【短編】臣下に下賜した元婚約者に、今更なんのご用で?
本作は短編です。連載版は下記リンク等から。
「ヴィヴィエンヌ! 貴様の悪事をこの俺が見逃すと思ったか!」
リスヴァロン王国の王太子、もとい私の婚約者であるアドリアン殿下は高らかに宣言した。
諸侯も揃い踏み、各国の外交官が来賓として訪れている、大切な社交界でのことだ。
「殿下? 落ち着いてくださいまし。私の悪事とは、なんのことでしょうか」
「とぼけるな! 貴様は国の宝であるミレイユを虐げ、あまつさえ俺の名を盾に彼女を学院から排除しようとした! すべては嫉妬ゆえか!? この悪女め! こんな女と国を治めるなど考えられん! おまえとの婚約など破棄だ!」
「ええと、婚約の破棄? それと、ミレイユさまは……聖女様のことですよね。確かに揉めはしましたけど、教会に入ってもらって仲裁を……というかあれは彼女が」
とりあえず殿下をなだめようと、なんとか会話を試みようとしたところ、殿下の後ろから金切り声が聞こえた。
「この期に及んでまだ言い訳するの!?」
太陽の聖女ミレイユだ。聖女としての権能は日光を強くするとかそんな感じのもの。
小さな畑の作物の成長を促したりするのにちょっと使える程度だが、それ以外にも、日光が強まる様子というのは抜群に映えるというのが特徴。
つまり、儀式の演出に使える権能だ。
そういうことも含めて、彼女はとかく見てくれが良かった。ちょうど可愛らしい程度に小柄だけれども出るところは出ている体躯、それを活かして体のラインが目立つ薄くて白いドレスに身を包み、絹のような美しく長い金髪がふわりとたなびいている。
顔も小さい。瞬きするたび星が煌めくような瑠璃色の瞳に長いまつ毛。きっとどんな殿方も守ってあげたくなるような、妹系? の可愛らしいお顔。
「この顔の火傷が、何よりの証拠よ!」
でもその顔の左半分がちょっと腫れていた。熱湯(まあ60~70度程度なのだが)がかかったからだ。
彼女曰く、それは茶会で、私が彼女の顔に紅茶をぶちまけたかららしい。
真実は、彼女が殿下を「運命の相手」だとか言い出したのでたしなめようとしたら、その途中でキーキー言って紅茶を持つ私に体当たりしてきた、というところ。それで零れた紅茶で火傷しただのなんだの言いだして揉めたから、彼女が所属する教会に仲裁に入ってもらって、事なきを得たはずなのだ。
「アドリアン殿下! あの女は教会に手先を送り込んで、自分の悪事をもみ消したのよ!」
「ああ可哀想なミレイユ! そうだろうそうだろう。俺は最初からわかっていた! この女は悪女だと!」
だが、その聖女様からすればあの件は終わってなかったらしい。そしてその主張を殿下は信じたと。
教会の治癒師による火傷の診断は
「まあ一カ月もあれば治りますし痕も残らないでしょう。ちょっと腫れるだろうけどね~」
程度のものだったけど。
で、問題はこれからどうするかだ。
殿下は「婚約など破棄だ」とまで言った。
端的に言って、理不尽だが状況は悪い。
殿下は立太子を終えた身で、通そうと思えば強権を使ってなんでもできる。それに反対できるのは国王陛下のみだが、その場合は国王と王太子の衝突という大事になってしまう。
大人の態度で、とりあえずこの場は引き下がり、後で事実を詳らかにする……のは、悪手だと思った。せめてこの場で何か言い返して、殿下に恥をかかせないまま、聖女ミレイユを言い負かすところを見せつけねばならない。そのあとに事実を知らしめるくらいじゃないと、人の噂というものは瞬く間に面白い方へ面白い方へ、都合が悪く広まってしまう。
まずは、教会だろう。司祭が来ていたはずだ。まず私の悪事の証拠であるミレイユの火傷について証言してもらうか、そもそもそんなに大した火傷ではないという診断を今やってもらえれば──
そう思って、群衆の中から知り合いの司祭を見つけだし、呼び出そうとする。
しかしその司祭を見つけた瞬間、私は固まってしまった。
──なに、あの正義感にあふれた目。
あれではとても味方になってくれていると思えない。
じゃあ次はうちの陣営だ。私の実家であるドルナク公爵家は敵は多いが味方も多い。まずは年配の伯爵くらいがちょうどいい、とりあえず四、五人ほど仲裁に入らせて、いったん何か、大人の目線で話をまとめさせれば──
それも、駄目だった。
他も駄目。親戚の侯爵家、今まで守ってくれた公爵家、あとは親交のある辺境伯に、それから貿易をしている国の外交官。
なんと全員、私に対する反応がないどころか、ミレイユへ熱い視線を送っている者すらいる。
──噓でしょ? うちの陣営って、こんな馬鹿の集まりだっけ?
私は心底驚いて、殿下と聖女ミレイユの方を見つめた。殿下の方にはミレイユへの盲目な恋慕以外なにもなかった。
だが一方で、聖女ミレイユの瞳の中には、一瞬、無邪気な敵意に満ちた煌めきを見た。
「驚きましたわ、殿下」
私はそれで、悟ってしまった。
「これだけの有力者がいて、今のわたくしには味方が一人もいない」
聖女ミレイユはいったい何をしたのか。体を売るようなことをしたのか、あるいは聖女の権能に何かあるのか。
少なくとも彼女は、私の味方及び反対勢力を的確に見極めて手を打ってきた。
認めざるを得ない。殿下の愚かさや女癖の悪さなど問題じゃない。そんなことは私も最初からわかっていた。それを踏まえた上で、私は国母となるべく盤面を整え続けていた。
それでも、負けた。
この私が、負けたのだ。
「おい」
殿下は勝ち誇った顔で、顎を少し上に向けながら言った。
「ヴィヴィエンヌ。罪を認めるんだな?」
「いいえ、決して。ドルナク公爵の娘ヴィヴィエンヌとして、その聖女ミレイユこそが真の悪女であると、ここに宣言いたします。これは、彼女の悪性を見抜けなかった臣下どもへの誹りでもあります」
「なんと無礼で往生際の悪い! 顔どころか心意気まで醜いか!」
顔どころか、って。
生まれついての悪人顔の自覚はあるけど、さすがに私も傷つくわ。
「しかしながら、今この場の策謀において私が彼女に上回られたこともまた事実。この時点で国母として相応しくないというご指摘だけは、免れようもありません」
精一杯の貴婦人の礼で応える。それは私の敗北宣言だったし、聖女ミレイユも、アドリアン殿下もそう受け取って、二人はとびきりの歪んだ笑みを見せた。
それから殿下は、何か思いついた様子を見せたあと、下卑た笑みを浮かべ、会場の端の方へ声を張り上げた。
「ランキエール侯爵!」
そう呼ばれてこちらを向いたのは、人の常識を超えたような大男だった。その大男は手に持っていた大皿──何人分を食べたのだろう。少なくとも二十人分を貪っていたように見える──を置いて、鈍い足音を立てながら殿下の方に歩いていく。
毛むくじゃらの大髭に、垂れ下がった瞼、その奥の鋭い眼光。ずんぐりむっくりで動きは緩慢。だけど、一度動き出したら止められないほどの暴力の匂いがする。まさに怪物だ。
ランキエール。
リスヴァロン王国では、ある意味で有名な領地の名。蛮族どもが巣食う、東方の最前線の辺境。その地を古来より守る一族は、敵に対抗するためかのように粗暴で醜い風貌で、社交界でもめったに呼ばれることはなく、当主以外はそもそも表に顔すら出さないことで有名だ。
ランキエール侯爵は、地鳴りのような低い声で応えた。
「はい殿下。ランキエールでございます」
「おまえの息子……トリスタンといったな? 確かまだ、独身だったはずだ」
そのやり取りを聞いて、周囲は唾を呑んだ。
殿下が何をしようとしているのか、貴族社会に身を置いていて、わからぬ者はいない。
それは、貴族の誇りを最も強く傷つける、古来の慣習。今に至ってはごくまれに、もはや刑罰の意味合いとしてのみ行われることだった。
「このヴィヴィエンヌをやる。俺の趣味ではない、醜い女だが、おまえたちからすれば絶世の美女だろう。せいぜい“良い妻”として扱ってやることだな」
絶対権力者による、女の“下賜”だ。
ドルナク公爵家への最大の断罪であり、私という個人への最上級の侮辱。
ランキエール侯爵も、私も、そして諸侯も、謹んでその申し出を受け入れるしかなかった。
***
──わたくしは一度負けた身。誰の子でも、何人でも産んでみせましょう。
ランキエールに到着した当初、私は侯爵とその息子トリスタンに、そのように啖呵を切った。
もう岩山かと思うくらい大男たちが並ぶ中、単身で乗り込んだも同然で、わざとそういう言い回しにした。かつて王妃となるはずだった女の、精一杯の強がりであると同時に、これが政争に身を投じて負けた人間の約束だろうという矜持からくるものだった。
で、一年後の今。
「一人で持つなと言ったでしょう! 二人で危うい一往復ではなく二人で素早く二往復!」
「「「「「ウィ! マダム!!!!!」」」」」
私は炭鉱で、執事の大男の肩に立ちながら、部下に叱咤激励を飛ばしている。
今や夫となったトリスタンが、下からそれを見上げて呟いた。
「殿下もとんでもない女傑を寄越してくれたもんだねぇ」
トリスタン=ランキエールは、社交界に一切顔を出さないことで有名だった。
噂は膨らむ一方で、ランキエールの男らしく化け物みたいに育った結果、とんでもないデブになったとか、信じられないほどのブ男だとか、四つん這いで歩くらしいとか、そんな話がまことしやかに囁かれていたのだ。
しかし、実際の彼は違った。悟られないようにはしたが、実は初対面で私もかなり驚いていたりする。
化け物みたいな体躯を想像されていた彼だったけど、ランキエール基準ではかなり小柄で細身(それでも王都基準では長身で筋骨隆々)だった。服装に興味がないのか襤褸切れのような布を纏っているだけで、髪は伸ばし放題の朱色の長髪。奇跡的に筋肉と顔の均整が取れていて、整えさせてみればなんなら美男子ですらあった。これなら社交界に連れていって、とりあえず容姿で折衝の先手を取ることができる。
未来の当主としての資質も文句なし。
幼いころからランキエールではチビと馬鹿にされていたからか、とんでもなく気が強く、頭と体を上手く使う習慣があり、目的のためなら柔軟になれる。社交界に出ていなかったのは、単に若かったのと、領地の平定に駆り出されていたかららしい。
そんなトリスタンからしても私は、奇しくもアドリアン殿下の言う通り──殿下の物言いは単なる侮辱だったけれど──、どうも、完璧な妻の資質を備えていたようだ。
ランキエールの組織は文化的にすべて上意下達。上に立つ者には責任と統率力が問われる。私が領主一家の嫁としてポンと入り込んだときには、そりゃもう下からの圧力が半端じゃなかった。
しかし、ちょっと手回しなどを見せてやり、作業時間を短縮させ、ちょちょいと気を利かせて魔獣の住処や鉱石の在処を予言してみせれば、男たちは驚くほど素直になって言うことを聞き始める。
すべては実力である。現場に向かうことが下賤などと罵られることもなく、むしろありがたい主様だと賞賛されさえする。
一人で王都の男十人分の怪力を持つランキエールの男たち。全員がよく訓練されていて言うことを聞く。そこに私が頭として立ち、妃教育+αで無駄に培った知識で運用すれば、もう鉄鋼だろうが農地の開墾だろうがガンガン進んでいったのだ。
なんて、都合が良くて楽なのかしら。
「絶好調ね! トリスタン、知ってる? 東国ではこれを“左団扇”と言うそうよ。おーほっほっほっほ!」
「……普通はそんなに上手く行かないもんだけどね」
トリスタンは半分呆れたように返した。
「うちの大男たちにここまで臆さないのは、ランキエールの女でもそういないよ」
「……そう?」
私は執事の肩からぴょん、と飛び降りた。
それでトリスタンの横に並んで、私よりまるまる一尺ほど高い位置にある、その顔を見上げる。
「どうせ殿方には膂力で敵わないのだから、必要以上に怖がってもキリがないでしょう?」
「それを言ってのけて、本当に実行してしまえるのが、さすが我が妻といったところだね」
後ろから一人、小間使いの大男が走ってきて、私たちに大きな鉄の傘を差した。炭坑内で落石から身を守るためのものだ。
「さあ次は農場に向かいましょう! 水車が完成しているはずよ!」
私が出口に向かおうとすると、鉄の傘を差す反対の手から、一枚の便箋が手渡された。
「奥様。王都から」
「……また?」
見ると、王宮の紋章が刻まれている。
これは両陛下からの手紙だった。
私が殿下の命によって“下賜”されてから、王都では王太子派の諸侯と、古来からの主従関係を重視する国王派に緊張関係が生まれている。両陛下は表立って殿下の非難こそしていないものの、王権によって理不尽な憂き目に遭った公爵の娘かつ、国境の侯爵の妻である私に、ある程度誠意ある親交を持っておかねばならないと判断しているようだ。
……ということだけに留めるにしては、王宮からの近況報告はかなり仔細だ。
つまり、未だに両陛下は私を妃として推している節があった。私はすでにトリスタンの妻だが、遠く離れた辺境の婚姻関係はギリギリ「報告の間違いでした」で済ませて、初婚ということで王太子妃に据えることは不可能ではない。未だに婚約者の下賜という蛮行が通る以上、この王国ではその逆も起こりかねない。
冗談じゃないが。
まあ経緯は簡単だ。王太子妃に就こうとしている聖女ミレイユが、妃としてまるで使い物にならなかった。
曰く、彼女が想像していた妃というものは、整えられた儀式場に出向いて、太陽の聖女の権能で日光を注いでしまえば、それだけで民たちは涙を流して讃えてくれる……くらいのものだったそうだ。
しかも彼女は教会勢力の上層部を篭絡しているらしく、誰も彼女を窘める者がいないという。
そんなんだからミレイユは礼儀作法も外国語も覚えないし、必要な面会もすっぽかすし、目立ちたくなるたびに〇〇にいじめられた、だの虚言を吐く。それでいてアドリアン殿下に別荘だの至れり尽くせりの外遊などをねだる。未だにミレイユに魅了されている殿下はそれでほいほい金を出してしまうから、一年ですでに王宮が建つほどの金塊が国庫から消えたらしい。
以上でも十分ひどいが、悪いことに、その傲慢さが外交にも波及した。長年の付き合いがある友好国、それもお情けでリスヴァロン王国を優遇していてくれた大使に失礼を働き、穀物の輸入が大幅減少したそうだ。今の王国は小麦の高騰の憂き目にあっており、その小さくない原因に彼女がいるのだとか。
婚約者である私を“下賜”したことも、王太子派以外の諸侯の支持を失う原因になっているらしい。私の実家であるドルナク公ですら無下に扱われるということは、貴族たちの危機感を強く煽った。これは元来ドルナク公に反対していた勢力にとっても同じことだった。
そういう、いつもの報告を流し読みでぺらぺらめくっていくと、今回は新規の、非常に面白いことが書いてあった。
私はそれを読んで思わず笑いだした。
「くくっ……」
「どうしたの、ヴィヴィエンヌ」
「聖女ミレイユの支持率が急落している、という話は知ってるでしょう?」
「ああ。さすがに王国民も気づき始めたということだろうが」
「それがね」
あー、面白い。
「汚名返上のために、太陽の聖女の権能で、小麦の収量を二倍にするそうよ」
なんと、王太子主導でその二倍にした収量で来冬の貯蔵計画を練るそうだ。
「そんなこと、可能なのか?」
「まさか。ちょっと日光をキラキラさせるくらいの権能だもの」
「……それで、両陛下は君にはなんと?」
「遣いをやるから、一度、王都に戻ってきてみないかって。そのあと何を頼まれるかは……書かれてないわね」
私は手紙を雑に四つ折りにして、小間使いに返した。
「『リスヴァロン王国の民として、陛下と殿下の仲を裂くような真似は致しかねます』と返しておきなさい」
「はっ!」
さてさて、来年はどうなることだろうか。
***
翌年、大陸で干ばつが起きた。それに伴い、リスヴァロン王国では急激な食糧不足の危機に陥った。
偶然……ではあるけれど、その対策や、予兆を察せていたかについては、そんな言い訳は通らない。
そもそも、昨年に聖女ミレイユのせいで穀物の輸入が減少してしまったのは、直接の原因は彼女ではあるものの、友好国の側がそれを望んでいたからだ。
つまり、彼らは友好国という面子を保ったまま、食料を備蓄しておきたかった。
そういう予兆は随所にあって、通常の国や領地であるならば、一応は備えておくくらいはするものだ。もちろん私が去年までに生産品の増産を試みたのは、この事態を見越してのものだ。
だが、アドリアン殿下と聖女ミレイユの施策は反対だった。彼らは大々的に「聖女の権能で小麦の収量を倍増する」と宣言した挙句に、他の方面でできる食糧危機への対策を怠ったのだ。
無論、その施策は大失敗。小さな範囲で日光を数十分強める程度で収量なんて増えないし、ましてや干ばつのときに日照量を増やしたってなんの意味もない。
平時ならせいぜい「聖女様の光って、あんまり効果なかったな」程度の非難で済むだろう。
けれど飢餓の中、貧して鈍した民衆にはそうは映らなかった。
──今回の干ばつは、太陽の聖女の権能のせいで起こった。
そういう話が広まるまで、いくばくもかからなかった。
王都の方では、反王太子派の半ば反乱のようなものが起きている事態となっている。
それに伴って国王両陛下の立場も危うい。騎士団と王国兵は出ずっぱりで、兵站が足るわけもない。
事態の悪化と共に、諸侯には王宮から支援の要請が送られた。
無論、強大な兵力と、食料と交換し得る鉱物資源を持つランキエールの屋敷には、それ相応の、いや、それ以上の遣いがやってくることになった。
「……久しぶりだな、ヴィヴィエンヌ」
魔獣対策に極限まで分厚く設けた石垣の、隙間に差し込まれた門。
その向こうに、久々に見る顔がある。
「お久しゅうございます。殿下」
アドリアン殿下が直々に、王都への支援要請にやってきたのだ。
殿下が連れている親衛隊は最低限の、十名ほどのみ。王都にはよほど物資が足りていないと見える。
隣にトリスタンを伴い、私は五十名の筋骨隆々の大男たちを後ろに連れ、自ら門の鍵を開けに行くことにした。
「して、こんな辺境の地に何の用でございましょう? それも──」
一歩歩むたび、門の向こうの殿下と親衛隊はもう面白いくらい震えている。
鍵を開けると、二人の部下に門の格子を掴ませて、ゆっくりと開けさせる。
「──臣下に下賜した、この悪女に」
開きゆく門の中央で、私は久々に貴婦人の礼をして、殿下を出迎えた。
「そ、それはだな、ヴィヴィエンヌ」
殿下は必死に、まるでまだ私に対して優位を取れるかのような態度で口火を切った。
「ええ」
「王都の惨状は、聞いているか」
「もちろんですわ」
「食料と、兵が足りないのだ。もはや内乱が起きる寸前だ。去年に食料を蓄えることに成功した隣国からは、侵攻される恐れもある」
「存じております」
「ランキエールは去年と一昨年に収量が上がり、財をため込んだと聞いた。兵力は、無論のことだ」
「ええ。我らも領民のため、必死に働いた次第でして」
「だから、王都の惨状をだな……」
「大変ですねぇ。干ばつの被害はランキエールにも及んでございます。我々だって、他所に分ける物資なんて、とてもとても」
「だから──」
私は殿下の言葉を引き取った。
「だからなんですの、殿下?」
それで、殿下は観念して膝を折って突き、屋敷の庭の石畳に額を擦り付けた。
「すまなかった!」
「……あらあら」
「ミレイユとはもう縁を切った! 今は牢獄に捕らえてある! 教会の者も、あのときミレイユを糾弾しなかった者も、全員、然るべき手続きを踏んだ後、罪を償わせるつもりだ!」
思ったより徹底してあの聖女を罰したと知って、ちょっと意外だった。
まあおそらく、この場では私に対しての謝罪ということにしてるけど、実際は民衆の反聖女ムードに応えてのものかな。
「君には謝らねばならない! 君は悪女などではなかった! もう今となっては、謝罪することしかできん!」
でもあの殿下が、次代の王が、プライドを折って頭を下げている。
もう涙すら流している。悔しくて仕方がないのだろう。でも他に頼れる諸侯もいないだろうし、ランキエールに援助を頼むなら、あの“下賜”について殿下が謝罪しないと話が始まらない。
きっと国王陛下に窘められたんだろう。それを受け入れねばならないほど状況はひっ迫していたし、聖女ミレイユを切れる程度には正気に戻ったのだ。
「本当に! すまなかった!!!」
でも正直、必死過ぎてちょっと引くくらいだ。
笑ってやろうかと思ったが、嘲笑おうにも乾いた笑いしか出ない気がする。
「だから、兵を貸してくれ! できれば物資も! そうだ! その見返りとして──」
……おや?
殿下はその続きを言うことに、少し躊躇した。
私は言葉を待った。この続きが想像通りなら、もうこれほどに滑稽な物言いはないからだ。
「──君を、妃に召し上げてやってもいい!!!」
殿下がそう言った途端、私の斜め後ろで事態を静観していたトリスタンが、地面を蹴って飛び出た。
そして殿下の頭を、思い切り蹴り飛ばした。
親衛隊がトリスタンを押さえようと前に出てくる。それを、ランキエールの大男たちが悠々と引っ掴んで、石垣の外にぶん投げる。
「貴様! 我が妻にどれほどの無礼を働いているか、わかっているのか!?」
トリスタンは顔を真っ赤にして怒鳴り、蹴り飛ばした殿下の胸倉を思い切り掴みながら、振り回して石畳に何度もぶつける。
「あがっ! あがっ! がっ! たすっ、けて!」
「貴様に人に助けを乞う資格などっ! ないっ!」
「ひいいいいいいい!!!!!」
アドリアン殿下も別に小さい方ではないのに、もう悠々と、犬がぬいぐるみを振り回すみたいに地面にぶつけている。
そう、トリスタンはランキエールの民にしては体が小さいだけで、膂力は随一だ。さもなくばこの一族の後継ぎなんて務まらない。
私の夫は殿下の首根っこを掴み、私に正面から相対させた。
顔中血まみれ。歯が折れ、鼻は潰れ、唇は切れ、呼吸すら苦しそう。
「もう一度、我が妻、ヴィヴィエンヌに謝れ」
「あがっ……がっ、ごべんなっ、さいっ」
それをまた、顔の正面から思い切り、屋敷の庭の石畳にぶつける。
「あ゛っ!!!!!」
「その上で、兵など貸さん。悔しかったら王国兵を使ってランキエールを従えてみろ」
「そこまでよ、トリスタン」
これ以上は殺してしまいそうだったから、私はトリスタンを制した。そして殿下の前にしゃがんで、力なく倒れる彼の髪の毛を引っ掴んで、持ち上げる。また殿下の血まみれの情けない顔がこちらに向く。
重いけど、これくらいなら私の力でもちょっとはもちそう。
「ねえ殿下。わたくし、あなたに誤解されて、とっても悲しかったの」
そしてぐっと、ともすれば接吻するくらい顔を近づけて、言ってやる。
「でも今となっては、感謝しているくらいですのよ?」
***
半壊して王家の紋章部分すら割れてしまった馬車が、すごすごと帰路につく。
それを屋敷の窓から、愛する夫と共に、葡萄酒を飲みながら見つめている。
「あれでよかったのか?」
トリスタンは素朴に尋ねてきた。
「ええ。完璧よ。殿下も立場というものを理解したでしょう。次の要請はもっと“弁えた”ものになるわ」
「君にしては優しいような気もするがな」
「そう? 王太子に暴行を働いたのに?」
「あんなの手ぬるいくらいだ。俺はてっきり、君は国盗りでもするつもりなのかと思っていたんだよ。殿下を捕縛して王都に行き、血祭りに上げるだとか」
「くくっ……」
あまりにも挑戦的で物騒なことを平然と言うので、私は葡萄酒を吹き出しそうになってしまった。
「まさか。そんなことは考えちゃいないわ」
「そうか、さすがにか」
「だって時期尚早だもの。この干ばつは続いて二年でしょうし、ランキエールの体制もまだまだ。今無理やり獲ったって長続きしないわ」
そう宣ってやると、トリスタンは目を丸くする。
「やっぱりちゃんとした、絶対に裏切らない血縁の将軍が欲しいわねぇ。男子四人を考えるなら今から八人産むとして、二十五年……いや、三十年は見た方がいいでしょう。あらまぁわたくし、おばあちゃんになっちゃう」
「……八人か。それはそれは、気の遠くなる話だな」
「だってわたくし、最初に言ったでしょう? 何人でも産んでやるって」
私の愛する夫は、心底楽しそうにほほ笑んだ。
「君は本当に、恐ろしい妻だよ」
「あなたはその夫でしょうに」
ここまでお読みくださり、ありがとうございました。
ブクマ、感想、評価などいただけると大変嬉しいです。
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