1.リモーネ・ライネーリ伯爵令嬢はまだ死にたくない
馬車から勢いよく投げ出された瞬間、あっこれもう駄目かも!と思った。それと同じくらい、こんなところで終われない!とも。だからこの状況が生まれたんだと思う。
◇◇◇
目が覚めたとき私は見知らぬお屋敷の書斎と思われる場所にいて、私の母親世代ぐらいの年齢に見えるメイドさんに優しく起こされているところだった。
「―――坊ちゃん、お目覚めですか?居眠りされるだなんて、珍しいこともあるのですね」
「…坊ちゃん?」
「今日の夕食はどちらで召し上がりますか?御父上がノルベルト様を伴って出かけてらっしゃるので、御母上と二人きりの食卓になりますが…」
「こ、こうしゃく…?あ、いえ、部屋で食べますお願いします!」
「…少しお疲れでいらっしゃいますか?夕食までまだ時間がございますから、暖かいお茶とお菓子でも用意しますね」
坊ちゃんって誰だ、こうしゃくって公爵?それとも侯爵?どちらにせよとんでもない。私は女で、一応伯爵家の令嬢だけどそんな扱いはもう10年以上されていない。
恐る恐る鏡を覗き込むと、柔らかなミルクティー色の髪に鮮やかな新緑を思わせる瞳の色をした美少年がそこには映っていた。
「………だれ!?」
『お前こそ誰だ!僕の身体を返せ!!!』
「うわナニコレ?頭の中から声がする!気持ち悪っ!!!」
これが私、リモーネ・ライネーリ伯爵令嬢とアルノルト・コルテス公爵令息の出会いだった。
◇◇◇
ライネーリ伯爵家はここアデリア王国の北西に領地を持つ家で、四大公爵家で北の大領地を治めるディーク公爵家と血縁関係にある。陶器の生産が盛んで、食器や陶器人形の名職人を多数抱えることで知られているが、その評判は残念ながら近年は鳴りを潜めており、原因は我がボンクラ父と、ろくでもない後妻とその娘にあった。
父は婿入りしてきたためライネーリの正当な後継者は母の血を引く私なのだが、そんなことは都合よく忘れているようで、母が病で亡くなってすぐ愛人の男爵令嬢を後妻に迎え入れ、我が物顔で夫婦で采配を振るった。後妻にいいように転がされ湯水の如くお金を使った結果、領地経営は大赤字だ。それでも後一年持ち持ちこたえて成人した私がライネーリ伯爵となれれば、私の味方をしてくれる使用人たちと結託して三人を追い出すことも出来ただろうけど、それを察知した後妻の手により私は暗殺されかけた。食事に毒を混入されたことに気付き逃亡計画を立てていたのを後妻の息のかかった下男に見付かり、なんとか振り切って領地外に逃げ出したところで馬車の事故に遭い、現在に至る。
……という事情を、私が貴族の令嬢だということは伏せつつ、かいつまんで説明した。
『つまり君は、実の父親と義母と義妹に虐げられ身の危険を感じたので逃げ出したところ、馬車の事故に遭い亡くなり、僕に取り憑いたというわけか』
「たぶんそんな感じ。こんなところで死んでたまるかー!と思ったとき、たまたま近くにあなたの身体があって、ひょいっと入れそうなスキマがあったからえいやっと飛び込んだのよ」
『全体的に軽い…そんな簡単に取り憑けるものなのか…!?』
「他の人にはスキマがなかったんだけど、あなたにだけゆるーくあいてたんだよね。取り憑かれやすい体質なんじゃない?気を付けた方がいいよ?」
『今まさに取り憑いてる者に言われてもな…』
「まぁまぁ!悪いようにはしないからさっ!というわけで、三日間でいいの。このまま身体を間借りさせてもらいたいんだけど、どうかな?」
私とて無計画に他人に取り憑いたわけではない。遠路はるばる、馬車を何台も乗り継いでわざわざ西の大領地コルテス領までやってきたのは目的があったからだ。
『見習い菓子職人の大会に出たい?そういえば、もうそんな時期か』
「そう!私はそのためにここまで来たの!ここで優勝すれば自分のお店が持てるし、優勝が難しくてもある程度の結果が残せたら、それを足掛かりにしてどこかのお店で雇ってもらえるかもしれないじゃん?」
『そこまで言うからには、腕に自信があるのだな』
「なくはないけど、それよりも崖っぷちだからそれに縋るしかないって感じかな。殺されないためには遠くに逃げて、生きていくためには自活しなきゃいけないからね…って、なにこのクッキーうんまっ!!」
さっきのメイドさんが持ってきてくれた紅茶とレモンクッキーをいただきながら話を続ける。コレめちゃくちゃ美味しい!さすがお菓子の街!!ディーク公爵領じゃなく、こっちを目指して正解だったとこのクッキーをいただけただけで自信をもって言える。うっすら塩気があるバターたっぷりのクッキーに、爽やかでシャリっとするレモンのアイシングが上品に重ねられていて、味のバランスが絶妙だ。
「ちょっとしたお茶の時間にこんなレベル高いお菓子が出るなんて、凄すぎるよ…!」
『感動しているところ水を差すようなことを言うが…僕にお前が取り憑いていることは、外から見てもわからないだろう。代わりに大会に出て万が一優勝したところで菓子店の経営なんて僕には出来ない。それに、お前はもう亡くなっているのだから…』
「あ、ごめんその誤解解いてなかったね。私ね、どうもまだ生きてるっぽいのよ」
『は?どういうことだ?』
どうにも私は自分が死んだような気がしていない。何故そんなことがわかるのかと言われたら「そう思うから」としか言いようがないけど、身体はどこかで寝ているだけだと感じられるのだ。だから絶望もしてないし気力も無くなってないので、例え他人の身体でも目的を果たしたいと思う。
『だったら、僕の身体で大会に出るよりも自分の身体を探して元に戻るべきだろう』
「今戻ったところで、大会は三日後だよ?こうやって生霊になるくらいには死に掛けたんだろうし、その状態で大会には出れないでしょ。無理やり出たところで、お菓子作りは体力勝負だから本来の実力を発揮できずに終わるに違いないんだよ…!」
『自分の肉体に戻ることよりも、大会に出ることの方が大事なのか?二度と戻れないかもとかそういった不安はないのか?』
そもそも自分の身体がどこにあるのかわからないし、わかったところですんなり身体に入れるかも不明だ。大怪我しているであろう身体を探してそこに戻るよりも、他人の身体でもいいから大会に出場することを優先したい。例えその間に取り返しがつかない状態になっても、悔いがないと断言できる。帰りを待っていてくれる家族もいないし、もし亡くなって死の国に召されるとしても、そこにはお母様がいてくれるだろうから。
「三年前にこの大会の存在を知ってから、いつか出たいと思って修行してきたのよ。元の身体に戻れても、怪我が酷くて二度とお菓子作りが出来ないかもしれない。例え元通りの身体になっても、家に連れ戻されたら今度こそ無事ではすまないかもしれない。だから、ここで諦めたくないの」
『…万が一僕の身体で優勝したら、どうするつもりなんだ』
「そしたらこのままこの身体に残ろうかな!二人で力を合わせてお菓子屋さんやってみない?」
『それだけはないな…』
私の逃亡計画は、まずこの大会で優勝ないしは上位の成績を修めて、コルテス領で職を得て家族から距離を置くことを起点にしていた。コルテス領での生活が落ち着いたらディーク公爵家にどうにかして連絡を取りライネーリ領の立て直しに力を貸してもらえないか頼み込むつもりでいた。成人後にライネーリ女伯爵になり、父たちを追い出してから爵位を返上し、他の貴族に領地を任せるつもりでいた。そのつもりで、母が亡きあとは一度も会えていない母方の祖母と内密に何度か手紙のやり取りもしている。かなりの高齢なので、存命のうちにどうにか手続きを終えてしまわねばならない。本来なら私がライネーリ伯爵として母が遺してくれたものを受け継ぎたいが、国内の貴族の子女なら誰しもが通う王都の魔術学園にすら通わせてもらえず、貴族教育も十歳以降ろくに受けていないため、まともな領地経営が出来る伯爵になどなれるはずがない。平民になった後、人に迷惑を掛けないよう自力で生きていくためには手に職を付けるのが一番だと考えたのだ。
「坊ちゃんってコルテス公爵家の子なんでしょ?甘いもの大好きなんじゃないの?」
私が取り憑いた坊ちゃんは、ここ西の大領地コルテス公爵家次男のアルノルト・コルテスだった。普段は王都の魔術学園に通っているそうだが、なんらかの事情で領地に長期滞在しているようだ。ここで坊ちゃん相手に私の菓子作りの実力を示せたら、厨房の下働きでいいので仕事を斡旋してもらえないだろうか。そうすれば自活への足掛かりになるし、後妻の魔の手からは逃れられるだろう。もうちょっと仲良くなったら交渉してみようと心の中で決める。
『我が領に菓子店が多いことに僕は関係ないし、全て父上の采配だ。僕自身は甘い物にそこまで興味はない』
「でも坊ちゃんのお母さんって、噂の甘い物大好きな愛され公爵夫人だよね?」
コルテス領で菓子店が増えたのは今から20年くらい前のことで、公爵家に嫁いできた年若い花嫁が甘いものを大層好むので、彼女を溺愛しているコルテス公爵がアデリア王国のあちこちから評判の菓子店にコルテス領支店を出すよう働きかけたのだとか。それだけに留まらず、優秀な職人を育てるためにアデリア王国初の製菓学校を創立し、今や菓子店と職人の育成はこの領地の一大産業に成長した。
大貴族様のやることってスケールが違う。公爵ご自身は王都で騎士団長を勤めているためあまり領地には居ないが、自分の代わりに領地を守ってくれている奥方が過ごしやすいよう領地を整えて、なおかつそれで領民が潤っているなんて素敵だと思う。羨ましいし、うちの父は見習うべきだ。
「坊ちゃんもお母さんと一緒に甘いもの食べたり、ごひいきのお店があったりするのかなーって」
『…さっきから気になっていたが、その坊ちゃんという呼び方はやめてくれ。子ども扱いされているようで不快だ』
「はーい。んじゃ、アルで」
『……いきなり愛称呼び……だと………?』
「だってアルノルトって長くない?呼びにくくない?」
『いまだかつてそんな評価は受けたことがない…』
「じゃあ、アルの周りには長い名前の友達ばっかいるんだね」
『…どうだろうな』
頭の中でアルの気配が小さく大人しくなるのを感じる。聞いちゃいけないことを聞いてしまったのかもしれない。話題を変えよう。
「大会に出るためには、開催前日までに本部で受付を済ませないといけないんだけど…」
『そうすればお前は、心残りがなくなって自分の肉体に戻るか、万が一亡くなっていた場合は安らかに死の国へ向かえるのか?』
「それは自分じゃわかんないな~。なんたってそもそも生霊になる予定もなかったし!」
『…それもそうだな』
「どのみち大会が終わったらこの身体からは出ていくから、安心して!あ、私と一緒にお菓子屋さんを経営してくれるならここに居座るけど…」
『もう一度言うがそれだけはない…!』
「そう?気が変わったらいつでも言ってね」
『はぁ……わかった、前日までに大会本部に受付をしに行けばいいんだな』
「いいの!!??わーーーーいありがとう!!!!取り憑いた先がアルでよかったーーーーー!!!」
『ただし、お前がどの程度の菓子が作れるのか、一度実力を確認させてくれ』
「それはもちろん!何作ろっかな~。公爵家の厨房を使えるだなんて楽しみ~~~!!!」
道具も材料も一級品ばかりだろう。大会までに可能な限り腕を磨いておきたいと思っていたのでめちゃくちゃラッキーだ。うきうきな私をよそに、アルは暗い声でぼそっと話し出した。
『…十年位前に流行った絵本で、この世に未練を残して死んだ少女が自分を死に追いやった相手を懲らしめようと、国中に大雨を降らせて大災害を引き起こす顛末のものがあった。ここでお前に協力しないと後が怖い気がするんだ…』
「それ絵本向けの内容じゃなくない!?」
私はその本を知らないけど、現在15歳だというアルにとってはまだまだ記憶に新しいのだろう。誰が描いたのか知らないけど、思いがけず私の道行きの助けになってくれたので感謝したい。
『…僕はもう寝るので、夕飯はこの部屋でひっそり食べてくれ』
「それはいいけど、お母さん一人でご飯になっちゃうんじゃない?いいの?」
現在このお屋敷にはアルの両親とまだ幼い弟さんが住んでいて、今日はお父さんが弟さんと出掛けているらしい。ちなみに年の離れたお兄さんは王都の騎士団で団長補佐をしていて、いずれコルテス公爵家を継ぐらしい。
私の問いかけは黙殺され、静かになったアルはそのまま眠ったようだ。ほどなくして先程のメイドさんが食事を運びにやって来て、私は公爵家のごちそうに舌鼓を打った。これを毎日食べてるだなんて凄すぎる。お菓子もお茶も素晴らしかったから期待してたけど、これは期待以上だ。
「坊ちゃん、今日はしっかり食事を召し上がられるのですね…!この調子で、明日は少し量を増やしても構いませんか?」
「?はい、いや、おう。わかった、よ?」
貴族の少年の喋り方がまるでわからないので、カタコトになってしまう。メイドさんは気にする風でもなく、目の前の空の食器を嬉しそうに見つめていた。
「心身の健康は食事が作ります。明日も坊ちゃまが好きなものを沢山用意しますので、食べたいものがあれば遠慮なく言ってくださいね」
「えっ!?じゃあ早速なんだけど…!」
アルが寝ているのをいいことに、優しそうなメイドさんにあれもこれもとリクエストしてみた。明日からの生活が楽しみだ。
「…少しずつ、お元気を取り戻されているようで何よりです。我々はみな、坊ちゃまの味方ですからね」
去り際にメイドさんが残した言葉の意味は私にはわからないけど、寝ているアルに聞かせてあげたいなと思った。明日起きたら話してみよう。
中編はじめました!
まだ書き上がっていないので、当面は週一、二話ペースの更新になりそうな予定です。そこまで長い話にはならない見込みなので、早めに書き上げて一気に投稿出来たらいいなと考えております。どうぞよろしくお願いいたします。