エレナ、私の友達兼同僚
「見ーたーわーよっ!」
機嫌悪そうに私に詰め寄り、言われた言葉は一言だけ。何を、と返す前に、不意に先日のことが蘇ってきた。
ルドルフさんが私に抱きつこうと眉一つ動かさない彼女ならば、原因はあの男のことだ。不意打ちではあったが抱きしめられたのだ、彼としては「一人だけずるい」などという子供のような理由で。見られていない、と高をくくっていたのが失敗だった。
彼女はどんどんと詰め寄り、顔の距離は鼻がくっつきそうなほど接近している。
「ずるい、ずるいじゃないのよーっ! 頑張って腕によりをかけて料理している私を差し置いて、どーして恋愛初心者のソフィーと抱き合ってんのよーっ!?」
「からかってるだけだよ。恋愛初心者じゃないエレナなら分かるでしょ?」
「うぅ、このそばかすさえなければっ!」
エレナは大地のような髪の色、料理ということで肩にはつかない程度に揃えられている。活発的で可愛らしい少女、というのが私の見解だが、彼女から言わせてみれば「頬にあるそばかすが全てをマイナスへと導いてるの!」だそうだ。チャームポイントだ、と言っても聞き入れない。ともすれば、私にも胸の大きさが、などと矛先が向いてしまうので最近は黙って聞くことにしていた。
エレナもお嬢様同様、異世界から来た客人に夢中である。といっても、ミーハーの部分で行動しているだけかもしれないけれど。
しかし、厨房からあまり出られないはずのエレナがどうして目撃できたのだろう。不思議に思って聞いてみると、あっさりと彼女は白状した。
「噂のトーヤ様の御声と御顔を拝みに行ったのよ! フェリシア様のお茶の時間が近くなった頃合いを見計らってね、仮病使って抜けてきたわ」
「エレナ……。料理長が聞いたら大激怒するわよ、それ」
「いーじゃない。年頃の女の子にはこういう目の保養も必要なの。分かんないかなー?」
「理解出来なくて結構です」
「ああ、あんたお嬢様馬鹿だものね」
お嬢様の喜ぶ顔を見たいだけよ、と言い返したくなったが、とどのつまりは同じことなので大人しく聞き入れた。
でも可愛いのよ、お嬢様は! あの男にやるのが勿体ないくらいに!
「でも、そーねえ。可愛いもの、シルフィア様は。なんて言うのかな、守ってあげたくなきゃっていう気持ちになっちゃうのよねえ」
「エレナ……」
「私はあんたほど崇めたりはしてないけどね! いつの日かシルフィア様を中心にして宗教立ちあげそうよね、あんたたちって」
多分、このあんたたちに入るのは私だけでなく国王や衛兵たちなど、城の過半数はくだらない。しかし、お嬢様はそんなことなんて望んではいないし、どちらかといえば慎ましやかに生きたいというのを常々口にしている。本当はこんな煌びやかな世界ではなく、もっと庶民のような生活がしたいのだとか。
庶民の生活というのはお嬢様にとっては考えているほど甘いものではない。だから決して、その意見だけは受け入れることはしない。お嬢様のお願いは叶えてあげたいのだけれど、しいて言うのならばあの男との恋だとか、庶民の生活だとか、それだけは折れてほしいのが私の本音だ。
不幸になるのが目に見えているというのに、それでもお嬢様はそれを願う。
「上手くいかないものね、エレナ」
「何がよ?」
「誰かの考えていることを止めさせるの。だって、幸せになれないことが分かるのに」
「あえて言うなら、それはあんたが口にするべきことじゃないわね。勝手に決めるな、人の幸せを」
ぴしゃりと言われた言葉は核心をついていた。頭では分かっているくせに、なかなか心が認めてくれない。エレナの言うとおりだ、ぐうの音が出ないくらいに。鏡がないから分からないが、今の自分の顔は何とも情けないものに違いない。
そんな私を見て彼女は清々しいと言わんばかりに笑っている。きっと自分の本音が半分、トーヤ=シノノメについての腹いせが半分なのだろう。
エレナはひとしきり笑ったあと、不意に表情を引き締めて私へと向き合った。
「さっき言ったこと、あれは私の考えだから正解とか言わない。けど、覚えてて損はないかもよ?」
「ありがとう、エレナ」
「いえいえ? その代わり、これ! トーヤ様に届けて頂戴!!」
無理やり私の方へと押し付けるように手渡されたものに視線を向ける。綺麗にラッピングされた美味しそうなお菓子がぎゅうぎゅう詰めになって、今、私の手元にある。まるで安売りの時によくある詰め放題の状態に酷似していた。正直な感想を漏らせば、愛が重い。もう少し中身を減らしていた方が見栄えもいいはずなのに、そこまで考える余裕はなかったようだ。
きらきらと子犬のように期待をする眼差しを受けて、それをはっきりと指摘するのには良心がじくじくと痛む。見なかったふりをして、私は分かった、と渋々了承した。
彼に渡すとき、彼女の愛が溢れまして、とでも付け足しておこう。
「ここから恋が発展しちゃったりして! きゃっ!」
「エレナ、まだ知り合ってもいないんでしょ?」
「馬鹿ね、今や一目惚れという過程全てをふっ飛ばしちゃうものがあるのよ!」
一目惚れもまず、相手を見てからというのを踏まえたうえでのものだが、それを言うのもなんだか馬鹿らしいように思えて、黙って彼女の言うことに頷いておく。
些細なことしかできないが、彼女の恋路に応援をしてみよう。上手くいくかどうかは彼女と神様次第だけれど。