余りにも強い力を手に入れたんだ。方法は知らないけれど、多分どっかの“遊戯屋”が関与してるんだろうね。アイツらはそういう風に他人を舞台に上げて、傍から見るのが好きなクズの集団だから」

 体内から異物でも吐き出すように嫌そうに言う。 僕は構わず質問する。

「遊戯屋って?」

「あれ?前も説明しなかったっけ」

「うーん、どうだったっけ?ごめん、忘れちゃったよ」

「フフフ、仕方ないなぁ。えーとね、遊戯屋っていうのはね、さっき言った通りのクズ野郎たちなんだけど、本質は第三機関の特派員だ。世界の監視役ってところかな。でもその親元自体が適当だから、特派員は勝手気ままに遊ぶことが多いんだよね。監視役はあんまりにも暇だから、一般人に干渉して事件を起こさせて、それを見て遊ぶんだよ。はた迷惑な話しだろう。だから”遊戯屋“なんて名を与えられてしまったのさ。例えば今回の件は、彼が成功するかしないか、二者択一の賭博をやってたらしいね。いつものことだけれど、まったく、呆れかえるよ。そんなところだけど、理解できた?」

 小首を傾げたムシカに対して僕は首を振った。第三機関なんて聞いたこともない単語が出てきたし、それでなくともよく分からない説明だった。理解しがたいと言ったほうが正しいだろうか。

「いいや、まったく分からん。でも、もういいや」

 僕は少し誇張してそう言う。分からないことは考えない。きっと僕には関係のないことだ。深く考える必要もない。

 ムシカは笑って言った。

「諦めが早いね君は。まあ、超人的な娯楽人だと思っていればいい。けれど、そんなことはどうでもいいのさ。アイツらの話をいくらしたところで、これはすでに終わったことだし、バッドエンドも迎えなかった。それだけで十二分さ」

「そうか」

 僕はストローに口をつけながら、適当に返事した。

「さて、本筋に戻ろう。彼は世界を変える、いや、創世すら可能な力を手に入れたんだ。僕たちは完全に後手に回った。大失態もいいところだ。でも幸運なことに彼の野望に気付いた人間がいた。誰だと思う?」

 ムシカは、そう言って意地悪そうに微笑む。きっと「この僕さ」なんて言うのだろう。僕はそう勘ぐった。

「どうせお前なんだろ?」

「ん?違うよ。僕は後手に回ったって言っただろう。話を聞いていないにも程があるよ。悲しいな。答えを言えば、彼の異変に最も早く気付いたのは彼の友達。彼は――」

 言葉を区切ったムシカ。眉間に人差し指を当て目を閉じ、何かを考えているようだった。うーん、と彼女の唸る声が聞こえる。

 数秒後、決心したように目を開いた。

「何考えてたんだ?」

「いや、大した事じゃない。ちょっと登場人物が多くなってきたから、名前を明かしちゃおうかどうか考えてたんだ。答えはイエス。もう終わったことだし、君に言ったとしても何も影響無いだろうという結論に達した。彼、つまり世界を変えようと思った少年の名は是我穂高。対して友達たちは六呂見県都と森文王谷、中瀬御子の三人。六呂見たちと是我は仲良しだったんだよ。幼稚園の頃から高校まで何の因果かずっと同じところに通ってた。だから小さな異変に気づくことが出来た」

 そこで一度区切る。僕があくびをしたからだろう。責めるような目線を向けてきた。

「眠そうだね。つまらないかい?」

 僕は視線を逸らして、カフェオレを飲むと、先を要求した。

「つまらなくはない。こうやって君の話を聞くのは嫌いじゃないんだよ。それは神に誓う。だから続けて」

 僕の言葉に笑顔を作るムシカ。分かりやすい。

「フフフ、ありがと。確かに少し冗長だったね。掻い摘んでスピード感溢れる話にするよ。さて、六呂見たちは是我を尾行した。そうして事の大きさに気付いた。そこに遅ればせながら察知した僕が現れて、手助けをした。そうして何とか是我の陰謀を打ち砕いた。終了」

「随分掻い摘んだな」

「随分掻い摘んだよ」

 僕らは二人揃ってストローをすすった。ムシカの頬が凹んでいるのを、僕はどうしてか凝視していた。

「というのもさ、それはもう終わったことなんだから幾ら懐古しても結果は変わらないんだよ。死んだ人は戻ってこないしね」

「誰か死んだのか?」

「失敗した是我が自殺した」

「……なるほどね」

「後味は悪かったよ、久し振りにね」

「ハッピーエンドがいつも待ってくれてるわけじゃないさ。」

「そうだね。でも一応関わった者としてね、やっぱり少し落ち込んだ」

「…………」

 ムシカは今までに何度、そういう経験をしたのだろう。毎週のように世界を救っている彼は今までに何度、本当のハッピーエンドを経験したのだろう。そもそもそうやって世界を救ったところで、あと数年すれば世界は滅亡してしまうのに、一体彼女の行動に何の意味があるのだろう。

 僕は考える。考えて、しかしすぐにやめる。聞いたほうが早い。

「ムシカ。君は何で世界を救っているんだ?」

 ムシカは笑って答える。楽しそうに虚しそうに。

「義務だからかな。無意味なことは分かっているんだけどね。僕の仕事は不自然な流れを自然な流れに変えることだから、観測したら半自動的に行動しなくちゃならないんだ。救いたくて救っているわけじゃないよ、悪いけどね」

 ニコッと何が楽しいのか笑顔を作るムシカを、僕は見つめていた。

「そんな憐れみ深い目で見ないでくれよ。悲しくなる」

 そんなつもりはなかったが、彼女がそう言うのならそうなのだろう。ある程度実感もある。

 僕は「見てないよ」と意味のない嘘をついた。寂しそうにムシカは続けた。

「僕は自然の味方さ。ナチュラルなネイチャーの味方。この世界があるべき方向へ進むために道を正す役目であって、人類に道を示す役目はない。不自然で人工的なものは僕の敵だ。だからこの滅亡しそうな世界を僕は救わない。もとい救えない。それが自然の行く末だから。そう考えると、もしかしたら、今回僕はこの世界の誰よりも人類の敵だったんだろうね。是我の野望が成功していたら、僕はともかく君は死ななくてすんだかもしれない。六呂見たちもかなり迷ってたけどね、是我を倒すか否かを。まあ、結果として倒したんだけど。僕が一生懸命、その結末になるよう仕組んだから。……軽蔑するかい?」

 すがるような目で見てくるムシカを僕は見つめ返す。というのも僕は少し不服だったからだ。僕はもう死を受け入れている。それをムシカは重々承知しているはずなのに、軽蔑するかなどと聞いてくる。だから僕は語気をやや強めて言った。

「軽蔑すると思うか?」

 すると彼女は、フフッと笑った。

「そうだね。見くびったよ。すまない」

 嘘だと分かる空虚な笑顔が、僕の目の前にあった。

 沈黙。風が僕らの間を過ぎて行く。

「ムシカ」

 僕は言う。

「僕が君を嫌いになることはない。安心して毎週水曜日、ここに来ればいい。いつも通りカフェオレを用意して待ってるから。何があっても、来い」

 質の違う沈黙が再び僕らを包んだ。ムシカの目が丸く見開かれ、口も微かに開き、ポカンとしている。

 僕はそれを眺めながらカフェオレを飲む。冷たい感覚が、どうしてだろう、いつもより心地よかった。

 数秒、いやもっと経ったかもしれない。ムシカのか細い声がした。あまりにも小さく、漫画のように丁度強めの風も吹いたため、よくは聞き取れなかったが、恐らく「うん」と言った。

 勿論、希望的観測かもしれない。本当のところは分からない。当のムシカはうつむいてしまった。今彼女がどんな顔をしているのか僕には皆目検討もつかない。僕が肘をついている、このテーブルだけが知っていることだろう。

 僕は彼女のつむじを眺める。そこから流れる流麗な銀の髪の行方を辿る。耳にかかり腰の方へ、肩甲骨を隠し背中の中央ぐらいまで。一方は肩にかかりテーブルに広がる。少し癖のある前髪は今は見えない。月明かりを浴びて、彗星の尾のように輝いていた。

 僕は、それに見惚れる。必然、カフェオレが進む。風が僕らを撫でる。ムシカの髪が少し揺れる。僕は嘆息をもらす。

「ムシカ」

 つい読んでしまった。すると、

「シャラップ!」

 ムシカはすぐに顔を上げそう言った。元気そうで何より、とはいかない。ムシカの目が少し赤かったから。泣いてるわけではないだろうが、それに近そうだったから僕は驚いて、その先何も言えなくなる。

「今日はもう……帰ります」

 敬語だった。何故?

「もっと話したいことがありましたが、と言うより話したいことは一つも話せていませんが、今日はもう帰ります」

「はあ……」

「でも来週も来ますので、あしからず。また世界を救ってきます」

 僕は息詰まる。彼女がそう言って無理に笑うから。

「では、来週」

 ムシカは残っていたカフェオレを飲み干し、立ち上がった。そうして隣の家の屋根に飛び移った。僕が無意識にまばたきすると、そこにはもうムシカはいなかった。

 僕は一人、星のない空を見上げて、カフェオレが入って気温差で結露したグラスを持ち、一気に飲み干した。手が濡れて、少し煩わしい。片手にそのグラスを持ったまま、暫く天を仰ぎ、何も喋らず、どこも動かさずにただ座っていた。そしてモヤモヤした気分と共に、僕はムシカの飲んだグラスを持って、家内に通じるドアを開けた。




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