13-1
鳥籠の揺れが止まる。
鍵束を背凭れにして座っていた毛玉は、突然立ち止まったケレムをおもむろに見上げた。
彼に運ばれてやって来たのは、風吹き砦の屋上だった。四辺を囲む凸凹の胸壁には定間隔に射眼が設けられ、そこからびゅうびゅうと風が吹き込んでいる。
もしやこれが風吹き砦の所以──と毛玉が鳥籠の中で風に耐える傍ら、ケレムはゆったりとした歩調で屋上の橋へ向かう。かしゃ、と軽い音を立てて、鳥籠が胸壁の上に置かれた。
「ひゃあ……」
薄々分かっていたのに屋上の外側を覗き込んでしまった毛玉は、その高さに驚いて反対側へ後退る。
「おや、毛玉殿は高い場所が苦手か。それは悪いことをした」
「えーん……どうしてこんなところにわたくしを?」
「少し話をしようと思ってね」
鳥籠を胸壁の内側へとずらすと、ケレムがそのすぐ横に背中を預けた。毛玉は彼の行動を少々意外に思いながら、自身も鍵束の上にぽすっと座り込む。
「さて、毛玉殿は俺のことをどこまでご存知で?」
「え? えっと……」
毛玉は短い足をもぞもぞと動かすと、やがてそれをぶんぶんと勢いよく上下に振った。
「ヤムル城塞都市で酷いことをした人です! それから、何の罪もない動物を檻に入れて虐めています! あと、何だか意地悪な物言いを好む人です」
「ふむ、概ね把握していると」
「いいえ!」
即座に否定した毛玉は、ケレムの怪訝そうな眼差しを受けて付け加える。
「今のはわたくしが知っている事実を挙げただけなので、別に貴方のことを全部知っているわけではありません」
「……ほう? まさか俺がまだ善人である可能性を期待していらっしゃるのか?」
「えっ」
面白がるように問われ、毛玉は暫し考え込んだ。
長い長い沈黙の末、彼女は持ち上げたままだった両足をバタバタと動かして言う。
「今のところ悪人寄りです!」
「理由は?」
「…………お顔が怖いからです……!」
その何とも直感的な答えに、ケレムは目を丸くした後で哄笑を返した。
「なるほど、性格ってのは人相に出るからな。あながち間違いでもない」
ゆるやかに弧を描いた切れ長の瞳が、そこでふと皮肉げに歪む。
「貴女のお父上にも昔、似たようなことを言われた。『君はいつも他人の弱みを探す癖がある』と」
「!」
「分かりやすく言うなら性格が悪いということさ」
毛玉は体を斜めに傾けた。
この男は確か、〈豺狼〉の称号を得る前まで国外にいたのではなかったか。何でも十二歳で勘当されて以降、違法行為に次々と手を染めては狼月各地で物騒な事件を引き起こしていたから、ルスラン帝が長年その足跡を追っていたと。
猫背の商人マフムトは、話の中でケレムのことを極悪犯罪者と呼び、世間での評判も概ねその通りだったが……。
「わたくしのお父様と、面識がおありなのですか?」
「そりゃあ、あるさ。俺はこれでも公爵家の元嫡男、皇子の右腕になんて望まれた時代もあったからな。ガキの頃はよく顔を合わせた」
なるほど、と毛玉は頷いた。あまり想像がつかないが、ケレムも狼月の由緒ある貴族として過ごしていた時期が確かにあったのだろう。
その手法や善悪はさておき、他者を思うがままに操るケレムの力は非常に優れている。もしも彼にそれを正しく扱える倫理観が備わっていたなら、今頃ルスランの臣下として大いに活躍していたのかもしれない。
……だが、現実はそうならなかった。
毛玉はちらりとケレムの横顔を見上げ、彼が眺めている緑豊かな景色へと視線を移した。
人と獣が共存し、その美しさは神をも魅了すると言わしめた肥沃な大地。隣に立つ男がどれだけ非道であっても、やはりこれを愛でる心はあるのだろうか。毛玉は暫し静寂に身を置きつつ、やがて浮かんだ疑問を口にした。
「あなたは、狼月の各地でいろんな事件を起こして軍と揉めていたと伺いましたが……その、わたくしのお父様が嫌いだったのですか?」
「いや? 好き嫌いで言えば寧ろ好きだろうさ。あれほど優れた男を、俺は他に知らない」
恥ずかしげもなく語ったケレムはしかし、毛玉が何かを言うよりも前に「ただ」と言葉を挟む。
「あの賢帝は、根本的に俺と違い過ぎる。だからずっと理解できなかった。彼の高潔な信念も、幸福とやらに満ちた理想も、何もかも──俺は彼が正気とは思えなくてね」
「……。平和を目指すことが、ですか? 確かに狼月にはたくさんの部族があるから、実現は難しいかもしれませんが……」
「いや、そこじゃない」
ブルトゥルでの一件、とりわけギュネ族のことを思い返していた毛玉は、あっさり否定されたことに驚いた。
彼女がきょとんとしていることには気付かぬまま、ケレムは気怠い仕草で片手を払う。
「住みよい国を作りたいなら勝手にやりゃあ良いさ。獣だって子供を育てるために巣を整えるんだからな」
その通りだ。自らの縄張りを守り、綺麗に保つことは獣の本能と言えよう。形や規模は違えど、人間も彼らとやっていることは同じなのだ。
ならば彼は何を指して「正気じゃない」と思ったのかと、毛玉は小さく唸った。
ピンク色の球体が左右に揺れているのを見てか、ケレムは不鮮明な笑みをこぼす。
「毛玉殿。人間は純粋な獣とは違う。人間には感情という、至極厄介で邪魔な代物が付随しているだろう? 生存本能には直結しない、さまざまな欲望のことだ」
人間は赤子を育てる巣だけでは満足しない。外敵を排する強固な壁を欲し、暖かな火を求め、腹を満たした上で更なる美食を貪り、また新たな欲を叶えるべく富を増やすことに腐心する。
傍から見れば醜いの一言。だがそれが正常な人間だとケレムは言った。
「少なくとも俺が見てきた人間はそうだった。自分の欲望を叶えるためなら、誰かを犠牲にしても構わない……そんな奴らに囲まれて生きてきたのさ」
貴女の傍にはいなかっただろうがな。
ケレムはおどけたように肩を竦めると、そこから他人事のように己の過去を語り出した。
オルンジェック公爵家の問題児と呼ばれた、どうしようもない少年の話を。




