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取り囲むようにして立つ三人の男を見上げ、セリルは「またか」と小さく溜息をついた。
光沢のある白金の髪に、けぶるような紫の瞳。子供から大人へ移り変わろうとしている中性的な顔立ちとくれば、厄介な輩に目を付けられることは多い。
自分の容姿が特定の市場において高値で売れるということを理解していたセリルは、少々うんざりとした面持ちで彼らをにらみ返した。
「何? 迷子じゃないから放っといてくれない?」
「どうせ近くの集落に住んでるんだろ? 俺たちが送って行ってやるよ」
「最近は物騒だからなぁ。ほら見ろ、狼月軍があんなところに拠点なんか敷いて」
ちらりと見遣った先には、黒い軍旗をはためかせた天幕の群れ。
狼月軍が近くにいると分かっていながら、こうして少年をかどわかそうとする度胸は認めよう。そもそも今の狼月軍に、犯罪の抑止力が無いという情けない現状はさておき。
セリルはそこで、手のひらに乗せた毛玉がみるみる小さくなっていくことに気付いた。怖がっているのか、小さく震えている。
しまった、と慌てて少年が毛玉を撫でたなら、それを見た男の一人が強引に毛玉を奪い取ってしまった。
「あ、おい!」
「何だ何だ? 最近のガキは変なぬいぐるみが流行って──」
「えーーーーん!! 降ろしてください!!」
「ギャアアアアア喋った!!!!」
絶叫した男が思わず毛玉を宙にぶん投げた直後、その眼前に誰かの靴裏が迫る。
疑問符が浮かんだのも束の間、顔面に埋まった足が男の体ごと吹っ飛ばす。前歯を数本持っていかれた男は、そのまま派手に川へ落ちた。
「な……」
残る二人が唖然と水飛沫を見遣る中、豪快な飛び蹴りを決めたセリルはひらりと着地する。そして「えーん」と泣きながらふわふわ落ちてきた毛玉を両手でキャッチすると、低木の葉に乗せてやった。
「ごめん、ちょっと待ってて」
護身用のナイフを引き抜いたセリルは、同じく刃物を取り出した男たちを振り返ったのだった。
「喧嘩売る相手はちゃんと選びな、人攫い」
「このガキ……!」
いきり立った男が分かりやすい動きで大きく踏み込み、振りかぶった獲物でセリルの肩を狙う。
彼らの目的はセリルを出来るだけ良い状態で売り飛ばすことであり、ゆえに顔を狙いに来ないことが分かっている以上、最初からハンデを貰っているようなものだ。セリルは想定通りの軌道を進んできた刃先を受け流し、よろめいた男の顔面に肘を打ち込む。鼻を折るつもりで放った肘鉄は、見事に男を撃沈させた。
そうして間髪入れずに後ろから襲ってきた拳を躱すと、その伸び切った腕にナイフを突き刺し、肩で担ぐようにして投げ飛ばす。
苦悶の声を上げて転がった男は、腕を庇いながら息も絶え絶えに「待ってくれ」と声を張り上げた。
「わ、悪かった! 命だけは……!」
「命乞いするぐらいなら最初からやるな。それから見逃すつもりはない。ちょうどそこに拠点があるから、軍に突き出さないとね」
「ひぃ……!」
諦めの悪い男は悲鳴を漏らすと、よろめきながらも一目散に逃げた。すると他の二人も後を追うようにして走り去る。
「……そっちにも兵士がいるんだけどな。まあいいか」
セリルは溜息をつき、ナイフを鞘に収めつつ後ろを振り返った。葉っぱの上にちょこんと座っていた毛玉は、目が合うなり「セリル!」と飛び跳ねる。
「お怪我はありませんか!? えーん! あんなに人相の悪い方々、初めて見ました!」
「平気だよ。毛玉こそ投げられてたけど大丈夫だった?」
「はい、びっくりしましたけど痛みはないので……」
さすが滝から落ちても無傷なだけはある。セリルは苦笑しつつ、ひたすらこちらの身を案じる毛玉を両手で掬い上げた。
「それにしてもセリルはとってもお強いのですね……! わたくしの恩人様みたいです!」
「恩人様?」
「はい! わたくしが細切れになっていたところを助けていただきました」
「こ、細切れ」
人間同士の会話ではまず聞かないフレーズに頬を引き攣らせると、恩人のことをきゃっきゃと語っていた毛玉が唐突にしゅんと縮む。
「でもわたくし、やっぱり見知った方が怪我をしたらと思うと怖くて堪りません……セリルもどうか、危ないと思ったら逃げてくださいね」
セリルはつい目を瞬かせ、間の抜けた顔で毛玉を見詰めてしまう。
「逃げる?」
初めて聞いた単語だと言わんばかりの反応に、毛玉がぴょんと小さく跳ねた。
「せっかくセリルとお友達になれたから、わたくし、またお話したいです。セリルが怪我をしてしまったら、会える機会が減ってしまうでしょう?」
「ああ……まぁ、それは、そうだね」
「ほら、ね!」
命あっての物種、ということだろう。セリルは毛玉の言わんとしていることを汲み取り、暫し沈黙した。
本音を言えば、セリルが今後「逃げる」という選択をする機会は、恐らく訪れない。
彼はまだ幼いが、既に己の肉体の使い方──とりわけ他者の命を奪うことについての知識と経験は、並の大人よりも豊富であった。
無論、好き好んで武器を手にしたわけではないし、穏便に済むのなら当然それが望ましい。その上で「逃げる」ことはないと分かっていたし、許されないと分かっていた。
『──お前の存在価値は何だと思う』
問いかける低い声。
ずしりと重たくなった気分に圧され、セリルがつい瞼を閉ざすと。
「セリル……? わ、わたくし何か嫌なことを言ってしまいましたか? ごめんなさい……えーん……」
「! あ、ごめん、違うよ」
ぺしゃ、と俯せになって悲しそうに謝る毛玉に気付き、セリルは慌てて丸い体を起こしてやる。
しかしそうして毛玉を宥めているうちに、セリルは少しばかり視野が広くなったような気がした。
(……僕が逃げずに戦って、ひどい怪我をしたとして。皆がどうとも思わなくても、毛玉は泣いてくれるのかな)
もしそうなら、それは嬉しいかもしれない。いや、毛玉からしたら悲しいことだろうけれど。
セリルはどこか雑然とした思考を持て余したまま、先程よりも幾分かしっかりと毛玉を撫でた。
「……うん。約束するよ。無茶なことはしないって」
「本当ですかっ? それなら、えっと、指切りをしましょう!」
えへへと安心したように笑った毛玉は、セリルの親指を足できゅっと挟んだ。独特な指切りの方法にセリルは思わず笑ってしまったが、応じるように残った指で毛玉を軽く握ってやった。
するとちょうどそのとき、遠くからセリルを呼ぶ声が聞こえてくる。残念だがそろそろお別れの時間が来たようだ。
セリルは今度こそ毛玉を木陰に降ろすと、風で飛んでいかないよう隣に小石を置いておいた。寄りかかるか足で挟むかすれば少しは踏ん張れるだろう。
「もう行かないと。さっきは巻き込んでごめんね」
「いいえ、わたくしこそ引き留めてしまって……どうかお元気で、セリル!」
「うん。毛玉も」
ふわふわと毛玉を撫でたセリルは、手を振って川下の方へ歩き出した。試しに橋の辺りで振り返ってみれば、やはりまだ毛玉が足を振っている。セリルも最後にもう一度だけ手を振り返し、やわらかな笑みをこぼした。
奇妙だけど優しい生き物だったなと、少年が肩を竦めたとき、いくつかの足音がこちらに駆け寄ってきた。
「──〈白狼〉様! こちらにいらっしゃったのですか!」
狼月軍の鎧を着た兵士が、セリルの前に跪く。
彼らを見下ろした少年は、その眼差しに少し疲れたような色を宿したものの、すぐさま切り替えるように瞼を閉じた。
「何か問題でも起きた?」
「はっ、付近で怪しい男が三名ほど彷徨いていたとの報告が」
「ああ、さっき僕を襲ってきた人攫いだ。ちゃんと処分しておいて」
「御意に。それから……その者たちかどうかは不明なのですが、巡回していた兵士が数名ほど昏倒させられておりました。誰も犯人の姿を見ていないとのことですので、調査にはしばらく時間が掛かりますが……」
「……」
眉を顰めたセリルは、はたと思い当たり、自分が先程まで座っていた木陰を振り返る。
一体いつの間に迎えが来たというのか、既に毛玉の姿はそこになかった。
「……恩人様」
「はい?」
「いや、何も。出発するまで警戒を怠るな」
セリル──皇帝の新たな四騎士であり、〈白狼〉の名を授けられたセリル・スレイマンは、兵士たちを伴って狼月軍の拠点へと歩き出したのだった。




