これは、そう、始まった話(過去)
夢だと思った。触れている石の冷たさがあっても、目が眩むほどの光に襲われていても。
夢だと、信じていたかった。
「どこだ、よ。ここ」
見渡す限り、全く見覚えのない場所だった。イメージで言えば神殿といっても差し障りのないような場所で、神聖な雰囲気が漂っている。空気も冷たく、澄んでいる。吐く息が白いが、寒いというわけではない。しかし、あまりにもこの場所は浮世離れとして、日本にこんな場所はなかったように思える。全部を知っている、というわけではないが、少なくとも自分の周りにこんな場所はなかった。
ならば、ここはどこだ?
「おいっ、ここで何をしている!?」
人の声に振り向くと、なんともおかしな格好をした男が長い棒を持って現れた。すぐに立ち上がって男の元へ向かおうとしたのだが、相手が警戒していきなり棒を突き付けられた。しかし、棒だと思っていたものの先に刃物が付いており、これがただの棒ではなく槍だったことに驚愕し、相手を睨みつける。
仮にもここは銃刀法違反な国で、こっちは訳のわからないうちにこんなところへと連れてこられただけだ。この悪ふざけはあまりにもないんじゃないか、おい。
冷静になって考えてみれば、これはれっきとした八つ当たりだ。だが、冷静でない今はそんなことを考えている余裕もなかった。余裕がない人間ほど、後先考えずにやってしまうことが多い。そんな人間に自分も仲間入りしたのは、これが初めての出来事だったと思う。
棒の部分を掴んで、こちら側へと素早く引っ張るとバランスを崩した瞬間を見逃さずに、胸倉へと腕を伸ばす。そのまま引っ掴んで寄せると、相手の男は恐怖とも驚愕とも取れる、何とも情けない顔を晒していた。
だが、そんなことを気にかけている余裕など更々ない。自分の声とは思えないほど地を這うような声が響き、ひいっ、と小さな悲鳴を聞きながら男に問いかけた。
「ここはどこだ? 教えられるよなあ? 俺にこんなものまで突きつけたくらいだ。そのくらい朝飯前だろ」
「ひいぃっ! そっ、それはこちらが問いたいくらいで」
「ああ!?」
「オズワルト王国だっ!」
「だからっ、どこだって聞いてんだよ! 日本に王国なんてあるわけないだろ!」
なんだよ、王国って。ここは天皇で、王様なんてものはもうとっくにない。第一、天皇も象徴とされていて、政治は総理が主として行っている。大統領でもなく、王様。
何だよ、それ。まるで、それじゃあ、本当に俺はどこに。
「お、お前こそ訳の分からんことばかりを! ニホンなど聞いたことなどない!」
「ああ!?」
「ひいいぃっ!?」
「おいっ、何事だ!?」
目の前にいる男と同じ服装をした男達が、何人も部屋の中へとなだれ込むようにして入ってくる。この事態をすぐに察し、俺は呆気なく地面へと体を叩きつけられた。ひりひりとした痛みが広がっていくのを感じながら、こんな状態にした男達を睨みつける。
こいつを牢へ、という声が耳に届いた瞬間、また一人、部屋へと入ってきた人物がいた。
「やめよ。この方は客人ぞ」
客人? 客人になった覚えも何もない。第一、客人相手にここまで手荒な真似をするのが礼儀なのか、ここは。
ふつふつとした怒りがこみ上げる中、高らかに客人だと宣言した人物はすぐに俺の体を立ち上がらせた。隣では、今まで叩きつけていた相手が口を引き締めて委縮している。
俺を立たせた恰幅の良い男は、見るからに上等な服に身を包んで、こちらへ柔和な笑みを浮かべた。だが、これまた時代錯誤というか、昔のヨーロッパにいそうな貴族の恰好をしていたものだから、俺としては警戒心を解くことはできない。
そんなことを察したのだろうか。
ついてきなさい、という言葉に誘われるがまま、俺は彼の後をついていった。大理石でできているのか、床も、壁も真珠のような白で統一されている。カツカツ、と歩く音が響き渡り、分かったことといえば前を歩く人はそれなりの地位があるのだということくらいだ。
どのくらい歩いただろうか。ふと彼が立ち止まると同時に、後ろに控えていた兵士のような彼らが大きなドアの二人がかりで開けた。中は広々とした空間が眼前に広がり、壁には紋章のようなものが飾られている。臆することなく進む彼の後を、黙って俺は歩いて行った。
ちょっとした階段を昇った先には、煌びやかな椅子が鎮座している。そこには人の良さそうな女の人と、可愛らしい女の子が座っていた。
彼はその二人の間にある一番大きな椅子に腰かけ、微笑みながら俺に話し始めた。
「よくぞいらっしゃった、異世界の客人よ」
「い、せかい?」
「代々、お主のように異なる世界からこの国へとやって来るのだ。昔からあの神殿に姿を現し、この国の発展を助けてもらった。それから、わしらは客人を手厚くもてなすよう、王族の決まりとしてここへと招くのだ」
異世界、王族。その前の奴らを知らないが、こちらは高校二年生だ。どうやってここに来たのかも分からない上に、国の発展を助けるなんてことができるはずもない。頭を抱えそうになりながら、とにかく、首を縦に振った。
悪い夢なら醒めてほしかった。だが、話はどんどんと進み、客人としてもてなすための部屋へと連れて行かれる。見事な調度品ばかりで、息がつまりそうだった。ベッドへと横になっていると、コンコン、と控えめにノックされる音が耳に届く。
居留守を使いたい気分ではあったが、ここで問題を起こすのもどうかと思い、嫌々ながら豪華なドアを開けた。
「失礼します。姫様が客人の貴方にご挨拶を、と」
言葉は丁寧であるのにも関わらず、その表情は冷徹だと感じた。どこをどう見ても容姿は平凡、下手したらそれ以下。
これが、ソフィーとの初めての会話だった。