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追放剣士とピンクの毛玉  作者: みなべゆうり
13.オルンジェックの逸脱者

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13-4

『アイシェ』


 暖かな光が降り注ぐ、クローバーの丘。

 煌めく湖の水面が、鮮やかな緑の木々が、風にそよぐ。

 何も聞こえない美しい景色の中、父が困ったような笑みで振り返った。


『内緒にしておいてくれ。……私と、アイシェだけの秘密だ』


 全てが終わる、その日まで。



 ◇



 鮮明な記憶が強風に浚われ、意識が揺り戻される。

 刃はもう、彼の首を捉える寸前だった。


「フィルゼさまッ!!」


 毛玉があらん限りの大声を上げた瞬間、閃光を纏う一陣の風が駆け抜けた。

 併せて砦全体が大きく鳴動したなら、それに応じるが如く狼の遠吠えが空高く響き渡る。

 刹那、晴天から突き立てられた白い稲光が、毛玉を閉じ込めていた鳥籠を粉々に破壊し──まばたきを挟む頃には、巨大な獣がケレムの首を捉えていた。


「っ!」


 床に勢いよく倒された彼は、目の前に現れた四つ足の巨獣を見上げ、乾いた笑いをこぼす。


「はっ……これはこれは」


 だが、肺を強く圧迫する前脚の重さに、彼の笑声はまもなく苦しげな咳へと変わった。

 その後方、一瞬の出来事に尻餅をついていたエルハンが我に帰るも、すぐさまケレムを助けに入れるような状況でもなく。


「……し、白き、狼」


 エルハンの怯え切った声をよそに、その獣──神話に語られた獣神と同じ姿をした白い狼は、今にもケレムの喉笛を噛み千切るのではないかと思うほど、険しい様相で犬歯を剥き出しにしていた。

 風吹き砦の屋上の、約半分を占めてしまうほどの巨躯。毛並みの長い尾はゆらゆらと揺れるたび、微かな風を生み出して。


「帝室に」


 未だ急所を抑えられたまま、ケレムが小さな声で呟く。


「神の血が流れているというのは、真実だったみたいだな」


 彼が視線を遣った先には、粉々に砕けた鳥籠がある。そこに入っていたはずの小さな毛玉は、どこにも見当たらない。

 ゆっくりと顔の向きを戻してみれば、淡いブルーとピンクが入り混じる、不思議な双眸が彼を睨め付けていた。


「俺を殺すか? 獣神に愛された姫よ」


 浅い呼吸を繰り返し、問い掛ける。


「『対話』は無意味だと、分かっただろう。結局最後に物を言うのは、力と富だ。そんな大層な姿を隠し持っていたんだ……貴女がそれを示してくれ」


 ケレムの口角は自然と上がっていた。瞳に宿るは、隠し切れない高揚と期待。鋭い爪が胸や首に食い込むのにも構わず、彼は更に言葉を続けた。



「さぁ堕ちろ、俺と同じところまで。──ルスラン(・・・・)



 ぴく、と白い狼の耳が動く。

 淡い瞳が微かに細められたかと思えば、狼はおもむろにケレムの胸ぐらを噛み、彼を勢いよく胸壁に投げ付けた。


「ぐっ……」

「〈豺狼〉様!」


 エルハンが真っ青な顔で駆け寄る姿を後目に、狼は足元に倒れているフィルゼに視線を移す。

 銀髪に鼻先を埋め、すんすんと悲しげな音を発しては、前脚で遠慮がちに彼の背中を叩く。両腕を縛る縄に爪を押し当て、何度かざりざりと擦れば拘束が緩んだ。

 すると、それまで何の変化もなかった彼の寝顔が歪み、やがて小さくうめき声を漏らす。


「ん……」

「!」


 不安げに揺れていた尻尾が縦に持ち上がり、ぶんぶんと激しく振られる。しかし自分の大きさは自覚しているのか、狼が前脚を浮かせては戻しを繰り返していると、ようやくフィルゼが頭を押さえつつ起き上がった。


「……? 何だお前……」


 フィルゼは意識が覚醒するにつれて唖然となり、最終的にぽかんと口を開けたまま、狼の全貌を上から下まで眺めることになった。

 その間も狼の頭がずいずいと擦り寄ってくるので、彼は何とかそれを両手で受け止めつつ、困惑と共に顔を覗き込む。

 そうしてぱちりと目が合った瞬間、フィルゼはハッと息を呑んだ。


「……毛玉? うぶっ」


 にわかには信じがたい気分で確かめたものの、途端に始まった怒涛のスリスリからして、この狼が毛玉であることはまず間違いなかった。

 しかし何故こんな──獣神そのもののような姿になっているのかと、フィルゼは動揺を露わに彼女の白い毛並みを撫でつける。


「何があったんだ? 俺がいない間に……待て、話せるか?」


 毛玉はそこで一旦スリスリを止めたが、言葉を発する様子はない。しょんぼりと尻尾を下げると、再びフィルゼの肩に鼻先を埋めてしまった。


「はぁ……獣になっても理性が残ってるのか? 何とも興醒めな話だな」


 すると、彼らの後方からうんざりとした声が上がる。見れば、そこではケレムがエルハンの手を借りて立ち上がるところだった。

 フィルゼは反射的に周囲へ視線を巡らせ、目に付いた白い宝剣を掴む。そのまま中腰の姿勢へ移った彼は、毛玉を後ろに庇う形で応戦の構えを取ったが。


「ぐる……」

「! 毛玉?」


 控えめに襟首を噛まれ、フィルゼは弾かれたように振り返った。

 毛玉は相変わらずぎこちない動きで前脚を振り、彼の背中や腕をやんわりと掻いては、何かを伝えようとしていた。そのもどかしげな仕草を見て、フィルゼは真っ白な毛並みに覆われた前脚にそっと触れる。


「……殺すなって言いたいのか?」


 毛玉が耳を伏せ、宝剣の柄を鼻先で探る。フィルゼは彼女の仕草を暫し眺めた後、ゆっくりと右手を下ろした。


「分かった」

「──おいおい正気か、フィルゼ殿。忌々しい重罪人をブチ殺せる絶好の機会だぞ」


 どこか落ち込んだ様子の毛玉を静かに撫で付けながら、フィルゼはちらりとケレムを見遣る。そして事務官に体を支えられた彼の青褪めた顔と、左側に傾いた肩を一瞥しては素っ気なく告げた。


「まともに動けないようだからな。わざわざ俺が改めて斬る必要もない。……ただ、勘違いするなよ」


 階下から、にわかに騒々しい音が聞こえてくる。だが剣戟の音は殆ど無く、その大半が悲鳴と怒号だ。恐らくは風吹き砦に常駐している狼月兵が、侵入者に怯えて逃げ惑う声だろう。

 状況を既に把握しているであろうケレムが舌を打つ傍ら、砦内での異変を察したエルハンも額を覆って天を仰いだ。


「あんたを逃がすわけじゃない。今までの罪は必ず償わせるぞ、ケレム・バヤット」



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