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11-1

『やあ、誰を待っているのかな』


 ブランコがゆっくりと揺らされる。

 背中を押す手は大きく、日差しを浴びたときのように温かい。

 ふわりと髪が後ろへ靡いたとき、ちらりと見えた靴先には泥がついていた。白く乾いた汚れを見て、彼が長い旅路を終えたその足で、わざわざここまで訪れたことを知る。

 地面に足裏をつけ、ブランコを静止させた少女は、飛び上がるようにして彼に抱きついた。


『おかえりなさい、──!』

『ただいま。久しぶりだね』


 軽々と抱き上げられ、広い肩に頬を擦り付ける。大きな手で頭を撫でられれば、先程まで落ち込んでいた心がやわらかく慰められた。

 再会の挨拶以降じっと動かない少女に、彼は小さく笑った。


『私を待っていたわけではなさそうだな』

『ううん、──も待ってたよ』

『ほら、もののついでだ』

『えっ! 違うよ、ほんとに待ってたのよっ』

『分かった分かった』


 彼は足をばたつかせる少女を宥めながら、ブランコの傍らに腰を下ろす。彼はこれがつい最近、少女のためだけに造られた遊具だと分かっていたのか、優しげな手つきで木板を揺らした。


『……よくここに来ていると聞いたよ。母君との思い出の場所かい?』


 少女はかぶりを振った。


『ここはね、えっと……』

『うん』

『わたくしの、ひみつきち!』


 人差し指を立てて告げれば、彼は目を瞬かせた後、見晴らしの良いクローバーの景色とごく近くにある城を見て、「そうなのか」と驚く。


『秘密基地にしては、どこからも丸見えだが』

『えっ』

『いやそうか、そうだな。君が言うならそうだ』


 確かに秘密ではないのかも、と少女が不安に駆られたのもつかの間、彼がすかさず訂正した。


『それで? 君はこの秘密基地で、誰を待っていたんだい』


 優しい声音で問われ、頬をくすぐられる。途端に滲む眠気を拭いながら、少女はうとうとと答えたのだった。


『ここで会えるかもしれないから、待ってるの。きれいな妖精さん……』

『妖精さん?』

『うん。きらきらの……早く、来ないかなぁ』



 ◇



「はわ!」


 ビク、とフィルゼは肩を揺らした。

 瞼を押し上げれば、うっすらと煙を残す焚き火の跡が視界に入る。周囲を見渡してみれば、小さな洞窟の奥には静かに寝入る幾つかの人影があった。

 ブルトゥルを発って早数日。このペースなら恐らく明日には国境付近──つまり狼月軍の警戒区域に入るだろうと予測し、今宵は早めに休息を取ることとなった。とりわけ、セダと使用人たちには全速力で国境を抜けてもらわねばならないので、体調面の他にも必要な準備を入念に行った。

 レオルフ王国への脱出ルートに関しても再三確認し、既に睡魔に大敗していた毛玉の後に続く形で、全員就寝と相成ったはずだが……。

 フィルゼは体に巻き付けていた毛布を捲り、上着の内ポケットを探る。すると、小さな足が彼の指先を挟んだ。


「……どうした?」


 ずるりと釣り上げてやれば、ピンク色の毛玉が逆さまの状態で現れた。


「フィルゼさまっ、わたくし、わたくし、お話したいことがっ」

「ああ」


 何やら落ち着かない彼女はフィルゼの手のひらに着地すると、ぽすぽすと足踏みを繰り返す。

 しかしこの僅かな時間で言いたいことを忘れてしまったのか、途端に動きを止めて、ぺしゃりと体を伏せてしまった。


「うーん……? 今、何か、夢を見たような気がしたのですが……暖かくて、ぽかぽかの」

「とりあえず、嫌な夢じゃなかったみたいだな」

「はい──あれ?」


 夢の内容をどうしてもフィルゼに伝えたかったのか、毛玉は残念そうに頷いてからハッと洞窟の外を見遣る。

 暗い空を見つめること暫し、奥で眠っているセダと使用人の方も確認してから、「しまった」と言わんばかりに彼女は飛び上がった。


「も、もしかしてまだ夜中でしたか……っ? えーん、ごめんなさい……フィルゼさまを起こしてしまいました……」

「いや、別に……気にしないでいい」


 しゅんと垂れた彼女の両足を指先で弄いながら、フィルゼはふと思い立って、静かに腰を上げる。毛布を肩に羽織ったまま洞窟の外へ出ると、黒々とした森が眼下に広がった。

 そして頭上を仰げば、視界いっぱいに満天の星が輝く。それはさながら、ムラなく染め上がった濃紺の絨毯に、無数の宝石を砕いて散りばめたようだった。


「毛玉、上見てみろ」

「はい? ──わぁ!」


 ひょいと体を上向きに転がした毛玉は、すぐさま感嘆の声を上げた。


「凄いです、きらきらです! フィルゼさまっ、あっちに大きな星があります! こっちにも!」


 気休め程度に見せたつもりが、かつてないほどの大興奮である。毛玉の足が忙しなく上下に振られる様を後目に、小さく笑ったフィルゼはゆっくりと岩場に腰を下ろした。

 以前──毛玉と国境沿いの森で出会った夜は、明るい三日月が輝いていたおかげで他の星はさほど見えなかったように思う。その後はそもそも毛玉が夜まで起きていられなかったものだから、彼女がこうして星空を拝むのは初めてなのかもしれない。

 無論、それは彼女が記憶を失ってからの話だが。


「あっちの星は赤色に見えます……! 真上の星は、うーん、青色でしょうか! 綺麗ですねぇ、フィルゼさまっ」

「そうだな」


 相槌を打てば、花びらのような綿がふわふわと舞う。毛玉はころりと後転してフィルゼの顔を確認すると、そのまま彼の膝にやわらかく着地した。


「わたくし、今まで勿体無いことをしてしまいました。こんなに綺麗なお星様が見れたとは……!」

「いつも見れるわけじゃない。今日は偶然、天候に恵まれてただけだ」

「そうなのですか? ならもっと目に焼き付けなければっ!」


 そう言って毛玉が賑やかな夜空を再び仰いだ瞬間、星々の間をスッと横切る光がひとつ。

 闇に消える間際、一際強い閃光を放ったそれが流星であると気付いたなら、ぽかんとしていた毛玉が飛び跳ねた。


「わあ……! フィルゼさま、見ましたか!? 流れ星……!」

「ああ、はっきり見え──たっ」


 そのとき膝にふっと重みが掛かり、視界にピンク色の三つ編みが現れる。突然起こった変化に驚く暇もなく、フィルゼは咄嗟に両腕を持ち上げた。


「うびっ」


 前へ傾きかけた華奢な体を引き戻し、その勢いのまま後ろへ倒れ込む。潰れたような声を漏らした毛玉は、じたばたと両手を動かしながらフィルゼの方を振り返った。


「わわっ、ごめんなさいフィルゼさま! か、感動のあまり人間になってしまったようです……!?」

「感動のあまり」


 それが果たして変身の原因なのかは不明だが、ひとまず彼女が顔面着地する事態は避けられたので良しとしよう。フィルゼが身を起こせば、すかさず毛玉が申し訳なさそうに彼の後頭部を摩る。


「えーん……夜中に叩き起こすばかりか頭もぶつけさせてしまいました……わたくしは何て無礼な毛玉なのでしょうか……」

「…………平気だ。ぶつけてはいない」


 彼としてはそんなことよりも、毛玉に頭を抱き込まれるような今の体勢のほうが不味かった。洞窟の奥で眠る厳格な貴婦人が起きていないか、無意識のうちに様子を窺ってしまったのは致し方ないことである。

 しくしくと後頭部を案じる毛玉をやんわり引き剥がし、隣に座らせて、まずは一息。

 平静を取り戻すついでに、彼女の肩に毛布を掛けてやりながら、フィルゼはふと口を開いた。


「……あんたが人間になるときは多分、記憶が刺激されたときなんじゃないか?」

「えっ?」

「セダ殿のカメオにはあんたの顔が彫られてるから当然として、今のは──」


 二人がちらりと星空を見遣ると、図ったように流星が駆け抜けた。


「流れ星にも、何か思い出があったのかもな」


 そう告げて、視線を隣に戻す。

 二つの淡い色が混ざり合った不思議な瞳に、無数の星が映り込んでいる。それは何度か瞬いた後、おもむろにこちらを見て微笑んだ。


「今、フィルゼさまと星空を眺めた思い出も追加されました! なので、今後はきっと流れ星じゃなくても、お星様を見るだけでも人間になれるかもしれませんっ」

「……そういうもんか?」

「そういうもんです! うふふ」


 毛玉はフィルゼと肩をくっつけて、しばらく嬉しそうにふすふすと笑っていた。

 そのあまりにも幸せそうな顔に、フィルゼは背中が痒くなるような感覚に襲われつつ、そっと視線を外した。


「あの、フィルゼさま」

「ん?」

「流れ星のおかげで……さっき見た夢、少しだけ思い出せたんです。聞いてくださいますか?」


 尋ねる声は穏やかで、痛みを隠しているような気配はない。触れ合った肩に少しだけ体重を預けてやれば、それが話を促す合図だと察したのか、毛玉は小さく語った。


「わたくし、誰かを待っていたみたいなんです。たくさんクローバーが生えていたから、多分、ヨンジャの丘で……」

「……会えたのか?」

「分かりません。わたくし、その方のこと妖精さんって呼んでいたので、まず誰のことだか全く……えへ」


 過去の自分に対する呆れを滲ませながら、彼女は恥ずかしげに笑ったのだった。


「きらきらの、お星様みたいな妖精さんです。もしかしたら、獣神さまに関するものかもしれませんが──」


 ──とても、大事な人だったような気がします。


 

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