10-1
ブルトゥルへ続く街道を進むこと半日ほど。
道端の野花や蝶に気を取られまくる毛玉を連れ、それでも着実に歩を進めていたフィルゼは、川辺に見覚えのある影を見つけて立ち止まった。
どこか寂しげに草を食む立派な黒馬は、二人の姿を認めてはゆっくりとこちらへ歩き出す。
「──メティ〜っ!」
笑顔をきらきらと輝かせた毛玉は、万感の思いを込めて大好きな友人を抱擁しに向かった。遠くからドコドコと駆け寄ってきた黒馬も然り、ゆるやかに減速しては彼女の頬に鼻を擦り寄せ、勢いよく尻尾を振っては再会の喜びを表す。その後方、何だ何だと寄ってきた馬の群れは、おそらくブルトゥルで飼われていた家畜の一部だろう。
メティが彼らを伴って無事に生き延びていたことに、フィルゼは人知れず安堵の息をついた。
「メティっ、皆さんと一緒に避難できたのですね! フィルゼさまもご無事ですよ! ほら!」
「じゃーん!」と毛玉に明るく示されたかと思えば、これまた豪快にメティから顔面をべろりと舐められ、フィルゼは渋い表情で顔を拭う。
しかし、もはや相棒と言っても良い黒馬に「やめろ」と言えるほど彼も非情ではなく。
「……メティ、心配かけたな」
どこか詰るように肩を軽く突かれたフィルゼは、黒馬の顎を優しく撫でた。
そして、すぐそばで大変嬉しそうに再会を眺めていた毛玉の手を引き、鞍に掴まるよう促す。背丈が足りずにぺたりと寄りかかるに留まった彼女の腰を持ち上げてやれば、意図を察した様子でメティの背によじ登った。
「ふんっ……わあ! フィルゼさま、メティが一緒に乗って良いよって言ってますよ!」
「そうか」
毛玉が黒いたてがみをうきうきと撫で回す傍ら、フィルゼは彼女の後ろに軽々と跨っては手綱を握る。ゆったりと黒馬を走らせれば、一転して慌てたように毛玉がフィルゼの胴にしがみついた。
大して速度も出していないのに、何をそんな──と彼が不思議に思ったのも束の間、今まで彼女が小さな毛玉姿でしか馬に乗ってこなかったことを思い出しては合点が行く。
「毛玉、大丈夫だ。人間はそう簡単にふっ飛ばされない」
「は! そうでしたね……!」
ぱっと顔を上げた毛玉はふにゃりと笑って、少しだけ力を抜いたようだった。
その後、馬上の揺れに慣れて周囲の景色を楽しむ余裕が出てきた毛玉が、段々と睡魔に侵されて舟をこぎ始めた頃、フィルゼの眼前に崩れた城壁──ブルトゥルの東門が見えてきた。
投石機によって破壊された場所には大勢の人が集っており、修繕の計画を立てている最中のようだ。恐らくここ以外にも崩壊してしまった民家が多々あることだろうと、フィルゼはその眼差しに少々険しいものを宿しつつ、彼らの元へ向かった。
そのとき、人混みの中でも一際目立っていた白い甲冑姿の男──レベントが蹄の音に振り返り、軽く目を見開いては安堵の笑みを滲ませる。彼が静かに手を挙げたなら、フィルゼも同様にして応じた。
「フィルゼ……! ああ良かった、無事だったんだね」
「あんたも無事で何よりだ、レベント。エスラとセダ殿は?」
「エスラは僕と交代で君を捜しに行ったばかりさ。セダ殿は……あれ?」
レベントはそこでようやく、フィルゼの前でうつらうつらとしている毛玉に気付いたようだった。
彼女の肩を軽く叩いてやれば、毛玉はハッと飛び起きてはきょろきょろと辺りを見回し、ぽかんと間の抜けた顔で固まっているレベントを発見する。
「レベントさま! ご無事だったのですね……! お手紙は読んでいただけましたかっ?」
「手紙? あ……これのことかい?」
「はい!」
レベントが呆けたまま懐から差し出したのは、やたらと上等な生地にでかでかと黒ずんだ赤字で「撤退」「危険」「岩」と書かれた、一見すると呪詛を殴り書きしたような、あらぬ誤解を招きかねない伝書だった。
単語の羅列から察するに投石のことを警告したのだろうと分かるが、いきなり動物からこれを渡されてギョッとせずにいられる自信がフィルゼには無い。
しかしそこは淑女への礼を欠かさないレベント。彼はそれまでの動揺を柔らかな笑みへと切り替え、優しい声音で毛玉に語りかけた。
「これのおかげで僕もエスラも早めに避難が出来たよ。ありがとう……ところで君はええと、毛玉のお嬢さん、だね?」
「はい! 毛玉です! わたくし、妖精姫ではなくて人間だったようなので、以後よろしくお願いしますっ」
「あはは、そうか。人間の姿でも可憐さと美しさは健在だね、お嬢さん」
「はわ……!」
またもや真正面から称賛を浴びた毛玉は外套のフードを顎まで引き下げ、あわあわとフィルゼの肩に顔を埋めてしまう。その稚い反応が以前と同じであることに気付いてか、レベントはおかしげに笑ったのだった。
「フィルゼ。セダ夫人がいたく心配していらっしゃる。早く顔を見せに行ってやってくれ」
「分かった」
「僕はエスラを呼び戻して来るよ。また後でね」




