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森で拾った毛玉が記憶喪失だった。
森に毛玉がいるのかとか、毛玉に記憶があるのかとか、記憶のない毛玉って何だとか、そもそもお前は毛玉を生き物と見なしているのかとか。
ツッコミどころは尽きないだろうが、フィルゼの状況はそうとしか言えないものだった。
更に付け加えるのなら、その毛玉は自分に記憶が無いことに気付くや否や、「さっき産まれたからでは?」と雑にも程があるガバガバな推測を結論として固めようとしている。
フィルゼは一人でスッキリしている様子の毛玉を掴み、キュッと軽く握った。
「あぅ」
「待て、さっき産まれたって何だ? それ以前のことは何も覚えてないのか?」
「はい! 気付いたら細切れになって葉っぱに引っかかっていました! そしたらそこにフィルゼさまが来て……」
「気付いたら細切れになっていた」とかいう毛玉にしか語れないであろう恐ろしい体験談が飛び出したが、これが事実なら毛玉は本当についさっき目を覚ましたのだろう。
フィルゼは改めて毛玉を矯めつ眇めつ観察したが、見れば見るほど毛玉である。自分の観察眼はこれほど乏しかっただろうかと軽いショックを受ける反面、誰がどう見ても毛玉でしかないだろうがと謎の怒りも湧いてくる。
冷静さを欠いている自覚があったフィルゼは、そこでひとまず深呼吸を挟んだ。
「フィルゼさま、どうかされましたか? えへへ、あんまり見られると恥ずかしいです」
手の中で、毛玉が照れ照れと短い足をばたつかせる。森で産まれた生き物にしては致命的に警戒心が弱い。
いや、というか。
「産まれたって言うなら母親は?」
生命の誕生に欠かせぬ存在、すなわち母。
フィルゼの疑問を受けた毛玉は、彼をじっと見上げ、自分が引っかかっていた木を振り返る。
「……もしかして、あの木がわたくしのお母様……?」
「毛玉って咲くのか?」
フィルゼは一旦、この話を止めるべきだと思った。
ひとまず毛玉誕生の地(仮)を離れ、フィルゼは夜の森を進むことにした。
彼の左肩にちょこんと座った毛玉は、ほんの少し白んできた空を楽しそうに眺めている。
「ちょっとだけ明るくなってきましたね! フィルゼさまはどちらに向かわれる予定なのですか?」
「狼月に」
「まあ! 何ですか? それ」
そうだ、この毛玉、産まれたばかりだった。
執拗に「産まれたばかりの毛玉って何だよ」と問うてくる脳内の自分を無理やり鎮めながら、フィルゼは腰に佩いた短剣に軽く肘を預ける。
「国の名前だ。……国は分かるのか?」
「はいっ」
「この森を抜ければ、あー……いや、国境はもう越えてるな。とりあえず、狼月に用事があってここまで来た」
「そうなのですね!」
毛玉は狼月の名前を小さく反芻すると、フィルゼが来た道をおもむろに振り返った。
「では森を引き返すと別の国に入るのですか?」
「ああ。隣のレオルフ王国に」
「じゃあフィルゼさまはレオルフ王国のご出身?」
毛玉が前後を見るたびに、頬をふわふわが掠める。……首が無いせいか、方向転換するたびに立ち上がっているようだ。
擽ったさを感じたフィルゼは、毛玉を肩に着席させつつ、先の問いに答える。
「……いや。狼月の出身だ」
「わあ! わたくしと同郷ですね! おかえりなさい!」
声を弾ませる毛玉に、フィルゼは何と答えたものかと視線を宙に浮かべてしまった。
今回の帰郷は、里帰りと呼べるほど穏やかなものではないだとか。そもそも狼月には二度と帰れないはずだったとか──ゆえに、「おかえりなさい」などと言ってもらえる立場ではないだとか。
ぽつぽつと浮かんだ答えはしかし、喜ぶ毛玉を見て霧散した。
「あんた狼月に産まれてまだ半日も経ってないだろ」
「えっ……だ、ダメですか? お揃いで嬉しかったのに……」
産まれたばかりという前提で話を進めているが、そうでなくとも毛玉に記憶が無いことに変わりはない。
途端に不安げな様子でそわそわし出したところを見るに、フィルゼに何かしらの共通点を見出して安堵を得たかったのだろう。
そんな姿を見てしまえば、元より加虐嗜好など持ち合わせていない身、フィルゼは先ほど何気なく放った言葉を撤回した。
「……別に駄目ではな」
「わーい! 狼月は何が有名なんですか? どんなところですかっ? わたくしのようなピンク色のふわふわは暮らしてますか!?」
「いない」
ふわふわふわふわ。左肩から耳を踏み台に、頭を経由して右肩へ。大喜びで跳ね回る毛玉を、フィルゼが空中で捕まえたときだった。
「そこの男、止まれ」




