3.騎士の身体で快適お菓子づくり
「アルの身体すごーーーい!!!鍛えられた腕でクリームを泡立てたらこんなに早くできるなんて知らなかった!!!!」
『思いもよらない褒められ方をしたな…』
公爵家の料理人に「お菓子を作るから厨房を使いたい」と申し出たら目をまん丸にして驚いていたけど、すぐに招き入れてくれて器具の置き場所などの説明をしてくれた。
『坊ちゃんは料理に目覚めたのですね!コルテス家の子息に相応しい素敵なご趣味だと思います!!』と手放しに喜んでくれて、嬉しくなった私は出来上がったお菓子を是非食べて欲しいと思わず言ってしまい頭の中でアルにめちゃくちゃ叱られた。アルの身体が食べる分だけ作るのでは効率が悪いし、これくらい大目に見て欲しいものだ。
今日はコンテストに出すようなお菓子は作らず、ここの厨房に沢山あって消費しても問題なさそうな材料で出来るものを選んだ。いくらこの家の息子とはいえ、料理人でもないのにずけずけと踏み込んで高級食材を惜しげもなく使ったら料理人たちは困るだろう。事前に使っても問題ない食材を確認したらライネーリ領では簡単に手に入らないようなものがいくつもあったので、そちらに関しては惜しみなく使わせてもらった。
『これはレモンケーキだな。こっちは…初めて見るな』
「そっちはどら焼きだよ。母が生きてた頃によく作ってくれたの」
どちらも我が家の定番だが、レモンケーキは普段ならレモン風味のアイシングを表面に付けてシャリっとさせるところを、製菓用のホワイトチョコがあったので今日はそちらを付けてみた。ライネーリ家ではチョコは貴重品だったし、ましてやホワイトチョコなんて滅多にお目にかかれないので思わず拝んでしまったほどだ。
どら焼きは母が遺してくれたレシピだ。手のひら大に焼いたパンケーキのような生地に、お料理に使う豆をたっぷりの砂糖で甘く煮詰めてつぶしたアンコというものをサンドして手掴みでいただく、小さいながらお腹いっぱいになれる素敵な一品なのだ。今日は贅沢に、アンコと一緒に生クリームもサンドしてみた。
『アンコとは初めて聞くものだが、お前の住んでいる土地では一般的なものなのか?』
「え、そうなの?コルテス領みたいにお菓子屋さんがいっぱいある土地にもないなんてビックリした。母はおばあちゃんに教えてもらったって言ってたから、そっちの方の食文化かもしんない」
『土地によって収穫物に違いがあるから、そうかもしれないな』
食器棚からセージグリーンに繊細なレース模様の入った小さいお皿を出して、半分に切ったどら焼きを盛り付ける。初心者にはこうしておいた方が食べやすいだろう。レモンケーキは透き通ったガラス皿に盛り付け、柄の色味が美しい小ぶりなケーキフォークを添えた。飲み物はどうしようかと考えていたら、アルが紅茶を淹れてくれるというのでここで選手交代だ。
『貴族のご子息って自分で紅茶とか淹れるものなの?』
「…幼い頃、母上とのお茶の時間に何かしたくて、メイドに教わったんだ」
『おぉ、親孝行だね!』
「父上は領地で過ごす時間が少なく、遠方から嫁いできた母上は心細かったのだろう。僕と過ごす時間を殊更大事にしてくれたから、何かお返しがしたかったんだ」
『だったら今日は一緒に夕飯食べたら?』
「今はもう、弟がいるからな。父とも以前より距離が縮まったようだし、僕が傍についている必要もないだろう」
『弟さんもお父さんも、アルとは違う人間でしょ。二人がいるから自分はいいや~っていうのはちょっと違うんじゃない?』
「…お前はそういう風に考えるのだな」
感心したように言われたので少し気恥ずかしくなり、それを誤魔化したくてつい言葉を重ねた。
『私ね、亡くなった母にそっくりだったんだ。瞳の色は私は鮮やかなレモン色で、母はグリーンレモンみたいな色でそこは違ったけど、あとはもうめちゃくちゃ似てた。でも私は母じゃないから、父にとっての母の代わりにはなれなかった』
両親は政略結婚だったそうだが、少なくても父は母を愛していたのだと思う。後妻と義妹が一番なように見えて、今でも母のお墓参りは欠かしていないようだし、母の肖像画を飾っている部屋に一人でひっそり籠っていることがあると使用人から聞いたことがある。だけど生きている人間の優先順位では、私は後妻や義妹より下なのだ。愛する者に似ていればいいというものではないらしい。
「お前を見ると亡くなった妻を彷彿とさせて、苦しいのかもしれないな。自分が彼女を救えなかったことを連鎖的に思い出してしまうのかもしれない」
『あの父にそんな繊細なところがあるのかなぁ…』
なんせ父は母の病に向き合わず、臥せりがちになった母を見て見ぬふりをして他の女の元へ足繫く通っていたのだ。その上母が亡き後、喪が明けてすぐにその女を後妻に迎え入れたのだ。母の事も私の事もさぞ邪魔だったのだろう。そう話すとアルは、私とは違う目線で見えたものを教えてくれる。
「お前の父がお前の母を愛していたのなら、他の女に夢中になって疎かにしたのではなく、失うことが辛くて耐え切れず逃げ出したのだろう。後妻はお前の母に似た女性か?」
『ううん、ちっとも。逞しくて、病気やなんかじゃ簡単に死ななそうなタイプ』
「であれば、それは逃避行動だったのだろう。自分の手のひらから大切なものが零れ落ちることに耐え切れず、簡単に失われなさそうなものに手を出したんだ」
後妻の実家は没落寸前の男爵家だと聞いている。父はライネーリ伯爵家のお金を使って彼女に貢ぐくらい愛しているのだと思っていたが、金銭でつなぎとめることが出来て簡単には死ななそうな逞しい女性を求めたのだと考えれば腑に落ちる。
「…今僕が言ったことは全て憶測にすぎないし、お前が父親に同情したり許したりする必要は一つもないだろうから、あまり気にしないでくれ」
『それはそうだね。でも、父が母を愛してたから逃げ出したのか、愛してないから放り出したのかでは、結果は同じでも私の気持ちはちょっと変わるなって思ったよ…ありがとね』
どちらであっても許すつもりなど毛頭ないが、そもそも今現在父とはかなり疎遠だ。許す許さない以前に、結構どうでもよくなってきている相手ではある。それでも、母は父に愛されたまま亡くなったのだと思えるなら、少しだけ救われたような気持ちになる。
◇◇◇
そうこうしている内にアルは手際よくお茶の支度をし終えて、白磁のカップにあたたかな紅茶が注がれた。私はアルがお菓子を食べるのを、彼の中からドキドキしながら見守った。
「…初めて食べる味だが、悪くないな。料理で使う豆がこのようになるのだな。僕はこの皮の食感を好ましいと思うが、皮を取り除いてしっかり潰した方が口当たりがよくなるかもしれない」
『わーーーーさすがコルテスのご子息!!!舌が肥えてる!!!!』
どら焼きを一口食べてこれだけの感想が出るのだから、お菓子好きな公爵夫人の息子なだけあるなと感心した。本人はこの褒め方を嫌がりそうなので口には出さないでおこう。
『このアンコはつぶアンで、アルの言うようなアンコはこしアンっていうんだよ。時間が掛かるから今日はやらなかったけど、こしアンで作った方が美味しいお菓子もあるから時間があるときはそっちを用意するときもあるよ!』
「既にあるのか。ちなみに、どんな菓子に使うんだ?」
『色々あるよ。寒天で固めたヨウカンっていうお菓子とか…』
その後はしばしお菓子談議に花を咲かせて、アルがどら焼きとレモンケーキを一つずつ食べきった後は交代して私もいただいた。いい材料で作ったいつものお菓子は普段よりランクアップした味だった。バターが違うだけでグッと風味がよくなるし、ホワイトチョコの甘味がレモンの爽やかさとお互いを引き立て合ってて、相性抜群な組み合わせだった。そして何よりアルが丁寧に淹れてくれた紅茶が美味しくて、身も心も温めてくれたのだった。
残ったお菓子はいくつか部屋に持ち帰ることにし、あとはさっきの料理人さんに渡して屋敷のみんなで食べてもらうことにして、私とアルは厨房を後にした。