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第四話 神は恐れている



次の街に着いたのは夜だった。宿を取った。


夜中に目が覚めた。息が浅い。首の後ろに汗が滲んでいた。


怖がっていた。自分ではない何かが。


夢ではない。記憶だ。


転生の終わり際の記憶だ。死んだ瞬間でもなく、痛みでもない。ただ、何かが怖がっていた。自分ではない何かが。名前も顔もない。輪郭もない。それだけが残っている。


なぜ、これだけが。


天井を見た。しばらく、そのままでいた。


隣の部屋で物音がする。エウフェミアはまだ起きているらしかった。


夜明けまで、眠れなかった。



朝、街を出た。


次の目的地はない。ただ歩く。


しばらく歩いたところで、エウフェミアが止まった。


街道から外れた方向を見ていた。木々の間に、何かある。見落とすような場所だった。煙が細く上がっていた。それだけなら通り過ぎていた。だがエウフェミアは動かなかった。何を見ているのかわからなかった。表情も読めなかった。


やがて無言で歩き始めた。街道を外れて。


理由は聞かなかった。ついていった。


廃屋があった。



扉を叩いた。


間があった。それから、引きずるような足音がして扉が開いた。


老いた男だった。白髪。痩せている。目だけが、妙に鋭かった。二人を見た。それから、ゆっくりと息を吐いた。


「やはり、そうですか」


怖がっていなかった。むしろ、安堵したような顔だった。


「あなた方は、神に嫌われた者ですね」


エウフェミアの表情が微かに動いた。動いて、戻った。


男が中へ招いた。



狭い室内だった。書きかけの紙が積まれている。棚に本が詰まっている。長年、一人でいた場所の匂いがした。


「元は神官でした」と男は言った。「神殿に仕えて三十年。ある時、気づいてしまった」


椅子に座った。二人は立ったままだった。


「神とは何か。私はずっと考えていた。祈れば守られる。そう教えられてきた。だが、なぜ守られるのか。誰も答えなかった。答えられなかった」


紙の束を一枚取り出した。文字が細かく書き込まれている。


「神は、信仰によって存在する」


淡々とした声だった。


「概念です。人が信じるから在る。信じなければ弱まる。忘れられれば消える。全知全能ではない。ただ、信仰を必要とする存在だ」


エウフェミアが男を見ていた。表情はなかった。


「だから神は異形を送る。恐怖があれば人は祈る。祈れば信仰が生まれる。使役の者が現れて異形を倒す。人々は神の力を見る。信仰が固まる」


男が紙を置いた。


「茶番です。ずっと、茶番だった」


男が口を閉じた。しばらく、自分の手を見ていた。長い沈黙だった。誰かに話すのは、初めてなのかもしれなかった。


頭の奥で、何かが動いた。


あの感覚と、この言葉が、静かに繋がった。


転生の終わり際に残っていたあれ。怖がっていた何か。名前も顔もない。輪郭もない。ずっとわからなかった。


そういうことか。


表情には出さなかった。



「神殿を追われました」と男は続けた。「当然です。こんなことを言えば、誰も信じない。信じたくない。信仰とはそういうものだから」


窓の外を見た。遠くに、街の神殿の尖塔が見えた。


「あなた方は、神に嫌われている。それはつまり」


男がこちらを見た。


「神が恐れているということです」


しばらく、誰も言葉を発しなかった。


エウフェミアが、男から目を離した。それから、こちらを見た。珍しいことだった。すぐに視線が戻った。



外へ出た。男は見送らなかった。扉の向こうで、また紙に何かを書き始める音がした。


街道を歩いた。


しばらく、二人とも黙っていた。


エウフェミアが前を向いたまま、口を開いた。


「怖くないのか」


少し間を置いた。


『知っていた気がする』


エウフェミアは何も返さなかった。何かを考えているようだった。やがて目を伏せた。わずかに、肩が下がった。考えて、しまったようだった。


風が吹いた。草が揺れた。街道の先が、夕暮れに染まっていた。


ただ歩いた。



長い間、何かに追われているような感覚があった。名前もわからない何かに。それがようやく、輪郭を持った。


風が吹いた。頬に当たった。痛みが走った。息が、一拍止まった。


なぜ恐れているのか、まだわからなかった。だが、あの感覚には名前がついた。ずっとわからなかったあれが、何だったのかがわかった。


世界の輪郭が、ほんの少しだけ歪んで見えた気がした。


神は、恐れていた。


自分たちが、何者なのかも知らない二人を。


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