8.アルノルトの感謝とリモーネの憂鬱
「アル、お疲れ様!すんごい時間掛かってたけど、素敵なエプロンが出来そうでよかったね!」
「…物凄く疲れた」
自室に戻りベッドに倒れ込んだアルに、ようやく話し掛けることが出来た。アルを溺愛するお兄さんの前でうっかりボロを出してしまったら、愛しの弟の身体を乗っ取る悪霊扱いされかねないのでずっと大人しくしていたのだ。
「ブルーノお兄さんって、アルの事なんでも知りたいんだね。普段は離れて暮らしてるからかな?よく話題が尽きないな~って思ったよ」
「気に掛けていただけるのは有難いことだが、パジャマの柄や寝るときの姿勢、朝起きたとき最初にすることや靴を左右どちらから履くのかを聞かれるのは、何故なんだろう…」
「どんな些細なことでも知りたいって言う気持ちの表れだよ、きっと…」
二人の様子をアルの中から見ていて、うちに義妹がやって来た日の事を思い出した。
母が亡くなってひと月くらい経った後、久しぶりに話す父に「今日からお前の新しい母と妹がこの家で暮らすから部屋を開けなさい」と言われて面食らったものだ。亡き母の部屋はそのまま残された代わりに私の自室は二人に奪われ、そのまま使用人部屋に追いやられた。当初は大部屋に押し込まれたが、気を遣った使用人たちが一室開けてくれたので、こじんまりとしているが個室を使えている。そのことが気に食わないのか、時折後妻と義妹が嫌味を言いにやってくるので気が休まる空間ではないけれど、祖母と手紙のやり取りをすることが出来る点は助かっている。
「アルのお兄さんは、アルが成人したら夜通しお酒を飲もうって誘いにきそうだよね。朝までずーっとお喋りしてくれそう」
「あぁ…兄上は僕が生まれた年の葡萄酒を蒐集しているらしい…」
「予想を軽く超えてきた!」
父があんなじゃなかったら、母が私を産んでも元気で傍に居てくれたら、今頃私にも仲良しな弟や妹が居て学園にも通えていただろうか。もしもの話を考えたってしょうがないとずっと自分に言い聞かせて生きてきたけど、異母兄弟なのにお互いに好意を持っているコルテス兄弟を見ていたら、少しだけ胸が痛んだ。
「リモーネ…今日は色々と助かった。ありがとう」
「へっ?どしたの急に」
「兄上とちゃんと話せたのは、リモーネが僕の話を聞いてくれたお陰だ…と思う。兄上とあんなに長く二人で話したのは初めてなんだ」
言われて気付いたけど、アルとお兄さんは歳の差が結構あるし離れて暮らしているから、二人で過ごすことは稀なのだろう。にも関わらずあれだけグイグイいけるお兄さん、強い。
「兄上は、慕っていた御母上が亡くなった後にやってきた僕の母を歓迎してくださった上に、僕が生まれたことで父とコルテス家に活気が生まれたと言ってくれるんだ。それなのに騒ぎを起こして家族に迷惑をかけ、四大公爵家の人間なのに謹慎処分となり未だ学園にも戻れていない僕の事を今までと同じように扱ってくれるわけがないと思っていた…でも、そうじゃなかった。兄上は本当に懐が広く、情に厚い方なのだ」
今日の二人を見ていて、そしてアルの話を聞いていたら、お兄さんがアルを好きな理由がなんとなくわかった気がした。大切な家族を喪った後に得られたかけがえのない存在だから、喪った母に渡しきれなかった愛情をアルにはめいっぱい渡したいのだろう。家族だから大好きだし、何かあった時にその身を案じる、彼らからしたらごく自然なこと。
そんな健やかな家族の形に触れてますます胸が痛くなっていると、アルは更に話を続けた。
「リモーネが話を聞いてくれて、僕という人間はここにいる僕しかいなくて、こんな僕でも家族の事を好きでいていいんだと思えた。そして、胸を張って家族が好きだと言えるようになるためには、まず自分から行動を起こすべきだと教えてくれた。だから今日、兄上と真っすぐ向き合えたんだ。菓子作りという会話のキッカケをくれたことにも感謝している」
「そんな、大袈裟だよ…!そもそも私ってアルの都合おかまいなしに一方的に間借りし始めた生霊だよ?我欲だらけで突き進んでるだけなのに、そんな風に感謝されるのってなんか…変な感じ!」
アルを羨んでモヤモヤしていたというのに、こんな風に言われてなんだか照れ臭かった。アルがそう思えて私にそう言ってくれるのは、彼自身の強さだ。
そうだ、私だってアルに負けていられない。
母が亡くなって、父を父と思えなくなったときから、自分で自分を大事にしようと決めてここまでやってきたのだ。自分の手で成果を掴んで未来を切り開いて、母が愛したライネーリ領を安定させねばならない。それまではモヤモヤしている場合ではないのだ。
「当初は一方的だったが、今はお前が来てくれたのはいいことだと思っている。平民が故に貴族社会やコルテス家、ひいては僕の事情を知らないからこその言葉をもらえたし、僕も気負いなく話せた」
あ、アルはまだ私の事を家出した平民の少女だと思っているんだった。まぁ、貴族の子女としての教育は10歳で止まってるし、学園にも通ってないので平民に毛が生えた程度の貴族だ。学園に通えるような特待生の平民より遥かに平民に近いだろう。
「お兄さんと喋れたし、次はお母さんをお茶に誘わないとね!」
「…そうだな、何よりもそれを成さねばならない。僕の謹慎は、家族全員と穏やかに会話を交わせるようになるまでは解けない決まりなんだ」
「えっ、そうなの!?じゃあ早く誘わないとだめじゃん!行こう!!」
「待て!相手が母上とはいえ、こんな時間に行くのは非常識だろう!?」
「あ、それもそうか。ごめんごめん」
思いがけない話に驚いて慌ててしまったが、とっくに就寝時間だ。
「大会も控えているし、今日はもう休むぞ。明日は推薦状を提出して、明後日の本番に向けて準備をせねばならないだろう」
「アルのお母さんもきっと応援に来てくれるよね。一緒に頑張ろう!」
「いつの間にか僕が家族に晴れ姿を見せる場のように扱っているが、そもそもお前のための大会参加だからな…?」
「まーまー!お兄さんもあんなに張り切ってくれてるし、アルだってお菓子作りの話するの楽しそうだったよ?これはもう他人事じゃないでしょ!」
アルは苦笑しているけど、それは決して苦々しい物じゃなく「仕方ないなぁ」とでも言いたげな笑みだった。さっきまでは胸が痛かったけど、その優しい微笑みの気配に今度は胸が温かくなった。それと同時に、焦がし過ぎたキャラメルみたいな苦いものが微かに胸に残った。
私は平民のなんのしがらみもない少女で、誰にも探されていなければ、このままアルに雇ってもらってここでお菓子屋さんをやれただろうか。今日はなんだか、もしもの話ばかり考えてしまう一日だった。