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三国志 群像譚 ~瞳の奥の天地〜 家族愛の三国志大河  作者: 墨笑
短編・中編や他の人物を主人公にした話
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医聖 張仲景36

「おい、酒なんて出さなくていいよ。食べ物だってこんなにいらない」


 張機は目の前に並べられた酒食に驚き、張羨にそう申し出た。


 豪華、というほどではないが、籠城中にしてはなかなかの料理が出てきている。


 二人は張羨の居室でそれらを挟んで差し向かって座っていた。


 もうかなり遅い時間で、戦は宵闇によって休止されている。空には細い三日月が浮かび、淡い光が窓から差し込んでいた。


 酒食で歓迎してくれるのは張機としても嬉しいが、食料事情などを考えると申し訳ない気持ちになる。


 張羨はその遠慮を笑って受け流した。


「これくらい大したことないよ」


「でも籠城では食料が貴重で……」


「城内で一日にどれだけの食料が消費されるか、太守をやっていたお前なら分かるだろう?これくらいの増減は結局のところ誤差範囲だ」


 それはその通りで、例えば目の前の食事を半分にしたところで兵力の維持には大した寄与にならないだろう。


「それに、お前がこうして危険を冒してまで来てくれたんだ。これくらいのもてなしはさせろよ」


「じゃあ……今日は特別だと思っていただくよ」


 張機もこれ以上言うのは野暮だと思い、酒杯を手に取った。


 それを掲げて張羨に向けると、張羨も酒杯を掲げて再会を祝した。


 二人は同じ格好をしたわけだが、張羨の方は手が震えている。


(無理してるな)


 そうは思ったが、これを言うのもやはり野暮だ。


 だから張機は黙って酒を流し込み、それから料理に手を付けた。


(美味い)


 そう思った。あまり見ない香草が使われており、不思議な香りがする。


 張羨の知識は料理にも及んでいるので、料理人にもそれを教授しているのだろうと思われた。思わず次々に箸が伸びる。


 張羨の方は案の定あまり食べられないようで、一口分をさらに三分の一にしたような量をチビチビ口に運んでいる。


 ただ、それでもいたく満足そうだった。


「さすが張機の処方した薬だな。今までは粥を少しすするくらいしかできなかったのに、普通のものが口にできるようになった」


 張機は料理ができるまでの間、薬を調製して張羨に飲ませていた。その効果があったようだ。


「無理して食べると吐くぞ」


「ああ、何度も経験したから分かる。無理はしないさ」


 薬は効いている。


 だがあくまで補助的なもので、根治に繋がるようなものではない。


 張羨もそれは理解しているのだろう。はっきりと尋ねてきた。


「俺はあと、どれくらい生きられる?」


 当然、張機もその質問は予想していた。


 一個の生物としてだけでなく、三郡を率いる群雄として大いに気になることだろう。その長短で多くの人生が左右される。


 張機は言葉を濁さず、明確に答えた。


「いつ死んでもおかしくない。この食事中に意識を失ってそのまま、ということも十分あり得る」


 張羨はその残酷な診断を聞いても一切の失望を見せなかった。


 むしろ微笑み、己の運命に感謝した。


「最後にお前に会えてよかったよ」


 張機はその言葉を受け入れない。いくつも心残りがあることを知っているからだ。


「僕に会えただけで満足するなよ。家族の近況とか聞きたくないのか?」


「おう、それは聞きたいな。俺の元妻と元娘たちは元気か?」


「元じゃないよ。三人ともまだちゃんと張羨の妻と娘のつもりでいる。これからだってそうさ」


 張羨は嬉しそうに目を細めて家族の近況に耳を傾けた。


 張機はありのままを話した。嘘を言わなくても、三人が幸せに生きられるよう計らってきた。


 だから真実を話すだけで十分に張羨を安心させる事が出来た。


「なぁ張機。すまないが、今後も頼めるか」


「言われなくたってそのつもりだよ。全部任せろ。三人に関しては一切の心配はいらない」


 張羨は目を閉じ、親友に向かって深々と頭を下げた。


 首が以前よりもだいぶ細くなってしまったから、下げられる頭がやたらと重そうに見える。


 木の幹のように太かった首を思い出し、張機の胸は苦しくなった。


「一体いつ頃から体調を崩してたんだ?」


「去年の冬頃かな」


「それは急だな」


「ああ。初めは腹が痛かったり食欲が湧かなかった程度だったんだがな。黄疸が出てきた辺りから急にあちこち悪くなった」


 癌の中には初期症状がほとんどないものも多い。気づいた時には手遅れという事態もままあるから、現代においては検診を欠かしてはならない。


 出来れば人間ドックにも定期的に入ったほうが良い。早ければなんとでもなるものがほとんどなのだ。


 とはいえ、この時代では早期発見にもあまり意味はないが。


「もし早めにお前に診察してもらっていれば何とかなったかな?」


 その質問に、張機は力なく頭を振った。


「いや、残念ながらこの病はどうやっても治せないものだ。さっきの薬みたいに症状を緩和して、少しでも楽にすることしか出来ない」


「そうか」


 張羨は別に残念そうでもなく、ただ小さくうなずいた。


 この男はたられば話に一喜一憂するほど非合理的な頭を持っていない。目の前の処理すべき現実をただ見ている。


 とはいえ冷めた思考をしているわけでもなく、昔話を楽しめる感性はある。


 二人は幼い日から、成人するまでのことを話した。


 遊び回った山野、悪戯に喧嘩、たくさんの失敗話が特に楽しい。


 不思議なものだ。こうして振り返ると辛かったことまで全てが愛おしく感じられた。


 その愛おしさに包まれて、張羨はふと謝った。


「悪かったな」


 まるで謝られる話の流れでなかったので、張機は問い返した。


「何が?」


「玉梅のことだ。お前、本当は自分が玉梅と結婚したかったのに俺に譲ってくれただろ」


 いきなり思いもよらない事を言われ、張機の心は激しく動揺した。


 それは張機の人生を決定づけたという点で、間違いなく自我の中心にある事柄だ。


 それを秘していたつもりの張機は心の奥底まで覗かれた気がして、隠すように胸に手を当てた。


「なっ、何を言ってるんだ。僕は……」


「隠さなくていい。どうせこのまま墓場まで持っていく話だ」


 張羨は消えそうな笑みとともにそう言った。


 本当にそのまま消えてしまいそうだったので、張機はまだ動揺しながらも話していいかという気になった。


「……ずっと……気づいてたのか」


「はっきりと意識したのは子供が産まれた辺りかな?玉梅への認識が女ってよりも、子供の母親に変わって落ち着いたんだと思う。そしたらふっとお前の顔が浮かんで、あぁそうだよな……って分かったんだ」


 それから張羨は酒を含み、今の発言を訂正した。


「……いや、分かったってのは少し違うな。本当は初めから気づいてたのに、わざと気づかない振りをしてたんだ。そうやってお前への罪悪感を隠してた。お前が玉梅のことを好きなのは誰が見たってバレバレだったのにな」


 言われてみると、張羨はよく張機が玉梅を捨てたというようなイジり方をしてきた。


 あれは恐らく、気づいていないと自分に言い聞かせるためにあえてやってしまっていたのだろう。


 しかしそうなると、張機は色々と困ってしまう。


「じゃ、じゃあ……玉梅にも気づかれてたのかな?それは何となく恥ずかしいけど……」


 もしそうならどうにも顔を合わせづらい。そう思った。


 しかし張羨は首を横に振ってその心配を否定した。


「いいや、むしろ恥ずかしがってたのはあいつの方だよ」


「玉梅が?」


「ああ。張機は自分のことを好きで好きでしょうがないんだって、ずっとそう思ってたのにあっさり捨てられて愕然としたらしい。すごく恥ずかしい勘違い女だったって顔を真っ赤にしてたぞ」


「それは……なんか……むしろ申し訳ないな」


 申し訳ないが、やはりホッとした気持ちにはなる。


 無事に帰ることが出来たら今まで通り接せられそうだ。


「でもまぁ何にしても、張羨が謝るようなことじゃないよ。僕は僕の選択としてそうしたわけだし、今の人生にも後悔はない」


「そうか。でも俺は最後に謝っておきたかったんだ。これで心置きなく逝ける」


 張羨は微笑んで手元の酒杯に目を落とした。


 その顔は言葉通り満足そうだったのだが、張機はそう感じなかった。


「嘘をつくな」


 そう言った張機の声がやけに鋭くて、張羨はハッと顔を上げた。


 声に険があると思ったが、その目にも険しいものが浮かんでいる。


 幼馴染は自分のことを怒ったような瞳で見つめていた。


「他に何か大きな心残りがあるはずだ。だから僕に会いたがったんだろ」


 張羨は思わず目をそらした。


「いや……今の話と、最後にお前の顔を見たかったからで……」


「だから嘘をつくなって言ってるだろう。僕は包囲をかい潜ってまでここに来たんだ。そんな危ない橋を渡ったのに、呼びつけた張羨は本音を話してくれないのか」


 張機は確信していた。幼馴染はまだ何かを隠している。


 そもそも張羨が今日まで自分に会ってくれなかったのは、それによって玉梅たちの危険が増すことを恐れていたからだ。


 張機と張羨の関係に注目されれば、玉梅たちにも目が向くかもしれない。それを避けるための面会拒否だったはずだ。


 しかし今の話のために改めてその危険を冒すだろうか。


 最後に会いたかったと言ってくれたのは嬉しいが、張羨のことをよく知る張機には何か別の目的があるとしか思えなかった。


「話せよ。きっと僕にしか頼めないことなんだろう?」


 張羨はそう言われ、顔を真下まで伏せた。


 張機からその表情は見えなかったが、ひどく歪んでいることは察せられた。


 気の強いこの幼馴染は、辛そうな顔を人に見せたがらない。


 だが今はその顔を見たいと思った。見なければならないと思った。


 だから張機は立ち上がり、張羨のそばへ行くと顎に手を当てて、ぐいっと上げた。


 思った通り、張羨の顔はグシャグシャになっていた。


 張機には、その表情が恥じ入っているように見えた。


「僕にしか頼めない、僕にしか言えないようなことなんだな?」


 張機の確認に、張羨は顔を振って顎の手を払った。


 まるで拒絶するような仕草ではあったが、張機には肯定の返事に見えた。


「話せよ」


 張機は再びそう言い、自分の席に戻った。


 張羨はまた顔を伏せてしばらく黙っていたが、やがてゆっくり、ゆっくりと口を開いた。


「……息子を……逃がして欲しいんだ……」


「……何だって?」


「……だから……息子を……」


 張羨の声は消え入るようで、はっきりと聞き取れない。


 いや、それよりも言われたことがあまりにも思いがけない内容であり、張機は聞き間違いかと思った。


 しかし張羨はまた顔を伏せて黙ってしまったので、待っていてもそれ以上の言葉を得られなかった。


 仕方ないので、張機は聞こえたと思える内容を口にして確認した。


「張懌を……この城から逃がして欲しいのか?」


 張機はそう口にしてから、返事を聞かずともこれが張羨の願いであることが分かった。


 そして張羨も無言で首肯する。


 顔を伏せたままさらに頭を下げたので、食卓に頭がぶつかって酒杯が倒れた。


「分かった」


 張機はこれ以上のことは一切聞かず、そう答えてやった。


 この返事に張羨は勢いよく顔を上げた。


 それから涙をボロボロと流し始める。


「すまない……すまない……自分勝手過ぎることは重々承知だ……しかし俺は……どうしてもあいつを……」


 声を震わせ、何度も張機に謝った。


 人の親として、張機には張羨の気持ちが痛いほどよく分かる。


 その一方で、張羨が話しにくかったのも当然だと思う。


 自分は反乱を起こし、兵たちに戦いを命じて多くを死に追いやってきた。


 にも関わらず、自分の息子だけは逃がしたいと言っているのだ。


 妻や娘を張機の元へやったのとはわけが違う。戦うべき立場にある張懌を逃がそうというのはあまりに自分勝手だろう。


(僕にしか頼めないのも当然だ)


 こんな恥ずかしいことは普通なら口にも出来ない。


 ただ張機にだけは、気心の知れた幼馴染にだけは、大義よりも目の前の命を見つめる医師にだけは、話せる気がしたのだ。


 受け入れてくれる気がしたのだ。


 そしてその考え通り、張機は張羨の自分勝手を受け入れることにした。


 世界中の誰がこの親友を責めたとしても、自分だけは味方でいたいと思った。


「いいよ、僕が何とかしてやる」


「……すまない……本当に……すまない……」


 張羨は何度も何度も頭を下げながら、ただただ涙をこぼした。


 そのしずくが料理に落ちるのを見ながら、張機はまず問うべきことを問うた。


「だけど、一応は確認させてくれ。張懌はこのことを了承しているのか?」


 張機から見て、張懌は非常に真面目で素直な若者だ。


 優等生とでも言うべきだろうか。そんな張懌が一人逃げることを受け入れるとは思えない。


 案の定、張羨は首を横に振った。


 涙を拭ってから質問に答える。


「あいつには言えない。絶対に拒否するからな」


(無理やり逃がすとなると難しい仕事になりそうだけど……それは後で考えよう)


 張機はひとまずその思考を置いておき、もっと大切なことを聞いた。


「いいのか?本人の意志に反してそんなことをして」


「本人の意志には反していない。あいつは否定するだろうが、本心では戦うことに意味なんて見出せていないんだよ」


「そう……なのか?張懌はこの乱世で名を上げるんだとか、そんなことを言ってたけど」


「周りがそんな話をするからだ。あいつは昔から周囲が賞賛してくれることに敏感で、世間が正しいと言っていることをそのまま受け入れてしまうところがある。大方それが男子の本懐だとか言われて乗っかってるだけだよ」


「まぁ……確かに何か言えばすぐにうなずく子だとは思ったけど……」


 そんな息子への感想を聞いて、張羨は苦しげに顔を歪めた。


 病のせいで時折り見せる苦痛の表情よりも、よほど苦しそうな顔だった。


「……俺が塾で厳しくし過ぎてしまったせいだ。あいつが良くできた時も滅多に褒めなかった。それでとにかく大人の言うことを聞き、評価されたがる子に育ってしまったんだ」


 その張羨の態度が、張機には何となく分かる気がした。


 玉梅もそうだったが、先生が我が子をひいきしていると思われないようにするため、どうしても厳しくなってしまうのだろう。


(しかし子供とは褒められたいものだ。結果として己を消し、周囲の価値観を上塗りすることによって『素直で言うことをよく聞く優等生』がてきたってわけか)


 張羨の話をまとめるとそういうことになる。


 張機はぼんやりとだが、張懌の知らなかった部分が見えてきた気がした。


「成長してからもそうなのか」


「ああ。今は帝を保護する曹操に大義があるとか言って戦っているが、本心ではどうでもいいと思ってるはずだ。桓階を初め、それを口にする連中が多いからだな」


「帝への忠義……張羨は合理的な世の中を創るためという話だったけど?」 


「あいつはそれも肯定する。というか、否定することがないんだよ。一晩かけて俺の望む世の中の話をして、次の日に他の人間から『合理性よりも伝統を重んじよう』と言われて、いい笑顔でうなずいていた」


「…………」


 こうなると、確かに異常だ。そして憐れですらある。


 素直で真面目な若者だと思っていたが、ただ己が無いだけだったのか。自己が無ければ周囲への迎合は容易いだろう。


 しかし張機には人が生きていて、自己というものが存在しないとは思えない。


「じゃあ……張懌自身の本当の望みは何なんだろうな?」


 問われた張羨は大きく頭を振った。


「俺にも分からない。聞いても俺の顔色をうかがって答えるだけだ」


 張懌の抱える心の歪みが父に認められたかったことに起因するならば、父にだけは絶対に己を見せないだろう。


 何を言ったところで父の顔色をうかがい、その望む答えを返そうとするはずだ。


「俺はあいつに生きて、借り物じゃない本物の望みを知って欲しいんだよ」


「だから……無理やりにでもここから逃したいと思ったのか?」


 そう聞かれ、張羨は窓の外に目を向けた。


 遥かに高い三日月を眺めやり、遠い日を思い起こす。


「病に伏せってから、あいつが戦場で初めて人を殺めた時の顔をよく思い出すんだ。涙を流して、俺にどうしたらいいんだというような目を向けてきて……」


 張懌はそう言ったきり、鎮痛な面持ちでうつむいたまま黙ってしまった。


 しばらく待っていても何も言わないので、張機はその先を促した。


「……それで張羨は、なんて言ってやったんだ?」


「……よくやった、すごいぞと……そう言ってしまった。そしたらあいつは嬉しそうに笑って、次の兵に向かっていった。その兵を殺して首を取り、嬉しそうに俺の所へ持ってきた。だが……」


 張羨は大きく頭を振った。おそらくその光景を脳裏から消したいのだろう。


 しかし消えない。消えない苦しみが声にも滲んでいた。


「だがあいつは、泣いていたんだ……嬉しそうな顔で泣いていて……手も震えていて……」


 きっと、父に褒められて嬉しかったのだろう。だからもっと褒められようとした。


 しかしその一方で、本当は人を傷つけるのが恐ろしかったのだ。


 優しい張機にはその気持ちがよく分かる。ひどく歪んだ感情で戦場に慣れていった張懌が想像できた。


「俺は多分、あいつの心をずっと見てなくて……そのせいで歪めてしまって……」


 漏れ出たような悔恨に、張機の胸も痛くなる。


 張懌は父に愛されようと、歪んでしまった。その(いびつ)さは、そうさせてしまった父の心を(さいな)んでいる。


 張羨はもう一度大きく頭を振ってから、ゆっくりと立ち上がった。ふらふらと覚束ない足取りで張機の方へと歩いてくる。


 それが見ていて危うくて、張機も立ち上がって手を伸ばした。


 思った通り張羨は転倒しかけ、張機に抱きとめられた。


「おい、無理するな」


「無理なんて出来ない……俺にはもう、無理することも出来ないんだ」


 張羨は震える手で張機の腕を掴み、悔しそうにその手を見つめた。


 そこへ涙が落ちてくる。


「だからお前に無理を頼む。俺が歪めてしまったあいつが、せめて自分を取り戻すまでの時間を与えてやってほしい。せっかく生まれたのに、借り物の望みしか知らないまま死ぬなんてあんまりだ……」


 それを叶えられずに逝かなければならない己の呪うような懇願だった。


 死に臨んだ願いは重い。


 しかし医師である張機は人の死を前にしても、冷静さを失うことなどなかった。むしろその状況こそ頭を冴えさせる。


(だとしても、これはひどく自己中心的で自分勝手な願いだろう)


 ごくごく客観的に、そのことを理解していた。


 だがそれでもなお、張機は友の最期の願いを叶えてやりたいと思った。


「任せておけ」


 そう請け合って、拳で友の肩を優しく殴った。


 その小さな衝撃に、張羨の泣き顔は泣き笑いへと変わった。


 死相に浮かぶ笑顔がひどく眩しくて、張機の目は二人を見下ろす三日月のように細められた。

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