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11-9

『今までの旅で、毛玉は一度たりとも誰かを見殺しにしなかった。他者を助けるためにたった一人で戦場を駆ける勇気と、それを実現させる力が今の彼女にはあると知ってほしい』

『毛玉は確かに怖がりで、泣き虫で、弱々しいが……──ずっと、あんたたちと一緒に戦う心積もりは、あったと思う』


 フィルゼが語った言葉を反芻し、毛玉は静かな夜の森を進む。時折、嬉しさを隠し切れずに跳ねながら。

 眠りに落ちてすぐ、二人が何か話していることに気が付いて、図らずも会話を盗み聞きする形になってしまったが、今は後ろめたさよりも喜びが勝っていた。


「フィルゼさま、毛玉のこと信じてくれてるんだ。嬉しいな、えへへ……」


 何度も何度も思い返しては、その場で足踏みを少々。おかげでちっとも歩みが進まない。

 ぽすぽすと地を踏み固めていた毛玉は、ふと沈んだ声で呟いた。


「……でもわたくしの記憶は、いつになったら戻るのでしょう? セダさまやカドリさまのこと、ちゃんと思い出したいのにな……それにきらきらの妖精さんも……」


 カドリは、記憶を解き放つ鍵は「今までの旅路の形をしている」と言った。それならば少しぐらい、断片的にでもはっきりとした記憶が蘇っても良いだろうに。

 組紐の話をしたときの、カドリの悲痛そうな顔を思い浮かべながら、毛玉はじっとその場に座り込んだ。

 すると後方、茂みの中からヘビがそろりそろりと這い寄り、ふわりと彼女の体を掬い上げる。


「! わあっ、ヘビさんだ! 初めまして、わたくし毛玉と申します! ……背中に乗せてくださるのですか? ありがとうございますっ」


 音もなく地を這うヘビは、毛玉を背中に乗せたまま器用に草をかき分ける。艶々とした白い表皮を興味深く観察していた彼女は、そういえばと視線を持ち上げた。


「フィルゼさま、どこまで行ってしまったんでしょう……? わたくし結構歩いたはずでは……え? わたくしが洞窟から全然進んでなかっただけ?」


 ヘビの冷静なツッコミを受け、はたと後ろを振り返ってみれば、確かにカドリのいる洞窟がすぐ近くにある。言われてみれば自分の歩幅はネズミ未満だったなと思い出したところで、毛玉はすとんと腰を下ろした。

 そうして暫くスルスルと毛玉を運んでいたヘビが、不意にちろちろと舌を出し入れし、ぐっと頭を地面に近付ける。


「ヘビさん、どうかされましたか……?」


 毛玉も草むらに埋まりながら小さな声で尋ねてみれば、ヘビは全身をぺたりと伏せたまま答えた。


「……変な匂いがする?」


 じっと動かなくなったヘビの背中から降り、毛玉は周囲の匂いに集中しようとしたが──この姿では鼻が無いせいか、如何せん嗅ぎ取れず。爪先立ちであちこち体の向きを変えてみたが、特に結果は変わらなかった。


「うーん、わかりません……ヘビさん、どんな匂いですか? ふむふむ……煙たい? 臭い!? 大変っ! ヘビさん、わたくしは大丈夫ですから引き返してください」


 どうにも気分が悪そうなヘビを洞窟の方へ引き返させた毛玉は、逡巡の末に一人でフィルゼを捜すことにした。付近で異臭がしているということは、彼にも悪影響があるかもしれない。

 寧ろ彼のことだ。異臭の原因を突き止めるべく、既に動いている可能性だってあるだろう。毛玉は自分なりにキビキビと辺りを見渡しながら、獣道に沿って歩みを進めた。


「ヘビさんは煙たいと言ってましたから、もしかして火事でしょうか……? でもそれらしい気配はありませんね……よいしょ」


 茂みの小さな穴に頭を突っ込み、腹ばいになって奥へ突き進む。バタバタと足を動かせば、すぽっと体が向こう側へ抜けた。


「あぅ」


 と同時に、背中が何かに衝突する。逆さまになっていた体を後ろへ転がした毛玉は、自分がぶつかった障害物の正体を知って飛び上がった。



「──フィルゼさまっ!?」



 地面に横たわった黒い背中は、微かに震えていた。今まで見たことがない彼の姿に、毛玉は慌てふためきながらも急いで頭の方へと回る。


「フィルゼさまっ、どうされたのですかっ!?」

「……」


 顔にかかった前髪を足で掻き分け、すぐさま体を割り込ませれば、そのふわふわとした感触にフィルゼの瞼がぴくりと動く。

 小刻みに震えた睫毛が持ち上がると、どこか虚ろな碧色の瞳が彼女を捉えた。


「……けだま」

「フィルゼさま、お体の具合が悪いのですか……? あの、あの、カドリさまをお呼びしてきますっ」

「待て」

「はいっ」


 フィルゼは掠れた声で毛玉を呼び止めると、力なく投げ出したままの右腕を見やり、忌々しげな溜息をつく。


「……下手を、打った。……カドリと一緒に、森を出ろ」

「え……」

「一度、……レベントたちと合流して、態勢を立て直してくれ。たのむ」

「フィルゼさま、それはどういう──わあ!?」


 そのとき、茂みから突然小さなリスやウサギが飛び出し、雪崩のごとく毛玉の体を浚う。胴上げよろしく小動物の群れに担がれた毛玉は、フィルゼからみるみる離されていくことに愕然とした。


「え、えーん! 皆さん降ろしてください! フィルゼさまを助けなくては! フィルゼさま〜……!」


 しかしその要望は聞き入れられず、彼女はへなへなとした悲鳴と共に茂みの奥へ消えたのだった。



 ◇



 ──迂闊だった。

 獣の声が消えた夜の森に倒れ伏し、フィルゼは虚ろな瞳を瞬かせる。鼻孔を塞ぐような異臭は、依然として彼の肉体の自由を奪ったまま。

 木材が燃える匂いとは少し違う、独特な香気。戦場で嗅いだものとも異なるソレが、麻痺毒の類である可能性は考慮していたつもりだ。ゆえに口と鼻を覆い、火によって宙へ撒かれた毒煙を避けるべく身を低くしたが、恐らくはその時すでに手遅れだったのだろう。

 瞬く間に足が崩れ落ち、手を付く余裕も与えられぬままフィルゼは地に伏した。

 そうしてすぐさま妙な眠気と共に意識が浚われたかと思えば、次の瞬間には視界がピンク色に占領されていて。


(……毛玉には、効いてなかったみたいだな)


 獣神の力が毒を掻き消したのか、それとも単純に鼻が無いおかげか──ともかく彼女に害は及ばないと考えて良いだろう。

 先程の悲しそうな声を思い出し、フィルゼが微かな溜息をついたときだった。



「おっと……驚いた。起きてるのか」



 唯一動かせる瞳をゆっくりと持ち上げると、そこには長身の男がいた。

 狼月では馴染みのない西方諸国の装いに、どこかで見たことのある黒いカフタンを羽織っている。正確には、その布地にあしらわれた銀色の刺繍を、フィルゼは過去に見た覚えがあった。


「悪いね。初対面の挨拶にしちゃあ、些か乱暴だったかな」

「……」

「ああ、安心してくれ。君が吸い込んだのは別に毒じゃあなくて、麻酔みたいなもんさ。暫くすれば体も軽くなる」


 おざなりに片手を振った男は、ちらりと周囲に視線を遣りながら、どこにも人の気配がないことを察して肩を竦める。


「姫君は逃がしたか」


 そうして、朦朧とする意識を刺激するかのように独り言つ。

 フィルゼがその虚ろな双眸に剣呑な光を宿せば、男は面白がるように笑ったのだった。


「自己紹介がまだだったな。俺はケレム・バヤット。──よろしくな、小さき狼殿」



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