12-8
「エルハン、皇女殿下のおなりだ」
「え?」
風吹き砦の一室にて、ケレムの事務官であるエルハンが青褪めた顔で振り返る。
彼は今、同じ文官の格好をした初老の男に胸倉を掴まれ、何やら必死に弁解を重ねている最中のようだった。
「すみませんが私は今、〈豺狼〉様の下した突飛なご命令の尻拭いをしているところなのですが」
「ん? ああ、セリルの補佐官か」
鳥籠が小卓に置かれる。毛玉は鍵束の上に座ったまま、三人の男を見上げた。
ケレム・バヤットとエルハンに関しては初めて見る顔だが、初老の男はつい先程会ったばかりだ。傷付いた動物たちの保護を、嫌な顔一つせずに引き受けてくれた──確かオズトゥルクという名だった。
オズトゥルクは顔色の悪い事務官の胸倉を放すと、軍人然とした堂々たる足取りでケレムに歩み寄る。
「〈豺狼〉様。セリル様を投獄した意図をお伺いしてもよろしいですか」
「彼は以前から皇女と交流があったにもかかわらず、我々に何の報告もしなかった。反逆と呼ぶに相応しい行為じゃないか。──そうだ、ご本人に確認してみよう」
コンコン、と鉄格子が叩かれる。
ちらりと視線を移してみれば、ケレムが笑みを湛えて毛玉を見下ろしていた。
「セリル・スレイマンとはどういうご関係で? 毛玉殿」
「…………? 〈豺狼〉様、そのピンク色の……何ですか?」
「何って皇女殿下だ」
「?」
エルハンは主人と毛玉を交互に見つめた後、何か触れてはいけないものを目撃したかのように黙り込む。
一方、オズトゥルクは鳥籠に入れられた毛玉に気付き、はっと眉を顰めた。
「そちらは……」
「おやおや、君も見覚えがあるのか。なら言い逃れなど──」
「あの!」
毛玉が鍵束の上で飛び跳ねると、エルハンがぎょっとした様子で硬直したが、彼女は構わずケレムの問いに答えた。
「わたくし、セリルと会ったのは今日で二度目です! 初めて会ったのは、わたくしが滝から落ちて川に流されているところを助けていただいたときで、それから今日に至るまで全く会う機会はありませんでしたっ」
「随分と壮絶な話が出てきたが……ということは何か? セリルは貴女の素性を知らなかったと?」
「は、はい。セリルが狼月軍の方々を騙していたなんて、そんなことはしてないはずです……!」
「ふぅん?」
ケレムは面白がるような相槌を寄越すと、鳥籠に手を置いた。鉄格子を指先で挟み、軽く擦りながら彼が呟く。
「では貴女は何も知らないセリルを利用して、フィルゼ殿の牢屋まで来たわけだ」
「!」
「彼は友人がいないからな。貴女の行いを知ればさぞ傷付くだろうよ」
「!!」
気にしていたことを真正面から指摘された毛玉は、しおしおと鍵束の後ろに回って座り込んだ。その何とも哀愁漂う姿にエルハンとオズトゥルクが物言いたげな顔をしたが、ケレムは平然と言葉を続ける。
「まぁしかし、今の話が本当であろうとなかろうと、セリルの処分は免れないさ」
「〈豺狼〉様──」
「オズトゥルク。〈大鷲〉殿の右腕だった君にとって、セリルは素晴らしい剣士だっただろうが……私生児の彼に、華々しい未来なんて最初から約束されてなかっただろう? ん?」
その言葉に毛玉がそっと振り返ると、オズトゥルクは険しい表情で唇を引き結んでいた。
「……だからと言って、皇女殿下とのやり取りが罪になるとも思えませぬ。誠に失礼ながら、このお姿を見て一目で皇女殿下と断定できる者はいないかと」
「そりゃそうだ。俺も実際こうして話すまでは信じていなかったしな」
「は! そういえばどうしてわたくしのことをご存じだったのですかっ?」
「分からないことを何でも教えてもらえるとお思いにならないことだ、毛玉殿」
「えーん……」
フィルゼさまの居場所以外なら答えるって言ってたのに──しかし相手が相手なので、再び毛玉はしくしくと鍵束の後ろに引っ込んだ。
「〈豺狼〉様」
「まだ何か? オズトゥルク」
「……もしや貴方はマーヴィ城の所有権を欲して、このような処分を強行されたのですか。もしそうであるなら──私は断固として貴方を非難いたします」
オズトゥルクの指摘はさほど間違ってはいなかったのか、ケレムは口角を上げて笑う。
「好きなだけしたら良い。セリル・スレイマンを擁護する者は君ぐらいだろうが」
「わたくしも擁護します!」
「……宮廷の中に、という意味だ」
すかさず小声で名乗りを上げる毛玉に、少々調子を崩されたような表情でケレムが付け加えた。
「スレイマン家の当主殿は、〈白狼〉の称号を持つ彼にしか価値を見出していない。クルトの密猟を阻害した時点で、彼が見限られる理由は十分だ。オズトゥルク、君も泥舟に乗り続けるのは止した方がいい」
「……セリル様をそのように評したことはございません」
ひどく気分を害した様子で、オズトゥルクは踵を返す。大股に出口まで向かったところで、ふと彼が言った。
「貴方が本気で狼月を破壊なさるおつもりなら、私も再び剣を取らねばならぬでしょう」
老練の騎士を思わせる鋭い眼差しが、振り向きざまにケレムを射抜く。部屋の空気をピンと張り詰めさせる気迫に、エルハンがその身を更に壁際へと寄せた。
しかし、当のケレムは荒々しく閉ざされた扉を見遣り、おどけたように肩を竦めただけだった。
「〈大鷲〉殿に扱かれた戦士ってのは、どいつもこいつも物騒だな」
「……〈豺狼〉様、オズトゥルク殿を留め置かなくてよろしいのですか? あのご様子ですと本当に首を刎ねられかねませんが」
「放っておけ。アレも所詮は後ろ盾のない男だ。やれることは限られている」
「御意に……。それでその……そちらの、皇女殿下は如何されるおつもりで?」
エルハンが恐る恐る視線を寄越したので、毛玉はいつものクセで片足をひょこっと動かした。彼が何とも言えない顔で会釈を返す傍ら、ケレムは笑い混じりに鳥籠へ肘を預けたのだった。
「毛玉殿は俺がエスコートしよう。ようやくお目通りが叶ったんだし、これを機に親睦を深めないとな?」




