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「──なるほど。攫われたのは、あなたの弟さんなのですね……」
毛玉は神妙な声で言った。
例え彼女の体が小さな樹洞にすっぽりと収まり、外に出た短い足がぷらんと垂れた間抜けな姿であっても、本人は至って真剣である。
そして毛玉をここに詰め込んだ犯人は、クゥンと犬のように高く鳴き、落ち着きなくグルグルとその場を歩き回っていた。
「弟さんは産まれたばっかりの幼獣で、人間の罠が見分けられなかったと。怪我をしてないか心配ですね……わたくしも産まれたばっかりの頃は右も左も分かりませんでしたし……! きっと寂しい思いをしています!」
小さな小さな子狼の寂しさを想像し、いたく共感した毛玉が「えーん」と泣いてしまえば、黒灰の狼がおろおろと彼女の足裏を鼻先でつつく。
そして彼女をここへ連れて来たときと同様、牙を立てぬようにしてやんわりと体を咥え、樹洞からスポッと引き抜いた。
「あぅ。わっ、うふふ、くすぐったい」
地面にぽとりと落ちた毛玉は、すぐさま黒灰の狼の胸元に抱き込まれる。頬擦りか毛繕いか、いずれにせよ毛玉に噛み付く様子はなく、ただ彼女を元気づけようとしているようだった。
毛玉は狼の少しゴワゴワとした毛並みを全身で感じながら、そういえばと体を上向ける。
「あのぅ、それで、どうして狼さんはわたくしをここへ?」
グルル、と狼が喉を鳴らすように答えた。
「…………。えっ! あ、え!? 親からはぐれた動物の赤ちゃんだと思った!? えーん! ち、違います! わたくし、これでもあの、ええと、に、人間……? 妖精さん……いや鳥さん……なんですよ!」
「どれだよ」と言いだけな狼はしかし、毛玉の身繕いを続けながらまた一つ唸る。
「あ……弟さんみたいに捕まったのかと思って……?」
気落ちした様子で瞼を閉じてしまった狼を見上げ、毛玉は傍にある前脚をぽすぽすと足で撫でた。
密猟者、否、狼月軍に捕まったという子狼は、群れの皆で大事に育てていた末の弟なのだそうだ。まだ狩りにも参加できないほどに幼く、丸まって眠る姿は毛玉とそっくりだとも黒灰の狼は語る。
それゆえフィルゼの懐から落ちてきた毛玉も、弟と同じ境遇なのかと早合点してしまった、と。
「そうだったのですね……。狼さん、さっきの銀髪の剣士様、覚えていらっしゃいますか? あの方がきっと弟さんを取り戻してくださいますよ! ……はい! 本当ですっ。ね、元気を出してください」
心優しい狼の顎に擦り寄りながら、毛玉は「ふむ」と考え込む。
狼の誤解が解けたことは良いとして、ここからどうすべきだろう。狼に咥えられたまま森の中を移動してきたので、毛玉は自分の現在地が全く分からない。初めて入る山なのだから当然と言えばそうなのだが、どうやってフィルゼと合流すればよいのやら。
また小鳥に案内を頼もうかと考え、否と体を左右に振る。彼らは弓を持った人間を怖がる。ついでに言えば気が立った狼のことも怖がっていたので、無理やり呼び戻すのは可哀想だ。
他に何か、山のことをよく知る動物はいないかと悩んだ末、目の前にいる狼に視線を戻し、「そうだ!」と飛び跳ねる。
「狼さん、銀髪の剣士様──フィルゼさまの匂いを辿ることはできますか? もしかしたら既に弟さんを見つけているかもしれませんから、一緒に行きましょう! …………えっと、はい。わたくしのことは後回しにしていると思います……えーん……」
川で見捨てられた経験がある毛玉は悲しみの声を上げつつ、それでも今回は自力で彼の元へ帰らねばと己を奮い立たせた。
頼みを聞き入れてくれた狼がゆっくりと立ち上がるのに併せて、毛玉も「ふんん」と体を変形させる。ピンク色の鳥もどきに変身した彼女は、翼をえいやっと動かして黒灰の狼の背中に飛び乗った。
「ふわっ飛べた! 狼さん! わたくし頑張って背中にしがみつきますので、よろしくお願いします……!」
「ワフッ」
「よーし出発~!」
翼を広げて狼の背中にべったりと腹ばいになり、長い趾を体毛に引っかける毛玉の姿は、やはりお世辞にも鳥類とは言えない体勢ではあったが、球体と比べれば抜群に安定感がある。これなら落ちるまいと頷いた彼女は、狼と共に颯爽と茂みから飛び出した。
「うわァ狼だ!!」
しかし、そこで狼月軍の鎧に身を纏った武装集団が悲鳴を上げ、同じように毛玉と狼も飛び上がった。
「きゃ~!! 人間です!! 狼さん逃げて!!」
「盾! 盾構えろ! 噛まれるぞ!」
「待て、あれはクルトだ! こら兵士ども! 捕まえんか!」
両者ともに大パニックの中、毛玉は何とか狼に走るよう促す。我に返った狼は弾かれたように駆け出したが、眼前に突き立てられた矢に驚いて立ち止まってしまった。
直後、がくんと毛玉の視界が下に落ちる。
「狼さん、大丈夫ですか!?」
二の矢が後ろ脚を掠め、狼の体勢が大きく崩れた。するとすぐさま後ろから数人の兵士が盾を構え、毛玉たちににじり寄る。
彼らの後方、馬に跨った男が「うはは」と愉快げに笑声を上げた。
「まさか成獣がこんなところにいたとは! 何だか変な鳥も引っ付いておるが……まぁいい。新兵なんぞに任せるべきではなかったな。私の手にかかればクルトの捕獲も一発よ!」
「お見事でございます隊長殿!」
「わはは、もっと称賛せよ! ふむ、しかし白銀の毛皮ではないのか……些か汚い色だがクルトには違いあるまい。粗悪品でもタシェの貴族どもが高く買い取ってくれるだろうよ。皮は丁寧に剥ぎ取れ、いいな」
「はっ!」
何とも身勝手かつ残酷な会話を耳にした毛玉は、信じられない気持ちで彼らを振り返る。
フィルゼの推測通り、狼月軍はクルトを他国の貴族に売り払うことで私腹を肥やしているようだ。あるいは、これも宮殿の工事費に替えるつもりなのかもしれない。
彼らにとってクルトはもはや神聖な動物ではなく、金になる道具にしか見えていないのだろうかと、毛玉は怒りとも悲しみともつかない感情に襲われた。
「ううっ……駄目です、狼さんを守れるのは今、わたくししかいません……! し、しっかりしなくちゃ……狼さん、動かないでくださいっ」
また弓で射られてはいけないと、毛玉は狼に伏せるよう囁いた。後ろ脚を引きずりながらも逃げようとしていた狼は、彼女の言葉で立ち止まり、べしゃりと倒れ込む。
「よし、弱ってるぞ。あのピンクの……鳥? はどうするんだ」
「殺せばいいだろ。邪魔だし。それとも食うか?」
「体に悪そうな色してるからやめとけ」
狼がろくに動けないことに安心したのか、盾を下ろした兵士たちが軽口を叩き始めた。毛玉は彼らの方を振り返ると、竦む心を押しのけて狼の背中に立ち上がる。
「えっと、何か強そうな動物、強そうな……ふんん」
ただの見掛け倒しでも構わない。油断しきった兵士たちが腰を抜かすような、大きくて怖そうな獣はいないかと、毛玉は自分の乏しい記憶を漁った。
しかし悲しいかな、彼女はあまり動物に対する恐怖心がない。現に狼の凶暴な一面を目撃してもなお、彼らが恐ろしい獣だという認識には至っていなかった。
それゆえ、やはり何も明確な姿が思い浮かばず──。
「ほら、変な鳥、どっか行け。何だ急にジタバタして」
そうこうしているうちに間近に迫っていた兵士が、毛玉の片足を掴もうと手を伸ばす。
籠手に包まれた大きな手がずいと視界を覆ったとき、毛玉はぞわりと全身が怖気立つのを感じた。
「うう──うううぅッ」
彼女の怯える声が、今までになかった獣性を帯びたのはそのときだった。




