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三国志 群像譚 ~瞳の奥の天地〜 家族愛の三国志大河  作者: 墨笑
短編・中編や他の人物を主人公にした話
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医聖 張仲景25

 劉表が荊州全域を手中に収めてから数年。


 張機はその日、決意を持って主君の元へ向かっていた。ちょうど呼び出されてもいたので、良い機会でもある。


 主君とはいっても、向こうは張機のことを友人だと言ってくれる。


 張機はそんな主君、劉表に対して強い好感を抱いており、自分も言われるがままに友人だと思うことにしていた。


 だから今日も、主君には言いづらいことをはっきり言うつもりだ。


「劉表様。以前からお伝えしていた通り、そろそろ自分は役人を辞めてただの医師に……」


長沙(ちょうさ)郡の太守になってくれ」


 と、劉表は張機の言を半ば無視する形でのたまってきた。


 その顔は何かを命じて強制する主君ではなく、むしろ友人に悪ふざけを言う子供のようなものだった。


 張機の意向を分かっていて、あえてやっている。あまりにもそれが分かりやすいので、張機はつい半眼で睨んだ。


「劉表様……あのですね……」


「すまん、他に頼める人材がいないのだ。この通り」


 劉表は拝むように手を合わせた。ますます主君が部下にやることではない。


 ハァ、と張機はため息をついて応じることにした。


 こういう様子を見せられると、仕方ないなと思うしかないのだ。少なくとも張機はそういう人間だった。


 ただし、思うところは述べておく。


「他に人材がいないということはないでしょう。為政者として自分よりも優秀な人材は何人もいますよ」


「だが『頼める』人材は張機殿だけだ。南はまだ不安定なところがあって、私に反発している人間も多い。長沙は注意を要する土地だから信ずるに足る人間に任せたいのだ」


 今の劉表は荊州を実効支配できているとはいえ、もともと南方は宗賊(そうぞく)(地元有力者による一揆勢力)が多数はびこっていた地域だ。


 その多くを劉表は処刑してしまったし、恨んでいる人間もいるだろう。


 長沙も宗賊の勢いが盛んだった郡の一つであり、新任の太守に反乱をささやく輩がいてもおかしくはない。


 その点、張機なら裏切りとは無縁だと断言できる。劉表はこのお人好しの友人をそう認識していた。


「それに、張機殿は為政者としても有能だと思うぞ?張羨殿のなりきりでやってもらえればいい」


「それこそ張羨本人にやらせればいいでしょう。県令(県の長)から栄転させてやればいいと思いますが」


 張羨は劉表への仕官後、いくつもの県の令を歴任させられている。長沙のさらに南だ。


 この時代の行政単位は大きい方から州、郡、県の順なので、県令は郡太守よりも立場が下だ。


 しかし張機は幼馴染の方が圧倒的に上だと思っているから、太守への栄転が適任だと考えた。


「いや、張羨殿は行く先々で民心を得ていると聞く。これからも南方の県を回って欲しいから長沙太守にはできない」


 張羨が任されている土地こそ宗賊が多かったところだ。


 そんな特に不安定なところなのに、張羨はそれを上手く治めて地元民から好かれていた。劉表はそれを評価している。


 これは幼馴染として誇らしいことで、張機はその噂を聞く度にニヤニヤした。


 今も少しニヤけてうなずいている。


「そうですよね。張羨は本当に優秀で何でも出来るやつですから」


「そうだな。張羨殿を得られたことも張機殿の功績の一つだ。その功績に報いるためにも張機殿に一郡の太守という高位の官職を授けたい」


「…………」


 張機はニヤつくのを止めて、またジトっと劉表を睨んだ。


 実は、もう結構前からただの医師に戻りたいという話をしていたのだ。張機はそういう気持ちを固めている。


 今は完全な乱世で、野に下ることには不安もある。権力を失うということは恐れられなくなるということでもあり、危険が増すかもしれない。


 しかし、この乱世で役人をやるのは自分にとって辛過ぎた。


「劉表様……やっぱり自分には戦とか、賊の討伐とか向いていないのです」


 誰かを傷つける命令を出さなければならない。張機はずっとその辛さに耐えてきた。


 辛いが家族を、友を、大切なものを守るためだと己に言い聞かせて働いてきた。


 張機が劉表に士官し始めてからは、その気持ちだけで己を支えてきたのだ。


 能力的に出来るかと問われれば、出来ると答えて間違いではないだろう。そうでなければこの乱世で太守など任されない。


 ただし耐えられることも能力だとすると、やはり出来ないというのが正解かもしれない。


「頑張ってきましたが、自分でもそろそろ限界が近いように感じます」


 劉表は以前からこの話を聞かされており、了解はしている。


 ただ現実問題として、この乱世を泳ぎ切るために必要な無理だと思った。


「本当に申し訳ないと思う。しかし、あと数年でいいから耐えてもらえると助かる」


(数年というと、二年から九年になる。幅が大き過ぎるんだよな……)


 そこにはっきりと不満を抱いたが、自分のことを友人と言ってくれる主君をこれ以上困らせたくはないとも思った。


 だから張機はまた小さなため息をついて、首を縦に振った。


「……数年ですよ?」


「受けてくれるか!すまない、恩に着る!」


 劉表は満面の笑みで張機の肩を叩いた。


 こんなことを言う主君はいないと思うのだが、現に目の前にいるのだから苦笑するしかない。


「では劉表様、長沙郡の統治方針をできるだけ細かく決めていただいてから赴任したいのですが」


 こういったところも張機に白羽の矢が立った理由だった。


 政治家としての我が弱いため、こちらの意向を素直に実行してくれようとする。それに報告や相談も細かく入れてくれるから安心できる。


「そうだな。後で他の者も混ぜて話を詰め、きちんと文書化しよう」


「お願いします。あと、それを張羨に見せてから赴任しようと思うのですが構いませんか?」


「張羨殿に?それは構わないが……」


「あいつは不安定な南方を上手く治めていますし、意見を聞いておいて損はないと思うのです。修正すべきことがあれば、きちんと劉表様の許可を求めますので」


 劉表はうなずいて了承した。


 張羨の実績を考えると参考になるのは間違いないし、そもそもごく近い土地を治めるようになるのだ。連携を取った方がいい。


 ただ、ふと頭をよぎったことがあって言葉を濁らせた。


 それは張羨の政策に関することだ。


「分かった……が……」


「……?何か問題でも?」


「いや……」


 劉表が言い淀んだのは、これが張羨の政策であっても張機に関わることで、しかも張機の専門だからだ。


 ただそれでもここは劉表の支配地であり、支配者として釘を刺すべきだと考えた。


「張羨殿のあれは、やはりやり過ぎだと思う」


「あれ?」


「あれだ。医療政策だ」


「……?」


 張機はなんのことか分からず眉をひそめた。


 その様子は劉表にとって意外だった。


「まさか聞いていないのか?二人の仲だし、医療に関することだし、張機殿に相談がないとは思わなかった」


「心当たりがありません。一体、どんな政策なんですか?」


「宗教活動の規制だが……」


 張機はますます意味が分からず、眉間に大きなシワを作った。

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