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恋は怖い


 ──おなか、すいた。


 ぼろぼろの雑巾みたいな私を、町の人は関わらないようにして前を通り過ぎていく。怒りだとか悲しみだとか、いろいろな感情が沸き起こる前に空腹が私の頭の中を占めていた。

 私の家はあまり裕福とはいえなくて、日々、食べるだけでも大変だった。私の他にも何人か兄妹がいて、末っ子だった自分は構ってもらえる機会がなかなかなかった。皆、自分のできることをしてお金を稼いでは食費にあてる。だから家はぼろぼろだったし、小雨でも雨漏りが酷かったくらいだ。そんな中、たまに、両親が私を虚ろな目で見ているときがあったけれど、お仕事が大変なのだろうと勝手に思い込んでいた。


 一緒に、町に行こうか。


 それは父の言葉だった。外に連れて行ってもらえることはこれまでに一度もなくて、ずっと家の中で家事をやっていた私は一も二もなく頷いた。父の大きな手を握りしめて、人生で初めて町を見た。たくさんの品物が並んで、全てが鮮やかで新鮮だった。人々の活気づいた様子も、全部が夢のようだった。きょろきょろと辺りを見回しながら、興奮した面持ちですごいね、と言い続けていた気がする。

 日が沈みかけて、そろそろ夜になろうとしていたときに街灯の下で父が立ち止まった。そこでいくばくかのお金を渡され、小さな手はぎゅっと大きな手に包まれる。


 ちょっと、ここで待っていてくれないか。


 何かお店に用事でもあったのだろう。大人しく待っていられる自信があったから、笑って父の背中を見送った。

 これが、最後に見た父の背中だった。


 それから何時間待っても、父が戻ってくることはなかった。日が沈み、月明かりが射し込んでも、いつか父は戻ってくるのだと信じて待っていた。肌寒い夜を過ごして、戻ってくるのだと信じながら夜明けを見たときに涙が頬を伝っていった。

 父は私を捨てに来たのだ。きっと誰も迎えには来ない。私が邪魔だったから、少しでも家族を楽にしたかったから。


 ──私は、愛されていなかった。


 もらったお金は徐々に底をついて、働くところを探してもすげなく追い払われるだけだった。空腹のあまり、盗んでしまおうか、と考えなかったわけではない。たった一個、あのお店にたくさん並んでいる果物を一つくらい。ひもじい思いをしているのに、それでも、手を出すことができなかった。ぼんやりと、瞼の裏で両親が泣いているような気がしたから。

 私のために、両親は泣かないはずなのに。


 とうとう動くこともできなくなって、路地裏でひっそりと息だけをしていた。体に鼠がよじ登って、目もかすんで、声も出せなくなっていた。指一本動かすこともできなくて、こんな暗いところでひっそりと死ぬんだな、と冷静に考えていた。

 でも、それでいいのかもしれない。これが家族の望んだことなら、最後の親孝行というものだろう。何も私は出来なかったから、こうやっていなくなるのがお似合いだ。


 目を閉じる。ひっそりとした静寂が、少しずつ一つの足音によって壊されていく。


 うるさい、私は眠っていたいのに。


 足音はこちらへ近づいて、ふと、止まった。冷たい私の手が、何か温かくて柔らかいものに包まれていた。私は馬鹿みたいに、お母さん、と思って顔を上げたところ、見知らぬ少女が私の手を握っていた。絵本にあったお姫様みたいに綺麗な金の髪をリボンで結い、真っ白な手が薄汚れた私の手を掴んでいる。私が気付いたことに少女は花のような笑みを浮かべて、きらきらと宝石のような目が細められた。

 ぼんやりと眺めている私に向かって、少女は小さな口を動かし始めた。


「起きて。眠ってはだめよ。わたし、あなたとお友達になりたいの」


 温かい手が、ぎゅっと強く私の手を握る。


「一人ぼっちは、いやなの」


 私の心の中を見透かされたような言葉に、思わず目を見開いた。こんな薄汚れた私を友達にしたいなんて、この少女はおかしい。町にはもっと、私と同じ年頃の子供がたくさんいる。少女と友達になりたい人なんて、たくさんいるに違いない。町の人ですら目を背ける私に、それほどまでの魅力があるとは到底思えなかった。

 でも、少しだけ。


 ちょっとだけ、その言葉が嬉しかったから。


 枯れたはずの涙が、ぽたりと私の服を濡らした。一つ落ちれば堰がきったように涙が溢れ、ぼろぼろと泣く私を少女はずっと抱きしめていた。汚れると言っても離さず、しまいには二人でわんわんと泣いた。路地裏での声は誰にも届くことはなく、温かい腕の中で思いっきり泣いていたのだ。


 後に、彼女がこの国の王女だと知り、その伝手でメイドになったことはこの上ない幸運だった。当初は渋っていた城の人も、王女の言葉にほだされて私を置くことに異論を唱える者はいなくなった。城の中で身分を知り、様々な教養を得ては王女との違いをまざまざと思い知らされた。

 私はお友達にはなれなかったけれど、誰よりも彼女を支えたいと願った。


 王女の──お嬢様の一人ぼっちだという言葉が耳から離れない。たくさんの綺麗なものに囲まれても、優しい言葉が溢れても、お嬢様は一人ぼっちだと思うなら、せめて私は傍にいたい。

 いつか拒絶される日が来るまで、必要とされなくなる日が来るまで、彼女の傍にあり続けたい。


 だけど、お嬢様は恋をした。

 そんなお嬢様を、私はすごいと思う。私は恋はできそうにない。恋を知って、愛を知って、誰かと家族になってしまうことが怖い。私もまた、自分が困ったら子供を置いてしまうのではないか。私と同じ道を踏ませてしまうのではないかと、不安ばかりが押し寄せる。

 

 私は、恋が怖い。

 だからこれから先も、誰かに恋をしてしまうことはないだろう。恐ろしい結末に、たどり着きたくはないのだ。



 *    *    *


 部屋へ戻ると、綺麗なブーケが私を出迎えてくれる。トーヤ=シノノメが作ったという事実は置いておき、この花を見ると一日の疲れも癒されるのだ。

 今日もまた、お嬢様にと花を選んでいたときに奴が現れたのだ。飄々とした態度で近づき、私の手元にあった花を見て「シルフィアにはこっちじゃねえの」などと言いながら別の色の花を摘む。余計なお世話だとは思ったけれど、彼の摘んだ花の方が確かにお嬢様には似合う気がして文句を言いたい気持ちをぐっとこらえた。

 しかし、そんな気持ちはお見通しだったのだろう。

 トーヤ=シノノメはにやにやと笑いながら、私の方へと顔を近づけて核心を突いてきたのだ。


「ソフィー。お前、悔しかったんだろ?」

「さあ、どうでしょうね」

「うわ、かわいくねー」

「知っています」

「ソフィー」

「……」

「ソフィー」

「……何ですか」

「可愛いよ」


 思いもしなかった言葉にきょとんとして、何を言っているんだとすぐに疑惑の眼差しを送った。まさか、お嬢様に会わせろということかと思っていると、彼は呆れた目で頬を引きつらせていた。どうやら彼もまた、私の表情は思いもしなかったらしい。

 むすっとしたままそっぽを向き、機嫌を損ねたのだとあからさまな態度で示していた。


「何を怒っているのですか?」

「可愛いって言ったのに、そういう態度するかよ、普通」

「じゃあ、普通じゃないのかもしれませんね。照れた顔が見たいのなら、いつものお姉様方にしたらどうですか?」

「そうやってつんけんしてるから、男も寄って来ねえんじゃねえの」

「いいんですよ。私は恋ができないと思いますから」

「……は?」


 あの男は驚いたように目を丸くして、私を正気かと言いたげにこちらを見ていた。何度も顔を突き合わせてはいても、個人的な話をしたことがなかったと改めて思い知らされる。トーヤ=シノノメのいた世界のことは知っていても、彼自身のことや家族の話はあまり話題に上らない。私もまた、自ら個人的な話を持ち出すこともしなかった。言ってしまえば敬遠されるか、可哀想な眼差しで見られるのだろう。世間では、こうした私の経緯を可哀想だと呼ぶことを知っている。

 たとえ今がどれだけ幸せでも、過去があっさりと覆ることはない。

 それでも気まぐれに、私は幼少の頃を口に出してしまったのだ。


「両親に捨てられましたので、私もいつか同じことをしそうで怖いのです。だから私は、恋を致しません」

「ソフィーは、ソフィーだろ」

「……お気遣い、感謝します」


 そっと微笑むと、何故かトーヤ=シノノメの方が泣きそうな顔をしていた。どうかしたのかと問いかけるよりも早く、彼は私に花を押し付けてどこかへと立ち去ってしまったのだ。意外と繊細な人だったことを思い出し、自らの言動を恥じる。


 そんなことがあったので、今日はやけに疲れた。久しぶりに昔のことも思い出して、余計にそう思ったのかもしれない。

 はあ、とため息をつきながらブーケを視界に捉えた。近づけば、ほのかに甘い香りが鼻腔をくすぐる。それを十分に堪能してから、少しずつ離れていった。

 明日も頑張ろうと思いながら、つけていた明かりを再び消したのだった。




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