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追放剣士とピンクの毛玉  作者: みなべゆうり
3.ピンクの毛玉がドンブラコ
15/92

3-1

『フィルゼ。またティムールと喧嘩でもしたのかい』


 むすっと唇を曲げて黙り込む少年に、濡れ羽色の髪をした男がからからと笑う。

 男は白貂の上等な毛皮を侍従から受け取ると、それを躊躇なく少年の肩に掛けてしまう。侍従が声もなく口を開け閉めしようとお構いなしだった。


『ティムールに息子がいる話はしたかな』

『……はい』

『私の乳兄弟でね。今は星合の島々にいる』


 ゆったりとした歩調で進む男の後ろを、少年は毛皮を引きずらぬようにしながら、もたもたと追いかける。この男は少年が少しでも寒そうな格好をしていたら、いつもこうして自分の上着やら毛皮やらを掛けてくるのだ。侍従から毎度、冷や冷やとした視線を送られる身にもなってほしい。

 光を照り返す溜め池の周り、眩しい日差しをやわらかく遮る木々の群れを眺めながら、男はちらりと少年を見遣った。


『もう長いこと会ってないから、君に構うことで寂しさを紛らわせてるのかな。鬱陶しいかもしれないけど、大目に見てやってくれ』

『……。…………俺はそいつじゃないので嫌です』

『あっははは! 君らしい!』


 生意気ならそうと言えばよいものを、男は愉快げに笑って少年の頭をわしゃわしゃと撫でる。


『勿論、君は君だ。フィルゼ、ティムールは君がよく食べて、よく寝て、宮殿の者たちと打ち解けてくれるよう願っているだけさ。私もね』

『必要なら、そうします』

『言ったね。なら試しにラティフと昼食でも取ってみると良い』

『えっ』


 ラティフというのは侍従の名前だった。少年と全く同じ反応を示した彼は、まだ毛皮を気にしている様子ではあったが、ぎこちなく口角を上げる。

 対する少年は──それ以上に錆びついた動きで、一歩下がったのだった。


『おやおや怖いのかいフィルゼ』

『いえ怖くは』

『私を刺客から颯爽と助けてくれた勇姿はどこへ行ったのか。これでは子猫にすら怯えてしまいそうだな』

『怖くない!!』


 鬼気迫る顔で、それこそ刺客を仕留めたときと似たような表情と足取りでラティフに近づけば、命の危険を感じた彼が悲鳴を上げて逃げ出す。

 何とも滑稽な様子を見ながら、男は腹を抱えて笑っていた。



 ◇



「よく寝るな、この毛玉」


 日が沈めば急激に口数が減り、気付けば短い足が消えてただの毛玉と化し、日が完全に昇りきるまで目を覚まさない。その速やかな入眠と爆睡っぷりを初めて見たときは、失礼ながら死んだのかと思った。

 そんな毛玉の健康的な睡眠事情に感心すら覚えつつ、フィルゼは静かに身を起こす。

 ヨンジャの丘から西へ進み、通りがかった小さな集落で食料を調達しつつ、また西へ。その途上、ぽつぽつと雨が降ってきたので、この洞穴で夜を明かすことにした。

 絨毯の上に毛玉を置き、洞穴の外を窺う。薄暗い林は湿気を帯び、葉から滴り落ちる水が淡く煌めく。ついさっき雨が止んだのか、早朝の空にはまだうっすらと雲が残っていた。

 洞穴を振り返れば、腹ばいになって毛玉をじっと見守るメティの姿がそこにある。


「……もう少し寝かせてもいいか」


 メティはあまり疲れた様子を見せないが、それでも休息は必要だ。まだ起きる気配のない毛玉を一瞥し、フィルゼは外へ出た。




 彼は記憶を頼りに歩を進め、見晴らしの良い崖に立つと、ゆっくりと視線を横へずらしていく。すると河を挟んだ向こう側、大きな古城の一部が山間部に見えた。

 ネヒル城。トク家が所有する城の中で、最も古い建築物だ。狼月の長い歴史において、あの城が防衛拠点として用いられた機会は非常に多い。

 フィルゼも四騎士時代に何度かネヒル城へ赴き、南部地域に跋扈する不穏因子の掃討に当たったことがある。彼らは狼月に吸収される以前、南部を支配していた一族の末裔ということもあって、賊と呼ぶには規模が大きかった。和睦交渉も虚しく、彼らが勢力を増しながら北上を始めたところで、とうとう四騎士が動員されたというわけだ。

 記憶を掘り起こすのもそこそこに、フィルゼは手頃な木に登っては周囲を広く見渡した。


「天幕があるな……」


 古城のある山の麓、ちょうど河に面した辺りに幾つかの天幕が張られている。立てた黒い旗に描かれるは、三日月を懐に抱く狼の紋章──狼月軍の拠点と見て間違いない。

 いくら難攻不落の城と言えども、ティムールが不在である以上、皇帝の旗を掲げた軍がそこを占領するのは容易いことだ。反乱軍を指揮した罪人の財産を押収するといった体で、かの城を己の拠点としたのだろう。

 これがピンク髪の女を捜すためと考えると、些か手が込み過ぎているような印象を受けるが……ここまでしても恐らく捕まっていないのだから、妥当と言うべきなのか。

 しかし、件の女が今現在も逃げおおせているのは、やはり人智を超えた現象で毛玉になってしまったからなのではと、フィルゼが洞穴で爆睡しているピンク色を思い浮かべたときだった。


「きゃあ~……フィルゼさま~……!」

「!」


 遠くからへなへなとした悲鳴が聞こえ、弾かれるようにして木から飛び降りる。

 来た道を急いで戻ってみれば、洞穴からメティの姿が消えていた。無論、絨毯の上にいたはずの毛玉もいなくなっている。

 この短時間でどこに、と辺りを見回してみれば、再び「わあ~!」と毛玉の声が聞こえてきた。心なしか距離が遠くなったが、その方向を捉えたフィルゼはすぐさま駆け出す。


「……メティ!」


 林を抜けると、川辺で立ち往生している黒馬を見つけた。嫌な予感がして川下の方を見れば、案の定ピンク色の毛玉が流されているではないか。

 フィルゼはその先に滝があることに気付き、咄嗟に長い枝を探しながら声を張り上げた。


「毛玉! あんた鳥に……」


 いや、鳥になったところで足がつかなければ飛べないのでは? そもそも毛玉が安定して飛べるとも限らないし──と考えているうちにも、毛玉はどんどん流されていく。


「フィルゼさま~! ど、どうしましょう~! お水を飲みたかっただけなのに~! え~ん!」

「……下手に動かないで良い! あんた溺れることはないだろ!」

「え!? 待ってくださいフィルゼさま、え! 全然追いかけてきてくれてない! あれ!?」


 こちらを見てショックを受ける毛玉には悪いが、この川は流れも速ければ水深もそれなりにある。フィルゼとて考えなしに飛び込めば溺れる可能性があった。


 しかし、重さなんてほとんど無い毛玉は、じっとしていれば沈むことなんてないわけで。


「──陸に上がれたら、そこで静かに待機!」

「え、えーーーーーーん!」


 フィルゼが指示を出すのと、滝の落ち口からぽーんと投げ出された毛玉の悲鳴が響くのは、ほぼ同時だった。



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