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追放剣士とピンクの毛玉  作者: みなべゆうり
7.望まぬ再会
53/92

7-10

 ──レベントの肩に乗って隠れ家の裏手へ回ると、すぐに見慣れた黒馬が姿を現した。

 メティはこちらに気付くや否や、何やら落ち着かない様子で足踏みをする。


「メティ! どうしたのですかっ? あ!」


 黒馬の隣にはレベントの愛馬ラタファットもいるのだが、二頭の間に小さな影が隠れていた。先刻、フィルゼに辛く当たったギュネ族の女性が、泣きながら大事そうに抱きしめていた少年──テミールだ。

 テミールはこちらを振り返ると、ハッとした表情で立ち上がり、小走りに近寄ってきた。


「やあ、さっきの坊やじゃないか。どうしたんだい?」

「あの……」

「……また迷子になったわけでは、なさそうかな?」


 レベントのやわらかな問いかけに、少年はこくりと頷く。

 そして意を決したように顔を上げたものの、その視線はすぐさまレベントの肩に吸われる。厳密には、そこに座っている毛玉に。

 毛玉が挨拶代わりにひょこっと両足を持ち上げれば、びくりと少年が震えた。


「それなに?」

「ああ、彼女は小さな妖精姫リトルフェアリープリンセスだよ」

「え?」

「あわわ……こ、こんにちはテミール! わたくしはえっと、毛玉の妖精さんです! お馬さんのお友達と思ってください!」


 恐らくこの説明ではちっとも理解も納得も出来なかっただろうが、馬を絡めたことでかろうじてテミールは毛玉の存在を飲み込んだようだった。「わかった」と不思議そうに頷き、いくらか緊張のほどけた顔で再び二人を見上げて。


「あの、さっき……お母さんが、青い目のお兄ちゃんに怒ったでしょ。迷子になったの、僕のせいなのに……だから謝らなきゃって」

「あ……気にしてくださったのですか?」


 少年は小さく頷いた。

 母親がどうしてあそこまで取り乱したのか、なぜフィルゼがギュネ族に憎まれているのか、テミールはきっと何も知らない。フィルゼが自分の父親の仇とも言える相手だと知ったとき、この少年はどうするのだろう。

 毛玉は少しの逡巡を挟みつつ、ひょいと少年の頭に飛び移った。


「テミール、ありがとうございますっ。フィルゼさまのことを心配してくれて」

「ううん。……だって、お母さんが悪いから」

「あ、いいえっ、テミール。どうかお母さまのことを責めないであげてください。お母さまは、テミールを大事に思っているから怒っただけで……それは、あなたにとって幸福なことなのですよ」


 テミールの丸い瞳が、怪訝そうに頭上を仰ぐ。毛玉は少年の顔を覗き込みながら、「うーん」と言葉を選ぶ。


「わたくし、巣立ちしたばかりの鳥さんから伺いました。親鳥は雛が大人になれるように、餌を与えるだけじゃなくて、自分よりも大きな生き物に立ち向かうこともあるんですって。例えばワシとか、ヘビとか!」

「ヘビ……? そうなの?」

「はい! 雛が食べられないように、必死で守るんだそうです。でも中には、そうした子育てを放棄しちゃう生き物もいます。それはきっと、人間にも、うーん……もしかしたら人間のほうが多いかもしれません……」


 だから、と毛玉は少年の頭を足で撫でた。


「テミールのお母さまは立派な方なんです。あなたに大人になってほしいから、それまではどんな危険からも守ってあげたいのですよ。フィルゼさまも、そんなお母さまの気持ちを分かっていらっしゃいます」


 ギュネ族の食人の儀が廃れた今、母親の子を思う気持ちはより一層強くなっているはずだ。五年前の戦で愛する人を失った彼らにとって、残された命は──何にも代えがたいものだから。

 ゆえに今のテミールに伝えるべきは過去の因縁ではなく、最も近くにある母親の愛だろう。そんな毛玉の意図をぼんやりと受け取った少年は、少々照れ臭そうにしながらも頷いてくれた。


「うん……」

「うふふ。テミールが来てくれたことは、わたくしがフィルゼさまに伝えておきます!」

「怒って、ないかな」

「大丈夫です! フィルゼさまはとっても強くてお優しい剣士様ですから! ね、レベントさま!」


 成り行きを見守っていたレベントは、上機嫌な毛玉に対し、頬を綻ばせて頷いた。


「……そうだね。彼は少々不器用だけど、心根の優しい男だよ。心配しないで良い」


 テミールは二人の言葉にホッと安堵の息をついて、おずおずと後ろを──メティの方を振り返る。


「最後にちょっとだけ触ってもいい?」

「はい! メティ、わたくしの新しいお友達ですよ〜! あっ、ラタファットも挨拶したいって言ってます!」


 毛玉を頭に乗せたまま、テミールが心なしか瞳を煌めかせて二頭の馬へと歩み寄る。フィルゼに言われたことをしっかり守っているのか、彼らの正面からそっと。

 メティは先程危ない目に遭わせたことを詫びるかのように、少年の小さな手に頭を擦り付けた。


「うわぁ……あったかい。この馬、大きいね」

「メティはとっても力持ちで脚が速いんですよ。フィルゼさまとの息もぴったりで……」


 メティとラタファットに挟まれた少年が楽しげに笑う頭上で、毛玉もふすふすと声を弾ませていたときだった。


「……? レベントさま、今なにか……」

「うん? どうかしたかい?」


 レベントが尋ねると同時に、どこからともなく数羽の鳥が毛玉の元へ飛来する。テミールの肩やメティの頭に降り立った彼らは、やはり毛玉に用事があるようだった。


「皆様どうかされましたか? ……え……? レ、レベントさま! あの、ブルトゥルの近くに黒い鎧を着た人たちがたくさん来ているそうですっ」

「!」


 毛玉の言葉に大きく目を見開いたレベントは、すぐさま毛玉ごとテミールを抱き上げた。


「テミールと言ったかな? すぐにお母様の元に帰って、必要な物をまとめたら町の外へ逃げるんだ」

「ど、どうして?」

「お嬢さんの友人たちによれば、狼月軍が付近まで来ているみたいでね。……目的は分からないけれど、念のため避難をしておいてほしい」


 レベントは足早に露店通りの手前までやって来ると、戸惑う少年をそこに降ろす。昨今の狼月軍の横暴な振る舞いは、幼い子供であっても知っている。テミールは困惑に更なる不安を色濃く滲ませ、小さな声で「わかった」と返事を寄越した。


「気を付けて帰ってくださいね、テミール! そうだ、よければ鳥さんたちと一緒に──」


 少年の心細さを察した毛玉は、そばにいた鳥に付き添いを頼もうとして、不意に言葉を途切れさせる。

 不自然に動きを止めた毛玉に気付き、レベントが何かを尋ねるよりも先に、微かな揺れと不明瞭な轟音が彼らの耳に届いた。


「何……──お嬢さん!?」


 音の出どころを探す暇もなく、テミールの頭から毛玉がふわりと転がり落ちる。

 地面に落下する手前でレベントが受け止めたものの、彼女の足はくたりと垂れたまま。


「どうしたの?」

「……分からない。すまないがテミール、一人で帰れるかな。近所の住人にも逃げるよう伝えてくれると助かる」

「わ、わかった……」


 テミールは突然動かなくなった毛玉を心配そうに見詰めてから、たった今頼まれたことを実行すべく踵を返した。

 小さな背中がざわめく露店通りの角を曲がったところで、レベントも細い路を引き返す。


「お嬢さん、お嬢さん! 聞こえるかい? ……駄目か」


 応答のない毛玉を気に掛けつつ、彼は隠れ家へと急いだのだった。



 ◇



 背筋が小さく痺れた。

 は、と息を詰めて虚空の一点を凝視していれば、意識の外へ追いやってしまった話し相手が、気遣うようにそっと呼び掛ける。


「フィルゼ殿……?」

「……あ……申し訳ない。……」


 目眩のようなものを感じたフィルゼは、視点を安定させるべく瞼を閉じ、眉間を押さえた。

 他方、彼の空いた手が無意識のうちに短剣へ伸びたことに気付き、セダがゆっくりと椅子から立ち上がる。


「体の具合が悪いのですか? 少し横に……」

「いや、平気です。……それより毛玉の、皇女のことですが」


 すぐそばに膝をついたセダに向き直り、フィルゼは逡巡の末に頭を下げた。


「レオルフに逃げるのは、皇女の意見を聞いてからでは駄目ですか」

「……」

「セダ殿が皇女の身を案じていることは承知しています。陛下の乳母である貴女の気持ちを、俺も少しは理解しているつもりです。ただ」


 顔を上げたフィルゼは、そこでぐっと言葉を詰まらせる。

 セダの、望みを絶たれたような強張った眼差しが、彼の罪悪感を鋭く刺したのだ。しかしながら、既に吐き出した言葉を途中で引っ込めることはせず、ひと呼吸の後、静かに続ける。



「皇女が、記憶を失ったのは……彼女が何もかもを投げ捨てたかったからだと、セダ殿はお思いですか」



 フィルゼの問いに、セダは暫し沈黙し、ゆっくりと頷いた。


「──はい。殿下は……他でもない、狼月の悪意ある民によってご両親を奪われた御方です。その上、今度はご自身もデルヴィシュに命を狙われる始末。この理不尽な現実を背負うには、殿下の心はあまりにも、脆い」


 あるときは亡き母の姿を追い、あるときは父の死を受け止められず、獣たちに心の安らぎを求めたアイシェ皇女。

 彼女を誰よりも近くで見てきたセダが、その不安定な心を「脆い」と評すのは致し方ないことだ。

 セダたちが狼月軍に襲撃を受けた日、ついに皇女の心が壊れ、全ての記憶と自らの姿をも忘れてしまったのだと思うのも、やはり自然なことだろう。

 しかし──。


『わたくしには、フィルゼさまのように誰かを守る力はありません。だから……わ、わたくしに出来ることを、探してみます!』


 炎に呑まれたヤムル城塞都市で、彼女が見せた勇気をフィルゼは知っている。

 彼女がただの泣き虫の寂しがり屋ではないことを、今までの旅路が証明していた。


「セダ殿。俺は、彼女が何も背負えない、脆くて弱い人間だとは思いません」

「……例え陛下のご息女であろうと、その心の強さまでもが同じとは限らないのですよ」

「分かっています。俺は陛下の跡を継ぐべき人間だからという理由で、皇女を狼月(ここ)に留めたいわけじゃない。俺はただ──」


 身を乗り出したフィルゼの言葉はしかし、外から聞こえてきた微かな轟音と揺れによって遮られた。

 ハッとして耳を澄ませてみれば、壁越しに人々のざわめく声が届く。


「セダ殿はここに」

「いえ、私も向かいます。……話の続きは後ほど」


 少々の気まずさを持て余しながらも、フィルゼはセダと共に隠れ家の一階へ向かった。




「──エスラ! 今の音は……レベントと毛玉は?」

「フィルゼ」


 扉の隙間から外の様子を窺っていたエスラは、剣帯に鞘を深く挿し直しつつ振り返った。


「音は東の方から聞こえてきた。それと二人は……ピンクのお嬢さんの要望で、裏手に向かってるよ」

「裏手? メティのところか?」

「そ。あんたの馬が呼んでるって。話の区切りが付いたなら、早いとこ合流しよう。ちょっと嫌な予感がするからね」


 エスラは端的に説明する傍ら、フィルゼに外套を投げ渡す。毛玉の姿がないことに不安を露わにするセダにも、身支度を整えるよう彼女が促したときだった。


「──フィルゼっ」


 琥珀の双眸にいつになく焦りを宿したレベントが、外から転がり込んできた。


「レベント、どうし……」

「さっきの轟音は聞いたかな、あの後すぐにお嬢さんの様子がおかしくなったんだ。呼びかけてもずっと反応が無い」

「何?」


 話を聞くや否や、フィルゼは彼の手に鎮座する毛玉に目を遣る。その小さな足が力なく投げ出されているのを見たフィルゼは、すぐさま上着を脱ぐと、それに包むようにして彼女を受け取った。


「毛玉? おい、聞こえるか」

「……」

「レベント、こうなる前に何か……前兆みたいなものはあったか? 急に鳥が飛んできたとか」


 ヤムル城塞都市で毛玉が人間の姿に戻ったとき、彼女の傍には大勢の動物が集まっていた。まるで動けない彼女を守るように──当時のことを思い返していれば予想通り、レベントが「そういえば」と頷く。


「あ、ああ。確かに数羽ほどお嬢さんの元に飛んできて……黒い鎧を着た人間が、ブルトゥルに向かっていると教えてくれたんだ」

「!」

「黒い鎧? ちょっと、それまさか……狼月軍が来たってこと? 他でもないこの町に?」


 エスラが動揺するのも無理はない。五年前の戦以降、武装した狼月軍がブルトゥルに近付くことはなかった。

 ようやく内紛の種が取り除かれつつあるときに、余計な不和は生むべからず。その姿勢はデルヴィシュ帝の世になっても変わらず、だからこそセダの身柄を安全に匿うことが出来たのだ。

 だというのに、何故よりによってこのタイミングなのか。レベントとエスラが怪訝な表情を浮かべる一方、フィルゼの脳裏にはとある光景が過ぎった。


 ──毛玉が強い恐怖に襲われ、一人で身を隠していた、あの地下通路への扉。


 彼女の元へ行かんと、怪力をもって分厚い鉄扉を半壊させた者が、ここへ来ているのではないか、と。


「……毛玉」


 再び腕の中に視線を戻せば、心なしか毛玉が縮んでいる。足先からするすると繊維が解けてゆく様を見て、フィルゼはそっと彼女に額を寄せた。


「今度は一人じゃない。それから……泣くときは大声だ。いいな」


 ヤムルで交わした約束を囁けば、ひくりと毛玉の足が動く。


「……はぃ」


 吐息にも満たない微かな声を捉えた彼は、小さく笑みを返したのだった。



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― 新着の感想 ―
泣く時は大声だ、いいな、っていうフィルゼくんがかっこよすぎる!!!!
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