14-2
翌朝、フィルゼは毛玉を連れてヨンジャの丘へ赴く旨を、レベントたちに伝えた。
「ヨンジャ? っていうと……トク家の別邸か。あたしに異論はないよ」
エスラが記憶を漁るようにして視線を宙に遣る傍ら、レベントも逡巡の末に笑顔で頷く。
「僕も特には。皇女殿下が何か思い出されたのかい?」
「……分からん。そうでなくとも、ヨンジャの丘は毛玉が過ごした場所だからな。記憶を戻す助けにはなると思う」
「うん。それなら行っておいで。もう〈豺狼〉のような嫌な手合いはいないと思うけど……くれぐれも気を付けて」
「ありがとう」
二人から快い返事を貰えたことに安堵したフィルゼが、カドリにも話をしておかなければと踵を返したときだった。
廊下の角から姿を現したカドリが、どこか複雑な表情を浮かべて歩み寄る。
「カドリ、ちょうどよかった。話が……」
「歩きながらでも良いかね、フィルゼ殿。私も少し、君たちに見てもらいたいものがあるんだ」
フィルゼは傍にいる二人と顔を見合わせつつ、すぐに首肯を返した。
◇
「……そうか。あの子がヨンジャの丘に行きたいと……」
カドリは静かに呟くと、さして悩む素振りもなく瞼を閉じた。
「君が一緒なら大丈夫だろう。あの子を頼んだよ」
柔らかな口調はいつも通りなれど、どこか覇気がない。その足取りにも億劫そうなものが滲んでおり、彼の「見てもらいたいもの」が決して良いものでないことは明らかだった。
フィルゼたちの窺うような視線に気付いたのか、カドリは申し訳なさそうな笑みで彼らを振り返る。
「すまないね。……昨晩、セリル殿とオズトゥルク殿からこっそりと知らせを貰ったんだ。私に判断を仰ぎたいと言って……」
「……誰か訪ねて来たのか?」
「ああ。もしかしたら君も会ったことがある子かもしれない」
カドリに付いて歩くこと暫く、やって来たのは風吹き砦の裏門。皇女の噂を聞いた人々が多く訪ねてくる南側の正門と異なり、劣化の激しい裏門は立ち入りが禁じられ、補強のために組まれた足場が寂しく佇むのみだった。
砦の影が落ちる薄暗い場所へ案内されたフィルゼは、そこに横たわる遺体を見て足を止めた。
「……」
カドリは静かに遺体へ歩み寄ると、顔に掛けられた布をそっと剥がす。
促され、ゆっくりと遺体の素顔を確かめたフィルゼは、小さく息を詰めた。
「イーキン……」
それはフィルゼが狼月に戻ってすぐ、この国の惨状を語ってくれた灰色髪の青年だった。
彼はトク家の使用人として、幽閉されたティムールの潔白を主張し、セダとピンク髪の女人の行方を捜してほしいと頼んできたのだが──あれ以来、フィルゼが彼と会うことは一度もなかった。
炎に包まれたヤムル城塞都市にも、投石によって破壊されたブルトゥルにも、彼が現れることはなかった。大切な仲間が辛い状況にあっても、どれだけ命を落としても──。
内に滲み始めた嫌な予感を裏付けるように、カドリが口を開く。
「彼が、〈豺狼〉に我々の情報を流していたようだ。昨晩、自ら私の元へやって来て……そう打ち明けてきてね」
「……イーキンは何故、そんなことを」
「妹の病を治せる医師を手配したかったと」
たったそれだけで、ケレムがどうやって彼を丸め込んだのか、おおよその見当はついてしまった。フィルゼが額に手を遣る傍ら、カドリは哀れな間者の最期を語る。
「〈豺狼〉はイーキンに間者をやらせる代わりに、医師を雇えるほどの大金を渡したそうだ。そこまでは良かったが……どうにも、紹介された医師の方に問題があったみたいでね」
風吹き砦でケレムが降伏したという報を聞き、イーキンは急いで妹の元へ向かったという。間者として狼月軍とトク家の使用人たちの間を行き来していた彼に、病床の妹を見舞う時間は無かったのだろう。
これまで多くの人々を罠に嵌め、見殺しにしてきた罪悪感は、際限なく彼の精神を蝕んでいた。ケレムが降伏した今、医師に払う金も底を尽いてしまうだろうが、もはやそれでも構わなかった。
裁きを受けるその日まで、残されたわずかな時間を妹に捧げなければと──しかし、イーキンが妹と再会することはなかったという。
「医師は大金を受け取るだけで、治療をしていなかったようでね。彼の妹は随分前に亡くなっていた」
「……」
「彼は罰を求めて私のところに来たみたいだが……私としてはもう、彼は一生分の罰を受けたと思うよ」
イーキンは何よりも救いたかった妹を、自ら殺めたようなものだった。それが彼には斬首よりも重い罰であり、生きてゆけぬほど苦しい現実だったことだろう。
ゆえにカドリはそれ以上の罰を下す気になれなかった。そもそも、それは被害に遭った人々──その筆頭であるアイシェに委ねるべきだろうとも考え、地下牢に拘留した上でフィルゼたちにも処遇を相談するつもりだったと語る。
だが今日の早朝、イーキンは隠し持っていた毒を呷り、遺体となって発見されてしまったのだった。
「……すまない、私の落ち度だ」
「いや……。遅かれ早かれ、こうなっていたかもしれない」
フィルゼはかぶりを振ると、遺体の傍に膝をつく。
血色の失せた青白い顔色とは別に、以前見たときよりもイーキンは明らかに痩せていた。彼が一人で抱えていた数々の罪を思い、フィルゼは短く瞑目したのだった。
「……妹と同じ場所に埋めてやろう。毛玉も、そう言うだろうから」




