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三国志 群像譚 ~瞳の奥の天地〜 家族愛の三国志大河  作者: 墨笑
短編・中編や他の人物を主人公にした話
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その鼠は龍と語らう2

「おぅおぅてめぇ、いい馬に乗ってんじゃねぇか。俺にもちょいと乗せてくれよ」


(チンピラだ……)


 チンピラのカツアゲのような台詞を耳にして、馮則(ふうそく)はそのままの感想を抱いた。


 荊州は江夏郡(こうかぐん)邾県(しゅけん)にある牧場。


 そこで馬の調教師として働いていた馮則に、会うなりぞんざいな口調でそんなことを言ってきた男がいた。


 羽根のついた派手な服を着込み、なぜか腰にはジャラジャラと鈴を下げている。


 それが挨拶もなく冒頭のような言い様だったので、チンピラだと思われるのも当然のことだろう。


(まいったな……俺はこういう野郎が一番苦手なんだよ)


 馮則は鼠のように気が小さいため、ワルっぽい輩に弱いのだった。


 これが馮則の甘寧(かんねい)という男に対する初印象だったのだが、そう間違ってはいない。


 事実として、この時甘寧の中ではすでに馮則がまたがっている巨馬、白龍をいただく心積もりができていたからだ。


(さぁて、どうやって手放させてやろうか)


 心中でそんな検討を始めている。


 この甘寧という男、益州巴郡(えきしゅうはぐん)の豪族の出で、元はお坊ちゃんである。


 しかしそのお坊ちゃんな出自のせいか、いわゆる不良と呼ばれるような育ち方をしてしまった。


 同じような不良たちを集めて徒党を組み、その頭になったのだ。


『てめぇら、この鈴が俺らの仲間の証だ。これから外を出歩く時はこの鈴を下げろ』


 そんな子供っぽいことをしていたせいで、住民は鈴の音が聞こえるだけで甘寧率いる不良集団が来たことが分かったという。


 ただしその不良集団は、不良集団と呼ぶにはやや過剰な勢力に育ってしまった。例えば地方長官のような権力者であっても、圧力を加えて自分たちを歓待させるほどの力を持ってしまったらしい。


 しかも言うことを聞かなければ手下に財産を強奪させたというからやることが度を越している。


 さらに酷いことに、官憲でもないのに犯罪者を捕まえて裁くような真似までしていたという。いわば私刑ではあるが、本人たちとしては義侠的組織のような気分だったのかもしれない。


 もちろん警察機能が十分でない社会ならそれも悪いことばかりではないが、要はヤクザのようなものだと言ってしまえばその通りだろう。


 そんな風に地元で我が世の春を謳歌していた甘寧だが、ある時その地元を追われることになる。


 劉焉(りゅうえん)という益州の支配者が亡くなったのだが、それに乗じた次代への反乱に加担してしまい、敗れたのだ。


 死にはしなかったものの、さすがに益州にはもういられない。配下を引き連れて、隣州である荊州の支配者劉表(りゅうひょう)の下へと身を寄せた。


(ここでもう一旗上げてやる!)


 本人はおそらくそんな希望を持っていたのだろうが、残念ながら甘寧は荊州で不遇を囲うことになった。


 劉表はこの荒くれ者をとりあえず受け入れはしたものの、やはり性質に難があるからだろうか。重用することはしなかった。


 それで甘寧は劉表のさらに配下の黄祖(こうそ)という武将の下へと移ったのだが、ここでもまた評価はされなかった。


 それどころか黄祖は甘寧が戦場で結果を出しても黙殺し、あまつさえ有能そうな食客の引き抜きまでしてのける始末だった。


(あんまりの仕打ちじゃねぇか)


 さすがに甘寧も腹に据えかねたが、周囲の目にも気の毒に映ったらしい。


 ある日、黄祖の下で都督(軍司令官)を務めている男がやって来て、


『甘寧殿、邾県(しゅけん)へ行かれるとよい」


と言って、その地の県令(県の長官)に推薦してくれた。


 この邾県というのは黄祖の治める江夏郡の一地方であり、その長というのはそれほど悪い話ではない。


 しかし実はこの推薦、県令にしてやるからそこで働け、という意味ではなかった。


『邾県に赴任すれば、地理的に後はどこへ行くのも容易いでしょう』


 そんな言葉が付け加えられた。


 飼い殺しされている甘寧は以前から別の群雄に仕えることを検討していたのだが、都督はそのことを聞いて背中を押してやったのだ。


 ほのかに厄介払いの香りがしないでもない話だが、少なくとも甘寧自身はそうは思わなかったようだ。後になって、この都督の男に報いようと骨を折ってやっている。


 そんな経緯があり、ヤクザの親分然とした甘寧はつい先日、馮則が住んでいる荊州江夏郡邾県の県令として赴任してきたのだった。


 つまり馮則がチンピラだと断定した甘寧は、この地を統べる長官ということになる。


 馮則の勘違いも甚だしいのだが、甘寧の格好や言動を考えれば仕方ないことだろう。


 それに過去には甘寧自身、小地方の長官などは小突いて言うことを聞かせていた存在だ。そんな地位に登ったからと言って偉ぶるつもりは毛頭なく、普段通りの態度で良いと思っている。


「おぅおぅおぅ、乗せろって言ってんだろが。さっさと降りろや」


 甘寧は返事をしない馮則を急かし、手を伸ばしてきた。鼠のような小男である馮則は、軽々と鞍から尻を浮かせられてしまう。


「ちょ、ちょっと旦那!困りますって!」


 馮則は体格だけでなく、肝の方も鼠のように小さい。ひどく臆病な男だから、自然と甘寧相手に旦那という呼称が出た。


 その反応を見た甘寧は、押せばどうとでもなる男だと感じた。自分のような人間の得意分野だ。


「うるせぇな!ちょいと乗ったところで減るもんじゃなし、つべこべ言うんじゃねえ!」


 声を荒げてみせ、一気に馮則を引きずり下ろす。


 相手が小柄だから難しいことではなかったが、白龍の体高は馬鹿みたいに高いので、そこだけは少し難儀した。


「は、白龍は自分以外を乗せない馬で……」


 地面に降ろされた馮則はよろけながら警告した。


 繊細で猛々しいこの馬は、基本的に人を乗せるということをしない。


 今まで幾人もの調教師がそれを矯正しようとしたが、飴にも鞭にも泰然として反応しないのだ。


 その様は鼠のように小さくできている馮則から見て、時に気高いとさえ感じられた。


「聞いてるよ。だからこんな立派な馬でも売れねぇんだろう?」


 実はこの情報、甘寧はあらかじめ仕入れていた。だから来たのだ。


 ここの牧場に稀代の名馬がいるものの、頑として人を乗せようとしない。悍馬などころか暴れ馬で、怪我人が続出している。


 そんなのは軍馬にも農耕馬にもならないから買い手がつかず、牧場としては持て余していると噂になっているのだった。


「だったらつまり、俺が乗れれば貰い受けて構わないってことだよなぁ?」


 甘寧は悪そうな顔で笑った。


 その苦手な笑みを見て、馮則の頭には二つの懸念が浮かんでくる。


 その一つは、牧場は繁殖用の馬として白龍に期待していることだ。


 性格まで次代に遺伝するとは限らないし、より幼い頃から調教すれば矯正されるかもしれない。だから牧場主は持て余してはいても、二束三文で売ろうとは考えていなかった。


 そしてもう一つの懸念は、白龍に乗ろうとしている甘寧の怪我だ。


 落馬というのは下手をすれば命に関わる。巨大な白龍から落ちるとなればなおさらで、安易な挑戦は決して勧められなかった。


「か、勘弁してくださいよ……乗れたからって二束三文ではあげられやしませんし、白龍はマジで危険で……」


「別に二束三文で取り上げようなんて思ってねぇよ」


「え?そうなんですか?」


「ああ、でも乗れたら絶対に売ってもらうからな」


 その言葉に嘘はなく、甘寧は元々きちんと支払いはするつもりでいる。


 なのにわざわざこんな流れにしているのは、経験的にこの方がすんなりいくからだ。


 甘寧のチンピラのような態度から、相手はまともに支払ってもらえないものとまず考える。


 それが相場かそれ以上の金銭で(あがな)ってくれると聞けば、売る気のなかった物でも得したような気になって手放してくれるのだ。


 もちろん確実性を言うのなら、県令としての権力を行使すればいい。しかしなぜか甘寧はそちらには乗り気になれなかった。


 ヤクザにはヤクザなりの美学があるのだ。


「んじゃちょいと一乗り……」


 と、鞍に手を置きかけた甘寧の体が素早く後方に跳んだ。


 そしてその直後、それまで甘寧の頭があった所でガチッと音が鳴る。


 それは白龍の大きな歯が噛み合わされた音だった。甘寧の乗馬を拒否して噛みつこうとしたのだ。


「おおっと……噂通りの利かん坊ってわけだな」


「だから危ないんですって!旦那、本当に怪我しますよ!」


 馮則は本気で心配して言ってやったのだが、甘寧は聞く耳を持たない。


 むしろ楽しげにニヤリと笑ってから身を低く構えた。


 馮則の目にはその顔が、いたずらに夢中になっている悪童の顔にしか見えなかった。


「まぁこれくらい面白い馬じゃなけりゃ、面白い手土産にはなんねぇよな!」


 そんなことを口走り、怪物に向かって嬉々として踏み出す。


 馮則はその動きを低空飛行するハヤブサのようだと思った。それほど早い。


 しかも馮則には認知できない、陽動的な動きも混ぜられていたようだ。


 白龍はどちらへ動くか迷ったようにたたらを踏み、その隙に甘寧は距離を詰めて、ひらりと鞍に跳び乗ってしまった。


「どうだ!」


 甘寧は得意げに叫んだが、そんな気分でいられたのはほんの一瞬のことだった。


 白龍が勢いよく棹立ちになり、ほとんど手綱だけでぶら下がるような体勢になる。


「くっ……」


 必死にしがみついて何とか耐えたのも束の間、一瞬後には鞍に尻を突き上げられて空を飛びそうになった。


 棹立ちをやめて前足をついてくれたと思ったら、今度は後ろ足を蹴り上げて乗り手を上下に揺らすのだ。


 騎乗を安定せしめるための鞍が、天変地異もかくやという揺れ方で甘寧の尻を襲う。


「うぉ!この!ぐぁ!こいつ!」


 甘寧は何としても落ちまいと必死に股を締めたが、激しい上下運動が繰り返されてまるで落ち着けない。


 しかも、白龍は本当に馬かと思うほど頭の良い馬だった。


 甘寧が簡単に落ちないと見るや、手頃な木の幹に走り寄り、そこへ背をぶつけようとしたのだ。


「おいおい嘘だろ!?」


 これにはさすがの甘寧も参ってしまい、放り出されるように鞍から飛び降りた。


「こいつは……どうしょうもない暴れ馬だな」


 半ば呆れるようにぼやいてその巨体を眺める。


 この大きさで暴れられると乗り手にとってどんな負荷になるのか、身を以て理解できた。


 それでも甘寧はさらに三度ほど挑戦してみたが、やはり結果は変わらない。むしろ白龍の拒絶はより激しくなり、数秒と乗っていられないようになった。


 それだって甘寧だからできたことで、普通なら乗れもしないか、もしくはすぐに落馬して大怪我だろう。


「くそっ、こんなのに乗れるやついんのか!?」


 甘寧はそう口にしてから、ふと自分がこの馬から引きずり下ろした小男に目をやった。


 当の馮則は、ずっとやきもきしながら甘寧の挑戦を見ている。


 とはいえただ心配しているだけでなく、


(勝手に怪我された上に因縁でもつけられたらたまらねぇ!)


そんなことを考えていた。


「おい、なんでてめぇは乗せてもらえるんだ?やっぱり慣れてるからか?」


 聞きながら、それだけではないのだろうと甘寧は思っていた。


 この馬は目の前の小男以外は乗せないという話だったが、牧場には他にも働いている人間はいる。慣れるだけで乗れるのなら、他の人間でも乗れているはずだ。


「へぇ……まぁ慣れというのもあるんでしょうが……」


 馮則は頭をかきながら答えた。


「自分があまりにも取るに足らない、ちっぽけな存在だからみたいです」


「……はぁ?」


 全くもって意味の分からない甘寧は、馬鹿みたいな声で聞き返した。


 馮則はすぐに説明を付け足す。


「あ、いや、えっと……以前にたまたまここを通りかかった旅の人相見がいたんですがね、白龍と俺を見てそんなことを言ってたんですよ」


「人相見?」


「いや、まぁ人相見っていってもそれを生業にしてるわけじゃないらしくて、無料だったんですけど」


 そういうことが特技だという人間はままいるから、甘寧も別に珍しいことではないと思った。


 小さくうなずいて先を促す。


「それでその人相見が言うにはですね、白龍の本質は名前の如く、龍のようなものらしいんです」


「ふんふん?」


 その人相見は馬の人相も見れるのか、ということには突っ込まず、またうなずいて先を促す。


「それで自分の方の本質は、鼠のようなものらしくって」


「ハハッ」


 甘寧が小さく笑ったのは、馮則がまさに鼠のような小男だからだ。しかもよく見れば耳も平たく大きく、鼠によく似ている。


 さらに言ってしまうと、全身から鼠のような小物感が漂っているのだ。


 まだ出会って間もない甘寧ですら、馮則には気を遣わなくていいような気がしてしまうから不思議である。


「で、その人相見は龍と鼠がどうだって言ったんだ?」


「へぇ……」


 馮則は視線を宙に漂わせ、その時の記憶を手繰り寄せた。


 随分と感心した話だったから、一言一句、間違えずに言えると思う。


「……もし人間が龍の背に乗ろうとすれば、龍はその傲慢に怒って振り落とそうとするでしょう。しかし、それが小さな鼠ならどうでしょうか?大いなる龍はそんな些事気にも留めず、悠々と空を駆けて行くでしょう……ってなことを言ってました」


「あー……」


 白龍の威容、そして馮則の小物感。


 この二つを同時に目の前にしている甘寧は、思わず納得の声を漏らした。


 ただそれにしても、何とも憐れな話である。


 馬に信頼されるか、せめて認められることによって乗れるのなら男として格好もつくだろう。


 しかしまさか、小物過ぎて取るに足らないと思われているがために馬から許されているとは。


「お前……その人相見にそんなこと言われて、腹が立たなかったのか?」


 気の強い甘寧は、馮則があまりに普通に話していることが理解できなかった。


 しかし馮則は馮則で、甘寧が何を言っているのか理解できなかった。


「え?どうして腹が立つんです?」


「え?そりゃあよ……男なら、お前は鼠だ、なんてこと言われりゃ怒るだろ普通」


「あー……いや、でもほら」


 そう言って笑う馮則の口元で、真白な出っ歯が陽光を照り返してキラリと輝いた。


「自分はまさに、鼠みたいな野郎ですし」


 それを見た甘寧は可笑しくて、この鼠野郎をいたく気に入った。


「よぅし決めた!俺はこの馬と一緒に、お前を孫権様への手土産にする!」


「……は?」


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