11-8
『遺品が見当たらないんだ』
御前会議でおもむろに口を開いた皇帝に、貴族たちははたと動きを止めた。予定されていた議題が一通り済んだときだった。
ルスランはどこか気怠い笑顔で頬杖をついていて、じっと一点を見詰めている。彼らがそっとその視線の先を追えば、大公──皇帝の弟であるデルヴィシュがそこにいた。
『何か知らないか、大公』
いつ、誰の遺品が見つからないのか、それが何なのか、一つとして明らかにしなかったのは、犯人の目星が付いているからだろう。
普段ならそれほど顔を見せることのない大公が御前会議に強制召集された理由も、恐らくはそこにある。
貴族たちがにわかに困惑を露わにすれば、疑惑の目を一身に受けたデルヴィシュはやおら立ち上がった。
『陛下、先の件につきましては心中お察しいたしますが、このような御戯れはおやめいただきたいですな』
『戯れ? 戯れを仕掛けるほど私が暇に見えるのか』
ルスランの声に、いつもの柔らかさはない。本心をそのまま口から出し、呆れと怒りを露わにした皇帝の姿は、見る者を自然と震え上がらせた。
『三日だ』
『……』
『それ以上は待てない』
既にこの時点で、大公が皇帝の逆鱗に触れたことは明白だった。
何をしでかしたのは知らないが、早めに謝罪をしなければ大変なことに──それこそ戦になるのではないかと、皆が狼狽える。加えて見つからない「遺品」ときたからには、彼らの父である先帝、あるいは逝去した母后か、少し前に病死したという婚約者の私物のいずれかだろう。
物によっては大公を擁護することは出来ない。もしも、たとえばの話だが、大公が玉璽を勝手に持ち出したのなら、それは反逆と同義なのだから。
貴族たちが瞬時に口を閉ざし、皇帝の側に就いたことを肌で感じ取ったデルヴィシュは、僅かに口角を引きつらせ、それでも冤罪という主張は変えずに退室した。
──期限の日、宮廷に一人の男が運び込まれた。
皇帝はその男の手に握られた遺品を自ら回収し、淡々と処理を命じたのだった。
◇
デルヴィシュは恐らく、その時点ではアイシェの存在を掴むことは出来ていなかったとカドリは語る。
トク家の訪問と同時に無理やり忍び込ませた密偵は、あくまでもエジェの存命を疑ってのことであって、赤子の痕跡を探ることが主目的ではなかったのだ。帝室の一員であるデルヴィシュ自身、組紐が赤子の誕生以前から編まれる事実を知っていたために、確信を得るには至らなかったのだろう。
赤子を流産してしまった母親が、生涯大事に組紐を持ち続けたという事例も、少なからずあったから。
「……。組紐を盗んだ犯人は、その死体の男の仕業だったってことにしたのか」
「ああ。……あの器の小さい男のことだ。罪を見逃してもらった恩も忘れて、腹いせに組紐を千切って返したんだろうさ」
当時エジェに刺客を差し向けたのはデルヴィシュではなく、ギュネ族に反感を抱く貴族が中心だったことから、ルスランは弟に過ちを清算する機会を与えた。腐っても血を分けた家族、怒りに任せて手に掛けてしまえば、周囲にあらぬ誤解や不安を植え付けかねない。
本来であれば三日の猶予を待たずして首を刎ねられてもおかしくない状況だったが、デルヴィシュは己の窮地に気付けなかったのだろうとカドリは忌々しげに笑った。
「その子の組紐は、父親の敵によって千切られた上に、得体の知れない男の血で汚された。……それでもエジェ殿が編んだことには変わりない、世界にたった一つの繋がりだから、ルスランは汚れた部分を切り取るに留めたんだ」
彼はそこで大きく息を吐き出す。
「母上には語らせたくない過去だ。私に尋ねてくれて助かったよ」
「……あんたにとってもそうだろう。嫌な話をさせて悪かった」
フィルゼは努めて冷静な声で告げる傍ら、三年前の事件以来に感じる憤懣をどうしたらよいのか分からなかった。
毛玉の知らないところで、彼女の大切なものが奪われ壊され続けたという事実は、どうにも腹に据えかねる。話を聞いただけのフィルゼでさえこの状態なのだから、当事者たるルスランの怒りとやるせなさは計り知れない。
暫し、重い沈黙の中で心を鎮めていたフィルゼは、やがてそれが叶わないことを悟り、おもむろに腰を上げたのだった。
「少し風に当たってくる。何かあれば呼んでくれ」
──話に聞いていたよりも、感受性は豊かなようだ。
カドリは青年の背中を見送り、苦笑まじりに視線を脇へと移す。
「……さて。寝たフリが相変わらず下手だね、お嬢さん」
「!!」
毛玉の足がぴゃっと跳ね、後ろへ転がっては黒馬の頬に激突する。
何故分かったのかと驚き慌てる彼女の様子に笑いつつ、カドリは緩慢な動きで外を指差した。
「足が僅かに動いていたよ。フィルゼ殿が気になるなら、行っておいで」
「あぅ……ご、ごめんなさい、盗み聞きしてしまって」
「いいや、他でもない君の過去さ。私たちの不甲斐ない過去でもあるけどね」
毛玉は小さな足で跳ねながらカドリの方へ近づくと、彼の靴先にひょいと飛び乗る。何かと思って手を差し出してやれば、彼女は大きな手のひらに移るや否や、ぺしゃりと伏せて言った。
「不甲斐ないなんて仰らないでください。わたくし、今のお話を聞いてもまだ、どこか他人事のように思えてしまいますが……皆さんがわたくしを守ってくださったこと、本当に感謝しているのです」
「私たちに君を守る力があれば、今よりもっと、君に残してやれるものがあったかもしれないのに?」
「いいえ、カドリさま。わたくしは──」
毛玉はそこで言葉を区切ると、ころりと体勢を正位置に戻して。
「『失ってばかり』なんて、思っていません。フィルゼさまと出会って、メティとお友達になって、いろんな場所でいろんな人とお話して、こうして大切な人たちとも再会できて……わたくし、とても幸せなのですよ」
「……」
「過去に悲しいことがあったとしても、わたくしは大丈夫です。これからはきっと、皆さんと一緒にがんばれますっ!」
カドリは彼女の前向きな言葉に、ゆっくりと笑みを浮かべる。
別れ際に見た哀れな少女は、どこにもいなかった。否、最初からそんなものは幻だったのだろう。
ほんの少しだけ籠を開けてやれば、この少女は自分なりの方法を見つけて、自由に空を飛ぶことが出来たのかもしれない。
その可能性を一度も考えなかったという事実に、カドリはやはり己に対する不甲斐なさを感じずにはいられなかった。
「……それでも、謝らせてほしい。君にたくさんのことを我慢させて、すまなかった」
「カドリさま……」
毛玉を手のひらで包むようにして撫で、そっと地面に降ろす。小さな足がしっかりと土を踏み締めたのを確かめては、心優しい剣士の後を追うよう促したのだった。
「すぐ近くにいるはずだ。……君のためにあれだけ怒ってくれたんだ。側にいておやり」




