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客人として振舞っていなさい(過去)

 駄目だ、眠れない。


 夜の帳が下ろされたというのにも関わらず、睡魔は一向に訪れてはくれなかった。真っ暗な部屋の中、星の光だけが室内を照らす。ここに来て、一週間は経っただろうか。それでもまだ、帰れる兆しも、どうやって帰ったのか、という話も不透明なままだ。

 来た話だけは幾度も聞いた。神殿が光り、そこにはもう異世界からの住人が来るのだと。だが、帰ったという話になると、唐突にいなくなった、と言うばかりなのだ。気付けばいなくなっていた、そんなことしか語られないことにうんざりとしていた。

 それでは、もしかしたら国内にいるだけかもしれないだろ。

 帰れなくなって、絶望したのかもしれない。それで、城から逃げ出した、か。または、と考えてやめた。これ以上、不吉なことは考えたくない。それに、とソフィーとのやり取りを思い出していた。

 俺が嫌っている、ということも念頭にあったせいか、ソフィーにはきつく当たったとしても構わないと思っていたのだ。ソフィーも気にした様子もなく、シルフィアのお茶会へと何度も誘う。いつもと変わらない態度で、様子で。


 けれど、今日は。

 お姫様以外で、表情が変わったのを初めて見た。


 それに罪悪感を感じている自分がいて、むしゃくしゃしながらベッドから起き上がる。そのまま部屋を後にし、暗い廊下を歩いて行った。

 幸い、人に会うこともなく、何処に向かいたいのかも分からずに歩いて行く。ペタペタ、と素足に冷たい石の感触が心地いい。本来は靴を履かなくてはならないのだが、掃除が行き届いているおかげで足の裏を傷つけることもなかった。


 しかし、何処に行きたいんだろうな、俺。あてもなく、彷徨っているだけだ。口元に笑みを浮かべたが、無性に泣きたい気持ちへと駆られた。

 違う、行きたいところは分かっている。何をしたいのかだって、一番、俺が分かっている。


 帰りたかった。今すぐに。誰でもいいから、俺を元の場所へと戻してほしかった。寝て、覚めれば夢だって教えてほしかったのに、どうして目覚めるのは自分の部屋ではないのだろう。

 俺は、一体、これを何日続ければ――。


「そちらは貴方の部屋ではありません」


 一番聞きたくない声が耳に届いた。静かな廊下に反響した凛とした声が俺に届けられ、小さな足音が近づいてくることを知って顔を歪める。

 目の前に来た彼女はいつもの服装ではなく、質素なワンピースを身にまとっていた。手にはランタンを持ちながら、揺れる光と共にソフィーの表情が露わになっていく。

 いつもの冷めたような表情で、何一つ、驚きもしない顔で。


「来るなッ!」


 その言葉にソフィーは足を止めた。怒鳴り声は先ほどの彼女の言葉より更に響き渡り、他の人もやってきそうだ。だが、俺は止まらなかった。

 苛々する、この女の余裕じみた態度が。嘲笑っているかのような、あの顔が。


「嫌なんだよ、お前のその態度が! 顔が! どうして、そんな目で俺を見るんだよ。何もしてねえだろ!」

「お嬢様に誤解をさせるような態度まで取っておきながら、よく、そんな口が叩けますね。さっさと帰ってしまえばいいものを」

「こっちが聞きてえよ! どうしたら帰れる!? お前らは聞くだけ聞いて何も教えてくれはしない。どうしたら俺は帰れる!? 知らないところにたった一人、こっちの常識が通用しない場所に置き去りにされた奴の気持ちなんてお前になんか分からないだろ!」

「ええ、分かりません」


 ソフィーはあっさりと頷き、真っ直ぐに俺を見る。だが、その目に怒気のようなものが孕んでいることを察し、少しだけ怖気づいてしまった。しかし、後悔しても口に出してしまった言葉を取り消すことはできない。

 彼女は淡々と、薄い唇から言葉を紡いでいった。


「両親に捨てられ、一人で生きていかなくてはならなくなった人の気持ちも、境遇故に早く大人にならなくてはならなかった人の気持ちも、周りから阻害される気持ちも、貴方には何一つ理解できないでしょう。私が貴方の気持ちを理解できないように」

「っは、そうだな。理解なんて、できねえよ」

「駄々をこねるだけなら子供でもできる。貴方がここを居心地悪く思うのは、貴方自身がここを認めないからでしょう」

「分かったような口をきくな!」


 嘘だ。その通りだったものだから、動揺して怒鳴り返しただけだ。

 それでも、彼女は怯えることなく、ひたすら真っ直ぐに思いを伝える。こういうところが嫌いだ。あんなに性格が捻くれているくせに、こういうときばかり正直なのはずるいだろ。

 こんなにも自分が情けなく思う羽目になるなんて、予想外だった。口を開こうとしたところ、ぐらりと力なく傾いた体は壁を背にして座り込んでしまう。ここ数日、ろくに眠っていないのが災いしたのかもしれない。自業自得とはいえ、やはり情けなかった。ソフィーはゆったりとした足取りでこちらへと向かい、俺と同じ目線になるように屈みこんだ。

 そのまま何かを言うつもりじゃないかと思っていた俺に、腕を伸ばして脇の方へと入れた。体を支えようとしているのだと気づき、彼女と初めて目を合わせた。


 ひどく綺麗な目だったことを、今日、初めて知った。


「少しだけでいいので、力を入れてください。疲れているのです、体が」

「お前じゃ支えられない」

「貴方は客人なのだから、堂々と立振舞っていればいいのです。こんな無茶なことも言ってしまえばいい。ここの城の方は少々考えが足りずにお人好しではありますから」

「貶してどうするんだよ」

「これでも褒め言葉です」

「ばか」


 ──頼む。


 そう言えば、「仕方ないですね」と言って少しずつ体が持ち上がった。いつもより歩くスピードは遅く、それでも彼女は重いなどといった嫌味も泣き言も言わない。

 ひんやりとした空気が頬を撫でる。隣は暖かく、不思議な心地だった。じっと見つめると、なんですか、と声が返ってくる。憎たらしいほど嫌いな声も、顔も、今はただの女としてのソフィーに見えた。

 可愛くない、が、可愛く映る。綺麗ではない、が、綺麗に映る。

 これを何と言うか知っているが、まだ言えない。言える気もしない。

 もっと、その目がこちらを追ってくれるまで。もっと、声を聞きたくなってくれるまで。嫌いが好きになってくれるまで。


「なあ、ソフィー」

「何でしょうか? トーヤ=シノノメ様」

「年は?」

「十九ですが、面と向かって女性に年を聞くのは無作法ですよ」

「年上か。俺は十六で、三つか」

「私の話、聞いていますか?」

「聞いてるよ」


 他愛のない話が楽しいと思えたのは久しぶりだ。くつくつと笑うと、凛とした声が耳に届く。


「そんな風に笑えるのですね」


 うるさい、と照れ隠しで言った言葉に若干後悔しつつも、叱咤の声は聞こえない。客人という立場からのことなのか、寄り添って部屋へと一歩ずつ進んでいく。

 嫌だった景色も、見慣れないと毛嫌いしていたものにも愛着すら湧きそうになっている。


「ソフィー」


 立ち去ろうとする彼女に向かって声をかけた。だが、その先を考えてはおらず、あー、と間延びした声だけが続く。

 すると、ソフィーは眉を下げ、困ったように笑ったのだ。ぎこちない笑い方ではあったものの、こうして自分自身に向けて笑ったのは初めてのことだった。驚いて目を丸くする俺に向かい、いつもより優しげな声をかけられる。


「おやすみなさい、良い夢を」


 静かに閉められた音を耳にして、ベッドへと倒れるようにして寝ころんだ。そのまま目を閉じると、眠気が自然と襲い、抗うことなく眠りについた。

 夢の内容は覚えていない。けれど、どこか満ち足りた気分で目は覚めた。いつもと変わらない、真っ青な空と眩しすぎるくらいの日差しが部屋へと入り込んでくる。


「ソフィー、か」


 名前を呟けば、無性に、彼女に会いたいと思った。




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