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追放剣士とピンクの毛玉  作者: みなべゆうり
9.微睡の森

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9-6

「獣神様の寝床へ行きたい?」


 ナズはてきぱきと手を動かしながら、声音だけで驚いて見せた。

 彼女の前に座るのは、起き抜けにベッドから運ばれて寝ぼけたままナズの協力のもと着替えを済ませ、仕上げにその長い髪を一本の太い三つ編みにされている毛玉だ。ようやく眠気が覚めたのか、彼女はどんどん編まれてゆく長髪を手鏡に映し、「わぁ」と感嘆の声を漏らす。

 髪をまとめたことで露わになった華奢な背中を一瞥し、フィルゼは浅く頷いた。


「ああ。発つ前に少しだけ立ち寄らせてほしいんだ。何か代価が必要なら、今回の礼も兼ねて遠慮なく言ってくれ」


 ナズは三つ編みの先端をしっかりと紐で縛ると、「ふむ」と思案げに腕を組む。


「元とはいえ〈白狼〉の称号をお持ちになっていた方です。寝床を荒らすような真似はしないと確信しておりますが……無条件で通すと父がうるさいので、ちょっとした頼みごとをしても?」

「構わない」

「では、寝床の供え物を集めていただけませんか。昨日チャラヤンが採ってくるはずだったのですが、あの馬鹿はこちらのお嬢様を口説くのに必死だったのか手ぶらで帰ってきましたので」

「ああ……。……供え物というのは?」

「この森でしか採れない特別な樹液と、今が旬の赤い果実です。どちらも獣神様が好まれた食べ物と言われています」


 伝承において獣神は白き狼と伝えられるが、その食性は肉食にあらず、瑞々しい果実を好んだとされている。狼月各地に存在する古い壁画にも、獣神の横で山盛りにされた果実が描かれていることは珍しくない。

 獣の神なのだから、仲間を喰らうことを良しとしないのは当然と言えば当然だが──それでも樹液は初耳である。

 フィルゼの意外に思う様を見てか、ナズが微かに口角を上げて笑った。


「獣神様は基本的に、甘いものがお好きだったみたいですよ。そもそも何も召し上がらなくても問題はなかったようですが……例の少年が毎日勧めるものだから、口を付けるようになったとも聞きますね」


 少年──それは神話の主人公であり、帝室の祖と呼ぶべき存在のことだろう。

 つまりは毛玉の遠い祖先。否、彼女の力を鑑みるに、双方の血なり魂なりを受け継いでいる可能性は無きにしも非ず。

 ちらと見遣れば、何やら考え込んでいた毛玉と目が合い、その白い手がパッと真っ直ぐに持ち上がった。


「あの、わたくし赤い果実なら見ました! えっと、皮は厚めで下の方が少しだけ尖ってて、果肉が淡い黄色で、甘酸っぱいやつでしょうかっ?」

「…………詳しいな。食べたのか?」

「はっ!」


 しまったと言わんばかりに口を両手で覆う毛玉に、二人のやり取りを見ていたナズがくすりと笑う。


「ええ、その果実で間違いありません。召し上がっても問題ないですから、ご心配なく」

「うう、よかったです……美味しかったのでぺろりと……。ですがそれなら見つけられると思います! お任せくださいっ」

「はい、よろしくお願いします。樹液に関しては後ほど大体の位置をお教えいたしますね」

「わかりました! あっ、髪も綺麗にしていただいて、ありがとうございます……!」

「いえいえ」


 深々と頭を下げる毛玉に、ナズが目線を合わせるように軽く膝を折った。随分と自然な仕草だったが、それが貴人に対する簡易的な作法と気付いたフィルゼは、はたと目を瞬かせる。

 しかしその視線を受け止めた彼女は、ただ曖昧な笑みを寄越すに留まった。



 ◇



 ナズの古着を身に纏った毛玉は、真っ白なカフタンを着ていたときよりも幾分か周囲に馴染んでいた。

 赤をベースに様々な模様が施されたカフタンの下、何枚も重ねられた布がブーツの動きに合わせて揺れる。彼女が上機嫌に歩を進めるたび、背中に垂らした長い三つ編みも左右に揺れ、村人の視線を意図せず引き寄せていた。


「……毛玉」

「はい!」


 くるりと踵を返した毛玉の両手には、ナズから預かった籠がある。中には手袋と、樹液を採取するための道具一式。更には二人分の軽食まで入っていた。

 持ち手があるにも関わらず大事そうに籠を抱える彼女に、フィルゼはおもむろに手を差し出す。


「片手で持つか、俺に預けるか、どっちかにしてくれ」

「えっ」

「また転ぶぞ」


 そこで毛玉は自分の鈍臭さを昨日ぶりに思い出したのか、ハッとした様子で籠を見下ろし、ついでフィルゼの手を見遣り。うんうんと悩んだ末、籠を右腕に引っ掛けた彼女は、左手でフィルゼの手を握ったのだった。

 硬直するフィルゼとは対照的に、みるみる嬉しそうに頬を緩めた毛玉は、繋いだ手を揺らして「行きましょう!」と笑う。

 そうしてまた何も言えなくなったフィルゼは、小さな溜め息と共に村の門をくぐった。


「樹液は北の方でしたねっ。果実は森の皆さんに聞いてみましょうか?」

「ああ。頼む」

「はい! 鳥さーん!」


 毛玉が嬉々として呼びかければ、森に暮らす小鳥が次々と彼女の元にやって来る。あっという間に色鮮やかな羽毛に彩られた毛玉は、上機嫌に挨拶をして彼らの声に耳を傾けた。

 フィルゼには単なるさえずりにしか聞こえないが、彼女にはどう聞こえているのだろう。人間の言葉に変換されるのか、それとも彼らの思考が直感的に伝達されるのか……恐らく本人はあまり意識していないのだろうが、考えれば考えるほど不思議な力である。


「ふむふむ……え? 昨日と服が違う? えへへ、ナズさまという方にお借りしたものなんですよ、似合いますか? ふふ」


 気が付けば雑談が始まり、友人に褒められた毛玉は照れ照れと笑っていた。

 のほほんとした無邪気な笑顔を一瞥し、フィルゼは静かに口を開く。


「……毛玉、果実の場所は聞けたか?」

「はい! でも少し高い場所にあるそうなので、鳥さんが取ってきてくださるそうですっ。なのでわたくしたちは樹液の方に向かいましょう!」


 小鳥が飛び立つと同時に、毛玉がスキップでもしそうな勢いで歩き出す。樹液が採れる場所とは真逆の方向へ行こうとする彼女の手を、フィルゼはやんわりと引き戻しつつ尋ねた。


「昨日、あんたが寝落ちする前に話したこと、覚えてるか」


 毛玉は一瞬呆けたように目を瞬かせ、サッと記憶を洗うべく視線を宙へ飛ばし、ややあって笑顔で頷いた。


「覚えています! わたくしの記憶を探しに行くのですよね……!」

「その後は?」

「その後……!? えっと、待ってください、わたくし覚えておりますとも──あっ」


 繋いだ手を小刻みに縦に振った毛玉は、その手をパッと頭上まで掲げる。


「フィルゼさまと三つほど約束をしました! 『普段はなるべく人間の姿でいること』と、『無理に記憶を思い出そうとしないこと』と、それから『体に異変があればすぐ共有すること』!」

「ああ、そうだ。ちゃんと覚えてたんだな」

「ええ、ええ! わたくし寝る前に『明日また復唱します』と言いましたから!」


 厳密には「明日またもう一度言ってください」と自信なさげに言い残して気絶したのだが、それは言わないでおこう。フィルゼとの約束事をきちんと覚えていたことがよほど嬉しいのか、毛玉が大層喜んでいるので。

 フィルゼが苦笑をこぼしたのも束の間、彼女はなおも弾んだ声で語る。


「わたくし、ひとつめの約束は守れるか不安だったのです。ほら、昨日も申し上げた通り、わたくし毛玉の姿のほうが邪魔にならないでしょう? でも……」


 繋いだ手をきゅっと握り直した毛玉が、日だまりのような笑顔でフィルゼを見上げた。


「たった今、人間の姿ならいつでもフィルゼさまと手を繋げることに気付きました! なので緊急時以外はこのままで過ごします……!」

「……」

「?」

「……良いんじゃないか」

「はい!」


 理由が何であれ、以前は獣神の力に引きずられがちだったという毛玉が、「人間の姿でいたい」と積極的に思えるのは良いことである。恐らく。

 ……例えそれが彼にとって、何とも面映ゆい理由であったとしても。

 フィルゼは上機嫌な毛玉に弱弱しく手を引かれながら、森の奥へと進んだ。



 道中、小鳥や動物の歓待を受けながら、二人は件の樹液が採取できるという大樹に到着した。

 この森はどこをとっても巨大な樹木ばかりだが、目の前に聳え立つ大樹は一際目を惹くものだった。

 フィルゼと毛玉が両手を広げても到底足りないであろう太い幹に、無数に枝分かれした先で黄金を透かす青葉の群れ。その中腹に大きく開いた樹洞からは、オルマン村の住人が供えたとおぼしき、鮮やかな手織絨毯が数枚ほど重なった状態で垂れていた。


「わあ……あの絨毯、獣神さまが気持ちよく眠れるように敷いたのでしょうか?」

「そうかもな」


 きっとこの森には、こうした神聖な場所が幾つもあるのだろう。フィルゼが空いた手を腰の後ろへ回し、軽く首を垂れれば、それを見た毛玉も真似をする。


「フィルゼさま、今のお辞儀は何ですか?」

「獣神の領域に入るときに行う礼だ。祭事で演武を披露するときも必要だった」

「へえ~……! えんぶというのは?」

「決められた形に沿って武術を披露するんだよ。神に舞を捧げるのと似たようなもんだな」

「へえ~っ! あの、今度見せてくださ」

「俺よりエスラの方が上手いからあっちに頼んでくれ」

「あっ待ってくださいフィルゼさま! えーん、毛玉もフィルゼさまが演武をやるところ見たいです!」


 一人で虚空に向かって剣を振るうということが如何せん肌に合わず、そのあまりのぎこちなさにルスランから大笑いされた記憶が脳裏をよぎり、フィルゼはすたすたと大樹に向かったのだった。



 ──そうして無事に樹液を瓶に詰め終わり、フィルゼがふと顔を上げたときのこと。

 小鳥たちが果実を運んできたと言って、受け取りに向かった毛玉の姿が見当たらない。どこまで行ったのかと早足に来た道を戻ろうとした彼はしかし、何もない獣道で静かに佇む彼女の後ろ姿を見つけて立ち止まる。


「……毛玉?」


 漠然とした不安に駆られて呼びかければ、小さく肩が揺れ、ピンク色の三つ編みが翻る。

 真ん丸に見開かれた双眸は一瞬の間を置いて、ふにゃりと情けなく歪んだ。


「フィ、フィルゼさま……果実を狼さんに取られてしまいました……」

「…………何だって?」



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