ピアノ夫婦 ある愛の歌
始めに言っておきますが、子供の作り方を知っている人しか良く分からないと思いますので、あしからず。
男の純粋さを面白く扱ってみました。スナック菓子のように(まったく深い話じゃないので笑)楽しんでくれたら幸いです。
城島誠25歳 職業ピアニスト。一年の三分の一はコンサートに追われる新進気鋭の音楽家。
妻 城島(旧姓山中)百合21歳 大学生。
二人は新婚だ。
二人の出会いは、都内の大学(もちろん音楽大学である)で、きっかけは誠の一目惚れであった。誠は父親もピアニスト、母親もピアニスト、二人の兄もピアニストと言う、まさにピアノ一家の中で育ち、小さい時から毎日、ピアノ、ピアノ、ピアノ、人生の七割をピアノに費やして生きてきた真面目な男だ。小さい頃から、家族とのコミュニケーションは音符であったと言う。朝の挨拶もピアノ。反抗期もピアノで表現してきたらしい。
二人の兄はまだ独身であったが、誠だけは百合と出会って結ばれた。
百合は普通の家庭に生まれたごく普通の女の子であったが、昔からピアノが好きだった。母親の勧めでピアノ教室に通い、そのまま音大まで進んでしまった。育ちがいいせいか、今時珍しいくらいの清廉潔白な女の子であり、まさに百合と言う名前が相応しい感じだ。
そんな百合に、誠は迷わず恋をした。
容姿端麗で情熱的な誠が猛烈に攻め立ててくると、百合はすんなりとそれを受け入れ、そして、すぐに結婚してしまった。
さて、二人の新居は都内にある綺麗な、天井の高い2DKのマンション。綺麗なフローリングに綺麗なキッチン。リビングンと隣に続く部屋には、誠用と百合用のグランドピアノが、それぞれ一台づつ備え付けられており、二つの部屋を区切る引き戸を挟んで並べられていた。明るい窓際の二部屋は、グランドピアノの部屋と言ってよかった。テレビは無いが、メトロノームはある。空気清浄機は無いが、ピアノ除湿機はある。ソファーは無いが、猫足の特注ピアノ椅子はある。ベットルーム以外は、すべてピアノ仕様なのだ。
時間があると二人は、いつもここでお互いにセッションし合い、部屋中がメロディーで溢れる事になる。
誠はピアノ以外に興味は無く、荷物はそれしか持っていなかった。百合はピアノ以外にも色々持っていたが、旦那さまに合わせる事が妻の役割だと心得ていたからか特に何かを言う事は無かった。よき妻だ。
だから、誠はすっかり百合に惚れており、全ての信頼を預けて、他の女には目もくれない。この前も百合の為に作曲した「ピアノソナタ‐妻恋協奏曲」を奏でて、自分の中から溢れてくる愛を伝えた。
誠は何でも、ピアノで伝えてくる。ピアノを通してでしか、百合に愛を伝えられなかった。他のやり方を知らなかった。
自分の嬉しい気持も、自分の悲しい気持も、甘えたい時も、怒っている時も、いつも自分のピアノに座って鍵盤を通して伝える。そうすると、百合もピアノでそれに答える。自分の家族もそうしていたから、それが普通の方法だと思っていた。
だから、誠は百合に一度も触れていない。キスは挨拶程度しかしない。ベットでは一緒に寝るが、何もしない。
沸き起こる気持ちは、すべてピアノで伝えるのだ。それが、普通の愛情表現。
そんなある日、海外公演から一カ月ぶりに愛の巣に戻ってくると、百合が笑顔で誠を迎えてくれた。
「お帰り、あなた」
「ただいま、ハニー。君に会いたくてしかた無かったよ」
誠はそう言って、百合に抱き付き、頬に口づけをした。
「ご馳走作って待ってたわ!」
百合はそう言って、誠の手を引いてカウンターキッチンに誘った。百合は料理が上手で、それを食べる事が、長い演奏旅行から帰って来る時の楽しみなのだ。カウンターには誠の好物が並んでいる。
「あぁ、これを食べる為に、生きてるよ!」
誠は顔を輝かして、万弁の笑みを浮かべた。百合も白い歯をのぞかせて、嬉しそうに誠に寄り添う。
「そう言ってもらえると、作ったかいがあるわ」
「あぁ、胸が高ぶって、ピアノ弾きたくなってきた!」
誠がそう言って鞄を床に転がしたので、百合は慌てて誠の手を引いた。誠が今にもピアノに向かいそうだったのだ。
「駄目、後で!ご飯が冷めちゃうわ。さあ、坐って、ダーリン❤」
「そうだね、食べよう」
誠はそう言うと、気を取り直してカウンターチェアに腰かけた。サラダや冷えた前菜はキラキラとおしいそうだ。百合はキッチンにはいると、コンロに火をつけて鍋を温め出した。
誠が中に声をかける。
「シャンパン開けようか?」
「うーん、今日は良いわ」
百合にしては、珍しい。
誠はアルコールを飲まないけど、百合は時々それを口にする。こんな久しぶりに帰ってきた時はいつもそうだ。シャンパンを口にすると。百合は妙に瞳を濡らす時があり、すぐに頬を薄桃色に染める様子はとても美しい。そんな時、誠はすぐに興奮して、ピアノを弾き出した。百合は黙ってそれを聞いてくれる。僕の可愛いお嫁さん。
そんな事を誠が思い出して、口元を緩めていると、突然キッチンからうめき声がした。誠が立ち上がって中を覗くと、百合がシンクの傍でうずくまっているのが見えた。
「どうした!?」
誠が慌ててキッチンに回り込むと、百合は立ち上がって今度は口を押さえて、シンクの上で気持ち悪そうに悶えている。
「どうしたんだ、百合!?」
誠は気が動転しながら、百合に触れようとすると、見た事無いような不安そうな瞳をした百合が顔を向けてきた。そして、心配そうな顔をしている誠から目を逸らして、声を震わせた。
「まさか・・・」
「まさか?」
誠も声を合わせた。そして、頭の中で考えを巡らせて、一つの答えを導き出した。
「百合!」
誠は大きな声を出した。その途端、百合は体を震わせて、誠に再び目線を向けた。その瞳は不安に揺れている。
誠は力強く百合を抱きしめた。
「やったー!百合、すごいよ!僕、嬉しいよ!」
「え?」
「すごい、すごい!信じられない!」
誠は百合を後ろから抱きしめながら、興奮したように小刻みに飛び跳ねた。嬉しそうな様子の誠とは対照的に、百合は一瞬あっけに取られたように口を開けたが、すぐに笑顔を作った。
誠は百合を胸に抱きながら、子供みたいな無邪気な笑顔で、口を開いた。
「それ、つわりだろ。きっとそうだ!僕らの子供が出来たんだね?」
誠が確信めいてそう訊くと、百合はゆっくり頷いた。それを確認すると、更に歓喜の声をあげて、百合の手を取って踊り出した。
「やった!やった!子供が出来た!」
誠は嬉しくなりすぎて、顔を真っ赤に赤らめた。そして、百合を伴ってキッチンから歩み出ると、独り言とも取れる声を出した。
「ドイツに行く前からずっと思ってたんだ。いっぱい、ピアノで君に愛を送ったし。ずっと、ずっと気持をこめて引いていたんだから。ピアノの神様が命を宿してくれたんだ」
誠はキラキラと嬉しそうな瞳を百合に向けると、ウインクしながらその手を離した。
「ちょっと、聞いていて」
誠はそう言うと、すぐにグランドピアノに飛びついて、黒くて光沢のある鍵盤蓋を持ち上げた。今誠の頭の中には喜びの旋律が浮かび、それが想像の白い五線譜の上に書き込まれる。
瞬く間に、黒鍵36と白鍵52の計88鍵に、誠の細くてしなやかな指が踊り出していった。
「百合!君と僕らの新しい命に!」
誠はそう言って、メロディーを奏でる。柔らかい赤ちゃんのほっぺが揺れるような、思わず笑顔になってしまうような旋律。
百合はピアノの傍で立ち尽くしながら、その様子を見ていた。
「赤ちゃんだよ!僕らの子供!」
誠はそう呟いて、自分の世界に入るように眼をつぶると、流れる様に鍵盤の上で指先を操った。
陶酔するほどに、誠の感情が部屋中に満たされる。
百合は泣いていた。
百合、そんなに嬉しいのか。そうだよな、嬉しいんだよな。
誠は心の中で喜びを噛み締めた。
僕の新しい血が生まれるんだ!
男の子かな?女の子かな?
どちらにしても、ピアノをやらせるんだ。
百合もきっとそれを望むはず。
しかし、僕はどんな曲で生まれてきたんだろうな?きっとロマンティックな曲を、父親は母親に奏でたんだろう。尋ねた事はないけど、きっとそうしたに違いない。
僕が百合にそうしたように。
おしまい