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036 曹操

 曹操は許靖が自分の心中をズバリと言い当てたことに目を見開いた。


「人材の収集癖、か。巧いことを言う」


 そう言って、複雑な笑い方をした。


「私が戦で最も感じたことは『自分一人で出来ることなど、たかが知れている』ということだ。多くの人間が私を助けてくれたことへ感謝した」


 許靖は曹操の表情に、戦場での苦労を垣間見た。


 ただいたずらに日を送るだけの生活では、このような表情はできそうもない。


「許靖殿の言う通り、私は人よりも物事ができる。だが私が色々できたところで体は一つ、増えるわけではない。それに、一芸に関しては私よりもよほど勝る者が世の中には多くいることを改めて痛感した」


 許靖には曹操の変化が何となく分かるような気がした。


 曹操はあまりにも多芸で、自分の能力一本で何とかなってしまうことがこれまでは多かったのだろう。


 しかし戦場でその限界を痛感し、物事を成し遂げるための人材が欲しくなったのだ。


「今は人材が何より欲しい。幸い私には親族に優秀な人間が多いのでな、とりあえずそいつらに声をかけておこうと思っている」


 曹操はそう言ってから、碗に残っていた茶をすべて飲み干した。


 許靖から聞いた話を頭の中で整理するために、虚空に視線を漂わせる。そして深く息を吸い、ゆっくりと吐いた。


 改めて許靖に目を向ける。


「ところで許靖殿」


 曹操の口調に不思議な緊張感を感じ、許靖は思わず心中で身構えた。


「なんでしょうか?」


「許靖殿も感じているかもしれんが、これから乱世になるぞ。黄巾の乱がある程度収束したとはいえ、国はその力を使い果たしている。それに政治がここまで腐敗している以上、反乱をいくつか潰したところで火種は消えん。これからの世を、心して生きられよ」


 許靖は無言でうなずいた。それは許靖自身も感じていたところだ。


 どれだけ開いた穴を塞ごうとも、屋台骨が腐っていれば何をしても無駄だ。


 それでも許靖はその腐った国の中で少しでも民の苦しみが減ればいいと、日々仕事に励んでいた。


「今日は良い話を聞けた。礼を言う。最後に今後のための助言を聞きたいのだが」


「私は曹操殿に助言できるような人間ではありませんが……」


「何を言う。私は今、許靖殿の能力に驚愕しているのだぞ。月旦評の許靖は本物だった。人材収集癖のある者として、いつか許靖殿が欲しいほどだが、どうだ?」


(あなたはとても優秀で、しかも魅力的だ。だが正直なところ、あなたの下で働くのはしんどいだろう……)


 それが許靖の本音だった。


 曹操は人の技術や能力を求める。それはつまり、常に結果を求められるということだ。


 もちろん結果を出さない仕事など仕事とも呼べないが、それでも結果を求められ続ける圧迫感というのも辛い。


 許靖はその質問には答えず、助言だけを伝えることにした。


「では一点だけ。瞳の中の麒麟児たちはやや大人びたとはいえ、相変わらず子供のままです。それは物事に対する少年のような集中力や純粋さが失われていない証拠でしょう。おそらくこの部分は生涯変わらないように思えます」


「ふむ」


「一方で、曹操殿は自らを厳しく律しなければ、少年のような道の踏み外し方をしてしまうのではないかと危惧します。それが怠惰であるか、憎しみであるか、欲であるか分かりませんが」


「子供のような道の踏み外し方……どのようなことが考えられるだろうか?」


「そうですね……例えばですが、色々なことが嫌になって突然引きこもったり、憎しみが抑えきれずに多くの人を傷つけたり、女性に溺れてやるべき事を怠ったり、などでしょうか」


「……どれもやりそうだ。覚えておこう」


 曹操は渋い顔でうなずいた。本人にも自覚があるのだろう。


 それから、思い出したように手を叩いた。


「そうだ、忘れていた。あと二点だけ頼みがある」


「何でしょうか」


「まず一点。許靖殿の知人でこれは、という有望な若者がいれば紹介してもらえないだろうか?許靖殿の推す人間なら間違いないだろう」


 若者、というのはその内来ると思われる乱世を予期してのことだろう。これからは既成概念や既得権益にとらわれない若い力が必要になるはずだ。


 許靖は了解した。


 曹操は家柄的にも、地位的にも、能力的にも相当な有力者だ。紹介される人間にとって悪いことであるはずはない。紹介されれば知人たちも喜ぶだろう。


「それともう一点は、人を鑑て欲しいのだ。二組ほどなのだが」


「それは……」


 許靖は二の足を踏んだ。瞳の奥の「天地」のことを、あまり広めたくはない。


「頼む。もちろん今日のように茶の席の座興ということでよい。戦場で会った人間なのだが、その二組の者たちには言いようのない何かを感じるのだ」


 曹操は頭を下げてまで頼み込んだ。


「もちろん私が気になるほど有能な者たちなのだが、それだけではないように思う。うまく言えないが……自らの半身がそこにいるような、それでいて強烈な異物感を感じるような、そんな感じがする。惹かれ合うように感じもするが、強く反発するようにも感じる。とにかく、ただの他人とは思えないのだ。ぜひとも許靖殿に鑑てもらい、その評を教えてほしい」


 曹操の語調は強かった。本人の中で、よほど感じ入るものがあった人物たちなのだろう。


 許靖は迷ったが、受けることにした。


 かなり強く頼まれたということもあるが、曹操がそこまで言う人間に対して興味が湧いたというのも本心だった。


「分かりました。あくまで茶の席の座興、ということでお受けします」


「本当か、ありがとう。彼らにも茶の席の座興だと伝えておく。まぁ……一人は酒の席の座興の方が喜ぶだろうが……酔うと暴れそうなので茶の方が良いな。奥方の茶は絶品だと伝えておこう」


 曹操は、その人を惹きつける無邪気な笑顔で感謝を伝えた。


 そして要件はこれで終わりだというように、さっと立ち上がった。


「突然の訪問で申し訳なかった。そろそろ行かねばならん。すまんが、私への人材紹介や報告は後日、書面で頼む。忙しすぎてな……いつ会えるか分からん」


「かしこまりました」


「ではこれで失礼する。礼はまた贈るから受け取ってくれ。凱旋で多量の贈答品を受け取るだろうから、そのまま贈り直すが勘弁してくれ」


「いえ、お礼など」


 許靖は慌てて手を振った。


「あぁ、そう言えば許靖殿は賄賂も受け取らないという話だったな。だがこれはどう考えても正当な報酬だ。きちんと受け取ってくれ。奥方や息子殿が喜びそうな物を見繕わせよう」


(……妻や子供が喜びそうな物、というのはその方が私も受け取りやすいだろうと考えての気遣いだな。こういった気遣い一つ取っても優秀で、それゆえに恐ろしい人だ)


 才覚に死角がない。考えれば考えるほど、末恐ろしい男だ。


 帰り際、曹操は花琳に丁重に礼を言い、許欽には剣の飾り紐を一つほどいて手渡してくれた。


 英雄の剣の飾り紐だ。許欽は明日、これで友人内の英雄になれるだろう。


 曹操を見送った許靖は部屋に戻り、緊張から解放されて深いため息を吐いた。


 花琳も同じようにほっとした表情を見せている。


 曹操は魅力的で好ましい男だったが、気軽に会うには少し地位が高い。


「……曹操様の話をしたら、曹操様がいらっしゃいましたわね」


「ああ……曹操殿の話をしたら、曹操殿が来た」

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