2.アルノルトの事情とコルテス家の美味しいごはん
翌朝、まだ日が昇り切っていないような時間に私もアルも目を覚ました。
「アルおはよ。早起きなんだね!」
『……そういうお前こそ、随分早くから動き始めるのだな』
「私の一日はまず畑の手入れをして、朝とお昼に使う野菜の収穫をすることから始まるからね。今はもう必要ないってわかってるけど、習慣で目が覚めちゃった」
ライネーリの屋敷では、下働きに混ざって様々な仕事をしていた。後妻たちの視界に入るところにいると碌な目に遭わないので表向きは部屋に閉じこもっているフリをして、協力してくれる使用人を頼って屋敷内であれこれ働くのが、私の日常だった。いつかこうして家から追いやられる予感がしていたので、身の回りの事はなんでも出来るようになっておいて損はないと考えたのだ。
結果的にお菓子作りの楽しさに目覚め、めきめきと腕を上げた私の作るお菓子は後妻と義妹に振舞われることもあった。なんせ二人とも贅沢ばかりするので、厨房に揃えられた材料はどれも一級品ばかりだ。しかもあの二人は気に入らなければ容易く残すため、この食材たちを無駄にしてなるものか!と私も奮起した。
「まぁ、美味しいわ!褒美を与えるから作った者をここへ連れてきなさい!」
と言われたときは肝を冷やしたけど、私にお菓子作りの基本を教えてくれた厨房のボスおばちゃんを代理に立てて上手く逃げおおせた。おばちゃんは給金が上がったようなのでよしとしている。
『…それも、家族の中でお前一人が担っていたのか?』
「まぁ、そんなとこ。家族が起きてくる頃には私はもう午前の仕事をほとんど終えてるのが日常だね」
『……朝食はお前が前に出て食べるといい』
「お、アルいい奴だね。その好意は有難く受け取ります!私が食べても栄養はアルの身体にいくから、ちょうどいいね」
『ちょうどいいってなんだ…その代わり、今からしばらく僕が前に出るぞ。朝の鍛錬の時間だ』
当主が代々王都の騎士団長を勤めるコルテス家の息子らしく、次男だけどアルは騎士見習いなのだそうだ。毎朝の鍛錬は欠かさず行っていると聞いたので、朝食はしっかり摂った方が良いだろう。
アルが鍛錬を終えて着替えた後、朝食前に私に意識を明け渡した彼は二度寝に入ったので、一人になった私は自室で朝食が運ばれてくるのを待った。
「坊ちゃま、おはようございます。昨夜のリクエストにお応えしたメニューを用意いたしました」
「わぁ、ありがとう!!!!」
私がリクエストしたのは、たっぷりとメープルシロップを掛けたフレンチトーストに両面焼きの目玉焼きとカリカリに焼いたベーコンを添えたもの。そこに旬の野菜を使ったサラダが加わった、目にも美しい朝食プレートが運ばれてきた。
ライネーリ家では私の食事は用意されないので使用人に混ざって食べていたが、シロップやベーコンが使用人の食事に回ってくることは滅多になかったし、荒れた領地では旬のものは思うように数が採れず高級品扱いだったため、物凄く贅沢な一皿だ。素朴なメニューながら見た目が華やかになるよう盛り付けも丁寧にされていて、厨房のレベルの高さを感じる。
「坊ちゃんは以前は甘いものを好まれませんでしたので、驚きました。学園の食堂ではこういったものをお召し上がりになっていたのですか?」
「そ、そうだな。適度に甘味を摂取することは成長期の身体にもよいので、食後のデザートなんかは率先して食べていたな!」
「であれば、今日から奥さまが召し上がっているのと同じデザートをお出ししましょう…差し出がましいようですが、奥様との会話の糸口になればという気持ちもございます」
メイドさんの言葉に、どういうことだろう?と一瞬怪訝な顔をしてしまった。それが不快感を示していると勘違いされたのか、彼女はペコペコと頭を下げた。
「申し訳ございません、坊ちゃま。差し出口でした。下がりますので、何かございましたらお呼びください」
誤解を解く前にそそくさと部屋を出て行ってしまった。アルがお母さんとどんな関係なのかそれとなく探りたかったが仕方ない。まずは目の前のごちそうを堪能して、それでも気になったら後で本人に聞いてみよう。
なお、理想の焼き具合のベーコンに卵液しみしみのフレンチトーストの組み合わせは絶品で、食後にはアルの親子事情は結構どうでもよくなっていた私だった。どこの家も色々あるのだろう。人んちのこと言えないしね!
◇◇◇
食器を下げてもらった私は、アルの勉強机から未使用のメモを拝借して先程の食事内容を書き留めた。ほんのり甘味があり薫りもよく上品な味わいのベーコンはリンゴの燻製だろうか。
卵も朝採れだったようで、黄身の濃厚さがベーコンとの相性抜群でバランスの良い仕上がりだった。この感動を忘れないでおくため、いつか自分の料理に生かすためにしっかり記録しておこう。その為にも今は目標に邁進せねばならない。しかし、私の身体は一体どこで眠っているのだろうか。コルテス領に入る目前での事故だったので、運が良ければ領内の病院で保護されて治療を受けられているだろうか。運悪くどこかの谷底にでも放り出されていたら、目覚めてすぐに死んでしまうかもしれない。まぁ、生きていても死んでいても、その時はその時だ。とにかく今はアルに取り憑けた幸運に感謝しつつ、アルに食べてもらうお菓子をどうするか考えよう。
『……お前、何をしているんだ?その絵は昨晩と今朝の食事か?』
「お、起きたのね。本日二度目のおはよー!」
『生き生きしているな。そんなに我が家の食事は良いものだったか』
「うん!めーーーーっちゃ美味しかった!!お昼はアルが前に出て味わうといいよ!!」
『いや、僕は…』
「甘いものに目覚めたから、お母さんに出してるのとおんなじデザートをたっぷりちょうだいって言っておいたからね!」
『はぁ!?』
ぷりぷり怒り出したアルのことは無視して、私はアルの衣装棚からあまり装飾がないものを選んで着替えた。
『しかしお前は、異性の身体で生活することに躊躇いはないのか?』
「そんな選り好みしてる場合じゃないし、目について入り込めそうな身体がアルのしかなかったんだよ」
他にも人の気配は感じたけど、どの人にも入り込めそうなスキマなどなかった。アルだけ薄ぼんやりした気配な上にスキマが空いていたものだから、これ幸いと飛び込んだのだ。
「アル、私が出て行ったあと他の幽霊に気を付けてね?私だったからいいものの、悪霊に取り憑かれでもしたら大変だから!」
『昨日も言ったが、それをお前が言うのはかなりふてぶてしいぞ』
「あ、あと昨日から気になってたんだけど、アルも私の事名前で呼ばない?」
『…異性を名前で呼ぶなど、親しい間柄だけだろう』
「同居人なんだし親しい認定してくれて構わないよ!」
『取り憑いてる状態でよくもぬけぬけと同居人と言えたものだな…リモーネ』
アルは呆れたような口調ではあるものの、しっかりと私の名前を呼んでくれた。父とはもう長らくちゃんと話していないし、後妻も義妹も私を名前で呼ぶことなんてない。使用人たちはこんな私でもお嬢様と呼んでくれるので、リモーネと呼ばれるのはいつぶりだろう。くすぐったいような、温かい気持ちになった。
帰省やらなんやらでこんな時間の更新となりました。ペース上げたいところですね…