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追放剣士とピンクの毛玉  作者: みなべゆうり
13.オルンジェックの逸脱者

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13-2

『よき人におなりなさい』


 公爵夫人は後継ぎの男児を産み落とすや否や、息子へたった一言の手紙を残してその命を絶った。

 巷にはさまざまな噂が飛び交った。夫人には政略結婚が決まる前、将来を誓い合った男が別にいたとか。公爵家の親類から圧力を掛けられ、妊娠中に精神を病んでしまったとか。どれも真偽は定かではないが、彼女が毒を呷って死んだことだけは変えようのない事実だった。


『ケレム様、これからは私が貴方の母となりますからね』


 ただでさえ多忙な公爵が、妻の葬儀や義実家への対応に追われる中、赤子の世話は長く仕えてきた侍女に一任された。


『奥様はどうして、これほど可愛らしい御方を残して行ってしまわれたのでしょう……』

『どうか私のことは名前でお呼びくださいね』

『ちょうどケレム様と歳の近い娘がいますのよ。仲良くしてやってください』


 侍女は自身が宣言したように、それからまるでケレムの母のように振る舞った。ケレムの食事、衣服、勉強、遊ぶ相手に至るまで、全て彼女が手配した。

 時折、それは行き過ぎた干渉なのではないかと誰かが苦言を呈せば、彼女はケレムの哀れな生い立ちをヒステリックに語り聞かせ、自らの行いを正当化した。


『ケレム様は将来、私と結婚してくれるのよ!』


 そしてそんな母親の態度を見た娘が、日に日に増長していったのは当然である。

 侍女の娘は使用人の子供たちに「私が将来の公爵夫人になる」「お母さんも公爵様と結婚するんだ」と自慢気に語った。

 ケレムは段々と度を越してゆく母娘の姿を、ただ黙って見ていた。




『ああケレム、』


 ある日、久々に屋敷へ帰った公爵は、廊下で鉢合わせた息子の顔を見て言葉に詰まった。

 何を話すべきか分からないのだろう。ケレムも父親と交わす会話がどんなものか知らなかったので、適当な笑みを浮かべておいた。


『お帰りなさい、父上。……お仕事ですか?』


 目に付いた出仕用の服を指して問えば、公爵はハッとした表情で頷く。


『……すまない、少々立て込んでいてな。誕生日は何が何でも休暇を取るから、一緒に過ごそう』


 ケレムはその言葉に少しの間を置きつつ頷いた。


『そうだ。今度また、皇子殿下とお会いする機会があるだろう。侍女に準備を頼んでおく』


 皇子──ルスラン皇子か、と彼は何の感慨もなく思った。

 帝室の忠臣として名を馳せるオルンジェック公爵家。その一人息子であるケレムは、何かにつけてルスラン皇子と結び付けられた。

 大方、次期宰相として既に引き継ぎも始まっている父のように、皆ケレムも同じ道を歩むものと考えているのだろうが……。



 ◇



『ケレムは、僕と話すの嫌い?』


 磨き抜かれた大理石の床。そこに描かれた幾何学模様を足で伝い歩きながら、幼い皇子が尋ねる。

 柱廊の影に突っ立っていたケレムは、皇子が小さく跳ねるたびに揺れる青いカフタンの裾を目で追った。


『嫌いではないですよ』

『そっか。いつも離れたところに立ってるから、嫌なのかなって』


 照り付ける日差しを背に、皇子──ルスランが振り返る。

 自分と同じ黒髪。似通った体型。この外見も二人一組で見られる所以なのだろう。中身は何もかも違うというのに。


『カドリに言われたんだ。僕は一人でずーっと考え込む癖があるから、なるべく人と会話したほうが良いって』

『会話しないと、何か困ることがあるのですか』

『偏るんだって。嫌なことばっかり考えたり、変な方向に思い込んじゃったり』


 ルスランが自然な足取りで隣へ立ち、水盤が置かれた正方形の中庭を眺める。皇帝の寝所の間近にある中庭は、ごくシンプルでありながらも美しさが際立つ。すぐ側の列柱にも、狼月の神話をモチーフにした彫刻が細やかに刻まれていた。

 ここは静かだ。屋敷を牛耳る母娘もいなければ、父の顔見知りが挨拶にやって来ることもない。心はひどく凪いでいた。


『だからケレムとも話したいな。嫌じゃなければ』

『……そうですか。分かりました』


 ルスランはくしゃりと無邪気に笑った。人間の、純粋な喜びの発露を間近に見たのは、それが初めてだった。



 ◇



『ケ、ケレム様……!』


 その夜、亡き母の部屋に入っていく侍女に声を掛けた。

 侍女は真っ青な顔で狼狽えていたが、彼女が母の部屋に侵入したのはこれが初めてではないし、ケレムも承知の上で放置していた。

 だがルスランが言ったのだ。「対話」は大事なことだと。ゆえにそろそろ傍観するのは止めにしようと思っただけのこと。


『何をしていた?』


 低頭平身の姿勢に入ろうとした侍女の前に立ち、その手を勢いよく靴裏で踏み付ける。そうすることで、彼女が懐に隠そうとした豪奢な首飾りを床へ落とさせた。

 侍女の顔からサッと血の気が引くのを見ながら、ケレムはゆっくりと膝をつき、首飾りを指で掬って見せる。翠玉(エメラルド)が鮮やかに煌めき、彼女の青ざめた頬を仄かに照らした。


『ケレム様、どうか、どうか公爵様には内密にしていただけませんか……。死んだ夫の借金があるのです。そ、それを返すために仕方なく……魔が差してしまったのです!』

『父上に言えば良かったのに』

『へ……?』

『貴女は公爵家に長く仕えていたのだろう? とても大切にしてもらっていると、日頃からそう言っていたじゃないか』


 たかが侍女の借金ぐらい、公爵たる父なら肩代わりしただろうに──ケレムの言わんとしていることを察してか、侍女はガタガタと震えて黙り込んだ。

 その焦りようは哀れではあったものの、彼女がまだ言い逃れできる余地があると考えているのは明白だった。

 何せ陰湿なやり口で母を自殺に追い込み(・・・・・・・・・)、身の程もわきまえず公爵夫人の座に収まろうとしたぐらいなのだから、そう簡単に諦めはしないだろう。ケレムはうっすらと、その歳に見合わぬ酷薄な笑みを浮かべた。


『ここを追い出されたくないなら罪を償わないと』

『つ、償います、ケレム様にお許しいただくまで何度でも……!』

『そう。じゃあ娘と一緒にカラルクへ行って、アドルミデラという花を買っておいで。失敗したら、このことを父上にバラしてしまうからね』


 ケレムはそれだけ告げると、翠玉の首飾りを床に放り投げた。状況を飲み込めない侍女は、首飾りと少年を交互に見詰めた後、恐る恐るその賤しい手を伸ばしたのだった。




 後日、アドルミデラの花を購入した母娘は、その場で狼月軍に拘束された。

 アドルミデラ──それはタシェ王国の言葉でケシを意味する花で、狼月では売買を禁じられた大麻だった。

 オルンジェック公爵の手腕により、辺境の村カラルクでアドルミデラの取引が為されていることを掴んでいた帝室は、その検挙のために軍を向かわせていたのである。

 混乱した母娘はしかし、公爵家での度重なる盗みが発覚することを恐れ、ただひたすら己の潔白のみを叫び続けたが、当時の狼月軍はそれが通用する相手ではなかった。


『……彼女が、大麻を? まさか……』


 唖然とする公爵に向かって、ケレムは素知らぬ顔で告げた。


『以前からウチで盗みを働いていたようです。薬物を買うためだったのでしょうね』


 

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