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追放剣士とピンクの毛玉  作者: みなべゆうり
2.主を失った狼
13/92

2-6

 黄金の首輪が外されたとき、〈白狼〉はただの獣と化すだろう──どこの誰が唄ったのかは知らないが、当たらずとも遠からず、そのとき確かにフィルゼの理性は消し飛んだ。


『ひ……!』


 事切れた主人の骸を横たえ、血の匂いを纏わせた醜悪な男の喉を掻き切らんとする獣を止めたのは、すんでのところで間に入った〈大鷲〉だった。

 甲高い剣戟の音と、〈白狼〉の名を冠した青年の気迫に負け、情けなくも尻餅をついた男を足蹴にして老人は叫ぶ。


『馬鹿者ども、さっさと連れて行かんか!! 貴様らの主人が殺されても良いのか!?』


 兵士たちが弾かれたように動き出し、歩けない男を羽交い絞めにして引きずってゆく。

 その光景を瞬きもせずに凝視していたフィルゼは大きく舌を打つと、立ちはだかる老騎士を忌々しげに睨みつけた。


『どけ!! 陛下を殺したのはあの男だ!!』

『頭を冷やせ! 何も証拠がない状態で殺せば、お前はただの無法者に成り下がるぞ! 然るべき手順を踏めと日頃から……』

『陛下が死んで誰が得をするかなんて分かりきってる!! あんただってそうだろ!?』


 力任せに剣を払い、震えた息を大きく吐き出す。

 老騎士はフィルゼにも負けぬほどの悲哀を滲ませていたが、それでも怒りで我を忘れるような醜態は晒さず、強く瞼を閉じて言った。


『……分かっておる。だが……下らぬ罪で、お前まで死なせたくない。それは陛下だって同じはず』


 ──だからどうか、剣を下ろしてくれ。フィルゼ。



 ◇



 台形に整えた口髭、不機嫌そうに顰められた太眉、情熱を滾らせた鋭い眼。

 絵画であっても伝わる暑苦しさと、それを上回る懐かしさに、フィルゼはつい視線を落とした。


「……〈大鷲〉の爺さんは、俺の立場がそれ以上悪くならないように、いろいろ取り計らってくれたんだ。デルヴィシュが陛下を殺したという証拠を掴むために、貴族会議で事件の調査も訴えてくれた」


 だが、ティムールの訴えが認められることは終ぞなかった。貴族会議に出席していた者の半数以上が、ルスランは「病死である」という意見で合意したせいで。

 ルスランが死亡する直前に吐き出した血から、毒物の反応が出たにも関わらず。


「いつも直情的な爺さんにしては慎重な立ち回りだったと思うが……あの人は根回しと無縁だからな。貴族会議に出席した連中が、すでにデルヴィシュと繋がってることは予測してなかったんだろ」


 かく言うフィルゼも、彼らがデルヴィシュに買収されていることに気付いたのは、その会議で四騎士の称号を剥奪された後だった。


『どこからどう見ても、ルスラン陛下はご病気で亡くなられたというのに』

『デルヴィシュ様を犯人と決め付け、襲いかかったという話ではございませんか』

『やはり平民の出というだけありますな。少し頭が……』

『ああ、おぞましい』


 あの場で全員斬り殺さなかったことを〈鷹隼〉からは大袈裟に褒められたが、確かに当時、半狂乱に陥っていた自分にしてはよく我慢ができたなと、フィルゼは他人事のように感心する。

 無論、それも全てティムールたちから「堪えてくれ」と懇願された結果に過ぎないのだが。


「……フィルゼさまは、その後レオルフに?」


 一緒にティムールの肖像画を見上げていた毛玉が、また体一つ分ほどフィルゼの首に擦り寄って問う。毛玉の分かりやすい気遣いに苦笑を返しつつ、彼はふわふわとしたピンク色に頬を預けた。


「ああ。どうしても陛下の死因が覆らない以上……本当に、頭を冷やした方が良いと思ってな。あのまま宮殿に残っていたら、自分でも何をしでかすか分からなかった」


 既にフィルゼは帝室の人間であるデルヴィシュに刃を向けたことで、処刑とは言わずとも厳罰が下される予定だった。ティムールや当時の狼月軍将校らの嘆願によって罰は軽くなったものの、〈白狼〉の称号と騎士爵を剥奪した上で宮殿を出ることは確定していて──何もなければ、それで済むはずだったのだが。


「俺の処分が決まった後、デルヴィシュが……自分の近衛騎士になるなら罪を不問にすると言ってきたんだ」

「えっと、このえ……って、ええ!?」


 毛玉がぎょっとして、怒ったように飛び跳ねる。


「そ、そんな! そのデルヴィシュという方、フィルゼさまの気持ちを何も考えてないじゃないですか!」

「いや、よく考えてたと思うぞ。俺が拒否すると分かった上であんなことを言ったんだからな」

「むむむ……!」


 そう、デルヴィシュは確実にフィルゼを消すために、わざと彼の神経を逆撫でするような提案をしたのだ。未熟な剣士が挑発に乗って再び手を上げれば、今度こそ死刑にすることが出来るだろうと踏んで。

 幸い、ティムールたちに冷静な振る舞いを心がけるよう言い含められていたフィルゼは、終始剣を抜くことなく提案を拒否した。──デルヴィシュの首を刎ね落としてやりたい気持ちを何とか宥めすかしつつ。

 しかしその対応が気に食わなかったのか、デルヴィシュは腹立たしげに舌を鳴らし、こう言ったのだ。


「『ならば二度と狼月の地を踏むな』だとさ」


 お前は今、再び〈白狼〉の地位に返り咲く機会を不意にしたのだと、デルヴィシュは唾を飛ばして怒鳴り、フィルゼが立ち去る前に早々と城門を閉ざした。

 気性が荒いとは聞いていたが、あの激高っぷりは凄まじいものだった。無論、しばらくしてから「怒ってるのはこっちだろうが」とフィルゼも一人ムシャクシャしたものだが、それはさておき。


「そんな、フィルゼさま、お城どころか国から追い出されてしまったのですかっ?」

「そうだな」

「酷いです! ……あれ? でもフィルゼさま、狼月に来てますね」

「そうだな」


 不思議そうに傾いた毛玉に、フィルゼはしれっと答えてやった。


「『当該の発言はごく個人的な場での口論から生じたものに過ぎず、書面で通告もされてないため無効』と言い張れば良いって、レオルフのお偉いさんから助言を貰った」

「わあ、その方とっても賢いですね!」


 毛玉がきゃっきゃと褒めそやしているが、そんな屁理屈じみた発言をした「お偉いさん」とはすなわちレオルフ国王その人である。

 狼月で起きた騒動の後、レオルフ王はフィルゼの動向を既に掴んでいたのか、わざわざ国境まで迎えを寄越したのだ。太陽が何もかもを白日の元に晒すように、その化身とされる王もまた、全てを見透かしているようだった。

 ルスランが暗殺されたこと、フィルゼがそれを防げなかったこと、為す術もなく国を離れる羽目になったこと──その全てを知った上で、フィルゼを匿ったのである。

 しかし。




『隣の芝生は青いと言うが、その通りだな。今のお前は高潔な〈白狼〉ではなく、主を失って彷徨う子犬にしか見えぬ』


 城に連行されるなり残念そうな溜息をつかれ、吐き捨てられた言葉がそれだった。

 元から自分は〈白狼〉ではなく小汚い獣でしかないと思っていたフィルゼは、反論する気持ちさえ湧かなかったのだが。


『のう、哀れな子犬や。そのなまくら同然の爪と牙を研いでやれば……お前は再び、我らが欲した〈白狼〉に戻るのか?』


 レオルフ王が何故、デルヴィシュの不興を買うと分かりながらも、フィルゼを己の元へ呼び寄せたのか。

 その意図をうっすらと感じ取ったフィルゼは、ルスランとはまた異なる王者の面構えを仰ぎ、深く頷いて見せたのである。




「そこから、レオルフ王国軍の参謀補佐……いや、世話……雑用か? いろいろやっているうちに、〈大鷲〉の爺さんが幽閉された話が飛び込んできたってわけだ」


 肖像画の前から立ち去り、フィルゼは静かな廊下を突き進む。

 使用人が出入りする厨房や用具室の前を通り過ぎ、天井から色硝子の華やかな影が落ちる階段を上った。


「……フィルゼさまは、ティムールさまの……いえ、狼月の人たちのために戻ってこられたのですか?」


 毛玉の問いに、フィルゼは暫し沈黙した。

 ティムールが幽閉されたという報が届いたとき、彼は反射のようにレオルフを出た。こうして飛び出すことを分かっていた国王を説き伏せる必要はなく、寧ろスムーズに狼月へ入れるよう手配までしてくれていて。レオルフで彼を引き留めたのは、「雑用係がいなくなる」と大いに本音を曝け出して嘆いた参謀ぐらいのものであった。

 唯一の主と決めたルスランが死んで、三年。

 彼の心を深々と抉った傷が、完全に癒えたわけではない。それでも故郷へ走ったのは──毛玉の言う通り、かつての仲間とそこに暮らす人々を案じたからなのだろう。


「そうだな。……まぁ、陛下をみすみす死なせた奴に、何が出来るのかは知らないけどな」

「まあ! 何を言ってるんですか!」


 毛玉がやおら立ち上がり、小さな足でフィルゼの肩をぽすぽすと踏みつける。ただの足踏みかと思いきや、一応これでも怒っているらしいことに気付き、フィルゼは鼻先を毛玉の方へと向けた。


「フィルゼさまはもう、わたくしを助けてくださいましたよっ! だから、えっと、わわ」


 足踏みの最中にバランスを崩し、ふらりと肩から落ちかけた毛玉をキャッチする。

 毛玉はフィルゼの手の中で足をひょこひょこさせると、やがて言いたいことが決まった様子でピンと足先を伸ばした。


「フィルゼさまはわたくしにとっての〈白狼〉です! 綺麗なお月様の夜に、わたくしを助けてくださったのですから!」

「……あんたの〈白狼〉?」

「はい! ですからあまりご自分を悪く言ったら、わたくし怒ります! えぇそれはもう烈火のごとく怒りますよ! 覚悟してください!」


 恐怖を微塵も感じない声で「こらー!」と叫んで見せた毛玉に、フィルゼは呆気に取られた後、思わず小さく噴き出した。

 ようやく彼の表情が和らいだ瞬間、毛玉の周りにも花びらのような綿が舞う。しかしそれも束の間のこと、ハッとした様子で縮こまった。


「あっ、でもわたくし、王様ではありません……毛玉に〈白狼〉は不相応ですよね……」

「良いんじゃないか。あんたみたいな主人も楽しそうだ」

「え!? 主人!? あああっ、違いますフィルゼさま、わたくしはまだフィルゼさまに恩返しも出来ていないんですよ、それなのに主人だなんて!」

「ほら足が消えてるぞ、ご主人」

「えーん!!」


 食い気味に大声で泣いた毛玉に肩を揺らしつつ、フィルゼはここ数年において最も晴れやかな気分で歩を進めたのだった。



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毛玉ちゃんいい子……
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