6-10
登山道の脇にそっと隠してきたメティを迎えに行き、毛玉のお喋りに付き合いながらグリの村へ戻る頃には、すっかり日が暮れていた。
だがフィルゼの予想に反して村はまだ眠りに落ちておらず、沢山の明かりが灯る中、何やら大勢の人が広場に集まっているようだった。
「フィルゼさまっ、あちらの方が何だか賑やかです!」
「……そうだな。祭りか?」
「お祭り……!」
メティの頭に乗った毛玉が、ちらちらとフィルゼの方を振り返る。正直かつ分かりやすい仕草に小さく笑いつつ、フィルゼは鞍から降りた。
たてがみを滑り落ちてきた毛玉を荷物に凭れさせ、二つ折りにした外套を鞍に掛けてやれば、彼女がそこに足を引っかけて体勢を安定させる。毛玉が一人でメティの背中に座るには、やはりこれが一番良いなとフィルゼは頷いた。
「落ちるなよ」
「はい! えへへ、ありがとうございます、フィルゼさま」
上機嫌な毛玉がずりずりと外套に体を埋めていく傍ら、フィルゼは賑やかな広場を目指して手綱を引いた。
広場へ近付くにつれて露店が増え、酒と香辛料の匂いが混ざり合う。酒を呷り笑い合う男衆に、花冠をかぶって踊る年若い娘たち。その周りには幼い子供も走り回っていて、皆思い思いに楽しい時間を過ごしているようだ。
だが、これは見たところ長期の準備を要する大規模な祭りではなく、突発的に起きたどんちゃん騒ぎと言った方が相応しい気がした。
「あ! 旅人さん帰ってきた!」
と、広場の輪を抜けて駆け足でやって来たのは、村までの道案内をしてくれた少女ルマだった。
彼女の頭にも花冠が載っており、鮮やかな赤いスカートが焚き火に照らされて光っている。
「ルマ。この騒ぎはどうしたんだ?」
「密猟者が捕まったんだよ! やーっと軍が動いてくれたの!」
フィルゼは思わず目を瞬かせた。
少女の話を詳しく聞いてみれば、フィルゼが登山道で密猟者を追い回していた頃、グリの村に狼月軍からの使者が訪れたという。
使者曰く、自分はマーヴィ城の警備隊の不正行為や職務怠慢を正すため、監査のために寄越された人間だと語ったそうだ。
『村の皆様には多大なご迷惑をおかけしました。今後はこのような不手際が起こらないよう努めます。……ということで、こちら、お詫びの印に』
使者が差し出したのは、住人全員で分配しても余りある食料だった。保存食に加工すれば暫く食事には困らないだろうと、村の女性陣が大喜びしたのは言うまでもない。更には衣類や絨毯に使える糸も一緒に送られたことで、村人は使者の謝罪を受け取らざるを得なかったというわけだ。
(明らかな火消しだな……でも、狼月軍にまともな奴がいるってことか)
狼の密猟という不名誉な事実が広まることを防ぐために、まず早めに住人の不満を取り除き、過大な誠意を見せて丸く収める。フィルゼが狼月にいた頃は、そういった細工が出来る貴族は重宝されたものだ。
例えその意図が透けて見えたとしても、謝罪があるのと無いのとでは軍への心証も大きく変わるから。
「向こうでお肉焼いてるよ! お酒もあったけど旅人さん飲む?」
「いや。酒はいい」
やはり世話好きな性格なのか、今にも広場の案内を始めそうなルマを引き止め、フィルゼは焚き火の周りに集まる少女たちを指差した。
「行ってきていいぞ。俺は適当に見ておくから」
「そう? 宿で休みたかったら広場の北にあるところがおすすめよ!」
「分かった、ありがとう」
ルマの背中をやんわりと押してやれば、ようやく少女は友人たちの元へ向かう。皆で編んだ揃いの花冠を見せ合っては、楽器の音色に合わせて踊りを再開した。
すると、馬上から毛玉のふすふす笑う声が降ってくる。
「わぁ、ふふ、皆さん楽しそうです! フィルゼさま、あの踊りは皆知ってるものなのですかっ?」
「ああ、祭りでよく見るな」
フィルゼはそこで言葉を区切り、記憶を漁るように瞑目した。
「……確か、獣神に捧げる舞が民衆に伝わって、村の祭りでも踊るようになったんだっけな。振り付けは地域や部族によって違うみたいだが」
「へえ~! 伝統的なものなのですね! わたくしも踊りたいです……!」
毛玉が小さな足をぽすぽすと交互に蹴り上げては体を揺らす。踊れているかは微妙だが、楽しそうにしているのでフィルゼは何も言わなかった。
するとそこで少女たちが手を繋ぎ、焚き火を囲うように大きな輪を作る。それまで走り回るばかりだった幼子たちもわらわらと集まれば、単調だった楽器の音色も増えて一段と賑やかになった。
(……皇都ではもう、こういう祭りもしてないんだろうな)
月に一度訪れる、神話と同じ繊月が浮かぶ夜。その日は国の安寧を願うべく皇帝が祈りを捧げる日であり、それに併せて皇都の民も歌や踊りで共に祈ったものだ。
ルスランは半日に及ぶ祈りの後、必ずバルコニーに出て民の祭りを眺めていた。その横顔は疲れを表しながらもひどく穏やかであったことを、フィルゼはよく覚えている。
物思いに耽ったまま歩を進め、彼らの邪魔をしないように広場の端を通り抜けたフィルゼは──しかし、はたと足を止めて後ろを振り返った。
「フィルゼさま、どうされましたか?」
「……いや、今……物凄く見覚えのある顔があったような」
そう言いつつ視線を巡らせた彼は、すぐさま目的の人物を発見しては頬を引き攣らせてしまった。
打楽器が中心だったはずの演奏隊に飛び入り参加を決め、狼月ではあまり馴染みのない撥弦楽器を掻き鳴らし、村の女性陣からの黄色い悲鳴を独り占めにする、金髪をゆるく束ねた絶世の美丈夫。
フィルゼが捜し求めていた〈鷺鷥〉の名を持つ男──レベント・コライは、こちらの視線に気付くや否や、艶っぽいウインクを飛ばしてきたのだった。




