ヒロインのやべーやつ(2)
「丁度よかったわ。わたくし、あなたに仕返しをしようと思っていたもの」
「仕返し、ですか……?」
エリーゼの言葉に、クソビッチだの雌豚だの呼ばれた少女は首を傾げる。その姿を見て、ベスは思わず眉を顰めた。彼女の仕返し相手ということは、目の前の少女が第二王子を寝取った男爵令嬢だ。つまりは乙女ゲームのヒロイン。少し外はねしたピンクブロンドの髪は肩口まで伸ばされており、クリクリとした翠の目やぽてっとした唇など成程確かに可愛らしい。悪役令嬢エリザベスが美人、美少女という分類ならば、こちらは可愛らしい美少女という感じであろう。
それはそれとして。ヒロインだとしたら、悪役令嬢であるエリザベスに抱きつくなどということは考えられない。だって敵なのだから、ようやく排除できた障害なのだから。
「仕返し、でいいんですか? もっと、復讐でわたしをミンチにするとかそういうのでなくてよかったんですか?」
「えぇ……」
思わずベスが声を出した。なんかちょっと予想外の答えが来たぞ。そんなことを思いながら、エリーゼの言葉をじっと待った。
「てい」
「きゃう」
躊躇いなくビンタした。男ほどではないが、その衝撃で少女もぶっ飛ぶ。地面にぶつかる直前に自ら受け止めたエリーゼは、まあとりあえず今はこのくらいねと小さく笑った。
「エリーゼ……?」
「なんですの?」
「ひょっとして、そこの、ヒロインと仲良かったりする?」
「仲がいい相手に婚約者を奪われたら、その仕返しは普通にミンチですわよ」
「ですよね!?」
「……エリザベスさま?」
自分を抱きとめた修道服姿の令嬢が一人芝居を始めたことで、少女は思わず目をパチクリとさせる。一体何がどうしたのかと、痛む頬を擦りながら立ち上がった彼女は、真っ直ぐにエリーゼを見た。
「色々と聞きたいことはあるんですけど……。エリザベスさま。まずは、ご無事でよかった……」
「無事ではないわ」
「え?」
「死んでいるのよ、わたくし。ほら」
そう言ってエリーゼは首のチョーカーを取り外す。外れたチョーカーは靄へと変わり、接続パーツのなくなった首はポロリと胴から転げ落ちた。それをベスが慌ててキャッチする。分離するならするって言って。そう、吹き出しに変わった文句をエリーゼに突き付けていた。
「――っ!」
「今のわたくしはエリザベス・マクスウェルでもなんでもない。ただの動く死体、首だけのアンデッド、エリーゼよ。そして体には得体の知れない制御用魂まで混ざり込んでいる始末」
《はい、得体の知れない魂です。ベスって呼んでねマリィちゃん》
「え、あ、はい。よろしくおねがいします……?」
連続でわけの分からない事態が押し寄せてきたので、驚くタイミングを逃したのだろう。彼女の名前を――マリィ・アップルトンの名前を呼んだこともそれに拍車をかけていた。
「それで? 何で学院の寮生でもあるあなたがこんな時間にこんな場所へ出掛けているのかしら?」
《向こうの聞きたいことはガン無視ですね分かります》
胸の辺りで首を抱えたまま、エリーゼもベスも話を続ける。そのあまりにも異様な光景に、マリィは頷くことしか出来なかった。
とはいえ、それ自体は別に隠すことでもないし目の前の彼女にも関係することだ。否、関係するというのは語弊があるかもしれない。ただ単に、彼女が、自分で勝手にやっていることなのだから。
「広場を、見に来ていたんです」
「ここを?」
「はい。……わたしが、どうしようもなく無力な自分を戒めるために。そして、傲慢でも、エリザベスさまが、安らかであるように」
「本当に傲慢ですわね」
ふん、とエリーゼは鼻を鳴らす。別にお前に祈ってもらわずとも、自分が安らかかどうかは自分で勝手に決める。そんなことを言いながら、わざわざ無駄なことをしているから目をつけられるのだと睨み付けた。
「あはは……。そうですね」
「大体、エドワードの馬鹿はどうしたの? あなたが奪った男でしょう?」
「……あの人は、今王宮で謹慎処分を受けています」
「は?」
「公爵令嬢の処刑は不当である、という……さっきエリザベスさまがあの人達から聞いていた噂、あれの発端となったことが」
エドワードの兄である第一王子が行動したらしい。あの時の空気は異常だった。だれしもエリザベスが悪であると疑わなかった。ほんの僅かな、押しつぶされる程度の人間しか疑問を抱かなかった。
その僅かな人間が、手遅れだとしても、せめてもと行動を起こした結果らしい。それを聞いてエリーゼは呆れたように溜息を吐く。
「処刑されてから動くなんて。とんだ臆病者ですこと」
「はい、返す言葉もありません」
《……ん? ちょい待ち。何かその口ぶりだとマリィちゃんも》
「……わたしも、そんな臆病者です。あの場で、違うと、それはエリザベスさまの仕業ではないと言えたら。自分の末路など気にせずに声を上げられたら。そう、ずっと思っていたから、だから」
「……相も変わらずいい子ちゃんですわね」
《エリーゼ……》
二人の間に流れるその空気を感じ、ベスは少し胸がジーンとなる。そうか、悪役令嬢だとかヒロインだとか。そういうのとは関係なく、きっとこの二人には絆が。
そこまで考えて、あれ、と彼女は疑問を抱いた。確かこの生首、雌豚は自分の手で始末するとか言ってたし、実際に行動してなかったっけ、と。
「だって本当じゃないですか。階段から突き落とそうとするとか、教科書を破るとか、水を掛けるとか、あの小さないじめは別の誰かがやったことですし。エリザベスさまがやったのはわたしを掴んで二階から飛び降りて潰そうとしたり、教科書どころかわたしそのものを消し炭にしようとしたり、氷水の洪水で欠片も残さず流そうとしたりしてたやつですから!」
《ねえなんでそんなことした奴かばうの? 頭イカれてんの?》
本気のツッコミである。間違いなく小さないじめよりやばいやつである。これをかばう場合、所詮下級の貴族だからとか、ベスは乙女ゲームの知識で知っているが庶子だからとか、そういう割と胸糞悪い方向に持っていかないとだめなやつだ。つまりは断罪される側の立ち位置になるわけだ。
今全力でエリーゼを、悪役令嬢エリザベスをかばっているのはド直球の被害者である。やられた奴である。ベスでなくとも頭がおかしいと判断するであろう。
「……初めてだったんです」
《そりゃそうだろうね。そんな全力で殺しにかかってくる悪役令嬢普通いないから》
「わたしを、わたしとして真っ直ぐに見てくれたのは」
《違うよ、絶対違うよ。この外道生首悪役令嬢、絶対婚約者にたかるハエ位の感覚で見てたよ》
「人聞きの悪い。わたくしはきちんとこいつを始末するべき雌豚として認識してましたわ」
《ハエでも雌豚でも変わんねーよ! マリィちゃんとして見てねーじゃん!》
「いえ。呼び方はともかく、エリザベスさまは間違いなく、わたしをわたしという一つの存在として見てくれました」
《処刑された時の空気が異常だって思ったのはあんたらが異常者だったからなんじゃないすかね……》
真面目な話をしていたような気がしたが、多分間違いだ。そう判断したベスは色々を理解するのを諦めた。多分考えたら負けなやつだと結論付けた。
「それに、エドワードさまは……いえ、他の皆様もきっと、わたしじゃなくても良かったと思うんです」
《何かさり気なく逆ハールート行ってたみたいな発言したぞこいつ》
ベスの中でマリィの認識が乙女ゲーの可愛いヒロインから、何か頭おかしいやべーやつに置き換わっている。遠慮も多分に無くなった。
それはそれとして。マリィの言葉をベスは何となく理解できた。彼女の記憶が確かならば、乙女ゲームのヒロインは特別な力を持っていたはずだ。浄化の光、魔に連なる者を消し去り、清める。ルートによっては教会から聖女認定される力。そんな特殊な才能を持っているからこそ、エドワードを始めとした攻略対象が近付いてきたのだと、彼女はそう思っているのだ。
「まあ、あなたのような雌豚があの連中に気に入られるきっかけは間違いなくそれでしょうね」
「ですよね、ふふっ……。でも、エリザベスさまは違った。そこにいた個人を、わたしを認識して、始末しようとしてきた」
《特殊な才能持ちをどうこう、じゃなくて、マリィちゃんを始末しようと思ってたってことね……いや変わんなくない?》
肩書きなど関係なくマリィをぶっ殺したい。そう考えれば何となく理解が出来る。そう思い込みたかったが生憎ベスには全く共感出来なかった。やっぱり駄目だ、彼女は即座に理解を放棄した。二回目だ。
《えーっと。まあそのへんはもういいんだけど。とりあえずマリィちゃんはこっちの味方ってことでいいの?》
「エリザベスさまが許してくださるのならば」
「許すも何も。わたくしは最初からあなたを恨んでなどいませんわ。ただ、あの時はムカついていただけ。何も気にすることなどないわ」
「……ありがとう、ございます」
《ねえ今のやりとりに何かジーンとする場面あった?》
そうと決まれば協力は惜しみません。そう言って胸をどんと叩いたマリィを見ながら、ベスは色々と割り切ることにした。乙女ゲームの世界に転生したとかいう世迷い言は捨ててしまおうと心に決めた。
「ところで雌豚」
「はい、エリザベスさま」
「今のわたくしはエリーゼだと言ったでしょう?」
「あ、ごめんなさいエリーゼさま。それで、どうしました?」
「あなた、王宮に入ることは出来る?」
《おおっと何か不穏なこと言い出したぞぉ》
先程の話を聞く限り、王宮に行く理由で思い付くのはエドワードへの仕返しだ。間違いなく大事になる。
そんな彼女の思考を読んだのか、エリーゼはジロリと己の首を支えている体を睨んだ。いくら自分でも、思い立っただけで王宮に乗り込んで暴れるつもりはない。そう抗議をした。
「えっと。じゃあ、どうするんですか?」
「決まっているでしょう? エドワードの馬鹿を謹慎させた張本人に話を聞きに行くの」
「え? それって」
《ツッコミの内容は何も変わらないなぁ》
第二王子をどうこうできた人物、それはつまり。先程も少しだけ話題に出ていたその人物の顔を思い浮かべながら、エリーゼはどこか懐かしむような笑みを浮かべた。
「第一王子、フィリップに会いに行くわ」