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ネヒル城を後にして三日ほど。
フィルゼは狼月軍の進行ルートを大雑把に絞りつつ、ヤムル城塞都市を目指して比較的安全と思われる旧街道を北上した。
道幅が狭く、さまざまな災害によってあちこちが崩れた旧街道は、大勢での移動には適さない。一方で、フィルゼのように単騎で通り抜けるだけなら何の問題もなく、賊の襲撃も少ないので快適さすら覚える道中となった。
しかし人と滅多に会わないので、少し寂しさを覚える旅人も中にはいるだろうが──フィルゼには常にお喋りな毛玉が傍にいるため、やはりその心配も不要であった。
「フィルゼさま、わたくし、この絨毯の鳥さんを覚えてたんだと思います!」
鞍の後ろ、フィルゼと背中合わせにちんまりと座り込んだ毛玉は、丸めた絨毯を小さな足裏ですりすりと擦りながら言う。
「鳥?」
「はい! ほら、この鳥さん、足が大きく描かれてるでしょう? 嘴も大きめで……初めて鳥さんになったとき、きっとこの鳥さんの絵を思い浮かべたんです」
「ふぅん、なるほどな」
「うふふ」
あのとき目の前には本物の小鳥がいたはずなのに、何故あえて見る者をほんのり不安にさせる鳥を思い浮かべたのだろうかと、フィルゼが心の中で疑問を抱いているとは露知らず、毛玉は楽しそうに笑っていた。
ちなみに、毛玉に備わった不思議な変身能力は、今のところ鳥しか成功例を見れていない。
昨晩、眠る前にメティと何か喋っていた毛玉が、唐突に「わたくしもお馬さんになれば良いのでは!?」と言い出し、一人でしばらく格闘していたのだが──。
『ふんん……えい!』
『……? なんか変わったか……あ……』
結論から言うと、毛玉に耳らしきものが生えて終わった。
その耳も馬ではなくキツネに近いもので、頭に三角のコブが二つ出来たかな、といった感じの仕上がりである。
少し違和感があったのか、毛玉はフィルゼの手に頭を押し付けながら尋ねた。
『あのぅ、どうなっていますか? わたくし……』
『馬じゃないことは確かだな』
『えーん! ごめんなさいメティ! わたくしも一緒に隣で走りたかったのに!』
「いや別にそこまでしなくても……」と言いたげなメティに宥められながら、毛玉はその後いつも通り突然寝たのだった。
「──残念ながらお馬さんは駄目でしたが、鳥さんなら色んな姿になれるかもしれません……! 鳥さーん! わたくしにお勉強させてください!」
「待て呼ぶな、一斉に来たらメティが驚く」
「あっ、そうですね! えっと、じゃあ、代表の方! 一名様で!」
毛玉がふわふわとした声で呼びかけた直後、バサッ、と非常に近くで羽音がした。
まさかもう鳥の代表が来たのかと、鳥の代表って何だろうかとも思いつつ、フィルゼは恐る恐る後ろを振り返る。
「きゃあ……! かっこいい鳥さん……!」
足をバタつかせて喜ぶ毛玉の目の前、丸めた絨毯を足場にして降り立ったのは、猛禽類と思われる小さな褐色の鳥だった。
獲物を捕えることに特化した鋭い鉤爪と、細かい横斑のついた真っ白な胸。すらりと姿勢良く立った鳥は、その凛々しい双眸で不思議そうに毛玉を見詰めている。
動物に対してだけはまるで怖がることを知らない毛玉は、きゃっきゃと足を動かして挨拶を始めた。
「初めまして鳥さん! わたくし毛玉と申します! とっても素敵な羽ですね! あなたは……もしかして巣から旅立ったばかりなのですか? まぁ凄い!」
早くも会話が弾み出したことに戦きつつ、フィルゼは視線を前に戻した。鳥も時折「キィ」と相槌を打つように小さく鳴いているので、いきなり毛玉を鷲掴んで飛び去ることはないだろう。……多分。
その後しばらく二人の会話に耳を傾けていると、どこの空を飛んできただの、さっき美味しい虫を食べただの、あっちの山は大きなクマがいるから気を付けろだの、鳥はすっかり毛玉を仲間と思い込んでいるのか、いろいろと情報を共有してくれているようだった。
──その中で。
「……火? 火を見たのですか? どちらで……?」
毛玉の不安げな声がした、すぐ後。
「きゃあ!」
鳥がいきなり羽を動かし、勢いよく飛び立った。
フィルゼは咄嗟に後ろ手で毛玉を掴むと、そのまま上着の内ポケットに突っ込んでおく。
「フィルゼさまっ、鳥さんがこの先で火を見たと」
「ああ、聞こえてた」
鳥が見た「火」の出処は、恐らくこの旧街道を抜けた先──ヤムル城塞都市だろう。
元々あまり良い予感はしていなかったものの、これは少し急がねばならないようだと、フィルゼは手綱をしっかりと握り締めたのだった。




