シルフィア=レーガンス、私のお嬢様
「ソフィー、お茶を頂戴?」
「はい、かしこまりました」
優しい響きを持った言葉と共に私に微笑みを浮かべていらっしゃるのが私のお嬢様、シルフィア=レーガンス。
この国の第三王女であり、私が信じて疑わないお嬢様である。本来ならば王女様と呼ばなければならないというのに彼女はそれを嫌がり、妥協の末、今のお嬢様というのが定着したのだ。月をそのまま持ってきたような綺麗な御髪、淡雪のような白い肌、アーモンドのような大きな目は爽やかな空の色。そして、お嬢様の華奢な体つきと儚げな雰囲気は誰もが庇護欲を駆り立てられるだろう。
私なら駆り立てられる、男だったのならば駆り立てられた上にずっとお姫様抱っこでも何でもしていると思う。それほどまでに彼女は守ってあげたくて、とにかく幸せにもなってほしいのだ。
「今朝届いたセエレ茶葉をどうぞ。お砂糖もいかがですか?」
「では一つお願いね。もしかしてソフィー、それで今日はタルトなの?」
「ええ。お嬢様の好きなベリィに、クリームたっぷりです。さっぱりとしたセエレとお口に合うと思いまして」
「ふふ、ありがとう。ソフィーの作るものはどれも好きだから楽しみだわ」
「勿体ないお言葉です、では……」
「あっ、あの、ね、ソフィー!」
こんな調子で私の名前を呼ぶとき、決まって次の句はこれだ。
「トーヤ様にも、一緒に、召し上がっていただきたいな、って、思うのだけど」
こんな可愛らしい上目づかいでのお願いに弱いのは私だけではないはずだ。
渋々、首を縦に振って彼を捜しに行く。本当に嫌々だけど、お嬢様のお願いに断ることもできず、どうせまた綺麗なお姉さま方に囲まれてるんだろうな、と悪態をつきながら。
お嬢様は恋をした。つい先日、異世界から来たと言うトーヤ=シノノメに。城の中に厳かな雰囲気を漂わせている一室、神殿の中から彼はふらりとやってきた。その日、神殿からは眩い光が溢れ、その中にいたのがこのトーヤ=シノノメだった。
制服という見慣れぬ服装、この国では見たことのない真っ黒な髪と目。細長い目と唇、顔もこれまた美形という部類に入ってしまうのだろう。彼もよく分からないままこちらに来たそうで、混乱したまま衛兵に胸倉を掴んでいたところを取り押さえられた。だが、神殿に起きた異変を知った王はすぐさま彼を解放し、王家にだけ語り継がれていた話の人物だと言って城に客人として置いている。
何でも、昔からこういうことはあったようで、彼らはいろいろな知識を持っているために国はとても重宝したのだとか。今ある冷蔵庫というのも彼らのおかげで今日まで受け継がれたらしい。一体、どこまでが本当なのかは知らないが、それでも来たというんだからそれだけのことだ。
黄色い声を辿っていけばすぐに目当ての彼がそこにいる。思った通り綺麗なお姉さま方に囲まれ、艶やかな笑みを浮かべながら彼女たちの相手をしているのだ。色気がある、と噂に聞いたが色気のいの字も知らない私ではやはりよく分からない。私の目では、あれはあしらっているという表現がよく似合っていると思うのだが。
「トーヤ=シノノメ様」
私の声に反応し、ゆっくりとこちらを見つめる。ついでに微笑みを浮かべられるが、顔を引きつらせないようにするのが精いっぱいで笑い返すなんていう芸当は出来そうにない。次の句を言う前に彼は何の用事かを察し、彼女たちの間を縫うようにしてこちらへと近づいた。
近づいたと同時に回された腕を軽く払い落してから、先導するように彼の前を歩く。
「ソフィーは俺に冷たいな。お姉さんたちは優しくしてくれたって言うのに」
「シルフィア様がシノノメ様とお茶を御所望です。甘いものは……」
「大好物。ソフィーが作ったんだろ? 俺、料理ができる子って好きなんだけどなあ」
「コックたちもその言葉を聞いて喜びます。ぜひ、伝えておきましょう」
「本当に冷たいよね、ソフィー。ああ、そりゃそうか。嫌いだもんな、俺のこと」
にやりと笑いながら真っ直ぐにこちらを見る表情は、確信をもった上でのものだろう。彼はこういうところが聡い人であり、そういう民族なのだと笑いながら言っていた。そう言いながらもこっそりと腰に回そうとする腕を本気でつねり、小さな悲鳴を聞いてからまた歩き始める。
お嬢様、どうしてこの男がいいのですか? 優しい男なら大勢いるのです、かっこいい人も大勢いるのです。こんな女たらしのような男を好きになる貴女を心配するのは当然のことではないのですか?
苛立ちながら歩いていたせいか足取りは早く、そろそろお嬢様のいる庭園に近づいていた。いつの間にか追いついたトーヤ=シノノメも隣に並んで歩いている。
「でも、俺はお前の方が良い。そういうところが気に入ってるんだけど」
「そうですか、とんだマゾなんですね。お嬢様にそんなこと悟らせないで下さいませ」
「蓼食う虫も好き好き、ってやつなんだよ」
「た、で?」
「そうやってずっと考えてろ」
そう言ってどんどんと先を歩き、勝手にお嬢様の隣へと腰掛けていた。全く、油断も隙もない男だ。こんな男に頬を染める必要などないのに。ああ、もう、お嬢様がそんな顔を見せてしまったら、あの男は調子に乗ります! 危険です! 衛兵でも呼んでまた地下牢へと戻らせてやりたい気分です!
ふつふつと腸が煮えくりかえるような思いをするが、それでも、お嬢様の前では不愉快なオーラも何も見せたくない。気合いを入れるように何度か頬を叩き、姿勢を正してお嬢様の元へと向かう。
近づくにつれ、楽しそうな話し声が耳に届く。
「すごいのですね、トーヤ様の国は。私、もっと、その、お話を聞いてもよろしいですか?」
「いいよ。シルフィアに頼まれたら断れないからな、俺」
あの調子のいい口を縫い合わせてやろうか、おい。
「あ、ソフィー! お茶のお代わりをもらってもいいかしら?」
「喜んで、お嬢様」
「俺にも欲しいな、ソフィーが淹れてくれたお茶」
「……ええ、どうぞ」
ここに針と糸さえあれば縫いつけたものを……!
不穏な考えを今のところは追いやって、今は目の前のことに集中する。お嬢様が嫌な思いをされないように、楽しく過ごせるように。
それが私、メイドのソフィーの務めなのですから。