トーヤ=シノノメ、異世界の客人
最近、城の中で、もちきりな話題は異世界から来たトーヤ=シノノメのことだ。主に女性の話の的は彼のことばかり。あの顔と雰囲気、話も面白いなどといったのが理由として挙げられる。
同僚のメイドもその話が欠かせないようで、私の話をよく聞きたがる。といっても話せることは限られてくるもので、答えに窮することも何度かある。第一、彼との接点はお嬢様だけであって、プライベートで仲良くなりたいとは思わない。そのため、主人との話をここで言うなんて不義理にあたると思っているため、最低限のことしか話せない。
例えば、いつも綺麗な貴族のお姉さまに囲まれているとか、とにかく女性のエスコートが上手いとか、異世界の話をしている、とか。だが、それだけでも彼女たちは満足するらしい。
それでいいのか、と言いたくもなるが大人しく黙っていることにする。
「ああ、かっこいいのよねえ。あまり見ない顔つきの人であるし、とにかく色っぽいのよ!」
「ああ、垂れ流しですっけ?」
「ソフィー! あんたね、そんなこと言ったら異世界の罰が当たるわよ!」
どんな罰だ、どんな。
「ああん、会いたいなあ。でも厨房の私じゃ会う機会なんて滅多にないし……」
「エレナ、そういえば料理ができる人は好きらしいから大丈夫よ」
「え!? 何それ!? 全然言ってなかったじゃない、そんなこと!」
「だって聞かれなかったから」
「あああっ!! この恋愛初心者があぁっ! じゃあもっと腕によりをかけなくちゃ!」
「私、エレナの料理は美味しいから嬉しいわ」
「あんたのためじゃないわよ! あんたのためじゃ!」
休憩もそこそこに彼女は部屋を飛び出していってしまった。行き先といえば厨房しか思いつかないから、そこにいるんだろうけれど。きっと、今の話でやる気に火が点いたのだろう。
さて、そろそろ私も彼女を見習って仕事を始めよう。確か、明後日には新しく仕立てられたドレスが届くはずだから、それに合うアクセサリーでも探しておかなければ。後は明日のお茶菓子の準備に、部屋に飾る花も見ておこう。
部屋を出て、庭園へと向かう。庭師は、と辺りを見回したが姿が見えない。また、どこかで昼寝か何かをしているのかもしれない。念のため鋏を持ってきて正解だったようだ。
お嬢様のイメージを浮かべてそれに見合うような花を選んでいく。色合いとしては寒色よりも暖色で、明るくなるようなものがいい。白よりもピンクや黄色、ああ、オレンジもいいかもしれない。
お嬢様のためを思って何かを選ぶのはとても楽しい。料理も掃除も、お嬢様のことを思えば全然苦にもならないのだ。
緩む頬を押さえられず、花を選んでいると頭上から不意に影が差した。
「ソフィーにこんな趣味があるなんて意外だよ、俺は。にやけてるから余計に不気味」
「シノノメ様、授業は」
「心優しい女性の教師でね、すぐに終わらせてくれたんだよ」
「よく分かりました。やめさせたのですね」
全く、なんていう男だ。これが異世界の客人でなければさっさとお嬢様の周りに近づかせないようにしたものを。
睨んでいる私を彼は腹を抱えて笑い始め、こちらの機嫌は急降下していく。
「はははっ! 似合わねえ、っ! お前が、花とか!」
「……」
そんなことは分かっている。これはそもそもお嬢様のために選んでいた花であって、私自身のために選んだ花じゃない。それに、私の容姿も自分がよく分かっている。どこをとっても平均な顔つき、体つき。お嬢様のような可愛らしい容姿や、いつもこの男の周りを囲んでいる綺麗なお姉さま方の容姿からかけ離れていることも。
似合わないけれど、こうして花を見ている時間は好きだったのだ。ここまで笑われる思いをするために、訪れたわけではなかったのに。
「お嬢様のためを思って選んだものです。自分に似合わないことなど知っております、けれど」
「ソフィー」
「私が花を抱えている姿は滑稽に見えるのですね。さっさとシノノメ様の眼前から消えることにしましょう。それでは、失礼いたします」
彼の性格が悪いのは知っていたし、私も彼に失礼な態度を取り続けていた。だから、あんなことを言われたくらいで傷つくなんておかしな話だ。
考えごとに夢中になっていたために、注意が散漫としていた。そのため、前をよく見ていなかった私は思い切り誰かとぶつかってしまった。バランスを失った体を誰かが抱きとめ、摘んだ花も無事で汚れもない。
お礼を言おうとして相手の顔を見た瞬間、思わず眉をひそめた。
「……さぼっていましたね、ルドルフさん」
「可愛い顔が台無しだぞー、ソフィー?」
「それはあなたのせいですね」
無精髭を生やして、仮にも城内だというのにだらしなく着崩した格好。きちんとした格好をすればそれなりに見えるのに、自らの手で全てを台無しにしている。これが庭師だというのだから、見る人によっては関わっちゃいけない類の仕事の方とか、前は借金取りに間違われたなどと大笑いしながら言い放ったことがあった。
全く、と小言を言うよりも先に顔をルドルフの胸へと押し付けられた。片手で反抗してみるも「聞きませーん」と子供じみたことを言い始めた。
「何があったのかは聞かねえよ。でもな、その顔、姫さん見たら勘づくぞ」
「そんな、ひどい顔ですか」
「おお、いつもの数倍な」
「ほんと、腹立ちます、ね」
いつも、何かあったときこの人はこうする。子供みたいにあやして、何も聞かない。私も言わない。でも、それがいい。
ほっとしたまま体を預けていると、足音のようなものが聞こえた。確認しようと身を捩ったが、ルドルフはちっとも離す気配を見せない。
「ルドルフさん、誰かが」
「誰もいねえよ。いいからまだこのままでいろ」
「でもそういうわけには、って、あっ!」
「なっ、何だよ!?」
「お嬢様の花が……っ!」
失念していた。ちょっと考えてみれば、挟まれたら抱えている花だって潰れてしまうのに。自分の浅はかさに落ち込みもするが、今、この場には庭師でもあるルドルフもいるのだ。彼にも手伝ってもらえばもっと良い花をお嬢様の元へ届けられるかもしれない。
彼を見上げるとその考えを察し、庭園の方へと歩き始めた。追いかけるようにして私もついていくと、不意に彼が振り返った。
「元気は出たか?」
「ルドルフさんが私と一緒にお嬢様の花を選んでくれるのなら、もっと出るかもしれません」
「そりゃ良かった。んじゃ、行くか」
今度は私のペースに合わせるようにゆっくりとした足取りで。それには気づかぬふりをしながら、ルドルフの隣に並ぶ。それは心地良く、安心できる空気だ。
あの異世界の客人とは違う。きっとこれから先もルドルフと比べてしまったら、私は彼と合いそうにないと実感していた。