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追放剣士とピンクの毛玉  作者: みなべゆうり
7.望まぬ再会
46/92

7-3

「──あーあ、やってらんねぇ」


 兜を脱ぎ、湿気で痒くなった頭を掻きむしる。ずしりと重たくなった足を休めるべく、泥にまみれた靴をそこらに放り投げ、浮腫んだ素足を川に浸した。

 彼と同じように休息に入った兵士たちは、やはり一様にうんざりとした面持ちで脱力する。


「ったく、俺たちはいつまであの怪物に振り回されりゃ良いんだ? 〈豺狼〉の部隊に配属されてたら、こんなにあちこち行かされることもなかったろうに」

「同感だ。あっちは反乱軍の拠点をあっさり見つけて手柄を上げたじゃないか。奴らの自慢げな顔が浮かぶな」

「ああ嫌だ嫌だ」


 狼月軍に入った兵士、とりわけ貴族出身の者にとって、〈豺狼〉ケレム・バヤットの部隊は実に魅力的だった。

 彼は故オルンジェック公爵の血を引いているだけあって頭が回る。デルヴィシュ帝が血眼になって捜しているという謎の女人の所在を突き止めるべく、まず初めに〈大鷲〉ティムール・トクを拘束した後、芋づる式に反乱軍の拠点を暴いたのだ。

 ケレムの指示を受けて拠点を襲撃した部隊は、有能な上官の手腕にいたく感激し、他の部隊に配属された哀れな兵士たちを存分に嘲っていた。


『これじゃあ同期のお前たちを置いてどんどん出世しちまうな、寂しいことだ』


 にやついた笑顔を思い浮かべ、彼らが不快感を露わに舌を鳴らしたとき、呆れ混じりの溜息が降ってくる。


「何を言ってるんだか……。君たち、ヤムル城塞都市の話をまだ聞いてないのか?」

「あ?」


 振り返れば、そこには休憩中にも関わらず兜を被ったままの兵士がいた。その愚かしいほど生真面目な態度を一目見て、彼らはそれが平民出身の男であることにすぐ気が付いた。


「何だ、話しかけるなよサジ(・・)。ここは俺たちの休憩場所なんだ、他を当たれ」

「僕の名前はラジだ、いい加減覚えろ。それより〈豺狼〉殿の部隊の話だ。あの人たち、ヤムル城塞都市で全員死んだそうだよ」

「え!?」


 寝耳に水といった具合に飛び上がれば、平民の兵士──ラジが再び溜息をつく。


「ルスラン帝の四騎士、フィルゼ・ベルカントが皆殺しにしたそうだ。〈豺狼〉殿およびヤランジュ隊は部下を見捨てて退却。一方で壊滅を逃れた反乱軍は、再び行方をくらませて追跡が困難な状態……君たち、僕が共有した情報に一つも目を通していないな」

「う、うるさい! お前が回してくる情報なんてどれも些細なやつばっかりだから……」

「今話したことが些細だって言うのか? 君たちが憧れて止まなかった〈豺狼〉殿は、部下が全員死のうが一顧だにしない非情な上官だよ」


 すっかり青褪めてしまった貴族出身のだらしない兵士たちは、それでもなお「そんなはずは」「あいつは生きてるはず」と往生際の悪いことを呟き続けた。

 だが、彼らがそう思うのも仕方ないことだ。ケレム・バヤットは部下の士気を高めるため、任務を終えるたびに過剰な褒美を与えていた。豪勢な料理、あまり実用性がなさそうな派手な武具、娼館を貸し切っての豪遊……爵位を継げない貴族の次男三男では、めったに味わえない贅沢ばかり。

 ラジにしてみれば、特に功績も上げていない状態でそんな褒美を与えられると、喜びよりも不安が勝る。確実に余ってしまうだろう食料は家族に回したくなるし、飾っておくだけの武具なんて売ってしまいたいし、娼館は──まぁ楽しむ者もいるだろうが。

 とにかく、ケレムが行っていた施しは全て、作戦を確実に遂行させるための「餌」でしかない。


(任務を共にする仲間というより、使い捨ての傭兵と同じ扱いじゃないか)


 ケレムにはきっと、騎士の忠誠や誇りといった概念が存在していないのだろう。無論、今の狼月でそんな幻想を抱く方が愚かであることは事実だが。

 ラジは動揺する兵士たちを睥睨し、木々の向こうに立つ天幕を振り返った。


「少なくとも僕たちの上官は、部隊が全滅する前に撤退を命じてくれると思うよ。ああ、あと〈白狼〉様も」

「……」


 不満げな顔で口を閉ざした彼らを置いて、ラジは上官のいる天幕へ向かう。

 天幕の前で直立している二人の大柄な騎士は、ラジの上官が直々に護衛騎士に指名した者たちだ。水浴びの際、彼らの背中にフクロウの刺青が入っていたところから察するに、恐らくは東の部族出身なのだろう。失礼ながらラジは、自分を含めた実戦経験の乏しい兵士たちをぞろぞろと引き連れずとも、上官の傍にはこの筋骨隆々な二人さえいれば十分な気がしている。


「失礼いたします。ニメット様に依頼された進路の調査報告に参りました」

「む……ラジか。少し待っていろ」


 護衛騎士はその厳つい相貌とは裏腹に、微かに口角を上げてくれた。威圧感は拭えないが、ラジも応じるように頬を上げたとき──。


「……! 伏せろ!」

「え?」


 急に肩を押され、視界がめまぐるしく動く。腰の痛みを知覚するよりも先にラジを襲ったのは、天幕を突き破り地面を抉った長い鎖と、人間とも獣とも判別のつかぬ恐ろしい叫び声だった。

 その轟音に背筋が凍るどころか、立ち上がる気力をも根こそぎ削がれたラジは、身を縮めたまま固まることしか出来ない。すると彼の傍にいた護衛騎士の一人が、すぐさま剣を抜いて天幕の中へ飛び込んだ。


「ラジ、離れていろ。きっとまた発作だ。ニメット様が抑えてくれるはずだから、しばらく兵士たちを遠くへ避難させるぞ」

「あ……あ、はい」


 ラジは小刻みに頷いたものの、いつもと様子が違うことに不安を覚える。

 ()がこうして激しい発作を起こすのは今日に限ったことではない。だが、今も天幕の中で上官が必死に声を掛けているのに、全く落ち着く兆しが見えないのは初めてのことだった。

 早めに兵士たちを遠ざけておかないと、望まぬ事故が起きてしまう。ラジは震える足にムチ打ち、急いで踵を返したが。



「──ヴォルカン!! 待ってください、どこへ……!!」



 上官の切羽詰まった声が響いた直後、天幕が一際けたたましい音を立てて崩れる。

 ラジが反射的に伏せると、彼のすぐ傍を重たい足音が勢いよく駆け抜けた。そのまま鎖を引き摺る音がみるみる遠ざかっていくことに気付き、ラジは真っ青な顔を持ち上げる。


「ま、まずい……」

「ラジ!! ヴォルカンはどっちに向かった!?」


 ハッと振り向いてみれば、真っ黒なカフタンとベールを身に纏う女性──この部隊を率いる〈明鴉(あけがらす)〉のニメット・ダリヤが駆け寄ってきた。真っ直ぐに切り揃えた紫紺色の髪の下、いつもは気怠く垂れているグレーの瞳が、この時ばかりは焦りに見開かれている。

 否、それも当然だ。何せこの付近には、狼月軍にとって不都合極まりない場所があるのだから。


「その、ヴォルカン様は西方へ向かわれました……」

「西方……よりによってブルトゥル!? ああ、もう最悪だ、何であっちに行くかな……!」


 ニメットは心底参った様子で頭を抱えたが、悩む時間はそれほど長くはなかった。


「今すぐヴォルカンを追い掛ける! ラジ、ブルトゥルに早馬を送って! 住民に避難を促しなさい!」

「は、はい!」


 指示を受けたラジが慌ただしく走り出す姿を後目に、ニメットは眉間を押さえる。

 彼女がゆっくりと深呼吸を繰り返せば、その仕草を見た二人の護衛騎士が心配そうに腰を屈めた。


「大丈夫か、ニメット」

「お前が抑え込めないとは……何があった?」

「……今朝からヴォルカンの様子がおかしかった。ヤムルでも少し妙だったけど……もしかしたら──」


 ニメットは呼吸を整えると、ゆっくりとブルトゥルの方角を見据えて呟いた。


「……標的がいるのかもしれない」



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