10-3
「セダ様!!」
わっと涙声で叫んだ若者たちが、一斉にセダの元へ駆け寄る。その慌ただしい動きとは裏腹に、彼らは身に染み付いた動きで素早く跪いた。
「ご無事でよかった……!」
「も、もう二度とお会いできないかと」
「あなたたちこそ、よく生き延びてくれましたね。ほら、私は大丈夫ですから涙を拭きなさい」
セダが苦笑混じりに宥めたのは、ヤムル城塞都市でトク家の使用人たちを率いていた兄妹──ハリットとメリエムだ。二人の他にも見覚えのある顔が揃っており、彼らがフィルゼの言いつけ通り、今日までしっかりと身を潜めていたことが窺えた。
ようやく叶った再会を後目に隠れ家の入り口へ向かえば、そこではレベントとエスラが各々穏やかな表情を浮かべている。
「エスラが連れて来たのか?」
「あんたを捜しに行ったら、偶然鉢合わせてね。狼月軍も撤退したばっかりだったし、安全だろうと思って連れて来たわけ」
エスラは簡潔に経緯を語ったかと思えば、おもむろにフィルゼの顎を引っ掴み、左右に一回ずつ大きく振った。突然のことに目を瞬かせていると、彼女は口角を持ち上げて笑う。
「怪我は額だけみたいだね。元気で安心した」
「……ああ。心配させて悪かった」
「今更さ。──それで? どうして我らの姫君はあんたの後ろに引っ付いていらっしゃるの?」
彼女が茶化すような笑みでフィルゼの後ろを覗き込めば、そこには確かに毛玉が引っ付いていた。先程から何やらフィルゼの背中に顔を埋め、彼が歩くたびに小走りに追いかけては、また背中に引っ付いてを繰り返している。
どうしたのかと振り返ってみると、困ったような淡いブルーの瞳がフィルゼを弱々しく出迎えた。
「どうした?」
「あぅ……その、……何だか申し訳なくって」
「申し訳ない?」
「はい」
しゅんと小さな返事をした毛玉は、再びフィルゼの背中に隠れてしまう。
漠然とした言葉にフィルゼは視線を彷徨わせ、ついつい助けを求めるようにエスラとレベントを見遣った。が、二人は助け舟を出す素振りなど微塵も見せずに、彼の肩をそれぞれ叩くに留める。
薄情な二人がセダたちの元へ向かう傍ら、フィルゼは仕方なく毛玉を隠れ家の外へ連れて行った。
「で、何が申し訳ないんだ?」
民家の陰に入るや否や、外套のフードを軽くつまむ。露わになった毛玉の表情は、先程とあまり変わらない。
話を促さんとやわらかな手を掬ってやれば、彼女はきゅっと握り返してきた。
「わたくし、やっぱりトク家の使用人の方々のことも、何も思い出せません……。皆様、とても辛い思いをしてわたくしのことを逃がしてくださったでしょうに、その御恩さえ忘れてしまったのだと思ったら」
情けなくて──毛玉はぽつりと呟き、悲しげに肩を落としてしまう。
ヤムル城塞都市での出来事が氷山の一角に過ぎず、彼らの命が散った原因が自分にあることを知った今、毛玉が落ち込むのも無理からぬことだろう。
主人に仕える立場にあったフィルゼとしては、彼らがセダと共に命を賭して毛玉を逃したことに敬意を表するが、そう簡単に割り切れるはずもないといったところか。
フィルゼは一つ呼吸を置きつつ、毛玉の頭をやんわりと撫でた。
「毛玉」
「はい」
「彼らはあんたの元気な姿を見ればきっと喜ぶ。たとえ過去の記憶が無いと知っても」
「がっかりしないでしょうか……?」
「何に? あんた、ヤムルで人助けしたこと忘れたのか?」
ぱち、と大きな瞳が瞬く。
そろりと持ち上がった双眸を覗き込み、フィルゼは微かな笑みを浮かべて言った。
「記憶が無くても、あんたはあんただ。彼らを助けたいって気持ちは、今も昔もずっと同じだったと思う」
「あ……」
「まあ……そうは言っても、いろいろ不安になるのは仕方ない。顔を合わせづらいなら無理に話さなくてもいい」
毛玉は彼の手を握り締めたまま、少しの間じっと何かを考え込み、やがて勢いよく首を左右に振る。
「いいえっ。逃がしてくれたお礼だけでも言おうと思いますっ! それで記憶が戻ったら、もう一度、改めて……!」
「ああ。良いんじゃないか」
「はい! 行ってきます!」
毛玉は有言実行とばかりに隠れ家へ駆け込んだ。
そうして暫し、フィルゼは彼女の「皆様!! わたくし毛玉と申します!! えっと、本日はお日柄もよく──!!」と相変わらず大きな声が漏れ聞こえるなか待機し、次いで使用人たちの号泣に仰け反った後、先程と同じスピードで外に出てきた毛玉を難なく抱き止めた。
「フィルゼさま〜! 言えました!」
「ああ、うん、よかったな」
彼の相槌が平坦なものとなったのは、毛玉を追うようにして外に出てきた使用人たちと目が合ったからだ。傍から見れば恋人かと見紛うほどの距離感を前に、彼らが慌てた様子で一斉に踵を返す光景を、フィルゼは遠い目で見送った。
◇
「じゃあ、作戦を確認しよう。まず必ず達成すべき目標は、トク家の皆がレオルフ王国へ到達することだ。そのために僕とフィルゼ、エスラがそれぞれの班を率いる」
隠れ家に集合した面々を前に、レベントがいつもの柔和な笑みで語り出す。
「班分けは──ハリットに任せても良いかい? 馬に乗れる者を出来るだけ均等に割り振ってほしいんだ」
「は、はい! お任せください」
「頼んだよ。ブルトゥルを出たら、班ごとに別のルートで国境沿いの森を目指す。僕は北回り、フィルゼとエスラは南回りだ」
フィルゼたちは安全が確保できた時点で班員を先行させ、そのまま陽動作戦へと移行する。国境沿いの森には依然として狼月軍が配備されていることが予想されるため、使用人たちが無事に越境できるよう、軍の拠点を三人で急襲する手筈となっていた。
先帝の四騎士が三人まとめて現れたとなれば、狼月軍は兵士を動員せざるを得ない。彼らの注意を引き付ける間に、使用人たちには一足先にレオルフへ逃げてもらう。
そしてその作戦を円滑に進めるべく、彼らとの連絡係に立候補したのは言わずもがな。
「レオルフの辺境伯領に到達した班は、同伴する皇女殿下のご友人に合図を送る──ということで大丈夫だよね、毛玉のお嬢さん」
「はい! 皆様、こちらが班に同行してくれる勇敢な鳥さんたちです……!」
毛玉はこくこくと頷き、ぱっと両手を広げる。左右の手のひらと彼女の頭には、それぞれ大きさや柄の違う小鳥が合計で三羽、勇敢とは言い難い可愛らしい姿でちょこんと鎮座していた。
エスラには黒と赤がトレードマークの凛々しい小鳥を、レベントには鮮やかな緑が美しい小鳥を、フィルゼには真っ白な腹と青い羽を持つ小鳥を、毛玉はそうっと手渡していく。その際、彼らのお尻に寝床代わりの柔らかい手巾を敷くことも忘れずに。
「レオルフに到着したら、この子たちをお空に放してあげてくださいっ。そうすればわたくしの方にお知らせを届けてくれますので」
「はー、こりゃ凄い……伝書鳥の調教なんて膨大な時間と金が掛かるってのに……」
大人しく手に収まる小鳥をまじまじと眺め、エスラが感心した様子で呟いた。
無論、それはレベントや使用人たちも同じだ。皇女の存在をおぼろげに認知していただけの彼らは、彼女が持つ神秘の力を実際に目撃したことで、どこか腑に落ちたような顔をしながら呆けている。
皆の驚きを一身に浴びながらも、毛玉はそれに気付かぬまま熱心に小鳥の声に耳を傾け。
「えっと、ご飯は自分で取れるそうなので、気にするなと言っています! でもたまには水浴びをしたいので川を見掛けたらちょっと時間を取りたくて、あとそろそろ繁殖期なので番探しはいつも通り実行します、それからあんまりジロジロ見られるとストレスが溜まるから──」
「とりあえず好き勝手にするから鳥は基本的に放置で良い」
毛玉には文句ひとつ言わないばかりか媚びすら売っていたのに、他の人間に対してはだいぶ高圧的な小鳥たちの要望を、フィルゼは一言で要約した。
「作戦の流れは以上だ。俺たちが出来るだけ時間を稼ぐから、全員無事に生き延びてくれ」
そうして彼が静かに締め括れば、使用人たちは各々了承の返事を寄越したのだった。




