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12-6

「フィルゼさま、セリル……! うう、わたくしが動いたばかりに……」


 経年によって歪んだ石壁の隙間、そこへギリギリのところで逃げ込むことに成功した毛玉は、二人が牢屋に入れられるところをハラハラと見詰めていた。

 不安と焦りで体が縮む中、彼女は逡巡の末に狭い隙間の奥へと進んだ。


「ネズミさんっ、いらっしゃいますか!?」


 小声で何度か呼び掛けると、枝分かれした細い穴からネズミが数匹駆けてきた。咄嗟に転がり込んだ場所だったが、幸いにもネズミの巣穴と繋がっていたようだ。


「えっと、どうしよう、うーん……レベントさまたちに助けを求めたほうが良いよね……?」


 毛玉の自信なさげな呟きに、ネズミたちから同意の声が上がる。彼らとこくこくと頷き合ってから、毛玉は再び悩み始めた。

 フィルゼたちを助けるには、とにもかくにもレベントとエスラの協力が不可欠である。本来の作戦通り、風吹き砦の構造を熟知しているであろう二人に陽動をしてもらえば、毛玉がカドリと合流して牢に向かうことも可能だろう。

 問題はどうやってそれを伝えるか、だ。

 先程、毛玉のことを平然と踏み潰そうとしてきた黒衣の男は、発言からして恐らく彼女が皇女であると確信している。

 こんな毛玉を何故──という自虐的な疑問はさておき、この状況で大っぴらに動けば毛玉があっさり捕まるのは自明だった。

 しかし逆に言えば。


「──わ、わたくしが騒ぎを起こせば、レベントさまたちへの合図になるのでは……!」


 ネズミたちがチューチューと鳴き始めた。反対が九割、賛成が一割といったところである。思ったより賛同が得られなかったことで毛玉は「えーん」と更に小さくなってしまったが、ここで折れるつもりは毛頭なかった。


「お願いします皆さんっ。レベントさまたちの作戦を乱したのはわたくしです。ですから、わたくしがちゃんと軌道修正をしなくては!」


 ぽすぽすと足踏みをして訴えれば、ネズミたちが渋々と承諾する。彼らも自分の都合で毛玉を砦内部に連れてきたことに負い目を感じているようだった。


「あ……大丈夫ですよ、わたくしも皆さんのことを助けたいと思ってここまで同行したのですから……!」


 セリルの助力によって、檻に囚われていた動物たちは既に逃がされた。健康状態が芳しくないものは少年の補佐官が一時的に保護し、獣医師にも診せてくれるとのことだったので、そちらの心配は不要だろう。

 ネズミたちの同意も得られたところで、毛玉はさっそく「騒ぎの起こし方」について考えを巡らせた。


「わたくしも皆さんも、武装した人間相手に戦うのは無謀です……ここはやっぱり、何か大きな音を出すとか、兵士の人たちを走り回らせるような方向で考えなくては」


 飼育部屋で兵士を怖がらせて撃退したように、やりようはいくらでもあるはずだ。毛玉はふんすと気合を入れ、ネズミたちと共に走り出した。


「えーん! 待ってください、わたくし歩幅が狭くて……!」



 ◇



 振りかぶったハンマーが、脆くなった石壁を叩き崩す。舞い上がった埃を払いながら、兵士たちは咳き込んだ。


「何かいたか?」

「いや」

「はあ……ネズミ大の生き物がいたら片端から捕まえろとは言われたが、〈豺狼〉様は何をお探しなんだ?」


 どれだけ楽な任務に対しても消極的な態度で臨む彼らは、突然〈豺狼〉から下された命令をのろのろと実行している最中だった。

 砦内の壁、とりわけその空洞部分に棍棒や槍を突っ込み、掻き出す。いつもならネズミの一匹や二匹出てきてもおかしくはないが、不思議なことに今日は埃や枯れ葉ぐらいしか出てこない。

 反乱軍の掃討──それはほとんどの場合、一方的な虐殺だったが──に携わったことのある兵士たちは、このような単調かつ何も進展がない作業に早くも虚無感を覚えはじめていた。


「あーあ、お前が飼育部屋を空っぽにしちまったから、ネズミだけでも回収したいんじゃねーの?」


 そうして彼らの苛立ちの矛先は、隅っこで身を潜めるようにして箒を動かしていた兵士に向かう。

 彼はびくりと肩を揺らし、恨めしげに同僚を睨み返した。


「……な、何だよ。あれは〈白狼〉様が決めたことだろ! 俺は悪くない!」

「ハッ、ネズミも怖けりゃガキも怖ぇのかよ! お前の腰抜けっぷりには驚くぜ」


 嘲笑の的にされた兵士は怒りと羞恥に打ち震える。

 彼らは知らないのだ。飼育部屋を占拠した、あの恐ろしいピンク色の怪物を──彼らだって、あれを目にすれば絶対に悲鳴を上げて逃げ出すはずなのに。

 だが見たままを話したとて、怖がりすぎて幻でも見たのかと馬鹿にされるのがオチだ。臆病な兵士は悔しさで顔をくしゃくしゃにしながら、散らばった瓦礫の掃除に戻ろうとした。


 しかし彼がそこで見たのは、崩壊した壁の断面からひょこ、とこちらを見上げるピンク色。


 兵士は数秒の沈黙の後、箒を取り落とした。


「……! …………!!」


 引き攣った喉は声を絞り出すことも出来ず、彼は再び出没したピンク色を指差すことしか叶わない。


「は……!」


 向こうも、この哀れなほど怯えている兵士が飼育部屋で対峙した敵だと気付いたのか、そそくさと壁の中へ戻って行った。


「──ッッはァ!!」

「うわ何だよ」


 兵士はようやく呼吸を思い出し、ガクガクと震える両足で立ち上がる。


「も、もう嫌だこんな砦!! 俺は帰るぞ!!」

「田舎にか?」

「おいおい、悪かったって。からかい過ぎたよ」

「うおおお急に触るな! 驚いただろ!」


 肩を軽く叩かれた兵士はその手を勢いよく振り払い、取り落とした箒を拾った。

 ──そうだ、帰るのだ。

 元より〈豺狼〉の部隊はあまり居心地が良くなかった。確かに褒美は豪華だし、楽な任務も多かった。だが同僚は性格が捻れたような奴ばかりで、自分まで毒されていくような嫌な空気をひしひしと感じている。

 このままここにいて、本当に良いのか?

 狼月軍に志願したときの自分に、現状を誇れるのか?

 否、誇れるわけがない。自分を見つめ直すためにも、一度田舎に戻って両親と話し合うべきだ──この短時間でそんなことまで考え始めた兵士は、そわそわと落ち着かない動きで踵を返し、さっそく辞表を用意しようと決意を固めたが。


「わたくしは風吹き砦の妖精さんです!」

「ギャアー!! ネズミさんじゃねぇ!!」


 またしても何処からともなく声が聞こえてきてしまい、兵士はその場に蹲った。


「え? 何だ今の?」

「誰か喋ったか?」


 彼以外の者たちも声を聞き捉え、ざわざわと顔を見合わせる。彼らが困惑して作業を中断した頃合いを見計らって、自称妖精さんが再び口を開いた。


「こほん、わたくしは風吹き砦に暮らす妖精さん……の代表です。皆さんが砦の壁を壊したことで、わたくしたちは今、とても悲しんでいます」


 「風吹き砦の妖精さん……?」と間の抜けた声が上がる中、蹲った兵士だけは微動だにしない。


「皆さんは、この風吹き砦に眠っていた妖精さんたちを呼び覚ましてしまいました」

「おい、何なんだよこれ? 誰か妹でも連れてきたのか? 遊び場じゃねぇんだから早く連れて帰れ──」



「なので、残念ですが皆さんはこれから呪われてしまいます」



「え?」


 可愛らしい声音で告げられた残酷な内容に、それまでざわついていた兵士たちが固まった。


「皆さんがこの風吹き砦にいる限り、妖精さんたちの嘆きは止まりません……皆さんが朝起きるときも、お昼ご飯を食べているときも、夜におやすみなさいをした後も、ずっとです」


 自称妖精さんが柔和な言葉遣いで呪いを語る傍ら、微かに聞こえてくる──啜り泣き。はじめは扉の軋む音に似たそれが、乙女のか細い声に変化するまで、さほど時間は掛からなかった。


「皆さんは酷いことをしたのです。砦を壊したことを謝って、速やかに出て行ってください!」


 途端、啜り泣きが四方に広がり、絶え間なく兵士たちの聴覚を刺激する。単なる悪戯では済まない不可解な現象に、彼らの顔がみるみる青ざめていく。


「…………あっ。あと牢屋の鍵を持っている方がいたら、置いて行ってください!」


 その瞬間、ずっと蹲っていた兵士が飛び起き、ある同僚の元へ一目散に駆け寄った。


「うわぁ何だ!?」

「お前! 予備の鍵持ってんだろ!! 早く下に置け!! 呪われるぞ!!」

「お、落ち着け!」

「落ち着いてられるか! きっと俺を倒したことでネズミさんから妖精さんに昇格したんだアイツ!! 呪いの力まで備えてやがる!」

「何の話してんだお前!?」


 恐れていた怪物との再会に、兵士はいよいよ錯乱してしまった。彼は目を血走らせたまま、ドン引きしている同僚の胸倉を掴み、見張り当番が所持する予備の鍵束を奪い取ると、震えた手で床に投げつける。


「渡す! 渡すから呪わないでくれ! 俺はもう軍を辞めて田舎に帰るんだ!」

「田舎?」


 興味を惹かれた自称妖精さんが無邪気に尋ねた。


「ご実家はどちらなのですか? ヨンジャの方ですか?」

「付いてくる気か!? やめてくれ、せめて俺の両親は見逃してくれ!! アァァッ!!」


 命乞いをして脱兎のごとく逃げ出した兵士に釣られ、残りの者たちも自称妖精さんが怨霊の類いである可能性を思い浮かべたのか、一斉に駆け出した。

 しかし何処まで行っても彼らの耳にはずっと啜り泣きが付き纏い、風吹き砦は悲鳴と絶叫に満たされたのだった。



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