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──山頂にそびえ立つマーヴィ城は、水を打ったように静まり返っていた。
斜陽に照らされた庭園は手入れが行き届かず、かつて豊かに咲き誇っていたという白百合も見当たらない。荒れた庭を巡る水路には枯葉が溜まり、物寂しげな空気ばかりが支配している。
そこに膝をつき、青ざめた顔で並ぶのは武装を解かれた兵士たちだ。彼らは責めるような目で互いを見ていたが、城内から小柄な少年が現れた途端、ギクリと一様に肩を強ばらせた。
「これで全てか?」
「はっ。マーヴィ城の警備と称し、近隣の住人から金品を巻き上げる他、クルトを違法に売買したとの疑いもございます」
少年は呆れ顔で溜め息をつくと、その淡い藤色の瞳を剣呑に細める。そして、その手に持つ一振の剣で石畳を突いた。
「──〈白狼〉のセリル・スレイマンだ。先日、マーヴィ城の警備隊に重大な規律違反が見られたとの報告が上がった。禁猟区において狼月の固有種クルトを狩り、あまつさえ他国の貴族に売り渡す愚行を犯した者共がいるとな」
鮮明な怒りを滲ませた眼差しは、庭に集められた兵士たちを竦み上がらせた。セリルは後ろに控えている補佐官から書簡を受け取ると、そこに連ねられた罪状に改めて目を通す。
「マーヴィ城が禁猟区に指定されていることは誰もが知るところだ。ここへ配属された者ならば尚更、クルトがどれだけ狼月にとって大切な生き物か教え込まれたはずだろうに……貴公らは、帝室の威信を失墜させた自覚はあるのか?」
セリルの冷え冷えとした声音に、大半の者は俯くだけだった。しかし、他の四騎士ならばいざ知らず、若輩者のセリルにとやかく言われることは我慢ならなかったのか、年嵩の男が忌々しげに舌を鳴らす。
「口だけの軟弱小僧が……」
ぼそりと呟いた独り言は思いのほか大きく、しっかりとセリルの耳にも届いてしまった。
何かを察した補佐官がそそくさと書簡を回収して城内に戻ると、セリルはゆっくりと階段を下りる。少年の纏う空気が一変したことにも気が付かず、男は少しばかり不満の声を大きくした。
「大体、これは皇帝陛下のために行っていたことだぞ? 陛下の御代を知らしめるためにも、宮殿の工事費は何としても確保しなければならない。クルトという高級品を利用しない手はないだろうに……尻の青い小僧には政治というものが分からんのだ」
「そこのヒゲ。警備隊長を務めていた男か」
「は? ヒ、ヒゲだと!? 生意気なッ──」
カッとなって立ち上がった男はしかし、眼前に迫った刃の煌めきに言葉を失い、悲鳴すら上げられずに尻餅をつく。
少年はちょうど足元に下りた男の鼻面を膝頭で蹴り上げ、襟首を掴んでは再び地面に叩きつけた。その小柄な体と中性的な顔立ちからは考えられない、容赦のない暴力を見た兵士たちは絶句するばかりだった。
あっという間に抵抗する気力を失った男の前髪を鷲掴み、セリルは先程と変わらぬ涼しげな表情で告げる。
「お前が連絡を取り合っていたタシェ王国の貴族はもう押さえてある。逃げられると思うなよ」
セリルは返事もできない男を放り投げ、牢に入れておくよう部下に命じた。そうしてにわかに騒々しくなる庭園を後にした少年は、城内で待機していた補佐官と目が合い、苦笑する。
「……別に置いて行かなくてもいいじゃないか」
「私は荒っぽいことが苦手ですので……」
「よく言うよ」
利き腕を負傷するまでは、先代四騎士の〈大鷲〉の下で剣を振るっていた時期もあるくせにと、セリルは何とも猫かぶりな補佐官に肩を竦めた。
「今回の件、どう思う?」
「……残念ながら、皇帝陛下は黙認されていたと考えた方がよろしいでしょう。タシェ王国とのパイプ役として〈豺狼〉様が関与していた可能性も否定できません」
「はぁ……またあのおじさんか。本当に好き勝手やってくれるな」
少年は埃を被った城内を歩きながら、異国の香りを纏ういけ好かない紳士を思い浮かべた。なかなか馬の合わない四騎士の中でも、あの男は特に苦手だ。
つい先日もヤムル城塞都市で悪趣味な作戦を実行し、「見学にどうぞ」と正気を疑うような手紙も寄越してきたのだ。不愉快な気分になったセリルが返事すら書かなかったのは言うまでもない。
「皇帝陛下と〈豺狼〉が関わってるなら、罰を下せるのはあの隊長までか。タシェの貴族も向こうから身柄を要求されるだろうし」
「ええ。ですが追及を止める代わりにセリル様がマーヴィ城の管理を申し出れば、却下されることは無いかと。陛下とてクルトの密猟が公になることは防ぎたいはず。歯止めをかけることは十分に可能です」
「……そうだね。陛下に書簡を送ってくれるかな」
「御意に」
〈大鷲〉のティムールが幽閉されて以降、しばらくデルヴィシュ帝の元を訪れていないが、書簡が無事に受理されることを願うしかあるまい。セリルは何度目かも分からない溜息をつき、通気孔から見える緑豊かな山々に目を遣った。
そして、少年は懐から一通の文を抜き取り、ひらりと折り目を開く。
『瑠璃の指輪を穢し、神の縄張りを侵す者あり。去りし狼と共に、討伐を求む。 レベント・コライ』
去りし狼。そう例えられる人間は、一人しか思い当たらない。
先の皇帝が絶対の信を置いたという先代〈白狼〉こと、フィルゼ・ベルカントのことで間違いないだろう。しかしこの文が補佐官を通じて届けられたのは半月ほど前で、件の剣士がヤムル城塞都市を一人で制圧した件をセリルが知ったのはつい数日前のこと。
差出人は一体いつから彼の帰還を知っていたのか、否、予期していたのだろうかと、セリルはタイル地の壁に頬を預けたのだった。
「……来るって信じてたのかな」
去りし狼は、故郷と仲間の危機に必ず駆けつける。
淀みのない筆跡は、そんな確信に満ちていた。




