5.西へ
「さて、今回はどんなルートで行く?」
散々飲み食いして夜もすっかり更けた頃、俺達は宿に帰った。すっかり瞼が重い俺と違い、ジュードは明日に備え地図を見ていた。さすが勇者だ、アルコール分解速度も人間のそれじゃねえ。地図には毎回の遠征でのリミッターの様子や町の様子がびっしりと書き込まれている。まあ、どうせ俺は偽物勇者だ。考えたところで役に立たないわけだし、ここはジュードに丸投げするしかない。
「前の時、ウェティシアのリミッター脇の崖が崩れてたの覚えてる?」
「あー…そうだったな。心配で予定より長めに滞在したけど、特には何もなくて崖崩れだけ直したんだっけ?」
朧げな二年前の記憶を呼び起こす。
「そう、そこ。あれ、やっぱり気になるから一番初めに見に行った方がいいと思う。」
「まあ気になるなら早めに行っといた方がいいわな。あっ!そうか!あそこには…。」
俺は都合のいいことだけ思い出した。
「ウェティシアに行く山あいにはいいもんがあるだろ?」
「いいもん?」
「温泉だっ!」
ジュードが大きくため息を吐く。
「兄ちゃん…遊びに行くんじゃないんだよ。」
「俺は遊びが八割で仕事が二割くらいのつもりでいるよ?二年に一度、半年しか一緒にいらんないんだからさ。楽しもうぜ?」
ジュードは俺の言葉に呆れたような顔をしたが、フッと微笑んで答えた。
「ん。じゃあ仕事終わったら温泉寄ろう。」
「俄然やる気が出てきたわ!」
ジュードが声を出して笑った。
翌朝。
いよいよ出発だ。ジュードが馬に鞭を入れると馬は応えるように軽く嘶き歩き出した。ジュードは元々動物の扱いが上手く、まるで気持ちが通じ合っているようだ。この才能があるなら、俺と牧場をやるのにうってつけなのになあ。つくづく残念だ。馬車が進んでいくにつれ、わあっと歓声が上がる。幌の中から外を覗いてみると、往来の人達が俺達に手を振ったり声援を送ったりしている姿が目に入る。
騙されているとも知らずに。
俺は気まずくて往来に背を向けた。
馬車がセンティシア中心部を離れ、周囲が木々に囲まれ始めた頃、ジュードは馬車を止めた。
「どうした?」
「ここから先は車輪を変えないと。」
「オーケー。一緒にやろう。」
ウェティシアへ続く山岳地帯を行くには、太くて頑丈で悪路にも耐え得る車輪に変えなくては途中で動けなくなる。
四十二にしては筋肉のある男と熊みてえな三十七の男の二人がかりでやっても中々に重労働だった。
「はぁー!疲れた!」
車輪の交換を終え、俺は馬車の中に倒れ込んだ。昼頃から始めたのにもう午後の日差しが傾き始めている。
「あー流石に若い時みたいにちゃっちゃとできないねえ。」
ジュードも隣に倒れ込んできて言った。
「だなぁ。今日はここで一泊するか?」
「んー…まあそうするしかないね。」
ジュードがゆっくりと体を起こした。
「そうと決まれば、俺、食材調達してくる。」
「おいおい、大丈夫なのか?」
「ん。まあ、一応勇者だし…兄ちゃんより若いから。」
ジュードが悪戯っぽく笑って立ち上がった。体が仄かに赤く光っている。
「兄ちゃんはまだゆっくりしてて良いよ。ご飯作る時にはたくさん働いてもらうし。」
そういうとジュードは森の奥に姿を消した。俺はジュードが勇者の力を振るうのを目にしたのは狩りの時以外だと一度しかない。リミッターが出来てから魔物災害は格段に減った。勇者でも魔物と戦う事なく生涯を終えた勇者はいる。ジュードもその一人だ。じゃあ、いつ見たのか?それはジュードが初めて勇者の力を手にした時。魔物でなく人を殺めた時だった。
俺が十二歳の時。本来なら部外者が容易く入る事なんてできないはずだが、子どもだからと油断したのだろう、急に連れ去られた義弟が心配で、いても立ってもいられず家を飛び出した俺は、まんまと城の地下深くにある、ジュードのいる牢獄に入り込むことができた。
そして目にしたのは世にも悍ましい光景。まだ十歳にもならない俺の可愛い義弟を勇者に作り変える術式。何人もの屈強な兵士に囲まれた中で、ジュードは拘束され、体の中に魔物を入れられた。耳をつんざく悲鳴が聞こえ、気がついたら俺はその場に飛び出していた。
「ジュード!帰ろう!」
受け止めきれない魔力がジュードの肌を、肉を内側から引き裂き、形を変えようとしていた。黒く変形していく体からは真っ赤な血が吹き出している。
「おい!逃げろ!失敗だ!そいつは魔物憑きになった。殺さねばならん。」
ジュードの目が魔物特有の燃える火のような赤い輝きを放つ。何でジュードがこんな目に遭わないといけないんだ?こいつは俺の
「そんなのダメだ!こいつは…ジュードは俺の弟なんだから!」
「たすけて」
真っ赤に輝くジュードの目が涙で潤んでいる。
「ジュード…お前その姿…いや、どんなでもお前は俺の弟だから助けるよ。一緒におうち帰ってご飯食べよう。」
ジュードの肩に触れた時、兵士の一人が俺を抱え上げた。
「子ども!貴様どこから?いいから離れろ!そいつをこちらに渡せ!」
「くそっやめろ!離せ!」
抗う俺の頭から何かが降り注いだ。
血だ。
見上げると兵士の顔の半分がなく、吹き出した血が雨を降らせていた。兵士の手の力が抜け、俺は頭から地面に落ちた。
「うわっ!隊長殿ぉっ!」
「ひっ…あっ…にっ逃げろ!殺される!殺されるううう!」
兵士達は悲鳴をあげ逃げ惑う。
「うわあああっ!」
振り返ると巨大な黒い影。真っ黒な肌はひび割れ、内側から真っ赤な炎が吹き出していた。その生き物が獣の咆哮を上げると、雷が降り注ぎ兵士達は焼き尽くされた。
今ここにいるのは、俺とその生き物…ジュードだけだった。
「ジュード!」
「あ…あ…に…にいちゃん…」
思い返してもゾッとする。
そんな俺のもの思いを断ち切るように、森の木々がさざめき出し鳥達が群れをなして飛び立っていった。ガサガサと音を立てて小動物が地を走り抜ける。
「ジュード?」
生き物の気配が消え失せた森から現れたのは巨大な黒い影。ジュードだ。真っ黒な肌はひび割れ内側から真っ赤な炎が吹き出している。
どさりと放り投げてきたのは猪だった。
「おー!すげえ!でけえな!」
ジュードは何も言わない。いや、言えない。そのうち苦しそうに身を捩り、その場に蹲った。
「ゔぁ…ああああっ…!あぁ…。」
一頻り唸り声を上げると、ひび割れた肌から吹き出していた炎が吸い込まれるように小さくなり、肌の色も薄くなっていった。いつもながらしんどそうで見てられない。
「う…ん…。」
荒い息をしながら律儀に返事を返すジュードに、俺は馬車から引っ張り出したブランケットをかけた。
「さて!次は俺が働く番だな。ゆっくり休んでな。」
「何作るの?」
「そうだなあ…まずは分厚く切って焼こうぜ。あとは…ポークビーンズにでもするか。明日の朝も食えるからな。」
「おー。」
どうせ魔物は滅多に出ないんだし、急ぐ旅でもない。たっぷり時間を使い、じっくり煮込んだポークビーンズは森中に良い香りを漂わせていた。
「さすが勇者だな。こんな大きな猪をあんな短時間で捕まえるなんて。」
これだけありゃあ塩漬けにして保存食にもできる。
「それ位は役に立たないと…ん!肉美味いね。臭みがない。」
「丁寧に血抜きすればそんなに臭みはないもんだぜ?あとは味付けだな。スパイスは山ほど持ってきたからな。保存にも使えるし。」
ジュードがスンッとした顔になる。
「なんかもう…嫁さんいらなくね?」
こいつ…痛いところを。
その時焚き火がゆらりと揺れ、草が擦れる音がした。何者かの気配。ジュードがすぐに反応する。
「兄ちゃん…。」
ジュードの体が仄かに光出す。動物か?人か?魔物か?
「はあ…はあ…や…はあっげほっげほっ…ゆ…げえー…だっ…はあ…たか…。」
茂みから姿を現したのは歳の頃十四、五歳の少女だった。
「何て?」
息が上がりすぎて何を言っているのかわからない。
「あの…あれ…はぁ…あー…勇者!お前、勇者だろう?」
少女は俺を指さして言った。
「あーまあ…。」
「私は怪しいものじゃない。ウェティシアで魔法科学を研究している者だ。」
「なんで研究者がここに?」
「お前に会いたかったんだ。」




