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「きゃー! 誰ですか──フィルゼさま! メティ! わあ嬉しい! お久しぶりです!」
「油断も隙も無いな、あんた」
木陰に座って一所懸命に両足を振っていた毛玉は、素早く体を掴まれたことで悲鳴を上げた後、それがフィルゼであることに気付いては歓喜の声を上げた。
まるで十年ぶりに再会を果たしたかのように喜ぶ毛玉を、フィルゼは相槌もそこそこに上着の内ポケットに突っ込む。つい先ほどまで落ち込み気味だったメティも嬉しそうに耳をパタパタと動かしているので、これでひとまず安心と言いたいところだが。
フィルゼは木々の隙間から、河岸にある狼月軍の天幕を見遣った。
(さっきの子供……あの拠点に戻ったな)
あれぐらいの年齢なら小姓か従騎士か。過去のフィルゼのように、既に戦場へ出ていても別段おかしくはない年齢に見える。
つまるところ──あの少年も、ピンク髪の女の捜索任務に加わっている可能性が高いというわけで。
フィルゼが少々険しい表情でメティに跨ると、彼が何か言うよりも前に脇腹の辺りから声が聞こえてきた。
「フィルゼさま、わたくしお友達が増えました! セリルという男の子で、川に流されていたわたくしを助けてくださったのです! まだ十五歳なのにとってもお強くて……あ!」
喋りながらもぞもぞとポケットの中で動いていた毛玉が、短い足でぺいっと上着の合わせを捲る。
「フィルゼさまにも言っておかなくては……! わたくし、フィルゼさまにも怪我をしてほしくないので、危ないと思ったら戦わずに逃げてくださいね……!」
「あんたを置いてか?」
「え!? えーん! そ、それでも構いません! 悲しいけど……フィルゼさまがお怪我をするぐらいなら……寂しいけど……でもでも……」
置いて行かれたら確実に泣いてしまうくせに何を言っているのかと、フィルゼはめそめそと殊勝な言葉を吐く毛玉をおざなりに撫でておいた。
「冗談だ。こんな軽い毛玉、置いて行く方が手間だろ。心配しなくていい」
「フィルゼさま……!!」
「それより、もう川には一人で入るなよ。水分補給は俺がいるところで頼む」
「はい!」
ふわ、と花びらのような綿が舞い始めたところで、上着の合わせを戻す。そうして手綱を操りながら、フィルゼは逡巡の後、ネヒル城を迂回するための道へと進んだ。
元々、ネヒル城は既に制圧済みという前提で様子を見に来ただけで、ここまで接近する予定はなかった。要らぬ騒動を起こさぬためにも、早めに離れるべきだろう。
しかし、予想していた通り城に狼月軍が居座っていること、その麓にも拠点が敷かれ、彼らがピンク髪の女を今もなお総力を挙げて捜していることなどは確認できた。少々のアクシデントはあったものの十分な収穫だったと言えよう。
残るトク家の別邸は、いずれもネヒル城と比べると小規模でありながらも、要衝地近辺の拠点として必要十分に機能し得る。ゆえに、唯一隠れ家として使えたはずのヨンジャの丘が無人だったことからも、恐らくセダはどの城にもいないと見てよい。
次はどこを捜すべきか悩むところだが、何にせよまずは情報が欲しかった。狼月軍と居合わせる可能性は高いが、いくつか街道沿いの町へ立ち寄る必要があるだろう。
林を抜けるや否やメティの脇腹を軽く蹴ったフィルゼは、強く吹き付けた風に目を眇めつつ、先程耳にした狼月兵たちの会話を思い返した。
『──聞いたか、手配書の女がヤムル城塞都市で目撃されたらしいぞ』
上着の内側でもぞもぞと動く毛玉をちらりと一瞥し、フィルゼは眉を顰めたのだった。
◇
「……どうするんだ?」
問いかけた声は、思いのほか低かった。
怒りを滲ませたわけではない。ただ、何をどう言葉にすればよいのか分からなかっただけだ。
さらに厳密に言うならば、己の声に乗せる感情すら枯れ果てていたものだから、思いのほか空虚な問いかけになってしまった。
こうして誰にともなく問いかけることこそが、誰も解決策など持ち合わせていないだろうという諦めを如実に表してしまうと知りながら、それでも口にせずにはいられなかったのだ。
「奴ら、俺たちをヤムルに閉じ込めるつもりで、あんな噂を……」
「ああ、やめてくれ。みんな苦しいのは同じなんだ。罠に掛けられたってことも、みんな分かってる!」
苛立った声が石壁に反響する。
篝火に照らされた方を見てみれば、革鎧を身に着けた青年が頭を抱え、階段に蹲っていた。彼は大きく呼吸を繰り返すと、ぐっと唾を飲み込み、苦々しく告げる。
「……ここにセダ様はいない。俺たちが捕まるのも時間の問題だ。だから」
「これ以上、仲間がヤムルへ集結しないよう、外に知らせる手段を講じなければ」
項垂れた皆の視線が、白いベールをかぶった娘に集中する。
長いピンク色の髪を背中に垂らした彼女は、緊張に青褪めた唇を噛み、おもむろに立ち上がった。
「誰か一人でもいい。城門を突破し、ヤムル城塞都市が〈豺狼〉の掌中にあることを広めなければいけません。さもなくば──我々は謀反人として、ここで一人残らず処刑されます」
歯に衣着せぬ物言いに、誰かが息を呑む。しかしそれが誇張でも何でもなく、現実に起こり得ることであると分かっていたために、彼女の発言を咎める者はいなかった。
するとその隣、先程よりも少しばかり冷静さを取り戻した青年も立ち上がる。
「……〈大鷲〉様もセダ様もいらっしゃらない状況下、不安で仕方ないのは分かる。でも、だからこそ俺たちがここでやってもない罪を認めたら、お二方を処刑する口実にされてしまうぞ」
いいか、と青年は力強く前置いた。
「〈豺狼〉に捕まって、どんな拷問を受けたとしても、反乱軍だなんて認めるな。俺たちは──潔白だ」




