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12-2

 さて今現在、なぜ毛玉が一人で風吹き砦の内部にいるのかというと、これには彼女と獣たちによる緻密な作戦が──練られたというわけではない。

 本来の作戦は、風吹き砦に出入りしている商人の荷車に紛れ込み、潜入したレベントとエスラが内部で騒動を起こす間に、毛玉とカドリが地下牢へ向かう手筈となっていた。

 ろくに荷物の検品もせずに砦へ向かう怠惰な商人は、大きな荷車に人間が乗り込んでも気付くことはなかった。顔なじみの商人を迎える門番も然り、目礼を交わすだけで跳ね橋が下ろされ、毛玉たちは無事に風吹き砦への侵入に成功した。


 ──作戦が狂ったのはその後である。


 荷台を確かめようとした商人をレベントが昏倒させ、彼らは速やかに城壁内部の小部屋へ身を隠したのだが……。


『よし、お嬢さんとカドリ殿はしばらくここに隠れていてくれ。僕たちが騒ぎを起こしたら、地下牢に移動を開始するんだ』

『承知した』

『はい! お二人とも、お気を付け──?』


 ふと、毛玉は隣にやって来たネズミに気付き、体を傾ける。この小部屋で暮らしているのだろうかと、彼女は小さく飛び跳ねた。


『ネズミさん、初めまして! わたくし毛玉と申します! ごめんなさい、いきなりお邪魔しちゃって……どうかされましたか? …………え!』


 ネズミが語ったのは、風吹き砦に一人の青年が運び込まれたという、毛玉にとって大変有益な情報だった。彼女が勇んで詳細を尋ねようとしたとき──ネズミはもう一つ、彼女に助力を願う。


『……ご家族を助けてほしい? 他の生き物も……?』


 疑問符を浮かべたのも束の間、次の瞬間には毛玉の体は浮いていた。厳密には、どこからか出てきた数匹のネズミに担がれて。

 おや、何だか身に覚えがある感覚だなと考える暇もなく、彼女は風吹き砦に張り巡らされた狭い狭い道に引きずり込まれたのだった。


『お嬢さん!?!?』

『きゃあ~! わ、わたくし、ちょっと寄り道してから地下牢へ参ります~……!!』



 ◇



 緊迫した状況下で何とも間抜けな展開ではあったが、友人たる獣たちの声を無視することも出来なかった毛玉は、単身で風吹き砦の奥深くへとやって来た。

 あまり手入れのされていない要塞は、野盗に荒らされて崩壊したであろう形跡も多々見受けられた。そのおかげで毛玉はネズミたちと一緒に、見張りの兵士の死角を通って移動することが出来たのだが──さすがに三階まで上ると、内部の様子も整然としたものになってくる。

 隠れる場所が少なくなってきた毛玉は、物陰を伝いながら廊下をぽすぽすと跳ねていた。


「ネズミさん、ご家族はどちらに? こちらの通路ですか?」


 ネズミの先導に従って廊下を突き当りまで進むと、両開きの扉が毛玉の前に聳え立つ。どう開けたものか、頑張って人間の姿に戻ってみるか──と毛玉が悩んでいると、ちょうど部屋の中から足音が迫る。

 慌てて廊下の隅に隠れれば、兵士とおぼしき男が気だるげな足取りで部屋を出て行った。彼の背中を見送るのもそこそこに、毛玉は少しだけ開いたままになった扉の隙間へ体をぎゅっと押し込む。


「ふんん、えいっ」


 ネズミに背中を押してもらいつつ、すぽっと中へ入ることに成功した毛玉は、そこにずらりと並ぶ物々しい檻にぎょっとした。

 大小さまざまな鉄格子の群れは、乱雑に積み重なっていたり横に倒れていたりと、杜撰な管理が窺える。


「……な、何でしょうか、これは……。あ!」


 毛玉がそうっと檻の中を覗き込むと、どこかぐったりとした様子でキツネが眠っていた。先程の兵士が与えたであろう干し肉には、一口だけ齧った形跡があった。


「キツネさん、大丈夫ですかっ? ああ、あっちにも……どうしてこんなにたくさん捕まって……え? 毛皮?」


 毛玉の隣にやって来たネズミが言うには、ここに捕らえられた獣の末路は二種類に分かれる。キツネやテン──後者は恐らく密輸されたもの──などはその上質な毛皮を剥ぎ取られ、ネズミたちは何やら怪しい薬の実験体として大量に飼育されているようだった。

 マーヴィ城で密猟の対象となっていたクルトを思い出しながら、毛玉は怒りを露わに足踏みをする。


「酷いですっ! あなたはこの部屋から逃げてきたのですね……! わたくし、何とかして皆さんをここから出してあげますからねっ」


 そうと決まれば、まずは檻の鍵を手に入れなければならない。手始めに先程の兵士を追いかけてみようかと、毛玉が出口を振り返ったときだった。

 ぽす、と彼女は何かにぶつかり、尻餅をつく。

 きょとんと視線を持ち上げてみれば、立ち去ったはずの兵士が強張った顔でこちらを見下ろしていた。


「は……!」

「……わ……綿が……」

「はわ……!!」

「綿が、喋ってる……!?」


 一瞬の緊迫した沈黙が駆け抜けた直後、毛玉はぴょんと飛び跳ねたのだった。



「皆さん! 一時撤退です!!」



 「チュー!」とネズミが一斉に散開すると同時に、兵士も「ギャー!」と悲鳴を上げて扉の方へ後退る。混乱に乗じて毛玉も慌てて檻の陰へ転がり込めば、やがて部屋には再び静寂が戻った。

 扉に張り付くようにして固まっていた兵士は、息を詰めたまま薄暗い足元を見渡し、震えた声で呟く。


「……何だ今の……幻……? いや待て、ネズミが逃げたのか? そうだ、そうに決まってる。ああまずい、実験用にいくつか持ってこいって言われたのに……うう、くそ」


 兵士が何とも嫌そうな顔で檻の隙間を恐る恐る覗き込む姿を、毛玉もまた恐る恐る観察する。

 ネズミを覗き込むとき、ネズミもまた彼を──そんなことを考えながら、やがて彼女はあの兵士を撃退できそうな名案を思いついたのだった。



「…………。わたくしはネズミさんです」

「!?」



 唐突に明かされた衝撃の新事実。

 側にいたネズミたちが初耳だと言わんばかりに毛玉を見つめている。

 無論、突然どこからともなく自己紹介をしてきた自称ネズミさんの声に、先程の「喋る綿」を記憶から消そうとしていた兵士もビクッと肩を揺らして固まった。


「このお部屋で辛い思いをしている皆さんを、わたくしは助けに参りました……そちらの貴方、檻の鍵を持っているのなら、わたくしに渡してください」

「な……何だと……?」

「彼らを不当に傷付けることは、このわたくしが許しません! さあ、鍵をそこに置くのです……!」


 出来るだけ厳かに聞こえるよう、仰々しい抑揚をつけて毛玉は語った。

 この兵士はきっとネズミが苦手なのだ。毛玉にはさっぱり分からないが、彼らを嫌う人間は意外と多くいて、姿を見るのも無理だという者も珍しくはない。

 ゆえに、こうして嫌いなネズミから語り掛けられれば、恐怖心をちょっとは刺激できるのではないか──そしてあわよくば鍵を置いて逃げ出すのではないかと、毛玉は微かな希望を抱いて賭けに出たのである。

 果たして、そんな彼女の推測は当たっていた。


「……ネ、ネズミ……? ネズミが喋るなんて、そ、そんなことあってたまるか!」

「えっ!? わたくしはネズミさんです!!!!」

「ヒィ!! すみません!!」


 自称ネズミさんに大声で押し切られた兵士は、半ば叩きつけるようにして鍵を手放した。

 しかし毛玉がぱあっと花びらを散らせたのも束の間、恐怖が限界点を突破してしまったのか、兵士は引き攣った笑い声を漏らしながら、へっぴり腰だった体をゆっくりと縦に伸ばす。


「……いやいや、待て。俺は騙されねぇぞ。お、俺が大のネズミ嫌いだと知ってのイタズラだな? 昨日、カードで負けた奴の誰かだろ? なあ、おい」

「? 何のお話ですか?」

「とぼけるな! へへ、何だよ、こんな下らねぇ遊びに女まで連れて来やがって。オラ、顔見せろ!」


 兵士が空っぽの檻を勢いよく蹴りつけると、けたたましい音が鳴り響いた。

 毛玉もぴゃっと飛び上がったが、かろうじて悲鳴を噛み殺す。だが彼女の側にいたネズミたちが反射的に檻から飛び出してしまい、それを見た兵士が大股にこちらへ近付いてきた。


「へへ、そこだ女ァ!!」


 明らかに人間が隠れられるサイズではないことを失念したまま、兵士は小さな檻を掴み、その後ろを覗き込む。当然、急にデカデカと現れた兵士の顔に、毛玉は今度こそ悲鳴を上げてしまったが。


「きゃー!」

「ギャァァァァァ!!!!」


 今まで聞こえていた声の主が、足だけ生えたピンク色の物体であることを確かめてしまった兵士は、幽霊に遭遇したかのような甲高い絶叫を上げて逃げ出した。

 檻にぶつかりながら猛ダッシュで逃走した兵士を、毛玉はぺたりと座り込んだまま見送り、やがてハッと立ち上がる。


「鍵! 皆さん、鍵ですよ〜っ!」


 ワァッと勝利を祝いにやって来たネズミたちの中心で、毛玉は花びらを散らせて喜んだ。



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