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追放剣士とピンクの毛玉  作者: みなべゆうり
8.餓狼襲来

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8-1

 ブルトゥルの町は緊迫した空気に包まれていた。

 騒々しい東門に集った人々、とりわけギュネ族出身の者たちは、そこへ単騎で現れた一人の青年に懐疑の視線を送る。

 狼月軍の証たる黒い鎧に身を包んだ彼は、敵意に満ちた眼差しを四方から浴びながらも、毅然とした態度を必死で維持していた。


「──狼月軍〈明鴉〉将軍の名代として参りました、ラジと申します! 先触れはおろか、武装したままブルトゥルに立ち入ったこと、まずはお詫びいたします!」


 勢いよく直角にお辞儀をしてみせた彼は、同じ速度で頭を上げては言葉を続ける。


「つきましてはブルトゥルの皆々様に、可及的速やかな避難をお願いしたく存じます!」


 ラジの声はよく通った。興味本位で足を止めたであろう聴衆から、にわかにどよめきが起こる。


「なに? 避難だって?」

「ていうか〈明鴉〉って誰? そんな人いたっけ」

「バカ、新しい四騎士の一人だよ。失礼な口聞いたら殺されちまうぞ」

「──兵士さん、さっきの音と何か関係があるの?」


 皆が口々に言葉を交わす中、最前列にいた子供の質問が、場に静寂を取り戻させた。

 ラジはどう答えるべきか悩む素振りを見せつつも、すぐさま首肯を返す。


「はい。このままでは我々の意に沿わぬ形で、ブルトゥルの皆々様に甚大な被害を及ぼしてしまいます。どうか我々が事態を収束させるまで、安全な場所に避難していただきた……」


 その瞬間、投げられた礫がラジの額を強かに打った。

 しんと静まり返った聴衆は、礫が飛んできた方向を恐る恐る振り返り──そこに立つギュネ族とおぼしき隻腕の男を確かめては、出かかった文句を飲み込んだ。


「何が避難だ。そんなのどうせ俺達をブルトゥルから追い出すための方便だろう! とうとうデルヴィシュも四騎士を使って蛮族の掃除に乗り出したのか! 五年前みてぇに! ええ!?」

「っ……いいえ、これは皇帝陛下の勅命などではありません! 況してやあなた方を追い出すつもりなど決して」

「そう言って結局、先帝は俺達の同胞を殺しただろうが! 狼月の悪霊(カラ・ナザール)を差し向けて、ギュネの誇りを粉々に砕いたこと、忘れたとは言わせねぇぞ!!」

「お、おい、落ち着け!」


 いよいよ殴り掛かりそうな気配を感じ取り、近くにいた住人が制止に入る。

 しかし片腕を失ったとて、その男はギュネ族の戦士に相応しい体躯を持っていた。数人がかりで押さえられても何のその、彼は軽々と邪魔者を払い除けてラジに詰め寄る。


「ずっと気に食わなかったんだよ……エジェ様を見殺しにした先帝も、奴に従う悪霊も、あいつらの施しを喜んで受け取る、腑抜けた同胞もな!」

「……!」


 振り上げられた拳。ラジは半歩ほど後ろに下げてしまった足を、かろうじて地に縫い付けた。

 五年前の戦に参加していようがいまいが、狼月軍に所属している以上、自分がギュネ族の憎悪の対象になり得ることは彼も承知の上だったのだ。

 ゆえにこの拳からは、間違っても逃げてはならないのだと──。


「!?」


 しかし、重い拳はラジの鼻面を捉えることはなかった。

 獣の咆哮が地を揺らし、二人の体を大きくよろめかせる。聴衆も例外ではなく、あちこちから困惑の悲鳴が上がった。


「──避難を!!」


 背後から迫るおぞましい狂気に、ラジが弾かれたように叫んだ直後、外から一直線に飛来した瓦礫が東門の塔を大きく抉った。

 減速を知らない瓦礫はそのまま近くの民家へ激突し、散らばった破片が上空から人々を襲う。


「何だ!? 投石機……!?」

「子供を連れて逃げろ!」


 異変を察知した人々が、東門を背に我先にと走り出す。

 ラジの警告が虚偽ではなかったことを悟り、ギュネ族の男は戸惑いを露わに立ち尽くしていたが、すぐさま我に返ったようだった。


「……っおい、立て! 今のは何だ!? こんな辺境の町一つ潰すために、投石機まで持ち出したのか!?」


 尻餅をついてしまったラジは力任せに腕を引かれたことで呻きながらも、急いで体勢を立て直す。


「と、投石機ではありません。今のは、その……人間です、恐らく」

「何だと?」

「僕も詳しくは知りませんが、彼は〈明鴉〉のニメット様以外、止められません」


 ──だからどうか、避難を。

 ラジの切羽詰まった懇願に、男は腹立たしげに顔を歪めたのだった。




 ブルトゥル北東部の森にて。

 〈明鴉〉のニメットは、当惑する兵士たちを背に、この上ない不快感を露わにした。

 彼女の眼前では、同じく黒い鎧を身に着けた一団が行く手を塞ぎ、それを率いる禿頭の肥えた男が耳障りな笑声を上げている。


「お久し振りですなぁ、ニメット()! 何をそんなに急がれているのか、このヤランジュめに教えていただけませんか!」

「ヤランジュ……ヤムルでくたばったと思っていたのに……」

「おやおや酷い仰りようだ! 私は〈豺狼〉様の一番のお気に入り、あんなところで死ぬはずがないでしょう!」


 〈豺狼〉の腰巾着、あるいは金魚の糞とも揶揄されるヤランジュは、何がそんなに楽しいのかニタニタと下品な笑顔を浮かべた。

 ニメットは腹立たしさを隠しもせずに舌を鳴らすと、二人の屈強な護衛を伴って大股に前へ歩み出る。


「そこを退きなさい。お前は〈豺狼〉の部下であって、私とは赤の他人よ」

「ほほほ、それは出来ませぬ。聞けば、ニメット嬢の監視対象(・・・・)が、ブルトゥル方面へ向かってしまったそうではないですか。今から確保に動くのでしょう?」

「それも答えるに値しない」

「そう意地をお張りになるな、私が助力して差し上げましょうぞ? んふふ、アレがもしもブルトゥルを壊滅させてしまうような事態になれば──」


 ヤランジュの口角がそれまで以上に吊り上がった。


「ニメット嬢のご家族はどうなりますかなぁ!」

「おい」

「え?」


 浮かれた顔でぺらぺらと口を動かしていたヤランジュは、その間も足を止めなかったニメットが眼前に迫っていることに、たった今気が付いた。

 そして次の瞬間、彼女の右手がヤランジュの顔面を鷲掴み、黒く塗られた爪をその皮膚に深く食い込ませた。


「ヤランジュ。正真正銘の家畜にされたくなかったら、その薄汚い口を迂闊に開くんじゃない。私はお前を、今この瞬間、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。勿論その無駄に豪華なカフタンを脱ぎ捨てて、価値の分からない装飾品も全て私に預けてからな」


 黒いベールと切り揃えた濡れ羽色の髪の下、青白いかんばせとグレーの眼球が仄かに光る。

 そのどこか禍々しい、されど神秘的な眼差しを指の隙間から直視したヤランジュは、急激に呼吸を乱して咳き込み始めた。


「ひっ、げほ、おえッ」

「ヤ、ヤランジュ様?」


 ヤランジュの後ろに控えていた兵士が、ただならぬ空気に恐る恐る口を開く。だが当のヤランジュは言葉にならない音を上げ、じたばたと腕を振り乱すのみ。


「た、助け──エルハン!!」


 そしてなりふり構わず叫んだのは、事の成り行きを疲れた顔でぼんやり眺めていた痩身の事務官の名前。

 エルハンはハッと頬を引きつらせ、慌ててニメットの怒りを鎮めんと傍に駆け寄った。


「申し訳ありません、〈明鴉〉様。我々が〈豺狼〉様より貴女様の支援を命じられたのは事実でして、その、後日必ずお詫びをいたしますので、どうかヤランジュ様の無礼を見逃していただきたく……」

「何で〈豺狼〉が私の部隊の動きを知っているのよ」

「ああー……と」


 つつ、と視線を横にずらしたエルハンに、ニメットは小さく溜息をつく。

 〈豺狼〉の手の者は至るところに潜んでいる。例え本人にその自覚が無くとも、だ。ニメットは後方でそわそわと顔を見合わせる兵士たちを一瞥し、顔面を掴む腕を真横に薙ぐ。

 地べたに放り出されたヤランジュが、「生意気な小娘め!」と本音と本性を曝け出しているが、ニメットは気にすることなく苦労人の事務官へ告げた。


「支援は必要ない。行儀がすこぶる悪いと評判の貴公らをブルトゥルに向かわせたら、ギュネ族を不必要に刺激することになるわ」

「はい……仰る通りで……」

「加えて、ろくな訓練もしていない貴公らがヴォルカンを止められるとは到底思えない」


 〈豺狼〉の下で好き勝手に振る舞ってきた兵士たちが、その発言にぴくりと不満の色をあらわにする。

 が、ニメットの隣に立つ筋骨隆々の護衛が視界に入ってか、相対的に華奢に見えてしまう己の肩を小さく竦ませた。


「無礼の詫びがしたいなら、一歩もここから動かないでちょうだい。特にそこの無能は木に縛り付けておくように」

「あ、はい」

「はいじゃない!! 何を普通に承諾しておるのだ!! 貴様は私の事務官だろうが!」

「ヤランジュ様、お静かに願います」


 いつもより覇気と遠慮が無いエルハンは、立ち上がれないまま喚き散らすヤランジュを後ろへ下がらせる。兵士に引き摺られてゆくヤランジュを見送ることなく、エルハンは深く頭を下げた。


「改めてお詫び申し上げます。我々一同、事態の早期終息を願っております」

「……。前に会ったときよりも顔色悪いわよ。さっさと辞めた方が身の為だと思うけど」

「ああ、ええと、はい……お気遣い、痛み入ります」


 遠い目で苦笑いを返したエルハンが、兵士たちに道を開けるよう指示を出したとき、ブルトゥルの方角からにわかに轟音が響く。


「まずい……急ぐわよ!」


 ニメットと二人の護衛が走り出せば、彼女の兵士たちも慌てたように後を追う。

 〈明鴉〉部隊が遠ざかる傍ら、何とか穏やかに事を収めることが出来たエルハンは安堵の息をついたが──。


「ええい、あの小娘! 妾になることを拒むばかりか、私をコケにしよって! おい貴様ら、先を越されるでないぞ! 予定通りブルトゥルへ行け!」

「なっ、ヤランジュ様、〈明鴉〉様にもそんな失礼な誘い──じゃなくて、何を……!」


 ぎょっとして振り返れば、額に脂汗を浮かべたヤランジュが自棄を起こしたような笑みで言う。


「あの小娘が言ったのだぞ、私は〈豺狼〉様の忠実なる下僕! 無関係の人間から下された待機命令など、聞く謂れは無いわ!」

「だからと言って、ブルトゥルに軍隊を向かわせるのは危険です! いくら〈豺狼〉様のご命令だとしても、これは陛下の治世に関わる……」

「わはは!!」


 ヤランジュは面白いことを聞いたとばかりに、豪快な笑い声を上げた。

 そして、狼狽えるエルハンを真っ直ぐに見つめて告げる。


「陛下ァ? はは……エルハン、貴様が最後に陛下を見たのはいつだ? 身内殺しの薄汚れた皇帝は、宮殿に引きこもって出てこないではないか!」

「ヤランジュ様……!」

「よく聞け、エルハン! この狼月を掌握し、我々に更なる富と幸福を与えてくれるのは──〈豺狼〉様に他ならん! 時代は既に動いておるのだ!」


 度を超えた失言に絶句したエルハンは、しかし、ヤランジュの傍に立つ兵士たちが同調するように頷く姿を見て、ついつい後退る。

 口煩い事務官が黙ったのを良いことに、ヤランジュは威勢良く指示を下したのだった。


「さぁ貴様ら、〈豺狼〉様のご命令だ! 狂える獣と共に、狼月の汚点(ギュネ族)を葬り去れ!」


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