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「ああ、いやはや助かりました! まさか剣士殿がお助けくださるとは。このマフムト、此度の御恩は一生涯忘れませ」
「伏せろ」
「ひょッ」
引き攣った笑顔のまま身を屈めるマフムトの背後、がむしゃらに武器を振るいながら襲ってきた敵兵を斬り伏せる。いつもの猫背よりも更に曲がってしまった背中はそのままに、商人は「ひぇ」と情けない声を漏らした。
デリンの街は今、大混乱の只中にあった。
フィルゼの登場に住人たちが湧いたのもつかの間、まるで示し合わせたかのようにレベントとエスラが戦闘を開始したことで、単なる興奮では事が収まらなくなったのだ。狼月軍に不満を抱いていた者たちが一斉に蜂起し、あちらこちらで兵士を叩きのめしたり、民家の二階から熱湯を浴びせたり、パイを投げつけたりと、端的に言えばやりたい放題となっている。
この調子だと陽動作戦どころか、デリンの街から狼月軍を追い出すことも可能なのではないかと、フィルゼは彼らの逞しすぎる勇姿を一瞥した。
「マフムト、何故ここに?」
「へえ。お得意様との約束がありましたので、こちらに立ち寄ったんでさぁ。そしたらいきなり軍の面々が私めを拘束しましてねぇ。……ヤムルで顔を覚えられてしまったようで、いやいやお恥ずかしい」
ぺしりと額を叩いたマフムトは、芝居がかった仕草とは裏腹に、自分の失態を深く悔いるような気配が滲む。
フィルゼは如何せん読み取りづらい商人の本心を探ろうとして、やめた。今はともかく陽動に徹しなければと、彼はマフムトの背を押す。
「逃げろ。混乱に乗じてレオルフに抜けてもいい」
「ややっ、それはいけません。逃げるにしてもまずは、お得意様とお会いせねば」
「おい、こんなときに商談でもする気か?」
「あぁそう怖い顔をなさらずに! お得意様も私と同様、軍に目を付けられてしまったやもしれませぬ。剣士殿、どうかお助けくださいませんか」
マフムトの心底参ったような声音に、フィルゼは溜息と共に頷いた。
「……分かったよ。名と特徴は?」
「ああ! お優しい剣士殿、感謝申し上げます! お得意様の名は──カドリ様と仰います」
そのとき、フィルゼの脇腹の辺りから小さな声が漏れたのだった。
「……カドリ……?」
◇
「ぬああああッ! なぜ私が行く先々で面倒なことばかり起こるのだ!!」
混乱に陥ったデリン大橋。その国境を守る要塞は、予期せぬ襲撃に慌てふためく兵士たちで溢れ返っていた。
突如として現れた〈鷺鷥〉ことレベント・コライが、大橋の上でだらけていた兵士を一掃したかと思えば、いつの間にか監視塔に侵入していた〈鷹隼〉のエスラ・ディラが内部の兵士を殲滅。更に最悪なことに、市街地の方では〈白狼〉のフィルゼ・ベルカントが出没したとの報告まで。
先帝の四騎士が粒揃いであることは周知の事実、ろくに訓練も積まずに入隊した新兵に相手が務まるわけもない。況してや、この三年で皇都勤務から国境警備に左遷されたベテランの騎士たちは、襲撃犯が四騎士と知るや否やデリンの住人側に就いてしまった。
──無理だ。逃げよう。
状況を見定める才能だけには恵まれた男、ヤランジュは、そそくさと荷物をまとめて馬車に乗り込んだ。
「くそぅ、ブルトゥルで散々な目に遭ったから、四騎士と関わらんようにこちらに来たというのに……! エルハン! 早く馬車を出せ!」
事務官の名前を叫んで、つい先日、彼が異動になったことを思い出す。
正確には〈豺狼〉の側近に引き抜かれ、すぐさま代わりの者が寄越されたのだが、ヤランジュは新しい人材の名前をとんと思い出せなかった。
「ええい、誰だか忘れたが馬車を動かせ! 早くしろ!」
馬車の扉をガツンと蹴り付けると、外から慌てたように駆け寄る足音がひとつ。扉を開けたのは、どこぞの貴族出身であろう痩身の青年だった。
「ヤランジュ様! まだ任務が終わっておりませんが」
「知らん! 第一目標ならまだしも、反乱軍に与した卑しい商人など見分けがつかん! 適当にその辺の奴を始末しておけ!」
「そ、それはさすがに……〈豺狼〉様からの名誉ある任務ですし、必ず遂行せねば」
「なら貴様が残れ。私は帰還する!」
ヤランジュは荒々しく扉を閉めた。その間際、蔑むような目をしてこちらを見た生意気な新人事務官に、苛立ちを覚えずにはいられない。
それなりに使い慣れた人間を、上官と言えども他人に横取りされるのは良い気分ではなかった。エルハンもエルハンだ。今日まで素晴らしい待遇で重用してやったというのに、あっさりと主人を裏切るとは。欲のなさそうな顔をして、結局は彼も金に目が眩んだに違いない。
腹立たしい、非常に腹立たしいぞと、ヤランジュがもう一度馬車を蹴り付けようとしたときだった。
「──ヤランジュ様! 第一目標が見つかりました! ご指示を!」
「ああクソ、追え!! 弓で射殺してしまえ!!」
何故こんなときに限って事が上手く運ぶのか。ヤランジュは馬車を発進させ、〈豺狼〉から命じられた任務を早急に終わらせるべく、馬車を発進させたのだった。




