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追放剣士とピンクの毛玉  作者: みなべゆうり
7.望まぬ再会
52/92

7-9

 張り直した弦に爪を押し当て、ゆっくりと滑らせる。

 ラバーブの音色がさざ波のようにやわらかく空気を震わせたなら、クッションにちょこんと座ったピンクの毛玉も、その小さな足を音に合わせて揺らした。


「──あれは今から十年前……僕が狼月各地の闘技大会に出場し、前人未到の殿堂入りを果たす前のことだった」

「でんどういり……!?」


 語りが始まるや否や大層な前置きが飛び出し、しかしその単語の意味をあまり理解していない毛玉がふんわりと驚く。

 直後、彼女の隣にゆったりと腰掛けた赤毛の女剣士──エスラは、そんな毛玉の頭を指先で撫でつつ補足を加えた。


「騙されちゃいけないよ、お嬢さん。コイツの言う殿堂入りってのは出禁の間違いだからね」

「できん……!?」

「どこの闘技大会に赴いてもコイツが優勝を掻っ攫うせいで、他の出場者が参加を控えるようになっちまったのさ。おまけに謎の女性団体が対戦相手を罵倒するわ石を投げるわ……だからあれは殿堂入りという名の出禁だよ」

「えっと、あの、レベントさまがとってもお強くて、熱心なファンクラブの方々もいたということですか?」

「まぁ、そうなるね」


 エスラは肩をすくめ、曖昧に肯定した。実態は毛玉が言うほど穏やかなものではなかったのだろうが、説明するのも億劫そうな様子で。

 毛玉がふむふむとレベントに向き直れば、二人の会話にゆるやかな伴奏をつけていた彼が再び語りを再開した。


「狼の遠吠えを背に三日月が沈み、訪れるは花開く春の皇都。若き皇帝の下に開かれた宴に、〈白狼〉を継ぐ少年が現れるとの噂を耳にして、僕は愛槍と共に馳せ参じた」

「〈白狼〉を継ぐ……はっ! フィルゼさま……!?」


 語りを邪魔しないよう、毛玉は声を抑えつつ喜んだ。だがしかし、十年前と言ったらフィルゼは当時いくつで闘技大会に出場していたのだろうか。興奮したのも束の間、今度は心配になってそわそわと身を縮める。

 毛玉が忙しなく揺れる傍ら、レベントはまた一つ弦を爪弾いて。


「しかし、僕がその少年と相まみえることはなかった……。何故なら僕は、気高き狼と刃を交えるよりも先に、運命の出会いを果たしたからだ」

「運命の出会い……!?」

「……」


 唐突にロマンスの香りが漂い始め、元気を取り戻した毛玉が再び足を持ち上げる。彼女の後ろでは、エスラが白けた顔でそっぽを向いた。


「──そう、武骨な男衆を蹴散らし、二本の剣を大空の狩人よろしく操る美しき剣士……エスラ・ディラ!」

「まぁ! エスラさまが!」

「緞帳が上がり、姿を現した赤毛の女神を目にした途端、僕は槍を手放した。視界を狭める兜をも脱ぎ捨て、一目散に彼女の元へ走った!」

「わあ……!」

「そして僕は花束の代わりに、伸びた髪をナイフで切り落とし、愛の言葉と共に彼女へ贈った!」

「今思い出してもゾッとするね」


 盛り上がるレベントと毛玉とは裏腹に、エスラはげんなりとした声音でかぶりを振る。確かに初対面の男が駆け寄ってきては己の髪を切り落とし、試合を放棄して愛の告白をしてきたら──大抵の女性は引く。

 しかし戯曲風の語りで死ぬほど美化された光景が思い浮かんでいる毛玉は、物語の主人公であるレベントをきゃっきゃと応援していた。


「だが彼女はとても聡明で公平だった。皇帝に捧げる宴を中断するわけにはいかぬと、僕の告白を切り捨てた……」

「ああ……」

「悲しみに暮れる暇もなく、僕は愛する女神と刃を交えなければならなかった。ああ、獣神よ! あなたは何と過酷な試練を僕に与えるのか!」

「えーん!」

「戦いはすぐに決着がついた。当然、僕の負けさ。槍を手にしても、僕には彼女を傷付けることなど出来やしなかった……」

「こっちは真面目にやってほしかったんだけどね」


 たった今レベントが語ったようなことを喚き散らし、「傷付けるくらいなら君に胸を貫かれたほうがマシかも」と正気の沙汰とは思えないことを宣って両手を広げた若い騎士に、愛する女神ことエスラは終始ドン引きの様相だったが、残念ながら毛玉が知るところではない。


「彼女は僕を打ち倒した後、最後の試合で気高き狼と対峙した。その善戦を見届けた皇帝によって、四騎士の称号を賜ることとなったのさ……」

「まあ……! エスラさま、フィルゼさまと戦ったのですか……!?」


 いそいそと体の向きを後ろにすると、頭痛を堪えるような仕草で瞑目していたエスラが、そのキツネのような切れ長の目で笑みを浮かべる。


「本当は決勝なんか行くつもりなかったんだけどね。そこのイカれた吟遊騎士のせいで、キッツい試合をさせられたよ」

「あの、あの、フィルゼさまはまだ幼かったのではありませんか?」

「うん? ああ、確か十歳ぐらいだったけど──猛将でも相手にしてるような緊張感だったよ。こりゃ絶対、レベントのために用意された相手だったなと」


 エスラの少々恨みがましい視線を受け、レベントは茶目っけのある笑顔を返した。


「僕は既に、四騎士の打診を陛下から受けていたからね。だから、あれは確かに僕のお披露目という意味もあったんだろうけど……エスラにとっても良い結果だっただろう?」

「……。レベント」

「何かな、僕の愛しい女神」

「あたしはお前のそういうところが嫌いなんだ」


 レベントが笑顔のまま絨毯に倒れ伏したところで、エスラが深い溜息をつく。二人を交互に見ていた毛玉は、今のやり取りを不思議に思って体を傾けた。


「エスラさまにとって良い結果とは?」

「あー……さっき、決勝まで行くつもりはなかったって言ったでしょ? あれは、あたしが戦士として生きていけるってことを、部族の連中に見せつけるためだったのよ」

「戦士、ですか?」


 毛玉が反対側に傾いて問えば、エスラは幾分かやわらかな笑みで頷いた。

 彼女曰く、皇都の闘技大会にフィルゼやレベントといった猛者が出場することは周知されていて、そこで勝ち上がった者には身分問わず褒賞が与えられたそうだ。

 過去の優勝者には狼月軍への入団試験の省略が認められたこともあったし、皇帝の目に止まれば騎士爵の授与だって夢ではない、と。


「あたしの部族──バルシュ族はちょっとばかし閉鎖的でね。ギュネ族みたいに上昇志向が強かったわけじゃあないんだが、如何せん考え方が古臭かった。女が武器を握るなんて有り得ない、子供を産んで家庭を守るのが義務、って感じのね」

「ふむふむ……エスラさまは、その考え方に賛同できなかったのですね」

「そ。だって狼月の都には女騎士が普通にいたからね。そうでなくとも、あたしの集落よりかはみんな生き生きしてたのよ」


 バルシュ族の女性に許されていたのは料理と洗濯と掃除、それから乳飲み子の世話ぐらいのものだった。幼い少女であってもその役目は変わらず、エスラは兄弟たちが外で狩りを教わる姿を、大層羨ましく思っていたと語る。

 そんな折、バルシュ族の村を賊が襲撃した。村の戦士が助けを呼びに行って間もなく、半日もせずに駆け付けてくれたのが、当時まだ皇太子だったルスランと、彼の近衛騎士ティムールだったという。

 彼らはあっという間に賊を討伐し、あまりの恐れ多さに平伏するバルシュ族たちに「ちょうど近くに居合わせただけだ」と笑顔で語った。


「陛下とティムールはその日、貴族の領地に滞在した帰り道だったみたいでね。本来の旅程を延ばしてまで、あたしの村まで来てくださったんだよ」


 バルシュ族はルスランの厚意に報いるべく、村総出で彼らをもてなした。そして幼いエスラもまた、その準備に駆り出されたわけだが──彼女はそこで初めて、近衛隊に女性騎士がいることを知ったのだった。


「どうやって騎士になったのか、どこで訓練したのか、女でも馬に乗っても良いのか……今思うと恥ずかしい質問だけど、彼女は親切に答えてくれてね。そこからはもう、親や親戚と衝突ばっかりの日々さ」

「騎士になるために説得されたのですか?」

「説得──」


 毛玉の問いに、エスラは一瞬考え込み。


「うん、まぁ、説得だね。主に拳での」

「こ、拳!」


 皇都に行って騎士になりたいと言うエスラに、とりわけ彼女の父親は大反対だった。しかしその理由が「女の役目から逃げるな」だの「もうお前の結婚相手も決まっている」だの、どれも論外で納得のいかないものだったので、エスラは不意打ちで父親を殴り倒し、単身で村を脱走しては皇都の兵士養成所に転がり込んだのである。

 エスラの豪快な説得方法を初めて聞いたのか、身を起こしたレベントがくつくつと肩を揺らしている。しかし当然、そこに嘲りや軽蔑が含まれているわけもなく。


「ふふ、君のご父君が宮殿へ訪れるたび、どこか腰が引けていたのはそのせいだったんだね」

「さあね。陛下にビビってただけじゃないかい?」


 軽口を叩くエスラの様子からして、おそらく父親との関係はそれなりに修復されたのだろう。セダの元へ駆け付ける前は、故郷に帰っていたとも語っていたし──毛玉はふわふわと足を揺らして笑った。


「エスラさまのお父さまは、闘技大会での活躍を認めてくださったのですねっ」

「一応ね。……まぁ、あそこで〈白狼〉候補の剣士と戦う予定ではなかったのよ、本当に」


 よほどフィルゼとの試合が苦しかったのか、エスラは忌々しげにレベントを睨む。だが当の本人はけろりとした笑顔でかぶりを振って。


「はは。でもあのときの僕はもう、エスラに槍を振るうことは出来なかったしなぁ。他の出場者は相手にならなかったし、君が決勝に進むのは必然だったと思うよ」

「調子のいいことを……」

「うふふ、じゃあお二人はもう十年の付き合いになるのですねっ。いいなぁ、毛玉もフィルゼさまと長く一緒にいたい……な?」


 ふわふわぱやぱや、花びらのような綿を散らせていた毛玉は、そこで不意に揺れるのを止めた。

 エスラとレベントが不思議そうに視線を寄越す中、毛玉はころころとクッションから転がり落ち、ぽすっと絨毯へ着地すると、そのまま部屋の扉へと歩き出す。


「毛玉のお嬢さん? どうかしたのかい?」


 毛玉は自分一人では開けられない木製の扉を見上げると、しゅんとした声でレベントの問いに答えた。


「あのぅ、扉を開けていただけませんか? メティが……フィルゼさまのお馬さんが、わたくしを呼んでるみたいです」


 エスラが疑問符を浮かべる傍ら、毛玉が動物と意思疎通を図れることを何となく察していたであろうレベントは、柔和な笑みで「もちろん」と頷く。


「ラタファットと一緒に裏手の方に置いて来たんだけど……何かあったかな?」

「分かりません……でも、何だか困っているようです! メティ〜! わたくし今からそちらに行きますからね!」


 ぴょんぴょん跳ねながら気合を入れる毛玉の後方、レベントとエスラはちらりと目配せをした。


「エスラはここにいてくれるかい。僕がお嬢さんを連れて行こう」

「分かった。……そろそろ夫人との話も終わる頃だろうし、あたしが二人を連れてそっちに合流するよ」

「了解」


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